使い魔のフリーレン ~ゼロからの旅路~   作:お団子

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第83話『勇者の記憶② ~喋れないエルフ~』

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 それは、勇者ヒンメルがハルケギニアを旅していた頃の話。

 その旅路の、ほんの一幕である。

 

「ここが、白の国(アルビオン)への玄関口、ラ・ロシェールかぁ」

 

 岩肌をくり抜いて造られた街並みを見て、ヒンメルは感嘆ともつかない声を漏らした。

 

 聞けば、これらはすべて魔法によって加工・掘削されたものらしい。その技術力には、素直に感心せざるを得なかった。

 

「ここからアルビオンへは、どうやって行くんだい?」

「まあ、簡単に言やぁ船便だな」

 

『平民の鍬』と呼ばれる安宿に泊まりながら、ヒンメルたちはアルビオンへ向かう方法について、本格的に話し合っていた。

 行き方は単純だ。ここからでも見える高台。そこに根を張る『世界樹(ユグドラシル)桟橋』と呼ばれる巨大な枯れ樹。その無数の枝には、果実のように数多の船が停泊している。

 そこで金を払い、船に乗せてもらうのだ。

 幸いにも今の時期、アルビオンはラ・ロシェールへ最も接近しているらしい。

 それも、例の『革命活動』が活発化している影響もあり、人の往来は通常の三倍以上に膨れ上がっているという。そういう土壌もあり、頼めば船に乗ること自体は十分可能だろう。

 

「で、肝心の船賃なんだが……」

「…………」

 

 ヒンメルは笑顔のまま黙った。

 オスマンはしかめっ面で懐から、とても寂しい数枚のドニエ銅貨と、わずかなスゥ銀貨を取り出して手のひらに載せる。

 

「おい、こっち見ろボケ」

「……フッ」

「明日のおやつも満足に買えねえこの駄賃で、どうやって大人二人分の空便チケットが買えるんですかぁ?」

「……ハッ」

「いちいちイケメンポーズ取んじゃねえ! てか、おれの話を聞け!」

 

 オスマンは、座ったまま気障なポーズを決めるヒンメルに憤慨し、勢いよく立ち上がった。

 彼がここまで激昂するのには理由がある。簡単に言えばヒンメルといると、まるで金が貯まらないのだ。

 何せ彼は、どんな些細なことでもすぐ寄り道するし、助けを求める声があれば、どんな弱き人々にも手を差し伸べてしまう。

 

 それ自体は別にいい。

 だが、その結果得られる報酬は、二束三文の銅貨ばかり。

 

 そのくせ、こちらには宿代、食費、酒代。ついでに道行く可愛い子ちゃんへの貢ぎ物やら何やらで、懐に温めていた金は、羽でも生えたように飛んでいく。

 ヒンメルも自覚はあるのか、オスマンの追及をイケメンポーズでやり過ごしていたが……。

 

「いや、金貯まんねえの、お前の所為じゃね?」

 

 ここで、壁に立てかけられていたデルフが突っ込んだ。

 

「なんでおれの所為になるんだよ!」

 オスマンがそう食ってかかるも。

 

「いや、女の子への贈り物にお金つぎ込んでたとか、僕も初耳なんだけど……」

 

 ヒンメルから真顔でそう返され、オスマンも「あっ……」と呟いた。

 どうやら無自覚に口を滑らせていたらしい。

 状況が不利になったオスマンは、「かぁーっ!」と大声を上げる。誤魔化し半分、仕切り直し半分といったところだ。

 

「とにかくだ! これじゃあとてもアルビオンになんざ行けやしねえ! 何とかして金を貯めねえと!」

「ちょうどここは、それなりに大きな街みたいだしね。市場や酒場もあるだろう。そこで人助けをしながら資金を稼ぐっていうのはどうかな?」

「まあ、これだけ広けりゃ、商人組合みてえなのもあるだろ。困りごとも山ほどありそうだしな」

 

 デルフもそう補足する。

 人の往来が激しいということは、それだけ金も動くということだ。

 そして商売というのは、単に金と商品をやり取りするだけじゃない。困りごと、つまり『依頼』を仲介し、その報酬を支払う場所だって、きっとあるはずなのだ。

 

