フリーレン一行が旅立って7日目。
ヴァリエール領、とある道。
「はぁ……」
ルイズは両腕をブラブラさせながら、重い足を一歩一歩前に出す。
「早く、ルイズ」
「日が暮れちゃいますよー!」
「……一週間使ってまだ自領って、どういうことよ本当に」
わたしんちの庭、でかすぎない?
何度もそう思いながら、ルイズはため息をつき、地面を蹴る足に力を込める。草や木々の間を歩くたび、膝や足首に微かな疲労がじわりと溜まる。
ヒンメル像が静かに立つ村を抜けて二日目。まだ自分の庭を抜けきれずにいる広大な土地に、ルイズの心は少しうんざりしていた。
あたりを見渡せば、果てしなく続く草原と森、そして遠くに点在する建物の影。視界の先には、まだかなり遠いものの……街の輪郭がようやく見えていた。
自領の中で最も栄えている街、それが『パレ・ロワイヤル』である。交通網の要所であるため、大きく発展しており、ヴァリエール領の心臓部といって差し支えない。
街に着けば、少しはリラックスできるだろう。ルイズも幼少期に何度も訪れたことのある場所で、顔パスで一等宿に泊まりたいと思っている。
ただ、今のペースでは、街に着くころには月が顔を出していることだろう。
太陽は傾きかけ、影が長く伸びる。疲労のせいか、歩くスピードも自然と落ちる。
それでも、少しずつ進んでいる。広大な庭に飲み込まれそうな感覚と戦いながら、ルイズは何とか足を前に出し続けた。
「はあっ! つっかれたぁ……!」
そんなわけで。
パレ・ロワイヤルの一等地に無事顔パスで泊まったルイズ達は、小奇麗な部屋で一息つくこととなった。
街はこの地を治める公爵家の令嬢が、供二人(それも女子)だけ連れて歩いてやってきたと聞いて大変な驚きを見せたが「武者修行よ」の一言で無理やり納得させた。
そんなことよりはやく横になりたかった。
「こ、公爵様公認の旅でございますのですね! ではこちらにお泊まりくださいませ」
公爵令嬢の急な来訪に内心冷や汗ダラダラだった支配人に案内を受け、ようやく部屋に泊まれたルイズは、兎にも角にも早速ベッドにダイブする。
「あぁ~、このまま眠りそう……」
疲労困憊のルイズは、すでに夢の世界へと旅立ちかけていた。旅に出てから一週間、ようやく心から満足できる、ふかふかの毛布と枕に出会えたのだ。
そんな心地よさに浸るルイズをよそに、フリーレン(もちろん人間耳にしている)は鞄を下ろして言う。
「じゃあ早速、魔道具の様子を見ようか」
臆面もなく放たれたその言葉に、さすがのルイズも思わず目を覚ました。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよフリーレン! 少し休ませなさいよ……!」
「ルイズは分かってないね。こういう夜市にしか売ってない魔道具もたくさんあるもんなんだよ」
フリーレンは「むふー」と満足げな顔を浮かべ、窓の下に広がる夜の市場をじっと見下ろした。
活気に満ちた通りには、人々の笑い声や呼び声、行き交う荷車の音が混ざり合い、夜とは思えないほどの熱気を帯びている。屋台からは香ばしい焼き肉やスパイスの香りが漂い、色とりどりの布や珍しい魔道具が灯りに照らされて輝いていた。
流通の要所である街だけに、昼夜を問わず賑わいは衰えない。こういう場所には、滅多にお目にかかれないレアアイテムが眠っているものだ。
なにより、異世界の魔道具である。ここでしか手に入らない品があるのだから、行かない理由など見当たらない。フリーレンの胸は、期待と好奇心でわくわくと高鳴っていたのだ。
「いいよ、ルイズはそのまま休んでて。私とシエスタで行ってくるから」
ルイズが何か言おうとするより先に、フリーレンはそう言ってきた。
本人的にはルイズに気を使ったのだろうが、自分を置いて街に繰り出そうとするクソボケエルフに、ちょっとムッとしする。
「……分かったわよもう、勝手になさい!」
どの道、体力的にはどうしても動きたくない。
