急に訪ねてきた少女こと、アンリエッタ王女は、感極まった声と顔で、膝をつくルイズを抱きしめた。
「ああ、ルイズ! 本当に懐かしい! お変わりありませんわね、あなたは!」
「姫殿下! いけません。こんな下賤な場所へお越しになられるなんて……」
「そんな堅苦しい行儀はやめてちょうだい! あなたとはわたくしは古くからのおともだちじゃないの!!」
姫さまにそう言われては……。と、ルイズも堅苦しい態度をやめて立ち上がる。
「覚えてる? 幼い頃、中庭で蝶々を追いかけたり、ふわふわのクリーム菓子を取り合って喧嘩したり! わたくしよく、あなたに打ち負かされてましたのよ!」
「いえいえ、姫さまが勝利をお収めになられたことも、一度ならずございました!」
「『アミアンの包囲戦』では、ドレスの奪い合いであなたを気絶させたこともありましたね」
「ええ、鋭い一撃で悶絶したのを今でも覚えております」
「よかった、覚えていてくれたのね! すっかりもう、忘れ去られたものかと」
「姫さまこそ、わたしのような者、もう記憶の片隅に残っていればと思っていたのですが……」
「なにをいうのよルイズ。わたくしのルイズ。おともだちとの大切な毎日を、忘れるだなんて! あのころは毎日が楽しかったわ……!」
そうして、フリーレンそっちのけで昔の記憶に浸り始めるルイズとアンリエッタ。
フリーレンは(邪魔しない方が良いんだろうなー)と、生暖かい目で二人を見つめていた。
「それよりも姫さま、どうしてこのような場所に?」
「ええ、先ほども申しましたように、此度はウェールズ様との結婚式が、アルビオンにて行われる運びとなりました。その件に関連して、ちょっとルイズにお願いを……と」
ここでアンリエッタは、フリーレンの方に目を向ける。
「ルイズ、彼女は?」
「ええ、えっと……彼女は……!!」
フリーレンのことを紹介しようとして、ルイズは顔を蒼白にさせた。
フリーレン、さっきの
「フリーレン!! あんた、耳、みみぃ!!」
「え? あ……」
やっちゃった。
てへ、とフリーレンは頭をかく。
また縮めれば間に合うかな? と思ったけど、もう遅いようだ。アンリエッタは丸い目をぱちくりさせてこちらの耳を見つめている。
「あ、あああああのこれは違うんです姫さま説明させてくださいかのじょはわわわたしの使い魔でエルフなんですけど悪いエルフじゃなくてえええええと、その……そう、ちいねえさまを治してくれたりわたしに魔法を教えてくれたりとにかくいいエルフでですからこのことどうかご内密にいただけますとぉおおおおお!!」
「お、落ち着いてルイズ。あなたこそ落ち着いて頂戴!」
滝汗で身振り手振りしながら唾を飛ばして詰め寄るルイズを、アンリエッタは必死になってなだめる。どちらかというと一番パニックに陥っているのがルイズだった。
そんな錯乱状態の幼馴染を落ち着かせた後、改めてどういうことか、ここに至るまでの経緯を、アンリエッタにも共有することとなった。
「……『異世界からやってきたエルフ』ですか」
全ての話を聞き終えた後。
ベッドに腰かけていたアンリエッタは、切なさと感嘆が入り混じったため息を漏らした。
召喚の儀でエルフを召喚し、使い魔にしたことから始まり。彼女のおかげで魔法が使えるようになり、『土くれ』のフーケ騒動も解決してみせ。
つい最近だと、病気がちだった姉カトレアも使い魔の魔法で窮地を脱し、今は彼女の体調をより良くしようと、夏休み期間中に旅までするようになって。
なんかもう、話もここまで来ると壮大な冒険譚のように聞こえるから不思議である。
もちろん、アンリエッタは友達であるルイズが、こんな手の込んだ嘘を言うような性格ではないことも知っている。全ては本当の事だと、そこはきちんと納得した。
「なんていうか、あなたは昔からどこか変わっていたけど、相変わらずなのね」
「はは……返す言葉もございません」
ルイズは苦笑いして答えた。
しかし、それでもルイズは顔をあげて、アンリエッタと正面を向いてこう続ける。
「でも、彼女を召喚したこと、そして使い魔としたことは、後悔していません」
「そう。仲良くやれているのであれば、なによりだわ」
アンリエッタはくすりと笑った。よかったぁ……と、ルイズは内心ほっとした。
エルフだとバレた時は本当に終わったかと思ってしまったからだ。
仕方のないことだが、それだけエルフというのは嫌われている。これはトリステインだけが例外じゃない。
「わかったわ。このことはわたくし達の秘密という事で。誰にも話したりなど、いたしません」
