フリーレン召喚から3ヶ月と3日後
トリステイン王国、ヴァリエール領、ルイズの屋敷にて。
「ありったけの秘薬だ! 秘薬を用意しろ!」
「今夜、我々はカトレア嬢を苦しめる原因に、終止符を打つ!」
屋敷は大わらわだった。
公爵の次女、カトレアの病を完治させんと、屋敷に控えていた医療チームが総動員して動き出している。
「手の空いている者は戦いに臨むものへのサポートを頼む! 指示の通りに動いてくれ!」
その医療チームの長たるガストンもまた、冷静ながらも怒声を上げて、てきぱきと指示する。
一通り準備が整った後、ガストンは公爵夫人と合流した。
「公爵夫人、準備は整いましてございます」
「ありがとうございます。思えばもう、あなたしかまともに対応してくれる者はいなくなりました。感謝していますよ」
「いえ、結局……私一人ではお嬢様の病気を治すことは叶わなかった。これぐらいは役に立ちたいのです」
カトレアへの部屋へ向かう道中、歩きながらガストンと公爵夫人は会話を続ける。
二人の隣には毛布や薬剤を持った家政婦や看護師が、ひっきりなしに往来を繰り返している。
「もっと、反対するものと思ってました」
「……どういうことですか?」
「
何せ、今まで数年に渡りカトレアの事を診断していたのである。突如やってきたポッと出のエルフにすべてを持っていかれようとしている。
普通に考えれば、やるせないという思いが強いことだろう。
それに、異教徒の魔法に関わったとなれば、後々王宮でどんな追及を食らうか分かったものではない。それなのに、ガストンはむしろ積極的に動いてくれている。
それに少し、公爵夫人は疑問に思ったようだ。それに対して彼は答える。
「確かに、いきなり来たよそ者である彼女……フリーレンと言いましたか。その者に対する負の感情は、無いわけではありませぬ」
ただ……と、ガストンは決意を新たに口を開く。
「医療の本分は『人を治すこと』。その道理を外すほど堕ちてはいないつもりです」
眼鏡を外し、疲れた顔を見せながらも目を煌めかせて。
この、白髪が混じって久しい水メイジは、かつて王宮でもかなりの水魔法の使い手として知られていた。
なにせ、病で臥せっていた時の王、ヘンリー国王の最期を看取ったのも、ガストンなのである。
彼もまた、原因不明の病を解明できず帰らぬ人となった。国王がまだ健在ならば、ここまでトリステインは崩れ切っていなかったことだろう。
国王を救えなかった彼は、逃げるように宮廷を離れ、流浪の果てに公爵にその力を見出され、拾われ、そしてカトレアの病を診るに至った。
しかしそこでも同じことの繰り返し。結局自分一人の手では何も救えなかった。
だが、今回は違う。
「あの時のような悲劇を繰り返さぬこと、それこそがまだ私が医者を続ける理由です。どの道私ではどうしようもなかった。ならば彼女の言葉に賭けてみるのも良いことでしょう」
「ガストン……」
「拾って頂いた公爵の恩に報いるためにも、この『治水』のガストン、最後まで責任をもって務めさせていただきます。公爵夫人」
「……ありがとうございます」
やがて、二人は決戦場たるカトレアの部屋へと入っていく。
部屋はすでに準備が完了したらしく、真ん中にベッドごとカトレアは伏せっている状態。その周囲を、フリーレンが描いた魔法陣が覆っている。
より夢の世界へと進めるように改築した専用の陣らしい。これもハイターからくれた聖典の書に書かれていたものだ。どうやったら効率的に夢の世界へ行けるのか、その手段まできちんと記されているとのことである。
「皆さん、準備はよろしいですか?」
公爵夫人……『烈風』カリーヌの言葉に、部屋にいたものは頷く。
部屋にいるのはルイズ、フリーレン、エレオノール、ワルド、そして隅にシエスタ。彼女は手でフリーレンの鞄を持っている。
更にその壁にはきちんと持ってきていたデルフリンガーも立てかけられていた。
「夢に行くのは、私とルイズ、そしてワルドにフリーレン殿……で、いいのですね」
カリーヌの言葉に、フリーレンは頷いた。
本当はエレオノールも妹を助けようと志願したのだが、魔法の容量もあってか今回は実現せず。
彼女はガストンと共に外での支援役となった。
最初はこの決定に色々言いたそうな顔をしていたエレオノールだったが、事態が事態という事もあり、何も言わずに素直に身を引いた格好だ。
「ジャン、あなたもいいですね?」
「屋敷に訪れたこのタイミングで、このようなことになろうとは思いませんでしたよ公爵夫人。これもきっと、『カトレアを救ってやれ』という始祖ブリミルからの啓示と受け取りました」
同じく夢への参戦組へと割り振られたワルドも、そう言って優雅に一礼する。
「この『閃光』のワルド、全力を以てカトレアの命を救う手伝いをさせて頂きましょう」
(……ってか、この人誰?)