ルイズはふて寝するかのように、フリーレン達から目を背けて横になった。
「ほら、行こうシエスタ」
「え、ええ……」
そのままフリーレンは、シエスタの手を引いて、そそくさと部屋を出る。
シエスタは最後まで、こんな形で繰り出して大丈夫なのか、ルイズに視線を向けたままだったが……、最終的にはそのままフリーレンと一緒に外へ出た。
さて、街に繰り出したフリーレン達はというと。
「いいんですか? ミス・ヴァリエールを一人だけ置いてきちゃって」
さすがに可哀そうだと思うシエスタ。
ルイズの言う通り、少し休憩してから街を回ればいいのに、とも思った。
それとも、宿に着く前に何か良い魔道具を見つけたのだろうか。
やがて、フリーレンはシエスタと共に夜市を巡る。
その最中、ふとフリーレンは口を開いた。
「ねえ知ってた? 今日、ルイズの誕生日なんだってさ」
「え? そうなのですか?」
聞いたシエスタは、目を丸くした。
「うん、旅立つ前に、カトレアから教えてもらった」
「じゃあまさか、ミス・ヴァリエールを意図的に省いたのって……」
シエスタが聞くと、フリーレンは「うん」と頷いた。
「誕生日だし、せっかくだからなにかあげたいんだよね。そのためにもシエスタには付き合ってほしかったんだ」
そういうことなら、とシエスタも一緒になって考える。
「何かルイズが好きそうな物って心当たりある?」
「う~ん、どうでしょう。確かにミス・ヴァリエールとは去年からの付き合いですけど……」
なにか、欲しいものとか好きなものって言われると、すぐにはピンと来ない。
食べ物なら「クックベリーパイ」が好きだというのは知っているけど、それはヴァリエール家でのお祝いパーティの時にフリーレンも知っているし。
「そういうフリーレンさんはどうなのです?」
まだやってきて二、三か月とはいえ、あれだけ一緒にいるのである。自分より、よっぽどルイズについて詳しいことだろう。そう思ったのだが……。
「私も、ルイズのことは全然分かんない」
「…………あんなに、一緒にいるのにですか?」
フリーレンは静かに首を振った。本当に何も分かってなさそうな顔に、シエスタはふと思い出す。彼女は「エルフ」だということに。
「うん。使い魔としてずっと一緒にいるけど……、だからといって、ルイズが何を好きなのか、何をあげれば喜ぶのかとか、理解できているかといったら、うんとは言えないんだよね」
「…………」
「だから、シエスタに聞いたら何かわかるかなって、思ったんだよね」
フリーレンは夜市にある出店の前にかがむ。そこには色んな壺や鉱石、カエルが中で暴れる籠などが置かれている。
どれが良さそうかな……とフリーレンが真剣に悩んでいるなか、シエスタはため息を吐いて彼女の肩に手を置く。
「……とりあえず、そこにあるものをあげてもミス・ヴァリエールは絶対喜びませんよ。特にカエルは大嫌いですから」
「そっか」
「まず、クックベリーパイがお好きなのは分かってますから、それに近いものを買うか作るか、そういう所から始めましょう」
「……うん、そうだね」
とりあえず、色々な人に尋ね歩いて、「クックベリーパイ」を自作することにしたシエスタとフリーレンは、その材料を集めるために市場を回ることとなった。
幸いにも、シエスタはマルトーから最近料理の手ほどきを受けていたらしく、「クックベリーパイ」なら作れそうだと、太鼓判を押してくれたのだ。
「あ、でも一つ、そう言えば思い出したことがある」
「なんです?」
「カトレアから、『もしルイズに買うとしたらこれが良い』って、教えてもらったことを思い出したんだ。材料を買ったら、アクセサリー店を見て回ろっか」
一方その頃。
ルイズは今、くぅくぅと寝息を立てていた。
「旅の疲れ」という名の睡魔に抗えず、気づけば仮眠を始めていたのである。
そんな彼女は夢の中でふと、ある記憶を思い起こしていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「たまには外食も悪くはないな」