「姫さまの寛大なるご配慮に、感謝の念に堪えません」
「だから、そういうのはもうやめてちょうだいな、ルイズ」
なんとか和やかな雰囲気に戻ってきて、ほっと胸をなでおろすルイズとフリーレンだった。
「ところで……姫さま。先ほどおっしゃっていた『お願い』とは、どのようなものでしょうか?」
「あ、そうそう! そうだったわ!」
ここでアンリエッタは両手をパンと叩き、フードの中に隠していた一冊の本を取り出し、それをルイズに差し出した。
「これは?」
「『始祖の祈祷書』……の、レプリカです」
「レプリカ?」
「あ、『レプリカ』って言っちゃいけないんだった。またマザリーニに叱られる……、ま、いっか」
てへ、とアンリエッタは舌を出す。
どうやらこの本は王室に伝わる、始祖ブリミル由来の宝物らしい。
かつてブリミルはこの書を片手に、聖地を守るエルフ軍と率先して戦ったと伝えられている。
しかし、数十年前の『とある抗争』において、『大昔から保管されていた本物』が行方不明となり、長らく失われたままなのだそう。
そのため、新たに偽の書物を作り、それを『本物である』として用意したものが、これらしい。
確かに、本物だと言われれば、誰もが疑わないほどの荘厳さを備えている。
「まあ、これが本物とかどうかとか、そんなことはどうでもいいの。お願いしたいのはねルイズ。あなたに式の
「ええっ!!」
いきなりの申し出に、ルイズは仰天した。
更に話を聞くと、トリステイン王家では、王族の結婚式の際、貴族より選ばれし巫女を用意する必要があるという。選ばれた巫女は、『始祖の祈祷書』を手に、結婚式の詔を読み上げる習わしがあるようなのだ。
いきなりの大役を命じられ、ルイズは「どうしよう……」と、フリーレンの方を見る。
ただ、そんな目を見られたところで、フリーレンからすればどうしようもないことなのだが。
「草案は宮中の者たちが推敲してくれるそうだけれど……。でもわたくしはね、ルイズ。あなたにぜひ詠んでほしいの。わたくしのこの喜びを、正確に言葉へと変えてくれる人は、あなたをおいて他にはいないのだから」
「そ、そんな大役を、わたしになんて……!」
ルイズはひたすらどもっていたが、アンリエッタは懇願するような目を、じっとルイズに向け続けていた。フリーレンは何とも言わないし……。
いきなり課せられた任務に初めは戸惑っていたルイズだったが……。最終的にはアンリエッタの想いに応える形で、こくりと頷いた。
「分かりましたわ。このルイズ・フランソワーズ。姫様の結婚という晴れ舞台の巫女役、謹んで拝命いたします」
「まあ、ありがとう! ルイズ! あなたなら必ず引き受けてくださると信じてましたわ!」
アンリエッタは感極まって、ルイズを抱きしめた。
「本当はもっとお話ししたかったのだけれど、これ以上はマザリーニやラ・ポルトに咎められてしまうから、ここで失礼するわね」
そう言うと、アンリエッタはフードを深く被り直す。このお忍び自体、バレないギリギリを見計らって抜け出してきたらしい。
「あなたもアルビオンに行くらしいわね。結婚式の時は、是非見に来て頂戴ね。詔、楽しみにしていますわ」
「はい、是非お楽しみいただければと思います!!」
ルイズは胸を張り、アンリエッタに対して臣下の礼を尽くした。
彼女は最後に、フリーレンの方を向いて、こう続ける。
「フリーレンさん、どうかルイズのこと、これからもよろしくお願いしますね」
「はっ」
フリーレンは片膝をついて、恭しく頭を下げる。
エルフと聞いた時は驚いたけど、王族への敬意を忘れない対応に、アンリエッタは内心うんうんと頷いた。
(エルフと聞いた時は驚きましたけど、ルイズは良い使い魔を召喚したみたいですわね)
そんな、幼馴染を支えてきてくれた礼、もしくは、これからも主人をよろしくという意味なのか。
アンリエッタはすっ、と、フリーレンに手の甲を差し出した。ルイズは驚きで姫を見る。彼女はフリーレンに御手を許そうというのだ。
「ひ、姫さま! 流石にそれは……!」
「いいのですよ。『これからも大切なおともだちをよろしくお願いします』という意味も込めて、ですので」
片膝をついていたフリーレンは、さてどうしようかな、と思う。
別にトリステインに忠誠を誓っているわけじゃない。ただ、この行為自体に魔法はかかわっていないみたいだから、ポーズだけでもやっておくべきだろうか。
姫さまの性格的に無いとは思うけど、これを拒否して「逆らうのですか? では処刑ですね」って言われるのも嫌だし。
(……ん?)