何気に初対面だったフリーレンは、彼を見て内心疑問符を浮かべた。
(ワルド子爵よ。領が隣同士でね。信頼できるわ。実力もあるし)
ルイズは隣でそう補足してきた(婚約者云々は言わなかったが)。
フリーレンも、彼の立ち振る舞いから相当できそうだとは思ったので、彼も連れていくこと自体に異論は無い。
するとワルドは、朗らかな表情を見せて手を差し出してきた。
「噂には聞いているよ。きみがルイズの使い魔になったエルフと。ぼくはワルド。ルイズの家族とは古くからの付き合いでね、カトレアを救えるのならばこの命も惜しくはない。よろしく頼むよ」
「そうなのですね、ワルド子爵。私はフリーレンといいます。こちらこそよろしく」
表面上は朗らかな顔つきで、二人は握手を交わす。
……一瞬だけ、フリーレンの左手のルーンを見て、彼の目がきらりと光ったのは、気づいていたがこの際言わないでおこう。
「では、早速始めましょう」
太陽も完全に地平線へと消え去った頃。
カトレアを中心に、ルイズ、フリーレン、ワルド、そしてカリーヌ用の毛布が並んでセッティングされる。
「ガストン殿、もし何かありましたら私を揺すってください。シエスタも、いいね」
「わ、分かりました」
「なんだか、メチャクチャ大変なことになってんじゃねえか。相棒」
「そうだね」
「俺は何か、手伝えそうなことがあるか?」
シエスタの隣の壁にかかっていたデルフが尋ねる。
するとフリーレンは、デルフの柄に軽く手を触れる。
「もしかしたら、あるかもしれないしないかもしれない」
「なんでえ、どっちだよ」
「あったら働いてもらうよ」
「別にいいぜ、ずっと鞘の中ってのも飽き飽きしてたところさ」
そんな軽口を交わした後、各々寝る体勢に移った周囲を見渡す。
「はぁ……はぁ……」
「カトレア、もう少し、もう少しだけ辛抱しなさい」
「ちいねえさま、頑張って! 今から悪い奴全部やっつけてくるから! だからそれまで死んじゃやだからね!」
「はい……母さまも、ルイズも、エレオノール姉さまも、お気をつけて……」
カトレアはもう、目が見えないのか天井を呆然と見つめているだけだった。彼女の手を必死になって、エレオノールは握っている。その目には涙が溜まっていた。
「頑張りなさい! 必ず助かる! 助かるんだから死ぬんじゃないわよ!」
「ありがとう……、エレオノール姉さま」
そう言うと、カトレアはまた気絶する。もう、本当に限界が来ているようだ。
人徳とは不思議なもので、日ごろからカトレアに良くしてもらっていることもあり、誰も、異端の魔法と知りつつもそれでカトレアが救われるのであれば、喜びでもって迎える一体感に包まれている。
丁度その時、ネックレスにしていた鏡が輝く。
『準備できました』その一言だけが浮かんできた。
「フリーレン……、お願い!」
ルイズは懇願するかのように、己の使い魔に向けて言った。
「では」と、フリーレンも左手に杖を掲げて、右手に聖書を持って、魔法を唱え始める。
「眠りに入ったら流れに逆らわず、そのまま流れてください。フェルンが部屋への道筋を作りますので」
次の瞬間、フリーレンの杖から青紫色の波長がゆっくりと放たれる。それは魔法陣の中にいる四人にのみ作用し、ゆらゆらと漂い始める。
「始めます」
それを間近で見ていたルイズは、やがて強烈な眠気に襲われる。『あの時』……、夢の世界でフェルンたちと会った時と同じ感覚。
視界がぼやけ、全身から力は抜け始め。
暗闇が、ルイズの頭に降りかかった。