それはまだ、ルイズが七歳くらいの頃。
父の仕事ぶりを見るために、家族みんなでこの街『パレ・ロワイヤル』へ来た時の事。
この街の視察がてら、一際大きな食堂で食事をとることとなった。今の民がどんなものを食べているのか、その水準を知るための仕事ということで、自分たちもこの街へ来たことがあった。
そこで出された食事は……まあ、家と比べると確かに味は落ちるけど、別に食べられないものじゃない。
むしろ、ここで初めて食べた「クックベリーパイ」の味がすごく印象に残っていて、以来、自分の好きな食べ物となった。
父の言う通り、平民の食事も悪いものじゃないわね、と、内心思ったものだ。そのため、子供の頃は父にせがんで、よくこの街に連れて行ってもらったこともあった。
丁度この日は、自分の誕生日だった。大好きなクックベリーパイを食べたかったルイズの希望で、この街で行うこととなったのだ。
「誕生日おめでとうルイズ。きみは何歳になったんだい?」
「えーと、八歳……です。子爵さま」
その日、食堂では自分を祝う、大々的な催しが行われていた。
隣の席には若きワルドがいた。この時点で風の『トライアングルクラス』として、頭角を現していた若き騎士見習いもまた、よく自分を祝ってくれたっけ。
「そうか、ちょっと見ないうちにぐんぐん大きくなっていくな。あと十年もすれば、きみも立派なレディか」
「そうだ、ジャンよ。お前の婚約の件なんだが、ルイズ嬢はどうだね?」
「うむ、わしとしてもジャンなら娘を任せられると思っているのだが」
上座ではすでに出来上がっていた父が、ワルドの父と自分の婚約話について、色々話しているところだった。
こんやく……と聞いて、当時のルイズは首をかしげたものだ。
勿論、ワルド子爵は嫌いじゃない。でも、「結婚」というのがどういうものか、この時点ではまだ良く分からなかったのである。言葉は知っていたけど、意味は知らないというやつである。
「はは……、そんな安易に決められたらルイズだって可哀そうですよ。彼女はきっと、すれ違ったら十人が十人振り向くくらいにはっとした美人となりますよ。ぼくなんかにはもったいない」
「ははは! 言うようになったじゃないかジャンよ! うちの娘では不満というか!」
「いえ、そういうわけでは……たはは」
酔いも手伝ってぐわっ! と来る公爵をいなすワルド。
何故かそれをちょっと不機嫌そうな顔で、当時のエレオノールは見ていたような気がする。
「……まあ、今のあんたにはもったいないくらいよ」
「エレオノール姉さま……」
「未だに魔法がひとっつも成功しないんじゃね。貰い手だって来るかも怪しいんだし、ジャンでいいんじゃないの?」
「エレオノール姉さま、今日はルイズの誕生日よ。許してあげて」
エレオノールの小言を諫めるのは、次女のカトレアだ。病弱ではあったが、今ほど酷くはなかったため、子供の頃はこうして外まで付き合ってくれたのだ。
「まま、エレオノール。ルイズだっていつかは立派なメイジになると思ってるよ。ぼくが保証する」
「随分ルイズに甘いわね、ジャンもカトレアも」
「逆にきみはすこし塩対応すぎないかい? 確かに昨今は、早熟な子なら五歳くらいから系統が判別することもあるとは聞くけど、ぼくが『風』と分かったのは十歳だった。八歳でも未系統なルイズはおかしいことじゃない」
「……確かにそうだけど」
「なんだい、バーガンディ伯爵とは上手くいってないのかい?」
「……ふんだ!」
既に婚約が確定しているというのに、それを言われると長女はことさらにむすっとした。
(……間違えたのかしらね? わたしも……)
そしてそう言いながら、影でボソッと、何故かワルドをちらちら見ながら、そう言うのだ。それを見ていたカトレアはくすくす笑ってたっけ。
「え? エレオノール姉さまって、もしかしてワルドさまのこと……」