と、ここでフリーレンはあることに注目した。
アンリエッタが差し出した手の甲……の薬指に嵌っている指輪。
瑞々しい青色の水玉が嵌った綺麗な装飾の指輪だ。
そこから感じる、魔力の波長。
ルイズと、あの古惚けた魔導書と合致した色合いの……。
「フリーレン! 何ボケッとしてんの!」
ルイズにどやされたことで、フリーレンもはっと我に返った。
「姫さまには時間が無いんだから、はやくなさいよ」
「いいのですよ。気にはしていませんから」
アンリエッタは微笑みながら、手の甲に接吻を落とすのを待っている。
フリーレンは、何か思うような顔を浮かべながらも、ついに動き出す。
(ちょっと、試してみるか)
そうしてフリーレンは、アンリエッタの『手の甲』ではなく、『指輪』の方に口づけを落とした。
「……?」
「……フリーレン?」
当然ながら、ルイズとアンリエッタは揃って、ちょっと疑問に思うかのような仕草をした。
行為は間違っていないのだが……なんで指輪に?
「ちょ、ちょっとフリーレン、どこに口づけを落として……」
「いいのですよ。エルフ流の礼儀なのかもしれません」
と、アンリエッタは特に気にした風でもない様子で答えた。
フリーレンも、「まあ、そのようなものだと思って頂ければ」と、ちょっと濁したような口調でそうとりなす。
「ではまた、お二人ともお元気で」
そう言い残すと、アンリエッタは笑顔のまま静かに部屋を後にした。
「……ってなことがあったのよ」
「それはまた、すっごい大変なことになりましたね……」
翌日、ラ・ロシェールにて。
ルイズは昨日起こった出来事を、シエスタとアニエスの二人にも話して聞かせていた。
今はフリーレンも加えた四人で、街へと繰り出し、面白い品がないかと市場を見て回っているところだ。
「それで、何か考えたのか?」
アニエスが問うと、ルイズは首を横に振った。
「……一応、昨日うんうん悩みながら考えたものはあるんだけど」
「へー、どんなものです?」
シエスタとアニエスが身を乗り出してきたので、引くに引けなくなったルイズは、懐から『始祖の祈祷書』を取り出す。
そこに残された、昨日書き連ねた跡を眺めながら、とりあえず読み上げてみることにした。
「この麗しき日に、始祖の調べの光臨を願いつつ、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。恐れ多くも祝福の詔を読み上げ奉る……」
「うむ」
「それで?」
二人はせっつくように詰め寄ってくる。ルイズはどうしたものかと迷う。
ちなみにフリーレンは、まったく聞いてすらいない。自分の詔よりも、市場の珍品に夢中になっている。
主人の気持ちも知らず、しゃがみ込んであれこれ品を見ている使い魔エルフの尻を蹴り飛ばしたい衝動を、なんとか堪えながらも、ルイズは続けた。
「えっと……ね。ここから先、四大系統に対する感謝の辞を、詩的な言葉で韻を踏みつつ詠み上げるんだけど……」
「はい。詠みあげてください」
「いや……うん。まあいいや。『炎は熱いので、気を付けること』」
「それは詩ではなくて警告では?」
アニエスが突っ込む。ルイズはぐむっと、口ごもる。
「えーと、次、風は……『風が吹いたら桶屋が儲かる』」
「それはことわざですね」
これを聞いたシエスタ。酷くせつなげにため息を漏らした。
「ああ……此度のめでたき結婚式は、極寒に包まれてしまうのでしょうか?」
「アルビオンは高度三千メイルだからな。さぞ冷えることだろう」
「あんたらねえ! 黙って聞いてれば好き放題言って! 仕方ないじゃない! わたし、別に詩人じゃないのよ!!」
ついにルイズは噴火した。「うがー!」と両腕を振り上げて叫ぶ。
とはいえ、そんなことをしたところで、新しい詩が思いつくわけでもないのだが。
「フリーレンさん、何とかならないんですか?」
「〝詩が上手くなる魔法〟とか、魔法でどうにかならないのか?」