流れに流れて、暗闇の中。
ルイズは只々、黒々とした世界の中を漂っていく。
フリーレンから言われた通り、流れに逆らわず、ただゆっくりと世界の動きに身を任せてゆく。
やがて、流れは急速に変わっていく。
ぐんぐんと、どこかに引っ張られていくような感触。
まるで〝飛行魔法〟を使っているかのように、どこかへと引き寄せられていく感覚。それに身を任せてその先。
ガシャン! とガラス片を破ったかのような感触と共に、ルイズは地面を転がっていった。
「あっ! いだっ! ああっ!」
「っだぁ……! またこの感じかよ……」
仰向けになったルイズは起き上がろうとして……その平坦な胸に、別の手が覆いかぶさる。
「ぇ?」
「はえ?」
ルイズはゆっくりと隣を見る。そこには自分がかつて契約した少年こと、平賀才人がいた。
そんな彼は今、転がった衝撃で伸びた手を、自分の胸に当てている。
そう、胸に。なんなら「なんだこれ……」と呟きながら、その上に乗っかってた手がさわりさわりと動き始める。
才人がようやくどこに手を当てているのか気付いた時にはもう、全てが遅かった。
「――――ッ!」
「おわっ! ちょ、ちょ違うんだ! マジでこれは事故だって!」
「な、ななななにしてくれてんのよ! こぉのバカ犬―――――ッ!!」
立ち上がりと共にルイズ、顔を真っ赤にしながら怒りの〝
至近距離で喰らった才人は、目を回して吹っ飛んでいった。
「お、おい大丈夫かサイト!」
吹っ飛んだ才人を心配して、やってきたのはシュタルクだ。
「はぁ……はぁ……って、あんた、確かシュタルクだっけ」
「おう、あの時以来だなルイズ。……ってあれ、タメ口利いて良いんだっけ?」
「いいだろあんな奴。俺だってタメ口だし」
才人はそう言って、痛そうにしながら立ち上がる。
せっかく恩返しとばかりに勇んで来たのに、この対応だとやる気をなくす。
そりゃあ、今のはデリカシーが無いと言われても仕方が無いけどさ……。
「事故だって言ったじゃんか……くぬやろ」
「前々から思ってたけどサイト、マジでお貴族様にその態度は止めた方が良いって」
「別にいいじゃんか。貴族やらなんやら知らねえけど、威張る奴に払う敬意なんてないね。ああ、デンケンじっちゃんは別だけど」
「俺、お前が時々怖くなるよサイト! その反抗心なんなわけ本当?」
どうやら才人の住む世界は『貴族』という概念が希薄になって久しく、そのため貴族の恐ろしさがイマイチ良く分かってないらしい。
そのせいでこうして貴族にいちいち突っかかるわけなのだが、シュタルクからすると『命知らず過ぎて怖い』という感想しか浮かんでこないのだ。
「……で、ここはどこ?」
気を取り直して、才人は周囲を見渡す。
微風でしなやかに揺れる草原の中に、どうやらいるようだ。
空は晴天。ただ、空にヒビらしきものが入っていることから、あそこから侵入してきたこと、ここは現実ではないってことだけは理解した。
「夢の世界だよな? 前みたいな結婚式場じゃないのか?」
「さぁな……。俺も魔法は良く分からねぇし」
「なあルイズ、ここどこか知ってるか……?」
尋ねた才人は、ここでルイズが驚きの表情をしていたことに気付いた。
彼女の視線を追いかけると、地平線の奥に屋敷が見える。かなり立派な建物だが……。
「ここ、わたしの家だわ」
やがて、ぽつりとルイズは言った。
それを聞いて仰天する才人とシュタルク。まさかこんな立派なお城が、この桃髪ぺったんこ娘の実家だなんて!
