使い魔のフリーレン ~ゼロからの旅路~   作:お団子

82 / 102
第76話『エルフの来訪』

 

 燃えていく、燃えていく。

 長い間仕えていた家が、暮らしていた屋敷が、もうもうと煙と紅蓮の揺らめきの中へと消えていく。

 

 幼きマチルダは、その光景を見てただ息を飲んでいた。

 

「無事か! マチルダ!」

「お、お父さま!」

 

 当時のマチルダに声をかけるのは、父のニコラ・オブ・サウスゴータ。

 そうだ、兄王……ジェームズ一世の手の者が、屋敷を挙って焼き払いに来て……。

 

「ここはもう駄目だ! わしはモード大公をお助けに参る! お前はシャジャル様とティファニア様を助けるのだ!」

「だ、大丈夫なのですかお父さま!?」

「言っている暇はない! マチルダよ、わしにもしものことがあったら、シャジャル様とティファニア様をよろしく頼むぞ!」

「待ってください! 父上は、父上はどうするのですか―――!」

 

 言葉を待たず、父は燃える屋敷の中でも最も人の影の多い場所へと、勇敢に向かっていく。

 それを、当時のマチルダはただただ茫然と眺めていた。

 

 もう、あの頃には戻れない。

 楽しかったあの日々には……。

 

 それでも、当時のマチルダは走った。

 父の思いを無下にしないとばかりに。大切な人を守るために。

 

「マチルダ!」

「レティ!」

 

 そんな彼女に呼び止めるのは、当時仲が良かった貴族の子。

 同じく大公の『秘密』を知る者で、マチルダの中では数少ない親友ともいえるメイジだった。

 

「シャジャル様は! ティファニア様は! 無事?」

「分からない。これから助けに行くつもりだけど……! レティはどうするの!」

「もうすぐ『ジェームズ王』からの援軍がお忍びで来てくれるわ! それまでわたしも粘るつもりだから、先行ってて!」

「ええ、分かったわ!」

 

 この会話に疑問を抱くことなく、マチルダは頷く。

 そして、親友と別れようとする、その直前になって気づいた。

 

(あれ、ジェームズ王って……父たちを死に追いやった……連中でしょ……?)

 

 戸惑いのまま、当時のマチルダは走っていく。

 やがて、そんな彼女の視界の先に、とある彫像が見えた。

 

 それは、タルブでも見たことのある銅像。

 短く髪を切り揃えた美男子。その肩には『英雄の剣』を担いでいる。

 それを見た、子供の頃の姿に戻っていたマチルダは、大きく戸惑った。

 

 

(なんで……屋敷の前にヒンメル像が……?)

 

 

 この屋敷は、子供の頃から何度も出入りしている。

 エルフの母娘がお忍びで住んでいる屋敷。この家のことなら、ごみ箱の装飾でさえどんなものか思い出せる。

 はず、なのに……。

 

 

 あれ、私……。

 なにか、大事なことを忘れているのか……?

 

 

「――――はっ!」

 

 ここでマチルダ……。現在、学院ではロングビルと名乗っている女性は、ベッドで目を覚ました。

 

「……夢か」

 

 嫌な夢だ。マチルダはだらしない肢体を起き上がらせながら、嘆息する。

 不快感を感じる夢。でも、なんの夢を見たのかは思い出せない。

 ただ、なにか気持ちの悪い夢を、見ていたような気がするだけ。そんなことだけは覚えている。

 

 ……まあいいや、とりあえずさっさと起きよう。

 

 顔を洗って、着替えて、化粧をして。

 学院長秘書兼、民間魔法教師としての装いをしたロングビルは、そのまま私室を出た。

 

 

 フリーレン召喚から4ヶ月後

 夏休み。8番目(ニイド)の月、第1(フレイヤ)の週。ユルの曜日。

 トリステイン国。トリステイン魔法学院、

 