ルイズの両腕ブンブンを適当にいなすフィジカル強者の二人は、「無関係です」と言わんばかりに背を向けているエルフに問いかけた。
「あったら、とっくに使ってあげてるよ」
珍妙な形の壺を品定めしながら、フリーレンは背中越しにそう言った。
「そもそもねえ! あんたも少しは手伝いなさいよ! こんなにわたしがすっごく悩んでるのに!!」
「私に『詔』とか、分かると思う?」
「……ミス・ヴァリエール。これは相談相手が悪いです」
シエスタはビシィ! と擬音が出そうなくらいに人差し指をフリーレンに突き立てるルイズの肩に手を置いた。
「この壺、五十スゥ、八ドニエらしいけど、二十スゥ、四ドニエにまけて」
「駄目だな嬢ちゃん。それなら、どんなに安く見積もっても四十五スゥ、六ドニエだ」
「三十三スゥ、五ドニエは?」
「いや駄目だ。四十スゥ。これが最低ラインだ。びた一文まけんよ」
「じゃあいいや。あっちにも良い壺あるし。諦めよ」
「待った! 見かけによらず買い物上手だな嬢ちゃん。いいぜ、三十九でどうだ?」
「三十」
「三十七」
そのフリーレンは、変な壺を巡って店主と値引き合戦を始めていた。
ルイズはそんなマイペース使い魔を見つめて、「はぁぁぁ……」と壁に手をつき、項垂れる。
本当に、自分の詩才のなさを呪うばかりだ。
「ほんとどうしよう……このままじゃ姫さまの笑顔に泥を塗っちゃう……いや、わたしを選んだ姫さまの信用問題にもなるかも……それが引き金になって婚約破棄もあるかも……うあぁああ……」
「が、頑張ってくださいね」
本格的に頭を抱え始めるルイズ。
どんよりとしたまま思考停止に陥った彼女を見かねて、シエスタとアニエスの二人は、何か面白いものがないかと、この主従を置いて別行動を取ることにした。
「『
「そこまで私も学があるわけではないからな。こればかりはなんともできん」
「そうですね。とりあえず、アルビオンに向けての必需品でも、探してみましょうか―――」
その時だった。
昼日中の街に、女性の悲鳴が響き渡る。
アニエスたちも、思わず声のする方へ目を向けた。昼間から営業しているらしい酒場の外で、出来上がった騎士団員たちが、揉め事を起こしているようだ。
「これだからゲルマニア人は、礼儀というものを知らんと見えるな!」
「貴様らこそ、栄えある『
その言葉に、騎士団の一人は殺意を滲ませた表情を浮かべる。
どうやら売り言葉に買い言葉で、杖を抜く寸前の事態にまで発展しているようだ。
当然ながら、周囲がどのような目で見つめているのか、彼らは気づいていない。無駄にプライドが凝り固まった連中が本気で羽目を外せば、このような場でも容易く騒ぎを引き起こす。何とも困ったものだ。
騎士たちの罵倒の応酬に、道行く人々は大慌てでその場から逃げていった。
「羽目の外し方も、あれは度が過ぎているな」
「あ、あの……アニエスさん、あの騎士たちは……」
「聞いたことがある。クルデンホルフ国お抱えの竜騎士団……あれがそうか」
クルデンホルフ大公国は、功績により時のトリステイン王から賜った大公領である。名目上は独立国であり、軍事および外交は地方貴族同様、王政府に依存している。
しかし、あくまで名目上とはいえ、トリステイン王家と縁の深い「国」であることに変わりはない。その国が抱える騎士団は、噂ではアルビオン竜騎士団に次ぐ実力者が集うとも言われているが……。
「あの様子を見る限り、『強者』という言葉には疑問符を付けざるを得んな」
アニエスは目を細め、喧々囂々と好き放題に暴れる騎士隊員たちを睨み据えていた。
おかあさぁん、どこぉ……。
その時、シエスタの脳裏に『予知』のような電流が走る。
今、泣きながらふらふらとさまよう少女が、数秒後、魔法の流れ弾に身体を撃ち抜かれる光景を――。
「危ない!」
気づけば、シエスタは駆け出していた。
泣きながら親を探す子供を抱きかかえ、そのまま地面へと転がる。
数秒後、少女のいた場所に
「ひぃ……え……っ?」