(うわ、マジでお嬢様なんだなこいつ……)
そんな風に考えている才人をよそに、しかしルイズは怪訝な顔をしている。
「……どういうこと? なにあの茨? 花? あんなの、家にはないわよ?」
そう、歩いていく内に気付く。徐々に鮮明になっていく視界の先に、ルイズの屋敷は存在する。
しかし、彼女の家には全部が明るい緑色の蔦や茨が絡まっている。まるで侵入者を阻むかのように。
「夢の中だからじゃねえか? 何があってもおかしくないんだろ?」
才人はまあ、そんなこともあるかなくらいに考えていたが。ルイズはすぐにピンときたようだ。
「きっとあれが、呪いの正体ってワケね」
すると、ルイズの〝魔力探知〟に何かが二人、こちらへ急接近して来ることを告げる。
「誰か来るわ」
ルイズの言葉に、才人はあわあわし、シュタルクは空を見る。
「いや、あれは……」
やがて、シュタルクは空を指す。
空を飛んでやってきたのは、フリーレンとフェルンだった。
「良かった、これで全員見つけた感じかな」
フリーレンはそう言うと、三人の元までやってくる。
「フリーレン、これは一体どういうこと?」
「ここから歩いた先でみんながいるから、そこで話すよ」
フリーレンがそう言うので、ルイズ達も素直に頷き、彼女たちの後を追った。
「にしても、デンケンまで来てくれるとは思わなかったよ」
「病で奥さまを亡くされていますからね。デンケン様としても、思うところはあったようで」
「まあ、私としても助かるから良いけど……でもこれは本当に深刻だね」
「ええ。すでに八割ほど侵食されているみたいです。呪いの根も、これはかなり深くに張っている事でしょう」
フリーレンはフェルンと、いつものような感じで会話をしながら進んでいく。
なんとはなしにその背中を見ていたルイズ。ただ、一瞬だけ、フェルンがちらりとこちらを見る一幕もあった。
なんだろう? まだ怒ってるのかしら……。
夢の世界で口喧嘩してしまった時の記憶を思い出し、どう話を切り出せばいいか、ちょっと考えてしまうルイズだった。
やがて、ヴァリエール屋敷より程よく離れた広場にて。
そこには、カリーヌとワルド、そしてデンケンがいた。
「これで、みんな集まった感じかな」
フリーレンの言葉に、周囲は頷く。
ルイズはしばし周囲をきょろきょろする。
サイト、シュタルク、フェルン。この三人は知っているけど……。母やワルドの隣にいる、いかにもな眼力を放っているこの老メイジはどちらさまなの?
多分、フリーレン世界の住民なんだろうけど……、纏っているオーラがもう只者じゃない。服装、持っている杖、風格、立ち振る舞いに纏う魔力の高さ。父に勝るとも劣らないんじゃないかと思わされる佇まい。相当高貴な人ではないだろうか。
(ね、ねえサイト。あのお方は誰なの?)