 トリステイン魔法学院は今、夏季休暇の真っ最中。

 生徒の大半が帰省したことで、当然ながら授業は無い。

 六月(ニューイ)より始めた『民間魔法学』も、当然ながら今は実施していない。

 そのため、秋期に向けた指導マニュアルの作成や、秘書官としての身の回りの業務を片付け、空いた時間には瞑想などを行っていた。

 当初は一か月のみの短期講習だったが、想像以上に生徒から高い評価を受けたため、正式に長期講習へと移行することになったのである。

 

 

「おぉ……おはようじゃのう……ミス・ロングビルや……」

 

 

 まず学院長室に訪れて、秘書としての仕事を先に片付けようとした時だ。

 セコイアのテーブルには、疲労困憊の顔で机に突っ伏すオスマンの姿があった。

 

「随分お疲れの御様子ですね」

「仕方ないわい。ヴァリエール公爵が想像以上にやる気を出してきたものじゃからのう……」

 

 焚きつけたのはあんただろうが……。と、マチルダは内心呟いた。

 だが、オスマンのこの疲労ぶりを見るに、最近はひっきりなしに公爵派のお偉いさんと会っているようだ。

 

 空席であるトリステインの玉座……そこにヴァリエール公爵を据える計画。

 

 現在、その座は空位であるため、宮廷では色んな貴族が我が物顔で好き勝手している。

 好みとあらば平民を手込めにする好色、好き勝手税金を徴収する金の亡者、そのほか横暴を極める貴族たち。

 彼らの好き勝手を許せば許すほど、平民からの人心が離れていく。故に彼らの暴走を抑えるリーダーが必要なのだ。

 

 その座にヴァリエール公爵を当てること自体は間違っていないし、そのように焚きつけたのはオスマン自身だ。〝民間魔法〟を認知してもらうためにも。

 

 その効果自体は、公爵の娘カトレアがフリーレンの活躍により、快調に向かったこともあって絶大。現在は公爵の方が積極的に活動を開始し始めている。

 公爵にその気があるのは大変結構なのだが……、流石にちょっと振り回し過ぎじゃあないかと、オスマンは思っているようだ。

 

「やる気を出してくれるのは大変結構なことじゃが……、わしはもう百歳を越えた年寄りであるということを、公爵殿は分かっておられるのかのう……」

 

 そんな事を呟きながら、オスマンはしれっとマチルダの背中……、もっというならお尻の方へと手を伸ばす。

 その手が六角形の防御壁に阻まれた。バチン! という音と共にオスマンの手は弾かれる。

 

「なにっ!?」

 これにはオスマンは大層な驚きを見せるばかり。

「便利ですわねー、この防御魔法。痴漢対策にもなるのですから」

 涼しい顔で、マチルダは本棚に古書を並べていく。オスマンは唸った。

 まさか、〝防御魔法〟をこのように使ってくるとは思っていなかったという表情を浮かべる。

 

(な、なるほどのう……。そう来たかマチルダや。流石はロングビルの子孫なだけある)

 

 だが、まだまだ甘い。

 オスマンは地面に忍ばせた愛鼠、モートソグニルを使っていつも通りスカートの中を覗こうと迫るも……、

 

(な、なんじゃと!? 暗闇に阻まれて下着が見えん!?)

 

 そう、スカートの中には深い深い闇が広がっていたのだ。そのせいで、彼女が何色のパンツをはいているだとかが、まったく分からない。

 マチルダは、口の端を意地悪で固めた笑みを浮かべた。

 

「魔法って奥深いですよねー学院長。〝下着を覗かれないようにする魔法〟とか、フリーレンに聞いてみたら『ある』って返ってきた時は驚きましたもの」

 

 というわけで、足元でジジイの使い魔鼠にウロチョロされようが、一切気にすることなく仕事をかたづけていくマチルダ。

 オスマンは、この世の終わりのような……エンシェント・ドラゴン戦でさえしなかったであろう絶望顔を浮かべた。

 

(うぬぬ……まさか痴漢対策魔法をフリーレンの奴から教わっておったのか! ええい余計なことしおってあの貧乳エルフめ!!)