「問題は、相棒がチンケな額でも安請け合いしちまうところだよなぁ」

「そうそう! おれもそれが言いたかった! とにかくだ、お前の慈善事業に付き合ってたら、この先アルビオン行きなんざ十年経っても無理だぜ!」

 

 精神的に立ち直ったオスマンが、ぐわっと身を乗り出して叫ぶ。

 

「だから、おれが仕事を選別してやる! お前は大人しくそれを受けろ! そして手早く金を貯めるぞ!」

「その前に、酒や贈り物で金を使い込んだことを、相棒(ヒンメル)に謝れや」

 

 デルフの冷めた突っ込みに、オスマンはぴたりと固まった。

 ヒンメルは「はぁ……」と小さくため息をつく。

 

「まあ、一応僕にもへそくりはあるから、いざという時は大丈夫だとは思ってたけど」

「え、お前、金あんの!?」

「あるにはあるけど、別世界の貨幣なんだ。換金できるか分からないし、どのみちすぐには使えないだろうけど。一応ね」

 

 ヒンメルも懐から、それなりに膨らんだ財布を取り出して見せる。

 

「でも、この様子だと旅用の財布は僕が管理した方が良さそうだね」

「だな。このエロボケスケベメイジに金持たせたら、碌なことにならねえってのがよーく分かったわ」

 

 少なくともヒンメルは、賭博や酒、女に金をつぎ込むような馬鹿ではない。

 ヒンメルは机の上に置かれていた数枚の銅貨と、オスマンの持っていた袋を回収すると、しゅん……と項垂れているオスマンの肩をぽんと叩き、そのまま外へ繰り出した。

 

 

 

 さて、人の往来が激しいラ・ロシェールの夜市へと、ヒンメルたちは繰り出した。

 外は雨。ちょうど今、アルビオン大陸がラ・ロシェールの真上近くまで移動しているらしく、その影響もあるのだという。

 

 そもそもアルビオンが『白の国』と呼ばれる理由は、空を行く大陸から流れ落ちる巨大な河にある。

 空より落下する水は白い霧を生み、その霧が雲となって、ハルケギニア全土へ大雨を降らせるのだとか。

 

 そのため、アルビオン大陸が頭上へ迫ると、昼でも夜のように空は暗くなり、柔らかな霧雨と微風が辺り一帯を静かに濡らしていく。

 電柱のように並ぶ魔法のランプが、霧雨の中を行き交う人々を淡く照らしていた。

 道行く人々に場所を尋ねながら、ヒンメルたちは依頼を受けられそうな組合へと向かっていくが……。

 

「これは……」

「どうやら、懸賞金付きの手配書みてえだな」

 

 道中、壁という壁に、懸賞金額の書かれた張り紙がいくつも貼られていることに気づく。

 ヒンメルは、その一枚を覗き込んだ。

 描かれている似顔絵は……エルフか?

 

 

「『エルフのガキがこの地に紛れ込んだとの噂あり。捕らえた者には、懸賞金五万エキューを支払う』――だとよ」

 

 

 隣へやって来たオスマンが、ヒンメルに代わって文字を読み上げる。

 ヒンメルは、少し険しい顔で手配書を見つめた。

 そこに描かれているエルフは、子供でありながら悪魔のように醜悪に描かれ、顔の両側には誇張された長耳が突き出している。

 

「これは一体……」

「さあな。エルフ、か……。なんでまたラ・ロシェールなんかに紛れ込んだんだか」

 

 オスマンがぼやいた、その時だった。

 ヒンメルの視界の端を、細い路地裏へと消えていく金髪がよぎる。

 暗闇の中ですら、それは不思議なほど眩しく見えた。

 

「どうした? ヒンメル」

「いや……」

 

 何かが気になったヒンメルは、細道の方へ視線を向ける。

 その背後では。

 

 

「おい! ここに例のエルフがいるってよ!」

「噂じゃ、そのエルフ喋れねえらしいぜ! つまり『先住魔法』も使ってこねえってことだ!」

「聖地奪還を阻む異端を捕まえりゃ、大金が手に入るだけじゃねえ! レコン・キスタでの地位も鰻登りだぜ、きっと!」

 

 そんな会話を交わしながら、武装した集団が慌ただしく行き交っていた。

 