「大丈夫? 急でごめんね」
シエスタは笑顔を取り繕い、庇った少女を起き上がらせる。
だが、場所が悪かった。そこはちょうど、二つの騎士団の間だったのだ。
「なんだ貴様! 平民風情が我々の邪魔をしおって!」
「この狼藉、ただでは済まさんぞ! そこに直れ、二人とも手打ちにしてくれる!」
魔法を避けられたことも癪に障ったのだろう。二つの騎士団は揃って怒りの視線を、か弱い平民の少女たちへ向ける。
「お前たちが子供じみた諍いを起こしたせいだろう。責任転嫁も甚だしい」
少女を庇うので手一杯だったシエスタに代わり、アニエスが前に出る。
「どちらが子供か分からんな」
「なんだと貴様! そこまで言うからには――――!」
カイゼル髭を揺らした巨漢のゲルマニアメイジが、怒りに任せて杖を振り下ろそうとした、その刹那。
アニエスは振り下ろされる腕を見極め、摺り足で懐へ潜り込む。
そのまま腕を引き込み、背負い投げで地面に叩きつけた。
「ササキ流の武術は『
佐々木武雄氏が礎を築き、その娘――シエスタの祖母にあたるヴィヴァン・ササキが、対メイジ戦闘に特化させた武術『ササキ流』。
ヴィヴァンもまた、ヒンメルやオスマンと共に、トリステインのとある事件で大立ち回りを演じた過去を持つ武芸者であったが……ここではこれ以上の説明は控えておく。
ただ、彼女もまた若き頃は、数多のメイジを素手で制圧してきた実力者であり、人類最強と謳われる血筋と、その力を色濃く受け継いだ傑物でもあった。
それらを長い年月の中で磨き上げ、体系化したものが、現在の武術――アニエスやシエスタの家族が扱う『ササキ流』なのである。
「ぐえっ!?」
「こ、こいつ……強いぞ!」
「強い!? 馬鹿言うな! 相手は平民、しかも女――――!」
侮りと見下しの目で見ていたゲルマニアのメイジたちは、そこで言葉を失う。――失わざるを得なかった。
それほどまでに、アニエスの動きは洗練されていた。杖の向きを手の甲で逸らし、魔法の軌道を強引に変える。着弾先は味方だ。
そうして巧みに同士討ちを誘う。魔法は範囲が広いがゆえに、懐に潜り込まれれば、術者自身や味方を巻き込まざるを得ないのだ。
接近戦で魔法を放つのは不利と見たのか、今度は杖を『剣化』する。
アニエスは内心、苦笑した。本当に、こいつらメイジは分かりやすい。こうしてくるだけで、
「くらえ!」
そう叫び、一人がアニエスを叩き斬らんと迫る。だが彼女からすれば、あまりにも見え見えの軌道だった。
その一撃を悠然とかわし、背後から迫る杖の刺突を、脇を上げて挟み込むように受け止める。
そのまま振り回して周囲を牽制し、男を放り捨てた。
たたらを踏み、三人が固まったその瞬間。
アニエスは一人の向こう脛へ回し蹴りを叩き込む。
「ぐわっ!?」
それだけで、三人はドミノ倒しのように崩れ落ちた。
重心を利用し、バランスを崩したところへ止めの一撃を加える。ただそれだけで、メイジたちはあっさりと制圧されてしまった。
「私の本職は剣士だぞ。付け焼き刃の剣術が通用すると思うなよ」
「この平民が!」
さて、こちらはシエスタ視点。
彼女もすっかり標的にされてしまったようで、今は『空中装甲騎士団』の一団の攻撃をかわしていた。
しかもこちらは、アニエスと違い、怯える子供を背負ったまま。安全圏へ下ろしてあげたいが、相手がそれを許してくれない。
「ごめんね、酔うかもしれないけど、ちょっとだけ我慢して!」
シエスタは子供を背負っているため、両手が使えない。
それでも両足だけで、ハルケギニア第二位の実力を誇るとされる騎士団と渡り合っていた。
「こ、こいつ!」
「我らの魔法を、こうも避けるだと……!」
当然ながら、プライドの高い騎士団たちは激昂した。
ゲルマニアのメイジならいざ知らず、ただの平民にここまでコケにされては、貴族としての沽券や面子に関わる。
しかも彼らは、自らをハルケギニア第二位の実力を誇る騎士団と自負している。