 

 と、親友(ヒンメル)が聞いたらタコ殴りにされそうな罵倒を、オスマンは頭の中で吐き散らした。

 

 まずい、これでは彼女にセクハラができなくなってしまう! オスマンは大層悩んだ。

 いや、ここは彼女(マチルダ)の成長ぶりを喜んだ方が良いのだろうが……、これはまずい、大層まずい。

 ここからどうやって彼女に反撃を仕掛けようか、至極どうでもいいことに『賢老』の頭脳をフル回転させるオスマンに……、来客がきたる。

 トントン、と、扉を叩く音が聞こえたのだ。

 

「……? 誰かしら?」

 

 マチルダは眼鏡の端を上げてオスマンを見る。オスマンも「ふむ?」と首を傾げた。

 今日は特に、公爵や彼の一派と会う予定はない。

 王宮の者か? だが今は『とある式典』でみんな忙しいだろうし……。

 やがて、返事を待たずに扉は開かれる。

 

 入ってきたのは、大きな薄茶のローブに折り目のついた羽付き帽子を纏った男だった。

 広いつばの所為で、顔は見えない。だが、後ろに流れる金髪が、顔を判別できなくとも『美しい』と思わせる神秘性を誇っていた。

 

「えっと、どちら……さまです?」

 

 内心怪訝な色模様だが、マチルダは温和的に対応する。

 少なくとも外見からして只者じゃない。それだけは分かる風体だが……。

 オスマンは依然、首を傾げるばかりだし。

 

 

「ああ……、そうか、すまない。『人間』と初対面の時は、帽子を脱ぐのが作法だったな」

 

 

 ガラスで作られた鐘のような、高く澄んだ声。

 思わずその声に呆気に取られたマチルダは、ここで来客が帽子を脱いだのを見て、更に驚愕した。

 

「え、エルフ……?」

 

 マチルダは思わず絶句する。

 帽子を脱いだことであらわになった顔。美しい切れ目の瞳の端に伸びる、とがった耳。

 シャジャル、ティファニア、フリーレンに次ぐエルフ……。それが、藪から棒に学院へ、そう、人間の地へ堂々とやってきたのだった。

 

 

「お、お前……、ビダーシャル……か?」

 

 

 逆にオスマンは、彼の顔を見た瞬間、記憶がフラッシュバックしたかのような顔つきへと変貌した。

 

「お前はすっかり老いたな。オスマン」

「やっぱりお前、ビダー坊じゃねえか! なんだよおめえすっかり大きくなっちまってよぉ!!」

 

 すっかり気が置けない口調のまま、オスマンはビダーシャルというエルフの背中をバンバンと叩く。

 

「あン時はちっちぇガキだったってのにな! いつ以来だマジで! エンシェント・ドラゴン戦後に砂漠へ帰って以来だよな!」

「ああ、その後各地を旅して……な」

 

 ここでオスマンは、未だにフリーズをしているマチルダに顔を向ける。

 

「え、学院長? その人は……」

「ああ、ダチだ。旅仲間。一緒にエンシェント・ドラゴンやら各地やら、ヒンメルと共に渡り歩いた仲さ」

 オスマンはそう言うと、ビダーシャルに部屋へ入るよう促す。

 元々この学院には、大半の学生が帰省やらしていてほとんどいない。エルフがやってきたことに気付いた者はいないようだった。

「積もる話もあろうな。こっちも色んなことがあったから、ゆっくりしていけ」

 

 

 ここで、オスマンとビダーシャルは、机を介して互いのソファに座っていた。

 ビダーシャルはまだ、ローブを纏ったまま。オスマンはそれを気にすることなく、杖から〝温かいお茶が出てくる魔法〟を使い、カップを提供する。

 

「それは……お前たちの扱う魔法とは少し違うようだが?」

「ああ、〝民間魔法〟といってな、下らないものから実用的なものまで様々なものがあるみてえなんだ」

「先ほど聞いた、『エルフの使い魔』が扱うという魔法か……ふむ、興味深いな」

 

 ビダーシャルは尋ねながら、オスマンが供したカップに口をつける。

 先ほど、フリーレンに関する話は一通り話した。エルフとはいえ、ビダーシャルのことは信頼しているが故だ。

 