(へ? ああ。デンケンじっちゃんさ。シュタルクが言うには宮廷魔法使いらしくてな。国すら影から動かせるくらい偉いらしいぜ)
才人が平然とそう言うので、思わず言葉を飲み込んでしまうルイズ。
彼の言葉を信じるのなら、王宮でもかなり頂点に近い立ち位置のメイジということになる。でも、それも当然と思えるような風格を醸し出しているので、何も言い返すことができなかったのだ。
何せ、伝説と謳われた母と隣に並んでも全然、貫禄で負けてないんだもの。
(へへ、確かにむっちゃ偉いらしいんだけどな、全然威張らねえしすごく俺に良くしてくれてんだ。言っちゃあなんだがあんたよりずっと格好いい貴族様だぜ)
これまた才人は自分のように自慢してくる。ぐぬぬ……。と何も言えなくなるような顔のルイズ。
「よさんかサイト。儂は一魔法使いとしてここに来ておる」
そんな風にひそひそしていると、デンケンは諫めるように口を開く。
「え、でもじっちゃん……」
「この場は誰が偉いだとかを決める場ではないということだ。儂は魔法使いデンケン、それ以上の肩書などここでは不要だ」
デンケンがこう諫めたのには訳がある。
宮廷魔法使いとして、国をも動かせる地位にいるデンケンだからこそ分かっている。貴族の立ち位置を明かすことの意味。
要は『恩を売りに来ました』と、勘ぐられないための措置である。
善意ではなく、下心ありきで他国の貴族に接触したと、思われたくはないのであった。
カリーヌもまた、デンケンのそんな善意に感謝していたため、あえて彼の素性を問うような真似はしなかった。
ここに集まってくれたのは、今にも死にそうな娘を助け出す、信頼できるチーム。初対面とはいえ、そこは揺ぎないようにしなくてはならない。
「まずは皆さん、娘を助けるために集まって頂き、感謝いたします」
カリーヌはそう言って、周囲に最大限の礼を以て対応する。娘のルイズも、同じように倣った。
(へー、あいつ、あんな風に優雅にお辞儀できんだな)
才人は優雅に振る舞うルイズを見て、ちょっと評価を少し上げる。只のわがまま娘かと思いきや、やっぱりきちっとしたお嬢様なんだなと。
「時間がありません、フリーレン殿。この状況についての説明と、我々はこれからどうすればいいのか、その指示をお願いします」
そう言うと、フリーレンは手から魔法で聖典を取り出し、周囲に向けて言った。
「まず、ここについてですが……、こほん」
「フリーレン殿、敬語は結構です。今は時間が惜しい。話しやすい言葉でどうぞ」
「そう、じゃあここからは普通に話すね」
カリーヌからそう言われたので、口調を再び元の調子に戻すフリーレン。
「まず、ここは『カトレアの精神世界』。この本を使って、みんなをこの場所へと呼び寄せた。これから〝呪いの根源〟を断ちに行くんだけど……」
そう言って、フリーレンはルイズの屋敷へと指を指す。
そこには数々の茨が絡んでおり、来訪者を阻むかのような作りが施されている。
「あの茨や蔦は〝呪い〟の攻撃性。それをイメージで表現したものだ。あの茨が空間全てを覆う前に、まずは発生源を特定しないといけない」
「どうすればいいの?」ルイズは尋ねる。
「まずは、カトレアにとって思い入れのある場所。それを見つけるところからかな。おそらくそこが『入り口』になっているはずだから」
「『入口』?」
「呪いが侵入し、根を張っている場所だ。今からそこに向かって呪いの核を見つけ、破壊する。そうすればカトレアを蝕む呪いは解呪されるよ」
「なんだ、意外と簡単そうだな」才人は楽観的な表情をした。
勿論、それをばっさりとフリーレンは否定する。
