使い魔のフリーレン ~ゼロからの旅路~   作:お団子

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第81話『トリステインのお転婆姫』

 

 フリーレンと旅立ってから1ヶ月と11日後。

 トリステイン王国領、とある森林の中。

 

「ふぁっ……!」

 

 毛布に包まっていたシエスタが目を覚ます。朝日を受けて、ゆっくりと意識を取り戻した。

 起き上がり、背伸びをして朝の空気を体の中へ取り入れていく。

 

「ふんっ! はっ!」

 

 目をこすり、頭がはっきりしてきた頃、耳に気合の入った声が届く。

 遠くでアニエスが剣を振っているのだ。上半身にさらしを巻いた簡素な服装。女性しかいないため、あまり気にしていないようだ。

 

「あ、アニエスさん」

「ああ、起こしてしまったか、シエスタ殿」

「いえ、そんなことありませんよ」

 シエスタは屈託なく笑う。アニエスも身体に浮かんだ汗を軽く拭った。

 

 グラモン領を発ち、再び旅立ったフリーレン一行。

 今は『白の国』アルビオンへ向けて、歩みを進めている最中だ。

 目下、一行はアルビオンへの空便が出るラ・ロシェールを目指している。

 

 その旅の最中。

 途中、ルイズの姉カトレアを治す花などを探しながら、こうして今は野宿の最中である。

 野宿となった場合、一番早く起きるのがアニエス、次いでシエスタだった。

 

 アニエスは毎朝、鍛錬を欠かさない。謹直でいいなあとシエスタはいつも思う。

 そんなシエスタは、一行の料理担当だ。フリーレンのカバンを勝手に開けて料理器具一式を取り出すと、朝食の調理を始める。

 

「ミス、ミス・ヴァリエール、起きてください」

「ふぁ……、もうクックベリーパイは食べられないよう、ちい姉さま……」

「寝ぼけているところすみませんけど、そろそろ朝食の準備を始めますよ」

 焚き火を起こし、鍋の準備をアニエスと共に終えた後、シエスタはルイズを起こす。

「ふぇ……?」

 ルイズは半分涎を垂らしながら、目をしぱしぱさせて起き上がる。

 

「ぁあ……もう、そんな時間なの……」

「水はもう張ってありますので、火付けをお願いします」

「ぅ……ん! 分かったわ……」

 

 まだ低血圧のような顔つきのまま、ルイズも起き上がった。

 大貴族の令嬢が、平民に言われるがまま魔法を披露する。普通に考えればあり得ないことだ。フリーレンを召喚する前のルイズだったら、間違いなく拒否していただろう。

 

 だが、ここまで旅をする中でチームワーク。つまり役割分担の大切さも学んだ今のルイズは、特に文句を言うこともない。

 なんだかんだいって、魔法をみんなの前で披露するのが楽しいというのもある。頼られるのも嫌いじゃないからだ。

 

「ちょっと待ってて……」

 ルイズはまだ半分寝ぼけたまま、杖を一振り。道中で覚えた『東方アブラナ』を二、三輪ほど咲かせる。

 

 『東方アブラナ』の種子は即席の油となる。ルイズはアブラナの成長を促進させ、種子を取ると、それを焚き火の中に放り込む。

 そこに杖先を向けて『着火』。すると鍋の下から火が沸き立った。

 

「おお!」

「こうして間近で見ても、やはり魔法はすごいな」

「ふふん、もっと褒めていいのよ」

 

 さらりとやってのけた着火作業に、シエスタもアニエスも感嘆するばかり。

 それを聞いてドヤ顔をするルイズ。こういう声を聞きたいから、積極的に魔法を使っている節すらある。

 後はシエスタが朝食の準備を始め、アニエスもその手伝い。

 ルイズはその間、服を着替えて髪を櫛で梳き……と準備を整えていた。

 

「で、フリーレンはどこ?」

「ああ、フリーレンさんなら、あそこに」

 

 そろそろ寝坊助使い魔を起こそうとした段階で。

 木の幹でごろりすやすや眠っているエルフを見た瞬間、ルイズは特大のため息を吐く。

 