その傲慢とも言えるほどの自負が、目の前で起きている現実を、どうしても受け入れさせなかった。
だが、いかに強さを自負しようと、彼らは『竜騎士団』だ。真価を発揮するのは竜に騎乗してこそであり、個人としての戦闘力はそれほど高くない。
一方シエスタは、千人のメイジが聞けば誰もが畏怖する『烈風』にすら一目置かれるほどの実績を持っている。
彼らが現実を直視できていないだけで、この結果は決して不思議なものではなかった。
シエスタは足で蹴り上げ、メイジの杖先。放たれようとする魔法を、足の甲で横へと逸らす。アニエスと同じ要領だ。
だが彼女は、アニエスと違いまだ遠慮があった。直接蹴り倒すことはせず、あくまで軌道をずらすに留める。広範囲かつ殺傷力の低い魔法――『
それでも、シエスタは驚くほど器用に相手の攻撃をいなしていく。子供を背負ったままだというのに。
背後からの一撃、横からの魔法、地面から突き上がる不意打ち。
そのすべてを、軽やかに避けていく。
「……っと!」
シエスタが蹴り上げるたび、メイド服のスカートが翻り、ドロワが覗く。だが、その一連の動きすら、どこか洗練されていた。
もっとも、相手にそんなものを気にする余裕はない。
最終的には一分と経たず、竜騎士団の面々も、すべて地面に倒れ伏していた。
その頃にはすでに、アニエスもゲルマニアの騎士団を一掃していた。
「う、うぐ……」
「あ、あんた強いな……貴族にならないか?」
アニエスが相手をしたゲルマニアのメイジたちは、彼女の実力を素直に認め、勧誘まで始めていた。
良くも悪くも、それがゲルマニア人の気風である。実力ある者は立場を問わず受け入れ、吸収する。平民であっても、財産や実績次第で貴族に成り上がることができる。
そうして勢力を拡大してきた国だからこそ、強者を認めることに躊躇がないのだ。
「生憎と、自分より弱い主人に仕える気などないのでな」
「はは、これは手厳しい……」
アニエスの返しに、苦笑しながら大の字に倒れ込むゲルマニア人たち。
こちらは後腐れなく収まりそうな気配を見せていたが、シエスタの方はそうもいかなかった。
「きさま……我々を誰だと心得る!」
「恐れ多くも、ベアトリス姫殿下お抱えの騎士団たる我々に、このような狼藉……ただで済むと思うなよ!」
顔を赤らめながら、口々に怒声を上げる。トリステインの騎士たちは、こうした事態において、なかなか素直に敗北を認めようとはしない。
そして状況は、さらに面倒な方向へと転がっていき――。
「何を騒いでいるのよ、あんたたち」
「あ! あぁ……!」
「ベアトリス殿下!」
そう――騒ぎを聞きつけた者の中に、クンデンホルフ大公国の姫、ベアトリス・イヴォンヌ・フォン・クルデンホルフが、供を連れて姿を現したのである。
彼女は二つに結んだ金髪を揺らしながら、この惨状に呆れたようにため息をつく。
「何をやっているのかしら、あなたたち。羽目を外すにしても、限度があるでしょう」
「も、申し訳ございません!!」
さっきまでの威勢はどこへやら。
叩きのめされていた騎士たちは、必死に地面へ額を擦り付ける。
任務を放り出して羽目を外し、挙げ句の果てに喧嘩へ発展し、あまつさえ平民に敗北する始末。彼らの処罰は、もはや決まったも同然だった。
「各国の重鎮が揃っている中でこの醜態……。この件は、きちんとお父さまにお伝えいたしますわ」
その言葉を聞き、騎士たちは愕然とした表情で崩れ落ちた。
まあ、当然のことだろう。
彼らの未来が決まった一方で、ベアトリスは今度はシエスタへと視線を向ける。
「で、わたしの騎士たちを蹴散らしてくれたのは……あなたかしら?」
「え、あ、はい……」
シエスタは子供を背負ったまま、ベアトリスの問いに頷いた。
平民であるにもかかわらず、頭を下げようともしない(子供を抱えているせいでできないだけなのだが)。その態度に、ベアトリスはわずかに眉をひそめる。