「そんな簡単な事じゃないよ。周囲を見ても分かるように、もう八割ほど呪いの蔦が周囲を侵食している。初期段階だったらもう少し楽だったんだろうけど、今は末期状態。敵の抵抗力も恐ろしく強いだろうから、ちょっとの油断が命取りになる」
その言葉に、ごくりと唾を飲み込む才人。どうやら思ったよりヤバいことになっているらしいと、ようやく緊張感を持ち始めた。
「だから、こうしてみんなが集まってくれても、状況によっては厳しい戦いになるかもしれない。それだけは覚えておいてね」
「キツイって、どのくらいだ?」シュタルクが尋ねる。
「魔物で言うなら〝北部高原クラス〟は確実かな。流石にマハトやソリテールほどじゃないとは思いたいけど、〝帝国〟でも苦戦するだろうってレベルは見ておいた方が良いかもね」
「……むっちゃヤバいってことね。分かった」
「シュタルク様、震えてますよ」
「し、仕方ねえだろ! 夢の中で戦うのってどういう感じかまだ分からねえんだから!! ……って、あれ?」
ここでシュタルクが何かに気付いたように、ある方向を指さす。
「なあ、誰かこっちに来るぞ?」
「あれって……」
「ちいねえさまだわ!」
ルイズは思わず声を上げる。
確かに、屋敷からやってくるのは最愛の姉、カトレアだ。
「ちいねえさま!」
ルイズは思わず駆け寄った。カトレアはゆったりと、ルイズに笑いかける。
「ちいねえさま、一体どうしてここに? あ、まさかちいねえさまもフリーレンの魔法でこちらに――――」
「違うよルイズ! それはカトレアに擬態した魔物だ!!」
え……? と、ルイズがフリーレンの方を振り向き、再びカトレアの方を向く。
するとそこには、カトレアが慈愛の表情を浮かべながら、顔を四分割に開き、醜悪な大口を開け始めていた。
口は多量の涎を垂らし、複数の触手がうねうねと蠢く。
あまりにも衝撃的な光景に、一瞬身体を固まらせるルイズ。その合間にもカトレアに化けた魔物は、袖やスカートから蔓を伸ばして、ルイズに絡みつく。
そうして拘束したルイズを、カトレアを模した化け物は一口で喰らおうと迫る――――。
その醜悪な口を、ルイズの背後から飛んできた、殺意の閃光が瞬きの内に消し去った。
「――――っ!」
へたり込んだルイズが目を開けた時には、顔を消し炭にされたカトレアの化け物が、黒い瘴気とともに浄化された後だった。
そんなルイズの背後で、フェルンが一切の揺ぎ無く杖先を向けていた。
(――――速い)
(ぼくよりも、夫人よりも速く魔法を……あれは何だ?)
カリーヌ、及びワルドは思わず、この紫髪の少女を見た。
トリステイン最強と謳われた夫人でさえ、杖先を懐から抜く途中の段階で止まったまま。
それよりも速く、フェルンが魔法を放っていたのだ。
「流石フェルン。またちょっと速くなった?」
「ルイズ様に会った時から、少し自分を見つめ直しまして」
フリーレンは「むふー」顔で、一番弟子の頭を撫でつける。
よしよしされたフェルンも、満更ではなさそうな顔をした。
「やっぱフェルンの〝
羨ましそうな声で、両腕を頭に組んで呟く才人。
当然思春期男子真っただ中な彼である。『杖先から出るビーム魔法』に、色んな意味で憧れているようだ。
その合間にも、フェルンはルイズに駆け寄っていく。
「大丈夫ですか? ルイズ様」
「え、あ、うん……ありがと……」
「擬態やなりすましは魔物や魔族の特徴の一つです。油断しないよう気を付けてください」
そう言って、フェルンは手を差し伸べる。
ルイズも、それを受け取って立ち上がった。
「ま、カトレアがこんなところにいるわけないね。本物の彼女は〝呪い〟によって、今も蝕まれている状態だ。早く助けないと、彼女は死ぬ」
「一刻の猶予も無いというわけだな」
デンケンは顎髭を撫でつけ言った。