「あいつ、毎度毎度なんであんなことになってるの?」

「さあ……」

「確かにあれは、『寝ぼけている』にしても限度があるな」

 

 三者三様に、フリーレンの寝相の悪さに触れる。

 当たり前だが、四人パーティの中で一番最後に起きるのがフリーレンだった。その寝相の悪さは、もう目も当てられない。

 酷い時はルイズを枕にして眠っていることもあった。一度それにルイズはキレたし、その時はフリーレンも反省する姿勢を見せたものの……この様子だと、とてもそうは見えない。

 

「ほら! 起きなさいよフリーレン! なに主人よりもぐっすり寝てんのよあんた!」

 頬をぺしぺし叩いて、使い魔エルフを叩き起こす。

「ふぁ……おはよう、ルイズ」

「ホント、その寝相どうにかしなさいよ」

「うん……頑張るから着替えさせて……」

 

 ルイズは特大のため息を吐く。

 何度も思ったし、その度に飲み込んできたが、自分は主人で、フリーレンは使い魔。

 本来は逆なのである。だが……もうそんなことを言っても改善されることはない。結局、ここもルイズが渋々折れるしかなかった。

 

「まったく……もうちょっとこう、手間がかからなくなるような魔法とか方法とか、ないのかしらね……」

 

 使い魔の服や髪を整えながら、今度夢の中で会うことがあればフェルンに聞いてみようと、心底思うルイズだった。

 

 

 

 そんな調子で旅を続けて。

 気づけばフリーレン一行は、アルビオン行きの港がある『ラ・ロシェール』までたどり着いていた。

 

「なんだか随分、人の往来が激しいね」

 

 道行く人々を見て、思わずそんなことを呟くフリーレン。当然ながらここへ来る時には、もう耳は縮めている。

 甲冑を着込んだ騎士たちが、ひっきりなしに行ったり来たりしている。胸の紋章にはトリステイン王国のそれがあしらっていた。

 

 

「多分、『例の婚礼』でみんな、忙しいのかしらね」

「婚礼?」

「トリステインのアンリエッタ姫が、アルビオンのウェールズ皇太子とご結婚されるのよ」

 ルイズはフリーレンたちにそう言った。

 

 

 実を言うと、今は亡きトリステインの国王ヘンリーは、アルビオン王ジェームズ一世の弟であり、処刑されたプリンス・オブ・モードの兄でもある。

 その縁により、古くよりアルビオンとトリステインは親密な関係が続いている。

 前回の結婚ではヘンリーがトリステインに入り婿として国を渡った形だが、今回はアンリエッタ姫がアルビオンへと降嫁する形となる。こうして両国の間柄は保たれてきたのだ。

 

 遥か上空、三千メイル以上の高さから他国を睨むアルビオンの遊撃力は、ハルケギニアでも屈指。アルビオンと同盟を結ぶことは、貪欲に領土を広げるゲルマニアを牽制する意味合いもあった。

 

 一方で、「不定期に移動する国家と同盟を結ぶ意味があるのか」という意見も宮廷にはあるようだが、最終的には「アンリエッタ姫をアルビオンの王子と結びつけることで、両国の絆をより強固にする」という形で、この結婚が決まったという。

 

「あー、そういえばそんなことも言ってたっけ」

 

 あまり国同士の情勢に興味を示していなかったフリーレンは、「今思い出した」というような顔で頷く。

「アルビオンへ向かう姫さまを見送ってから、わたしも行こうと思っていたのよ」

 ルイズは微笑ましい表情を浮かべながら、ラ・ロシェールの中央広場へとやってきた。

 

 港町ラ・ロシェールはアルビオンへの玄関口。港町でありながら、狭い峡谷の間の参道に設けられた街である。

 岩肌を魔法でくり抜いて作られた街であるため、建物はすべて岩造り。それをメイジの『錬金』によって豪華に仕立てている。

 かつてはアルビオンへの侵攻を防ぐ砦としての役目も持っていたため、近くには練兵場もあるのだという。

 

「そういえば、ルイズってアンリエッタ姫と幼馴染なんだってね」

 

 何の気なしに告げたフリーレンの言葉に、シエスタとアニエスは少し驚いたような顔を浮かべた。

 