「どうでもいいけれど、頭が高くないかしら? うちの連中をのして舞い上がっているようですけど、あなたのような平民。家ごと取り潰すことなど、いつでもできますわよ」
「あ、あの、すみません……」
シエスタは慌てて子供を下ろし、頭を下げる。
(子供みたいな人だなぁ……)と、内心で思った。
どうやら、自分の気に入るか否かで、随分と機嫌を変える性格らしい。自国お抱えの騎士団を打ちのめしたことが、気に障ったのだろうか。
もちろん、この光景はアニエスも見ている。面倒なことになったな……と思いながら、シエスタに助け舟を出そうとした、その時だった。
「あんたたち、何勝手に騒ぎを起こしてんのよ」
そう言ってやってくるのは、ルイズとフリーレンだ。
あれだけの騒ぎだったのである。この二人が気付かないはずがなかった。
「あ、ミス・ヴァリエール!」
「え、
シエスタの声に、ベアトリスもぴくりと反応した。
クルデンホルフ大公国は、潤沢な資金を有する大国であり、独立国としての格も高い。グラモン家やモンモランシー家といった名門に対しても、貸しを作る立場にあるがゆえに、強気に出ることができる。
だが、そんな彼女にも、トリステインにおいて決して逆らってはならない相手がいる。
トリステイン王家。宰相マザリーニ。賢者オスマン。
そして、王の庶子を祖とするヴァリエール家。
そのヴァリエール家の令嬢が、まさかここに現れるとは。
ベアトリスの頬に、つうっと冷や汗が流れた。
「あ、あなた……ヴァリエール家の使用人でしたの……?」
「なに? あんた、わたしの
ルイズは怪訝な表情を浮かべ、騒ぎの末に倒れ伏している騎士たちを見回す。
まだ事情のすべてを聞いたわけではない。だが、シエスタの傍らで泣いている少女や、この場に立つアニエスの様子を見れば、おおよその見当はついていた。
「あの、ミス・ヴァリエール。この方はクルデンホルフの姫殿下でして……」
「ああ、あの成金国家の。なに? 婚礼の件で、アンリエッタ姫殿下におべっかでも使いに来たの?」
「お、おべっかですってぇ!!」
さすがのベアトリスも、この言いようには激昂する。だが、「事実でしょ?」というルイズの追撃に、無理やり言葉を封じられた。
「だいたい、こんな騒ぎを起こした原因の一つは、あんたのお抱えの騎士団なんでしょ? こんな醜態が姫殿下やあなたのお父さまの耳に入ったら……。さて、何を仰るのかしらね」
ルイズの理詰めの言葉に、ベアトリスは閉口するしかない。
それ自体は、紛れもない事実だ。いずれにせよ問題を起こした連中は、地位ごと切り捨てるつもりではあった。だが、それでも腹の虫は収まらない。
『ヴァリエール家に喧嘩は絶対に売るな』。
父の言葉を思い出したベアトリスは、髪をかき上げ、「フン」と鼻を鳴らした。
「言われるまでもなく、あの者たちは除隊するつもりですわ。姫殿下のめでたき結婚式に泥を塗るような愚か者どもなど、知ったことではありませんので」
「そもそも、こんな騒ぎを起こさないように、きちんと教育しておきなさいよ。御国の品位に関わるわよ」
ルイズのいちいちもっともな言葉に、ぐぬぬ……と拳を震わせるベアトリス。
(なによ……こちらだって大公家よ。父、アフォンソ・フォン・クルデンホルフは王位継承権第四位。第三位のヴァリエール公爵とは大きく差をつけられているけれど、その気になれば、こちらだって王位を狙える席次なのよ)
だが……。「喧嘩を売るな」と言い含められている以上、これ以上自分から火種を増やすわけにはいかない。
ベアトリスは唇を噛みしめ、やがて静かに背を向けた。
「ええ、肝に銘じておきますわ、ヴァリエールお嬢様。ただ……」
そこで彼女は足を止めると、ゆっくりと振り返る。意地の悪い笑みを浮かべながら、唯一ルイズに突きつけられるであろう『反撃の材料』を口にした。
「噂ではございますが、ヴァリエール家はエルフと懇意にしているとか……」
「……何が言いたいのよ」