「なるほどな。喋れねえのか。だから、ここぞとばかりに懸賞金まで出して、躍起になって探してるってわけだ」

 

 オスマンは、そんな連中を冷めた目で見つめる。

 そのエルフは、なぜこんな場所へ来たのか。なぜ喋れないのか。なぜレコン・キスタに追われているのか。

 謎は多い。だが、五万エキューかぁ……。

 

 オスマンはちらり、とヒンメルを見る。

 

 彼はもう、手配書の方を見ていなかった。

 それよりも先ほど路地裏で感じた『違和感』に、引き寄せられるように歩き出している。ヒンメルはそのまま、細い路地裏へと入っていった。

 オスマンも、「はぁ……」と頭をかきながら、その後を追う。

 角を曲がり、人どころか灯りすら差し込まない暗がりを進んでいくと……。

 

「……何をしているんだい?」

「――っ!」

 

 ヒンメルが声をかけた瞬間、路地裏の奥でもぞもぞと動いていた影が、びくりと肩を震わせた。

 

 影はゆっくりと振り向く。

 みすぼらしい服に、泥で汚れた身体。

 それでも、その金髪だけは不思議なほど穢れを感じさせなかった。

 そして、髪の両脇からは長い耳が伸びている。

 路地裏に潜んでいたのは、十歳ほどのエルフの少女だった。

 

 

 

「はぁ……金稼ぐどころか、すっからかんになっちまったな」

 オスマンは、中身の消えた財布袋を逆さにしながらぼやく。

「まあまあ」

 それに対し、ヒンメルは苦笑しながらなだめた。

 

 彼らの目の前では、エルフの少女が、はぐはぐ……と夢中になって食事を口へ運んでいる。

 こうして、ヒンメルたちはエルフの少女を見つけたわけだが……、当然ながら、懸賞金をかけている連中へ突き出すことはしなかった。

 

 最初に出会った時、少女の口元にはパンくずが大量についていた。どうやら空腹のあまり食べ物を探し回っており、それを食べていた途中で見つけたのだ。

 不衛生なカビだらけのパンをかじっている少女を見た瞬間、ヒンメルは迷うことなく、彼女を庇うことを決めたようだった。

 

 その後、なけなしの金をはたいて食事を買い込み、人目につかないよう気を配りながら――具体的には、ヒンメルのマントの中に少女を隠しながら――無事『平民の鍬』へ戻ってきたのである。

 

 今はこうして、少女へまともな食事を振る舞っている最中だった。

 

 少女は目をきらきらと輝かせながら、虫も泥もカビもついていないまともな食事、温かなスープや柔らかいパンを、ハムスターのように頬張っていた。

 オスマンもまた、初めて見るエルフに目を丸くしながら呟く。

 

「エルフは化け物、ねぇ……。とてもそうは見えねえな」

 

 そう思うのも無理はない。

 何せ目の前では、食べることに夢中になりすぎたエルフ少女が喉を詰まらせ、慌てたヒンメルに背中を叩かれている最中だったのだから。

 

 

「きみは、どこから来たんだい?」

 食事を終え、一息ついたところで。

 ヒンメルは、ようやく落ち着いたエルフの少女へそう尋ねた。

 

 しかし少女は、ゆっくりと首を横に振る。

 

 言葉が分からないのだろうか。

 ヒンメルは身振り手振りを交えながら質問の意図を伝えようとするも、少女は俯くだけだった。

 

「……喋れねえのか?」

 

 今度はオスマンが問いかける。

 少女はしばらく黙ったあと、小さくこくりと頷いた。オスマンは「はぁ……」と嘆息する。

 ヒンメルもまた、小さく息を吐いて椅子へ座り直した。

 

 巷で追われている、懸賞金付きのエルフ。

 間違いない。この少女で確定だろう。

 

 粗末で丈の短い草色のワンピース。汚れの目立つ白い手袋。それでも、その金色の髪だけは違った。

 先ほどオスマンが水魔法で軽く洗ったおかげもあるのだろう。

 まるで黄金の天の川のような、神々しい輝きを放っていた。

 

 この髪を束ねて売れば、相当な値が付くんじゃないか。

 そんな邪な考えが、一瞬だけ脳裏をよぎってしまうほどに。

 

「で、この子をどうすんだ、ヒンメル?」

 