「そそそそそそんなわけないでしょいい加減にしなさいあんたはもう口を開けば余計な事ばっかりぃ!」
「いびゃい! いびゃいれひゅう、ねえひゃま!」
顔を真っ赤にしてつねられたことを思い出すルイズ。今思えば厳粛な姉が、あそこまで取り乱すのは初めて見たっけ。
「ほらほら、あなた達静かになさい」
母がここで、手をパンパンと叩いて諫める。
見れば、料理人がホール状のクックベリーパイを手にやってきた。蝋燭も立っている。これがルイズの誕生日ケーキ代わりだった。
数は勿論、ルイズの年にちなんで八本。火はついていない。
これは誕生日を祝われる側が『着火』で火をつけ、魔法の成長ぶりを親族に見せるのが最近の流行りだったのだ。
もちろんこれは伝統というわけではないのだから、無視しても良いのだが、今回はその流行りを取り入れてきたらしい。
せっかくの大好物なのに、途端に苦い顔をするルイズ。この頃は『着火』どころか、まだ何の魔法も使えてないのだ。
周囲に魔法が使えないということが改めてバレてしまう。膝の上に置いた手をぷるぷるさせていると、ワルドが安心させるように言ってきた。
「大丈夫さルイズ。こういうのはあくまで流れみたいなものだから。まあ、恐れず頑張ってみたまえ」
「子爵さま、でも……」
「大丈夫、いざとなったらぼくが助けてあげるから」
腰に差した杖をちらりと見せて、ルイズを安心させるワルド。
『着火』が使えない子のために、他人がこっそりと助太刀するケース自体は珍しくない。両親も長女も、そこに関しては何も言わなかった。
その後、ルイズを祝う歌をひとしきり歌い、いよいよルイズが『着火』で蝋燭に火を灯す番となった。
「ささ、早速火をつけてみてくれ、ルイズや。なに、失敗しても怒りはせんよ。今日は娘の成長を祝う会だからのう」
父にそう言われたので、ルイズも覚悟を決めて、杖先を蝋燭の方に向ける。
困った時はワルドが助けてくれると言ってくれたのだし、気楽に行こう。
そんな感じで振った杖は、しかし次の瞬間、大爆発を起こした。
これが人生初となる、ルイズの『爆発魔法』だった。
一瞬にして、楽しげな雰囲気すらも、あっという間に吹き飛ばしてしまったのだった。
それ以来、ルイズにとって誕生日は、苦い思い出の記憶となってしまった。
ちゃんと年ごとに祝われてはいたけど、もうルイズは「誕生日を楽しい」と、心から笑えるイベントではなくなってしまった。
学校に来てからは、誕生日自体を忘れてしまった。誰も祝ってくれなかったし、そういうものなのだと、記憶の彼方に追いやってしまっていたのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ふぁ……」
ルイズは目を覚ます。
寝ぼけた目をこすって起き上がる。部屋は閑散としていた。まだフリーレンたちは帰ってきてないらしい。
「まったく、何してんのよあの二人は……」
鼻提灯を膨らませて眠っている、壁に立てかけられているデルフを見つめて、ため息を漏らすルイズ。
既に外は真っ暗らしく、月光が窓から覗いている。
灯りはつけずに眠ってしまったので、それだけがルイズの視界に彩りを齎す、確かな光源だった。
魔法のランプを使えばすぐ明るくできるけど、このまま誰もいない部屋にいたって仕方が無い。
とりあえず、文句を言いにフリーレン達を探しに行こうと、部屋を出た時だ。
「……ん?」
一階に降りた途端、かぐわしい香りが鼻をくすぐる。
「この香り……クックベリーパイ?」
気になったルイズは、そのまま厨房へと足を向けた。
その時になって、ルイズはひとつのことに気づく。フリーレンの魔力が、静かに厨房から漂ってきているのだ。
料理人に頼んで中を覗かせてもらったルイズは、思わず仰天して身を乗り出した。
なんとそこでは、シエスタとフリーレンの二人が、エプロンをつけて料理に勤しんでいたからだ。
「あー! あんたたち何やってるのよ!」
「あ、ミス・ヴァリエール!」
「ちょっと、料理を作ってたんだ」