 

「『虚無』……悪魔の魔法か」

「おめえらエルフの祖は、確かブリミルの魔法で故郷を吹っ飛ばされたって聞いたが……」

「……ああ」

 

 ビダーシャルは真剣な目で、『虚無』の担い手が『エルフを使い魔』にしたという話を聞いていた。

 

「六千年経った今でもなお、『悪魔』に対する偏見は色濃く残っている。お前たちの祖が、我らの祖を吹き飛ばしたという歴史的大事件。その魔法でよもや同族(エルフ)が呼び出されたとはな……」

 

 ビダーシャルの言葉に、マチルダは唖然とした面持ちとなった。

 どうやらこのエルフは、フリーレンとは違ってきちんと『砂漠』から来たエルフらしい。

 シャジャルからはあまり故郷の話を聞くことはなかった。だからかもしれない。エルフ視点から始祖をどう見ているのかについて、新鮮なコメントが聞けるというのは。

 

「やっぱり今でも、始祖(あくま)の魔法を使うおれらは恨まれている系か?」

 

 百年前に行われた『最後の奪還運動』を期に、エルフとの戦いは行われていない。

 その数十年後に、エンシェント・ドラゴンが復活。その時に一部のエルフと人間が共同戦線を敷いたのは確かだ。

 だがビダーシャルのように、自分たち人間の隣で果敢に戦ってくれる者もいれば、人間の助けなどいらないと独自の戦線を敷く者もいたし、黙して戦線を出なかった者も勿論いた。

 そこはエルフという種族の中でも、かなりバラバラに分かれたようだった。

 

 古代竜から世界を救ったから、人間とエルフ全体が手を取り合ったとするには……、まだ、軋轢がそれなりに多いのも事実だった。

 そうなってくれればどんなによかったか……。オスマンとビダーシャルは、お互い煮え切らない感情を覚えていた。

 

「さあな、そもそも我はあまり『首都(アディール)』に近づいていない。我は初めから大いなる意思から()()()()()()()()()()()

「……見捨てられて?」

 

 マチルダは疑問符を浮かべる。

 エルフ……とりわけ吸血鬼や知能の高い亜人は、『先住魔法』と呼ばれる魔法を使う。

 自然の中に溶け込むという『精霊』と契約を交わし、それを借りた強大な力を呼び起こす。その力は個人で理を捩じる『系統魔法』とは違い、万物の理に沿う力。

 その規模は凄まじく、人間の起こす魔法の範疇を越えることでも知られている。

 エルフはその中でも、最も『精霊魔法』に対する行使力が強いことで知られていた。

『エルフ一人を相手取るのに、熟練のメイジ十人分は必要とする』と言われる所以の一つである。

 

 だが……、『見捨てられた』とは、どういうことだ?

 

「おれも詳しくはよぉ分からんのだが、エルフとか『精霊魔法』を使う連中ってのは、生まれた時からなんか強力な『契約』を交わすってんだってな?」

 昔馴染みがいるためか、言葉遣いが当時の口調になっているオスマンが、そう補足する。

 

「大体そんな形で合っている。我々エルフは須らく生まれた時、族長の手により大精霊と『契約』を施されるそうだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「なんだって……?」

 

 そんな方法で契約をするとは思わなかった。

 フリーレンは悠久の時を活きるとは聞いていたけど、まさか砂漠のエルフはそんな形で精霊の魔法を会得していたとは。

 

「それでも人間の倍以上は生きるって聞くぜ?」

「だが、永遠を生きる我々にとっては決して無下にはできない対価だ。その悠久の年月を『魔力』として自然へ還元する代わりに、有事は力を貸すという契約を結ぶ」

 

 オスマンの言葉に、静かに返すビダーシャル。

「じゃあ、あなたも?」

 マチルダも若干、前のめりになって尋ねる。

 

「いや、我は生まれの事情故その『契約』を施されていない。だから『精霊魔法』は昔から使えなかった。他の一族からすれば、我は落ちこぼれという事になるのだろうな」

 