「いいえ。ただ、それが真実だとすれば……とんでもない大スキャンダルですわね。いくらヴァリエール家といえども、ただでは済まないことでしょう」
その言葉に、シエスタは思わず口元を押さえた。アニエスもまた、静かに眉をひそめる。
ルイズは無言のまま、ベアトリスを睨みつける。
当のフリーレンだけが、どこか他人事のようにそのやり取りを眺めていた。
「あ、ちなみにわたくし、宗教庁からクルデンホルフ司教の肩書きを賜っておりますの。つまり、異教徒をその場で『異端審問』にかける権限を有しているということ。くれぐれも、ご注意を」
そう言うと、ほ~っほっほっ! と顎に手の甲を当て、ベアトリスは去っていく。言いたいことだけ言って勝ち逃げするつもりなのだろう。
「あの……大丈夫なのですか? ミス・ヴァリエール」
「なにがよ?」
「だって、異端審問って……」
ハルケギニアの民にとって、その言葉は死よりも重い。平民も貴族も関係なく。
ブリミル教がこの世界を支配している以上、これに逆らうことは、世界から放逐されるのと同義だ。さらにその影響は個人に留まらず、親族……最悪の場合、友人知人にまで及ぶ。
それはヴァリエール家といえど例外ではない。
「別に大丈夫でしょ。『異端審問』を行うには、肩書きだけじゃなくて司教の免状、さらにロマリア宗教庁の審問認可状が必要なのよ。あんな出鱈目を並べる時点で、家の程度が知れるわ」
と、当のルイズはまるで意に介していない様子で言っていたが。
ちなみに、資格もなしに司教を騙ることは、たとえ一国の姫であろうと問答無用で火あぶりに処される重罪である。
わざわざ指摘するのも馬鹿らしいから見逃してやっただけで、もし本気で詰めれば、追い詰められるのはむしろ司教を騙ったベアトリスの方だった。
「だから、あんな成金国家の娘の言葉なんて真に受けなくていいわよ。フリーレンも、安心していいから」
「まあ、面倒なことになったら全力で逃げるだけだし、気にしてないけどね」
当のフリーレンは、珍妙な形の壺を抱えてご満悦の表情だ。
「三十二スゥで買えたよ、むふー」
満面の笑みで、ルイズやアニエスに壺を見せびらかしてくる。
「やれやれ……」
ルイズは首を振ると、泣いている少女を下ろし、優しく慰めているシエスタの方へと目を向けた。
「もう大丈夫だからね」
「うん……ありがとう、お姉ちゃん」
その後、少女の母親が涙ながらに駆け寄り、迷子騒動も無事に解決した。
親子は何度もシエスタたちに頭を下げ、助けてくれたことへの感謝の言葉を繰り返した。
「……あんた、ちょっと変わった?」
「はい?」
「いや、あんなに貴族のことを怖がってたのに、正面から動くなんて、今までなかったでしょ?」
親子と手を振って別れた後、ふと思った疑問を、ルイズはシエスタにぶつける。
「確かに……昔だったら、貴族相手にあんな大立ち回り、怖くてできなかったと思います」
シエスタはそう言って、少しだけ自分を見つめ直すように視線を落とした。
でも……と、シエスタは続ける。
「勇者ヒンメルだったら、こうするのかなって……何となく、そう思ったんです」
本当に、さりげない言葉だった。
それでも、微笑みながら言い切ったシエスタに、ルイズはどこか眩しいものを覚える。
「そうだな」
アニエスもまた、小さく同調した。
そしてフリーレンも、そんな二人の様子を見ながら、ふと……ヒンメルのあの言葉を思い出す。
『きっとこんなことをしたって世界は変わらない』
『でも僕は、目の前で困っている人を見捨てるつもりはないよ』
たとえどんなことでもコツコツと、小さな徳を積み続けてきて。
人助けそのものが好きだった彼の笑顔と言葉が、なんとなしに蘇ってきたフリーレンだった。
(こういう小さな積み重ねで、世界は変わっていくんだろうね。ヒンメル)
たとえ彼の偉業が世界から消えたとしても、その想いは確かに、こうして人の中に残り続けている。
これだけはきっと、未来永劫消えることはないのだろう。
フリーレンは、そう思った。