「え、本当なのですか? ミス・ヴァリエール」

「ええ、姫さまが幼少のみぎり、恐れ多くもお遊び相手を務めさせていただいたのよ」

 まあ、十年以上も前のことだけど、とルイズは少し寂しそうに続ける。

「あれからかなりの時間が経った。きっと姫さまも、わたしのことはお忘れになっているとは思うけど……」

「晴れ姿はこっそり見ていきたい、と?」

 

 アニエスの言葉に、「ええ」とルイズは頷く。

 

「今回の結婚はいわば政略結婚。国同士の思惑は孕んでいるでしょうけど、少なくとも姫さまはウェールズ皇太子のことをお慕いしていると、なんとなく思うのよね」

「どうして?」とフリーレンは尋ねる。

 

「一回ね、ラグドリアン湖で……マリアンヌ大后のお誕生日会だったかしら。とても盛大な遊園会が開かれてね。すごくきれいで、今でも覚えているわ」

 

 するとルイズは、フリーレンたちにしか聞こえないようなひそひそ声で続ける。

 

「実はね、その時わたしも参加していたんだけど、姫さまの身代わりを頼まれていたのよ。『寝るふりをしてベッドに隠れていて』って。その理由は教えてくださらなかったけど、多分逢引きしていたんじゃないかなって、思うのよ」

「女の勘ってやつですか?」

「まあ、そんなところね」

 

 シエスタの言葉に、ルイズは頷く。

 確信はないが、そうであってほしいとは思っていた。

 

「結婚式はアルビオンのハヴィランド宮殿で行われるみたいね。今はアルビオンからの特使を迎える準備でにぎわっているって、感じかしらね」

 そんな風に話していた時である。

 

 

「おや、そこにいるのはルイズ、ルイズじゃないか!」

 

 

 聞き覚えのある声が、こちらに向けて発せられる。

 ルイズもそちらを向いた。

 

「ワルドさま!」

「やあ、あの時以来だね。また少し大きくなったんじゃないかな?」

「いやですわ、ワルドさまったら!」

 

 そう、魔法衛士隊グリフォン隊隊長、現代のワルドが、ルイズたちの元へとやってきたのだ。

 ワルドはルイズを見るなり、彼女を抱え上げて高い高いする。

 さしものルイズも、少し恥ずかしそうに顔を赤らめた。

 

「あ、あの……ワルドさま、恥ずかしいです」

「ああ! すまない。つい癖でやってしまってね」

 

 ワルドはすぐにルイズを降ろした。

 そして今度は、フリーレンとシエスタの方を見る。

 

「きみたちともヴァリエール屋敷以来だね。元気そうで何よりだ」

「そうだね、ワルド」

 

 ワルドとフリーレンは握手を交わす。共闘したシエスタとも、互いに軽く会釈した。

 

「カトレアは、あれからどうだい?」

「今のところ、特に問題ないよ」

 

 そこでフリーレンは、カトレアの命を蝕む要因はおおよそ取り除いたこと、今は彼女の回復をより早めるために各地で花を探していること、そのためにアルビオンに向けて旅をしていることを話す。

 

「そうか、カトレアは大丈夫そうなんだね。何よりだ」

「あ、そうだ。ワルドさま、小指は……」

「ああ、これね」

 

 ここでワルドは、左手の小指を見せる。

 かつてヴァリエール屋敷での戦闘……ドラートとの戦いで失った小指。そこには義指が嵌められていた。

 

「この程度で済んだと言うべきかな。特に気にはなっていないよ」

「あの……本当にごめんなさい、ワルドさま」

「きみが謝ることじゃない。カトレアの命とぼくの小指、どちらが大事かなんて、天秤にかけるまでもないだろう?」

 

 ワルドはからからと笑い、彼女の頭を撫でる。

 

「きみこそ、敬語や『さま』付けはやめてくれていい。普通に接してくれ」

「ええ……本当にありがとう、ワルド。お父さまもお母さまも『よろしく言っておいてくれ』って」

「そうか」

 ワルドは微笑んで頷いた。

 

「ところで、ワルドはどうしてここに?」

 ここでフリーレンが疑問符を浮かべて尋ねる。

 