 自嘲気味に、ビダーシャルは笑う。

「んなことねえよ」と、オスマンは笑って返したが。

 

「では……あなたはフリーレン同様、長きを生きることを約束されたエルフという、ことになると……?」

「そういうことだ」

 

 ビダーシャルは憂いを残した瞳で、静かにそう呟いた。

 やがて……、別の事を話し始める。

 

 

 

 

「オスマン。ヒンメルは……本当に死んだのか?」

 

 

 

 

 オスマンは、静かに頷いた。

 ビダーシャルは、ため息を一つ、そして静かに瞑目した。

 

「あの男が手を差し伸べてくれなかったら……、未だに我は人間を『蛮人』と呼び捨てていたことだろうな」

 

 そして恩人にして、長きに渡り苦楽を共にした、人間の友人を密かに想った。

 

(エルフにすら想われる男……か。本当に伝説の勇者だったのね……)

 マチルダもまた、黙祷を捧げるビダーシャルを見て、本当に凄い人間だったのだろうという実感が、じわじわと湧くような思いを覚えた。

 そうこうする内、もう日が薄っすら紅色に染まりかけていた。

 

「……っと、やべーやべー、すっかり時間を忘れるところだった」

「そうだな、我としたことが……」

 

 ビダーシャルはここで、真剣な目つきでオスマンを見る。

 

 

「ただ駄弁りに来た……って、感じじゃなさそうだな。どうした、何かあったか?」

「単刀直入に言わせてもらう。……力を貸してくれないか? オスマン」

 

 

 ビダーシャルの真剣な問いに、オスマンは目つきを鋭く変える。

「穏やかじゃねえな……何かあったのか?」

「ああ……」

 ビダーシャルは一度、地平線へと沈みゆく太陽を見つめ、そしてその目をオスマンの方に向ける。

 

 

「我ら同族が……化け物に襲われている。その被害は甚大なものだ」

「……化け物?」

「ああ、()()()()()()()に……だ」

 

 ビダーシャルの言葉に、オスマンとマチルダは互いの顔を見合わせる。

 角の生えた……妖魔?

 

「オークや吸血鬼、コボルトやサイプロクスとかじゃなくって……」

「最初はその系列の亜種かと思ったが……、相まみえて違うと分かった。奴らはずっと狡猾で……お前たち人間が扱う者ものでもなくば、精霊魔法とも違う……何か別系統の魔法を操る。その強さは我らエルフを、赤子の手をひねるが如く……だ」

「相まみえて……って?」

 

 ここでオスマンは気づいた。

 ビダーシャルの左肩側、少し寂しい空間があるような気がしたのだ。

 ローブを纏っているせいで、今まで気づかなかったが……。

 

「お前……、もしかして……」

 

 驚きのオスマンに頷くビダーシャル。

 彼は右腕でローブを改めてひっぺがす。その光景を見て、ますますオスマンは驚愕した。

 

 

 

 彼の左腕……その袖が、ゆらゆらと揺れている。

 その意味に気づいた時、マチルダは驚きで口を手で押さえた。

 

 

 

「おめえ……左腕……」

「ああ……先の妖魔との戦闘で、失った」

 

 

 よほどの激戦だったのが分かるような顔つきをしながら、ビダーシャルは言った。

 それを聞いたオスマンは、至極悩ましげな表情を浮かべる。

 

(まさかだと思うが……)

「首都はまだ持ちこたえているようだが、各部族の被害は相当なものだ。とにもかくにも『人手』が欲しい。我が頼れる者と言ったらもう、お前かヒンメルしかいない」

「わあったよ……」

 

 オスマンはゆっくりと立ち上がる。

 マチルダは「え?」といった表情を浮かべたが、その間にもオスマンはクローゼットを開け、旅支度を始めていた。

 

「え、え? 学院長?」

「わりぃな、マチルダ。ってなわけで、わしはしばらく席を外す」

「ええぇええ!?」

 