「そうだね、だから早く『入り口』を見つけないと。公爵夫人、心当たりは?」
言われて、カリーヌは顎に手を当て黙考する。あの子は幼少期から身体が弱かった。行ける場所なんて、そう多くはない。
「ここは精神の世界。カトレアの心の拠り所となるような場所に、『入口』は作られていることが多いよ」
「あ……だったらフリーレン、一つ心当たりがあるわ」
ここでなんとか立ち直ったルイズが、手を上げる。
「家の中庭にある、小舟の浮かんでいるあの池。よくあそこでちい姉さまと会っていたの。もしかしたらそこに……!」
「よし、じゃあ行ってみようか」
中庭の池へ向かう道中。
「ところで、きみは?」
ワルドは付いてきている才人に尋ねる。
初対面のフェルン、シュタルク、デンケンと比べても明らかに毛色が違うと思ったのだろう。武器は持ってないようだけど、今更この空間に来れる時点で只者ではないのだろうし。
「ああ、俺は……」
「わしの供だ。魔法は使えんが腕は保証する」
デンケンが先に答える。これも『異世界の平民』以外にステータスのない才人を守るための措置だった。
「これは失礼」
事実、ワルドはそれを聞いて背筋を正す。カリーヌも何も言わずに頷いた。
ちなみにこれを聞いたルイズも、若干肝が冷える思いでいた。
(え、じゃあわたし……、平民とはいえ他国の重鎮の供を吹き飛ばしたってこと……?)
こんなこと、もし母に知られたらお星さまになるどころじゃすまない。
最初に会った時はそんな感じは微塵もなかったから、つい油断していた。
「そ、俺デンケンじっちゃんのお供。ネネ、分かる? ネネネ」
冷や汗を流す自分を見て、仕返しできると思ったのだろう。才人はこれ以上ないイジワル顔で詰めてくる。それに何も言えない、何ともいえなさそうな表情を浮かべるしかないルイズ。
さて、そんな風に歩いていると、目の前に茨の束が行く手を遮ってきた。
「そんな、これじゃあ先に進めないじゃない!」
思わず、前に出てルイズは叫んだ。
他に小池へ行く道も無いわけじゃないが、全て茨に覆われている以上、ここが一番の近道だ。
「通れないのなら、切り開くしかないね」
「では、ここはぼくの風魔法が活路を開くとしよう」
杖を掲げてそう名乗ったのはワルドだ。いい加減、自分の実力を周囲に見てもらいたいという思いがあったのだろう。
ワルドは杖先を茨の壁に向け、口語を唱える。
すると辺り一帯の空気が冷え、雲を作り出したのち、そこから一筋の雷撃を撃ち放つ。
風系統の魔法の中でも、高威力魔法として知られる『ライトニング・クラウド』である。
強力な電撃による一撃は、そのまま茨に直撃。しばしそこに濛々とした煙が立ち込める。
「すっげえ! 電撃出た!」
思わず才人は唸った。
「なるほど、やるな若造」
デンケンも素直にワルドを褒めた。
気分を良くしたワルドは軽く杖を振り、『風』で煙を払う。
確かに茨には、強烈な焦げ跡を残していた。
しかし、先へと進めるほどの道までには至らず。しかも茨はすぐに再生を始め、元へと戻っていく。
「……ちっ!」
ワルドは舌打ちして杖を振り上げようとするが、それをフリーレンは押しとどめる。
「無駄撃ちは止めた方が良いよワルド。どうやらこの茨、魔法全般に対して強い耐性を持っているみたいだ。魔法による攻撃自体がそもそも悪手なのかもしれないね」
「……なら、どうするのだね?」
ワルドは顔をしかめながら尋ねる。フリーレンはシュタルクの方を向いて、
「魔法がダメなら〝戦士〟の出番だ。シュタルク」
「え、俺?」
自分を指さしながら、シュタルクは前に出る。
ルイズは「えぇ……?」と声を漏らした。あいつって、戦士とは聞くけど魔法が使えないってことはただの平民よね?