「どうしても何も、きみたちも聞いているだろう? トリステインのアンリエッタ姫がアルビオンへ嫁ぐことが正式に決まった。その警護さ」

「そっか、今のあなたはグリフォン隊隊長だものね」

 

 今、アルビオンへ向かおうと様々な要人がここラ・ロシェールに集結しつつある。もちろんアンリエッタもすでにここで身を休めているとのことだ。

 その身辺警護といったところだろう。王軍の中核たる魔法衛士隊の隊長なのだ。栄えある任務に彼が駆り出されるのも不思議ではない。

 

「じゃあ、姫さまも既にいらしてるのね」

「姫殿下はしきりに、きみとの昔話を語っておられたよ。『あの日々は楽しかった』と仰っていた」

「姫さまが?」

 

 もう忘れられていると思っていたルイズだが、まだ覚えていてくれたらしい。

 それだけ当時を大切に思ってくれているのなら、こんなに嬉しいことはない。ルイズは口元を静かに緩めた。

 

「明後日には向こうからの大使がやってくる。その翌朝、アンリエッタ姫は空便でアルビオンへ向かわれる運びになっているんだ」

「姫さまは、この結婚について何か仰っていた?」

「それはもう、終始笑顔でおられた。よほど皇太子と結ばれるこの日を待ち望んでいたと、誰が見ても分かるくらいにね」

 

 ワルドはウィンクして答えた。ルイズも「良かった……!」と胸をなでおろす。どうやら自分の勘は外れていなかったようだ。

 

「ところで、きみたち。宿はもう取っているのかね?」

「いや、まだだよ」

 

 ワルドの気さくな問いに、フリーレンは首を横に振る。

 

「よければ、ぼくが案内してあげようか? ここからまっすぐ進んで階段を上がった先に、『女神の杵』という宿がある。貴族向けに作られた宿泊施設だ。ぼくの名前を出せば、すぐに話は通るはずさ」

 

 

 

 ワルドの言う通り、『女神の杵』で彼の名を出すと、オーナーは二つ返事で部屋を用意してくれた。

 さすがに他の貴族も泊まっているため、四人で一部屋という形になったが、今さら平民と一緒に泊まることに異はないため、ルイズは何も言わなかった。

 

「しばらくはここにいることになりそうね」

 ルイズはそう言って荷物を下ろすと、「うーん」と背を伸ばす。

 ルイズたちの乗るアルビオン行きの船便は、まだ先の予定だからだ。結婚式が近いことに加え、移動大陸であるがゆえに交通が安定しない。それがアルビオンという国なのである。

 とはいえ、待たされていることになれているフリーレンからすれば、二週間近くいたところで誤差なので気にしてはいないのだが。

 

「今日の買い出し当番って、誰だっけ?」

「あ、わたしです」

 フリーレンの問いに、シエスタが手を挙げる。

 

「そろそろ日用品の補充もしたかったですし、ちょうど良かったですね」

「では私も付き合おう」

 買い物リストのメモを見て、それなりに重い物もあると判断したアニエスも、進んでそう言った。

「じゃあアニエスさん、お願いします。一緒に行きましょう」

「ああ」

「いってらっしゃい。私たちはゆっくりしてるねー」

 フリーレンは寝間着に着替え、すでにベッドの上で寝転んでいた。

 鞄から、まだ読んでいない魔導書を何冊か取り出す。完全にオフモードに入っていた。

 さて、シエスタたちが去った後。

 

「あんた、それ……」

「ああ、これ?」

 

 ルイズが怪訝な顔をしたので、フリーレンは本を見せる。

 それはヴァリエール屋敷で手に入れた、何も書かれていない古びた本だった。

 

「何も書かれてない本なんて、読んだってしょうがないじゃない」

「ふぅん、ルイズにはそう見えるの?」

 

 フリーレンの意味深な言葉に、ルイズは眉をひそめる。

 

「多分だけど、これはかなり強い魔法が込められた本だと思うよ。私の勘だけどね」

「そうなの? わたしには何も感じないけど――――」

 

 そう言いながらも、一応の興味からルイズは本を受け取る。

 どうせ何も書かれていない……と思いながら、軽くページをめくったその時だった。

 

(あれ……?)