 マチルダは仰天の声を上げるが、オスマンはもう決めているようだった。

 

「ダチが頼ってきてるのに、見捨てるわけにはいかねえだろ? ヒンメルならそうするからな」

「で、でも学院はどうするのさ?」

「夏休みだし、今の学院など雑務がせいぜい。わしがおらんと回らんような仕事などあるまい、そうだろ?」

「い、いや……あんた、公爵との会談はどうするのさ?」

 

 ついさっきまで公爵との会談で忙しいとぼやいていたではないか。こんな対応をされては、ヴァリエール公爵だって困るだろう。

 そういう意味も込めて尋ねたのだが……。

 

「ああ、それか」

 

 軽く答えると、オスマンは杖をひと振りした。

 一枚の用紙と羽ペンが手元へ飛来し、机の上にすっと整う。

 オスマンはさらさらと文字を書きつけていく。

 思わずマチルダは、その用紙を覗き込んだ。

 

 ……最初の一文には、こう書かれていた。

 

 

 

 

『わし、しばらく旅にでっから』

 

『みらいのおうさまがんばえー』

 

 

 

 

(おぅふ……)

 

 もはや何も言うまい。

 マチルダは、再びこのふざけた手紙を受け取るであろう公爵の胃を、心の底から案じていた。

 もちろん別紙で事情はきちんと説明しているのだろうが……それでもなお、同情せずにはいられない。公爵に。

 

「第一、わしのような老い先短い老人に、いつまでも頼っていては国など引っ張れんぞ。民間魔法に関する教材も、すでにピエールには送ってある。あとは自分で研鑽を積むのが、未来の王族(あやつ)の務めじゃろうて」

 

 そう言いながら、オスマンは手紙をモートソグニルにくくりつけ、公爵へ届けるよう指示を出す。

 ネズミは「イエッサー」とでも言いたげに小さく敬礼すると、そそくさと部屋を後にした。

 

「いいのか?」

「構わん。事態の深刻さは、お前の方がはるかに上じゃ」

「……助かる」

 

 ビダーシャルもカップの茶を飲み干し、静かに立ち上がる。

 その頃には、オスマンの旅支度はすでに整っていた。

 

「というわけで、わしはこ奴と旅に出る。何かあれば、伝書鳩でもいい。連絡を寄こせ」

「……はいはい、分かったよ」

 

 マチルダは、すべてを諦めたような顔で頷く。

 どうせ何を言ったところで、この男の決意は揺らがない。

 

(私だって、ティファニアに危険が迫っていると聞いたら、何を差し置いても助けに行くだろうしね)

 

 無意識に、このエルフとティファニアの姿を重ねていたのかもしれない。

 だからこそマチルダは、何も言わずに去っていくオスマンとビダーシャルの背を、ただ静かに見送った。

 

 

 

「……さて」

 閑散とした学院長室で、マチルダはその日の雑務を続ける。

 といっても、本当にやることなんてほとんどない。教材の管理だとか、民間魔法に関する授業構成くらい。それももう、ほとんど終えているから不備が無いかの見直し程度だ。

 

 軽く背伸びをして、空になったカップに魔法で茶を注ぐ。この魔法は、結構気に入っている。

 好みのイメージを上手く作れば、別の味の茶を作ることも可能だと、最近知ったのもあるのだ。

 

「もうそろそろ上がろっかね」

 誰もいないわけだし、適当に仕上げて適当に上がる。

 そんな感じで彼女の今日が終わる……筈だった。

 

 

「ちょっとよろしくて?」

 

 

 それは、学院長室の机の方から聞こえてきた。

 マチルダは思わず、杖をそちらの方に構える。

 どうやら窓から入ってきたらしい。キイキイと鳴る開かれた窓から、一人の少女が、セコイアの机の上に腰を掛けていた。

 

「あんた……確か業者の……?」

「ええ、仕事の受注以来ですわね。ロングビル……いえ、マチルダ様」

 

 黒と白のフリルをひらひらさせて、膝を組んでそう答えるのは、ルイズとシエスタが『未踏破の洞窟』で出会った少女、ジャネットだった。

 