魔法が絶対視されるハルケギニアにおいて、剣や鉄砲は『弱い武器』として軽視される傾向にある。この時のルイズもまた、例外ではない。
そんな人間に、ワルドですら破れなかったあの茨を何とかできるとは思えないのだが……。
ワルドもまた、自分よりも平民の戦士を選ぶのかと、言葉にはしないが何とも言えなさそうな顔をしていた。
他方、カリーヌ夫人は果たしてどうなるのかという、興味深そうな顔つきをしていたが。
(ねえ、ワルドさまでさえ破壊できなかったあの茨を、あいつは破壊できるの?)
おもわず、ひそひそ声でフェルンや才人に尋ねる。
(……ルイズ様の世界では、そこまで〝戦士の力〟は浸透していないみたいですね)
(へへっ、いいから見てろって。ドラゴンすらぶった切るシュタルクにあんな茨切れないわけねえだろ)
(はぁ!? ドラゴンって……あいつが!?)
ルイズからすれば、何とも信じられない話である。
あんなヘタレそうな青年に、ハルケギニア最強種であるドラゴンを切れるだなんてとても思えないのだが……。
「といっても俺、斧ないんだけど、どうやって出せばいいんだ?」
「シュタルク。ここは夢の世界だ。ある程度なら何でもありなんだから、いつも自分が使っている斧をイメージして。そうすれば出てくるから」
そんな風に話す二人を、未だに信じられなさそうな顔で見るルイズ。
やがて、うんうん唸りながらシュタルクは、具現化した斧を手にした。
「出せたね。よし、じゃあ任せるよ」
「ま、茨自体が襲ってこないだけ気が楽かな」
フリーレンはシュタルクの肩をポンと叩くと、一歩二歩下がる。
シュタルクは斧を構えると、一足飛びで跳躍。そして――――、
「うおらっ!!」
かつて巨大竜〝紅鏡竜〟を葬ったばりの巨撃が、茨の壁を一瞬で叩き壊した。
「きゃあっ!?」
その際に発生した衝撃と風圧に、思わずルイズは目を瞑る。茨は再生すらせず、魔力の残滓となって掻き消えた。
「うっそ……」
流石にルイズもワルドも唖然とした。
ただの平民なのに、これほどの力が!?
「ルイズ、これが〝戦士の力〟だ。〝前衛〟の概念が無いハルケギニアではすぐには理解できないだろうけど、魔法が使えないからといって、相手を侮るのは止めた方が良いよ」
フリーレンはそう言うと、先に進む。
ルイズは未だに信じられなさそうにその場に佇んでいる。そんな彼女の肩をポンと叩きながら才人は、シュタルクとハイタッチを交わした。
「ナイスシュタルク!」
「おう、ありがとよサイト!」
男子二人を追いかけるようにフェルン、デンケンも先に進む。
「ほら、行きますよ」
ここまでさして動じていなかったカリーヌが、ルイズとワルドの肩を叩いて進むように促した。
「多分、この呪い自体にそこまで〝前衛〟への耐性が無いんだろうね。ハルケギニアで育った混沌花だからかな」
ハルケギニアでは魔法の優位性が強い。だから魔法に対する耐性は強く獲得した分、前衛への耐性はそこまでつかなかったのかもしれない。
そうなるのであれば、前衛の力を持つシュタルクや才人が、この呪い攻略の要になるかもしれないだろう。
「さて、着いたよ」
中庭に到着したことで、フリーレンは足を止める。周囲も、それに倣う。
そこには、小舟が浮いた池がある筈の場所に、底が見えないほどの大穴が開いていた。