 

 思わず目をこすった。

 そしてもう一度凝視するが……やはり何もない。いつも通り、真っ白だ。

 ただ――一瞬だけ、何か文字が浮かんだような気がした。

 

(気のせい……よね?)

 

 旅の疲れが出ているのだろう。

 念の為と、最初から最後まで軽くページをめくってみるが、やはり何もない。

 

 やっぱり気のせいだ。

 ルイズは目をこすりながら、本を返した。

 

「もう、変な本のせいで目までおかしくなったかと思ったじゃない」

「……」

 

 受け取ったフリーレンは、そんなルイズを少し興味深そうな表情で見つめていた。

 

(今、一瞬だけルイズの魔力と本の波長が合った気がする。当人が気づいていないだけで、やっぱり関連性は高そうだね)

「まったく、くつろぐより先にやることがあるでしょー」

 

 ルイズはそう言ってフリーレンの鞄を勝手に開けると、フライパンや鍋を取り出す。

 使うたびに洗ってはいるが、そろそろ汚れが目立ってきていた。ついでに、少しよれていた服も一緒に取り出す。

 

「ほら、魔法。なんだっけ、こういう汚れを落とすやつあるでしょ?」

「あるよ。〝カビを消滅させる魔法〟とか、〝しつこい油汚れを落とす魔法〟とかね」

 

 フリーレンは起き上がり、うんうんと頷く。

 ルイズもまた、日常で使える便利な魔法だと聞いていたので、覚えたいと思っていたのだ。

 

「でもあれは、一応〝伝説級〟に分類されている魔法だからね。そう簡単には習得できないよ」

「でも旅する上では便利じゃない。いいから教えてよ」

 

 ルイズの意欲は悪いものではない。教えることに問題もない。

 フリーレンはベッドから降りると、杖を取り出して魔法を使う。

 

 数分後、鍋やフライパンは見違えるほど綺麗になっていた。

 

「こんな感じだけど? どう? イメージできそう?」

 

 フリーレンは杖を横に置き、ルイズの顔をのぞき込む。

 しかし彼女は、ずっと綺麗になった用具を見つめたままだった。

 

「……」

「ルイズ?」

 

 どうしたのだろうか。

 よく見ると、少し焦点が合っていないように見える。何か小さく呟いてもいる。

 フリーレンは思わず、耳を澄ませた。

 

 

「……きょうに……せいち……だっかん……いきょう、から……せ……っかん……せ……い……から」

「ルイズ?」

 

 

 明らかに様子がおかしい。

 フリーレンは思わず、ルイズの両肩を軽く揺さぶる。

 幸い、それだけで「はっ!?」とルイズの意識は戻った。

 

「あれ? わたし……」

「大丈夫? 何か呟いていたけど」

「え? あ、うん……大丈夫。大丈夫よ」

 

 頭を押さえながら、軽く首を振るルイズ。

 どうやら、自分が呟いていた内容については自覚がないらしい。

 本を見せたことで、ルイズの中で何かしらの反応が起きたのかもしれない。

 

「本当に大丈夫?」

「ええ。問題ないわ。それより、魔法……やってみたいんだけど」

「だったら、さっき私がやったイメージを再現できれば、いけると思うよ」

 

 言われた通り、ルイズは杖を構え、今度はカビの付いた食品や雑貨に視線を向ける。そして、脳内でイメージする。

 あらゆる状態異常を『解除』するような感覚……湧き上がる思考に身を任せながら、杖を振る。

 すると……。

 

「無事、習得できたみたいだね」

「……本当だ」

 

 当人も困惑するほどあっけなく、伝説級魔法を二つも会得してしまったルイズ。

 この調子なら、フェルンの使う〝服の汚れをきれいさっぱり落とす魔法〟も習得できるかもしれないだろう。

 だが、ルイズの表情は、喜びよりも困惑の色が濃い。

 

「どうしたの? せっかく伝説級魔法を一瞬で覚えたのに、嬉しくなさそうだけど」

「いえ、嬉しいは嬉しいけど……なんか、ちょっと違うというか?」

「……というと?」

 自分の手と杖を見つめながら、ルイズは言葉を探した。

「いつも使ってる魔法……〝防御魔法〟とか、〝花畑を出す魔法〟とかとは違うというか……。初めて使ったはずなのに、すごくしっくりくる感じがして……」

 

 どう表現すればいいのか分からない様子で、言葉を手繰る。

 そんな、困惑するルイズを見て、フリーレンも考える。

 

(あの本を見せたことで、ルイズの中の何かが刺激されたのかな?)