「料理って、クックベリーパイを?」
ルイズはかまどの隣の棚に置いてある、様々ないちごと網目状にカットされたパイシートを見る。
どうやらもう、焼き終わって取り出した段階のようだ。
「あの、今日、ミスの誕生日だとお聞きしたので、こうしてコックさんに無理を言って、厨房を貸してもらってたのです」
「……わたしの?」
ああそうだ。忘れてた。
そういえばそうだっけ……。
「ええ、昔ミスがよく通っていた食堂はもう潰れてしまったそうで、できるだけその味を再現しようと、今は頑張っているところなのです」
「じゃあ、わたしを省いて先に夜市に向かったのって……」
「そういうことだよ。魔力を消していたのに、随分探知が上手くなったね、ルイズ」
フリーレンはそう言うと、耐熱手袋をはめ、パイが彩られた皿をそっと取り出す。
ルイズに気づかれないよう魔力を消して料理していたが、初めて作るということもあり、悪戦苦闘するうちに少し漏れてしまったようだ。
多分、シエスタがいなければ、自分一人では作れなかっただろうな、とフリーレンは思った。
「勿論、ミスへのプレゼントも既に買ってあります。楽しみにしていてくださいね」
「え、あ……うん」
「そういうことだから、ルイズはそのまま大人しく部屋で待っていてね」
そうして、ルイズはそのまま厨房の外へ追い出される。
しばし呆然としたままだったルイズだったが……やがて、染み入るような嬉しさが込み上げてきたのか、そのまま宿屋の食堂へと向かって行った。
「では、ミス・ヴァリエールのお誕生日会を始めましょう!」
数十分後。ルイズはフリーレンとシエスタの三人で、ささやかな誕生日会が開かれた。
ルイズの目の前には、鳥のローストや果物、サラダにスープ、パンと色とりどりの食事が並べられている。
その中心にクックベリーパイも置かれていた。晴れて十七歳となったことで、十七本、火のついていない蝋燭が立っている。
もう魔法が使えない『
そして、ルイズを祝う歌を歌った後、改めて吐息で吹き消した。シエスタとフリーレンはぱちぱちと拍手をした。
ルイズは思う。本当にささやかなお誕生日会だ。
子供の頃は、いつも数十人からなる従僕が控え、たまにヴァリエール家と親交の深い貴族(大体はワルドだが)に囲まれ行われていた。
食事だって、食卓だって当時よりももっと豪華だった。厳選された牡牛のステーキだとか、パリパリに焼けた骨付きチキンとか、鼻腔をくすぐるような色とりどりのフルーツとか、色んなのが並んであったものだ。
それと比べると、本当に小ぢんまりとした誕生日会。でも、ルイズは無意識に口元を緩めていた。
「じゃあ、まずわたしから、ミス・ヴァリエールにこれを!」
クックベリーパイを除く、食卓のご飯も粗方片づけた後。
ということで、シエスタからリボンと可愛いピンク色で彩られた小箱を受け取る。
リボンを解き、ふたを開ける。
中身は、杖の取っ手部分に挿入できるグリップが入っていた。銀色の花が綺麗に彩られている。ルイズはこの花を図鑑で知っている。
「この花って、
「ええ」とシエスタ。
アルビオンに咲くと言われる、特別なレモン。アルビオンでも特に寒い地域に咲くといわれ、その名の通り白銀の色合いをしているのだとか。
アルビオンでは、想い人の息災を願う意味で、このレモンの花を贈る風習もあるのだとか。
勿論、普通のレモン同様疲労回復や血行促進などにも役に立つ。特に輪切りにして紅茶に浸すと独特の酸味でとても心地よい舌ざわりの紅茶が出来上がるのだとか。
最重要……というほどではないが、アルビオンに寄る時は是非覚えておきたい花の一つだった。
「カトレアから聞いたよ。ルイズが八歳になる誕生日の時、本当に渡したかった贈り物だって」
フリーレンの言葉に、ルイズはハッとした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
八歳の誕生日。それはルイズのトラウマの始まりだった。