「何をしに来たんだい?」

 当然ともいえる質問を、マチルダはジャネットに向ける。

 彼女……と、彼女の上の兄たちで構成される凄腕の『何でも屋』こと、『元素の兄弟』。

 大金さえ払えば、あらゆる難事をこなすと言われる。この手の裏事で彼らを知らない者はいないとされるぐらいには有名な連中だった。

 

 何を隠そう、空の大陸に住む少女……ティファニアと孤児たちへの必需品などを届ける業者として、彼女とは面識があったのだ。

 目も眩むような大金を要求される代わりに、口は堅いし実力もある。そういうわけで四年前から彼らには厄介になっていたのだ。

 

「ちゃんと期日通りに既定の金額、耳を揃えて払ってやったろ? なんだい? 金が足りないとかそういうコトをほざきに来たんじゃないだろうね?」

「違いますわ。むしろその逆」

 

 ……どういうことだ?

 マチルダは眉間に深いしわを寄せる。

 するとジャネットは、懐から小切手を取り出すと、それをマチルダに返した。

 

 

「お返しします。これ。流石にもう、この依頼は受けられなさそうなので」

「……はぁ? それいったい、どういうことよ??」

 

 

 ここに来ていきなり仕事の棄却とか、ふざけるなとしか言いようがない。

 顔を赤らめて迫るマチルダだが、ジャネットも涼しい顔で首を振る。

 

「仕事を果たそうにも、できなくなっちゃったのよ。あなたはご存じ? 最近空の大陸で、何かが起こっているのを」

 

 マチルダは怪訝な表情をして考える。

 確かに、二ヶ月ほど前か……、なにやら怪しい勢力が動いていると、新聞に載っていたことはあったけど……。

 だが、逆を言うとそれっきり。特にそれ以上を知らせる情報は新聞から発せられることはなかったから、頭の片隅に止めておきながらも大丈夫だろうと思ってしまった。

 

 ……というより、こっちもこっちで修行だの授業だので忙しすぎたのもある。

 

「アルビオンで……何か起こっているのかい?」

「さあ、分からないわ。()()()()()()()()。ガリアの王さまもゲルマニアの皇帝さまも、この国の姫さまも教皇さますらも、多分分かってないんじゃないかしら? なにせ私達だって分からないのだから」

 

 ジャネットはそう言うと、膝を組み替えて「少し前はこんなこと、無かったのにね」と、呟く。

 

「だから、何が起こっているのかを知るために、私達はこれから改めて、アルビオンに派遣されるってワケなの」

「誰の命令で?」

「それは言えませんわ。依頼主を明かすような業者が信頼など得られる筈もないわけですし」

 

 その言い分自体はまあ、理解できる。マチルダは頷くも……だが、納得はできない。

 じゃあ、妹分は……あの孤児たちは、一体どうなっているのだ? 彼らは今、大丈夫なのだろうか……?

 

「私達だって、こんな形で依頼を蹴ることは非常に不本意ですの。でもこういうのって信頼が第一。きちんと遂行できるか不明確な依頼まで受けられる余裕が、私達にはありませんので」

 

 つまり、この『元素の兄弟』すら容易にはいかないという、それほど逼迫したなにかがアルビオンで起こっている、ということになるわけで……。

 

「ということで、至極残念でございますが、この依頼、一度棄却させていただきますわ。依頼金は手を付けずにそのままお返しいたしますので、どうかよろしくお願いいたしますわ」

 

 それだけ告げると、ジャネットは窓から再び身を乗り出し、そのまま宙へと身を投げ出す。

 

「ちょ、ちょっと待って! まだ話は……!」

 マチルダが慌てて窓の下を覗くも、そこにはもう、ジャネットの姿は消えていた。

 

 

「なんなんだよ……アルビオンで、一体何が起こっているってんだ!!」

 

 

 諸々の感情をやるせなさそうに吐き出すマチルダ。

 かちこち……と、振り子時計が時を刻む音だけが、その部屋にはしばし鳴り響くこととなった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。