 

 今の挙動は、明らかにこれまでの魔法の使い方とは違っていた。

 ルイズの魔力は本来、『不可思議な障壁』によって本流が遮られている。

 そのため、フリーレンが用意した〝補助的な経路〟を通して魔法を使っていた。

 

 だが今は違う。

 まるでその障壁を通り抜け、本来の経路から直接魔力を流したように見えた。

 つまり『魔力を阻んでいた障壁を、無視して魔法を使えていた』のだ。

 

 どうしてそうなったか、その意味はフリーレンにも断定できない。

 だが、一つの仮説は立つ。

 

(もしかしたら、『虚無』の魔法には、『あらゆる状態を解除する魔法』があるのかもしれないね)

 

 ならば、カビや汚れの除去も、その延長線上にある現象なのだろう。

 極めて微細な粒に干渉し、それを『自在に操作・消去する』。

 それが『虚無』なのかもしれない。

 

 そう考えた瞬間、フリーレンの中で一つの確信が生まれた。

 やっぱり、この本は『虚無』に関する重要な書物だと。

 彼女の魔法発動を阻害する『障壁』を、削除することのできる重要なアイテムなのだと。

 

(そろそろ、ルイズにこのことを伝えるべきなのかな……)

 

 オスマンから「タイミングは任せる」と言われて以来、言わずにここまで来た。

 だが今なら、理屈として説明できる段階に来ている。

 どうするべきか。

 

 フリーレンが考え込む一方で、ルイズもまた、先ほどの現象をどう説明すればいいのか悩んでいた。

 主従そろって首をひねっていた、その時――。

 

 コンコン、とノックの音が響いた。

 最初に長く二回、続いて短く三回。

 

 この宿にはメイジが多く、魔力の流れも常に入り乱れている。そのため、誰が来たのかまでは把握していなかった。

 ルイズとフリーレンは顔を見合わせる。

 シエスタでもアニエスでもなく、かといってワルドでもない。初めて感じる波長だった。

 ルイズが立ち上がり、ドアへ向かう。

 フリーレンは耳を縮める。初対面の相手なら、騒ぎになるのを防ぐためだ。

 

 扉を開けるとそこにいたのは、黒い頭巾をすっぽりとかぶった少女だった。

 少女は周囲を警戒するように見回すと、すばやく部屋に入り、勝手に扉を閉める。

 

「誰?」

 フリーレンが小さく呟く。

 だがルイズは、フリーレン以上に驚いた顔をしていた。

 

「……あ、あなたは?」

 

 少女は「しっ」と口元に指を当てると、懐から水晶付きの美しい杖を取り出す。

 そして『ディテクトマジック』を発動。光の粒子が空間に広がり、盗聴の有無を探る(この時、フリーレンの耳にも反応して静かに元の長さに戻っていたのだが、当人は気づかなかった)。

 

 

「どこに目が、耳があるか分かりませんからね」

 

 やがて安全を確認した少女は、頭巾を外した。

 栗色の髪。整った顔立ち。薄い蒼の瞳。

 まるで光を纏っているかのような、美しい少女だった。

 ルイズはその少女の顔を見た瞬間、驚きで茫然自失となってしまった。

 

「ひ、姫殿下……!」

「お久しぶりね、ルイズ。ルイズ・フランソワーズ」

 

 トリステイン王国の象徴。アンリエッタ姫。

 彼女は笑顔で、ルイズの両手を取った。

 

「聞いて、ルイズ! わたくし、結婚するのよ! あのウェールズ皇太子と! この喜びを、どうしてもあなたに直接伝えたかったの!」

 




八十一話でようやくアン姫登場……。
まさかのティファニーより遅い登場となりました。
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