あの日以来、魔法を発動させようとすると、必ず爆発するようになってしまったのだ。
両親は大層悩み、様々な手段を講じたが……根本的な治療には至らなかったのは、周知の通りである。
この問題はフリーレンを召喚するまで続き、ルイズを長く悩ませることとなった。
さて、時間は誕生日当時に戻る。
当然ながら、当時の反応は慌ただしいものだった。クックベリーパイは見事に消し飛び、食べることもできなくなった。
更にその上で起こった悲劇。カトレアが用意してくれていたプレゼントまでもが、この時吹き飛んでしまったのだ。
「ごめんなさい! ちいねえさま……! せっかく用意してくれたプレゼント……」
「いいのよ、あなたが無事でよかったわ、ルイズ」
あの後、すぐにカトレアは別のプレゼントを用意してくれたけど、最初にあげるはずだったものと違うものだったというのは、後から知った。
用意しようとも、一品物ということですぐ手配できなかったらしい。
それ以上に、ルイズはもう、自分の誕生日すら苦痛に感じるようになってしまったのだが。
あの日以来、誕生日に食べるクックベリーパイを美味しいと思ったことはなかった。
父が気を利かせ、蝋燭にはあらかじめ火を灯して用意してくれていても……、誕生日のたびに目にするクックベリーパイは、あの時の記憶を、否応なく呼び起こしてしまうのだ。
普段は間違いなく好物なのに、誕生日のクックベリーパイを心から楽しみにすることは、いつしか少なくなっていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「あの時、贈る筈だった一品物のグリップ。丁度店で売っていたから買えてよかったよ」
フリーレンは安心するように言った。このためにわざわざ、ルイズを置いて夜市に繰り出したのだとか。
「ということで、どうぞ」
「うん……ありがとう」
言われるがまま、ルイズはグリップを受け取った。
手に吸い付くような握り心地で、柄には檸檬花のエンブレムがあしらわれている。
ルイズは小ぶりの杖を取り出し、取っ手の部分にそのグリップを差し込んだ。
何度か手首をひねり、軽く振ってみる。
――うん、いい感じだ。
「ありがとう、シエスタ」
ルイズは素直にお礼を言った。シエスタも微笑みで小さく頷く。
こんなに、誕生日を楽しいと思えたのは、いつ以来だろう……。
ここで、フリーレンが贈り物を送る前に、こう言ってきた。
「ごめんね、ルイズ」
「え?」
「私はこうしてルイズの使い魔としているけれど、まだルイズのことも、シエスタのことも、よく分かっていない」
フリーレンの神妙な言葉に、ルイズもシエスタも、自然と真顔になった。
「ルイズの誕生日が今日だってことも、グリップをあげれば喜ぶってことも、全部カトレアから聞いたんだ。自分で考えたことじゃない」
「ちいねえさまが……」
「カトレアは本当によく見てるよね。私が何を考えていたのかも、分かってたみたいだった。魔法の力もあるだろうけど、それ以上に、ルイズのことをよく見ていたんだろうね」
ルイズは思わず、カトレアのことを思い返す。
人の本質を魔法で見抜く力があるとはいえ、そこまでルイズのことを理解できるのは、彼女の人間的な包容力の差だろう、とフリーレンは考えていた。
「逆に私は、未だにこんな調子なんだよね。カトレアが言ってくれなかったら、こんな誕生日会はできなかった。シエスタがいなかったら、クックベリーパイだってこうまで良い形に仕上げられなかっただろうし」
「そんなことありませんよフリーレンさん! そもそもフリーレンさんがこうして誕生日会を開こうって言ってくれなかったら、わたし、スルーしてましたもの!」
ここで、シエスタも身を乗り出して、そう言ってきた。
「わたしだって、言うほどフリーレンさんやミスの事を知っているってわけじゃないですもの! 知らないというのであれば、今から知ってもらえるよう、努力していけばいいだけの事じゃないですか!」
「……そうね、シエスタの言う通りだわ」
ルイズも、ため息をひとつ漏らしながら、フリーレンを見つめる。
自分だって、言うほどシエスタやフリーレンのことを知っているわけではない。学院時代は専ら魔法の話ばかりで、人柄については本当に表面的な理解しかなかったのだ。
むしろ、知ろうと意識しているフリーレンのほうが、ずっと立派だとルイズは思った。
ニブチンなのはもう……そういう種族だからという話なのだから、そこはもうつつかないこととする。
「旅はまだ始まったばかりだしね。鈍いあんたでも知ってもらえるように、わたしも頑張るとするわ」
何気ない言葉。けれど、フリーレンの胸には小さな温かさが伝わった。
その瞬間、ふと遠い日の記憶が呼び起こされる。魔王討伐の旅の最中、食事中、ヒンメルが言ったあの何気ない言葉を。
『なら、知ってもらえるように、頑張るとするかな』
力強くも柔らかい、その声の響き。戦いでも日常でも、仲間を思いやる彼の優しさが、言葉の端々に滲んでいた。
フリーレンは、気づけば微かに目を細め、心の奥でその言葉をそっと抱きしめる。
ルイズの言葉と重なることで、あの時の記憶が何故か鮮やかに蘇ってきたのだった。
「あ、ちなみにわたしの好物はモモ胡桃パンです。誕生日はですね――――」
「なぁに、あんた、祝ってもらいたいの?」
「……だめですか?」
「そんな本気で落ち込まないの。こんなにしてもらったのに、礼を返さないのは逆に礼儀に反するわ。楽しみにしてなさい」
「まあ、貴族の方に祝ってもらうなんて……! こういうのって言ってみるものですね!」
「あんた、ちょっと気安くなってない? まあいいけど……」
ルイズとシエスタが楽しげに会話している間、ルイズはふと視線をフリーレンに向ける。口元ににやりと笑みを浮かべ、少し悪戯めいた瞳でフリーレンを見つめるその表情には、楽しさと親しみが混ざっていた。
「でー、あんたはなにをわたしに用意してくれたの?」
無難に考えるなら魔導書。あまりいらないけどありえそうなのが、良く分からない魔法素材かな?
そう思っていたルイズは、やがてフリーレンから細長い小箱を受け取る。こちらは青色のリボンで包んでいた。
「私なりに、シエスタから色々聞いて考えたんだよ」
「ふーん、なんだろう……」
普段が普段だから、あまり期待しないような意識でリボンを紐解いていく。
中身を見たルイズは驚いた。フリーレンが今、つけているものと似たような形状のイヤリングが入っていたのだ。
「へー、綺麗! やるじゃないのフリーレン!」
変な眼鏡や、動物の頭骨、よく分からない生物が入った籠のようなものを想像していたルイズは、素直に喜んだ。
さっそく耳につけてみる。
針で穴を開けるタイプではなく、挟んで固定する仕様だったため、装着にそれほど時間はかからなかった。
ルイズの両耳では、フリーレンと同じ形の耳飾りが、からりと小さな音を立てて揺れている。
「……本当にありがとうね、フリーレン、シエスタ」
ルイズの言葉に、フリーレンたちは頷いた。
最後に、みんなでクックベリーパイを切り分け、食べていく。
「う~ん、なんというか、独特な味っていうか……」
「イチゴの部分、味が色々変わって煩雑な感じがしますね……」
「まあ、初めて作ったからな……」
……正直に言えば、美味しくない。そんな感想を、三人でひそかに共有する。
多分、今まで食べたクックベリーパイの中でも、一番不格好な味だと、ルイズは思った。
それでも、きっと忘れられない味になるだろう。
今までの誕生日に出てきた料理は、トラウマのせいで味がよく分からなかった。
でも今は、こうして不格好な味を楽しみながら、使い魔とメイド、三人で一緒に笑い合っている。
八歳の誕生日の時に置いてきた笑顔を、九年越しに取り戻せた。
無意識に笑いながら、そう思うルイズなのであった。
フリーレンと旅するんだったら誕生日会はまずやらないと、な回です。