 オスマンはため息混じりに、ヒンメルへ問いかけた。

 成り行きでエルフを助けてしまったわけだが、この状況を誰かに見られれば、面倒どころの話では済まない。

 間違いなく、この少女を狙う賞金稼ぎや貴族たちと事を構えることになるだろう。

 

 するとエルフの少女は、少し怯えたような表情を浮かべながら、くしゃくしゃに丸められた紙をオスマンへ差し出した。

 受け取って広げてみれば、それは手配書。この少女に懸賞金をかけた、例の張り紙だった。

 少女は「突き出すの?」とでも言いたげな目で、じっとオスマンを見つめている。

 

「……安心しろ。突き出したりしねえよ。そもそも、お前この手配書と全然似てねえだろ。こんな化け物みてえな顔してねえしな」

 これ描いた絵師は相当、センスがねえな。

 そう呟きながら、オスマンは手配書を後ろへ放り投げる。紙は宙で火を噴き、そのままあっという間に燃え尽きた。

 それを見て、エルフ少女はほっと胸を撫で下ろす。

 

「きみは、どうしたい?」

 

 ヒンメルは優しく問いかけた。

 幸い、こちらの言葉自体は理解できているらしい。少女は再び俯き、両手の指をいじいじと弄る。

 

 

 その左手の薬指には、綺麗な指輪が嵌められていた。

 小さな水滴のような宝石が、ゆらゆらと揺れている銀の指輪。

 

 

(なんだ、この力……?)

 

 オスマンは「ん?」と首を傾げる。

 彼もまた、ここで少女の指輪に目を留めていた。

 そこには、得体の知れない、不可思議な力が凝縮されているように感じられたのだ。

 この指輪についても聞いてみたかったが……少女が喋れない以上、尋ねたところで答えは返ってこないだろう。

 

(あの指輪……どっかで……)

 デルフもまた、指輪を見つめながら、何かを思い出しかけていた。

 だが、あと一歩のところで記憶が引っかからない。そんなもどかしさを覚えている。

 その間にも、ヒンメルは少女と同じ目線にしゃがみ込み、優しく問いかけていた。

 

「お父さんやお母さんはいるのかい? もしよかったら、僕が探してあげようか?」

 

 その言葉を聞いた瞬間だった。

 少女の瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちる。

 

 ヒンメルは「あっ……」と察した。デルフも、「やっちまったな」とぼそりと一言。

 

 この様子を見る限り、どうやら親族はおろか、親しい人すらいないらしい。

 本当に、たった一人で彷徨っていたようなのだ。

 

 なぜそんな状況になっているのかは分からない。だが、何かよほど()()()()()()()()()()に巻き込まれているのだろう。

 そこでヒンメルは、まだ自己紹介をしていなかったことを思い出す。

 

「ごめんね。まだ名乗ってなかった。僕はヒンメル。彼はオスマン、壁に立てかけてある剣はインテリジェンスソードのデルフリンガー。みんなで一緒に旅をしてるんだ。きみは?」

 

 すると少女は、静かな海のような碧眼でヒンメルを見つめたあと、机の上にあった羽ペンと紙を手に取り、自分の名前を書き始める。

 ヒンメルとオスマンは、その文字を並んで覗き込んだ。

 

「……なんて書いてあるかわかるかい?」

「いんにゃ、全然わっかんね」

 

 少女が書いた文字はハルケギニア語じゃなかった。どうやらこの世界のエルフ語らしい。

 結局二人は、彼女が書いてくれた名前を読むことができなかった。

 

 

 

「んでよ、結局どうすんだよヒンメル」

 再び街に繰り出して。ヒンメルとオスマン、そして少女の三人はラ・ロシェールの通りを歩く。

 勿論、少女はヒンメルのマントの中に隠している。宿に置いておこうかとも思ったが、何かあった時に対処がしづらい。連れて歩いた方が、まだ安全だった。

 

 少女の背丈は、ちょうどヒンメルの腰ほど。

 マントの中で必死によちよちと歩く少女に合わせ、ヒンメルも自然と歩調を緩めていた。

 とりあえず今の問題は、ハルケギニアで使える資金が尽きたことだ。

 そのため彼らは、別世界の貨幣を換金できそうな場所を探して、市場をあちこち回っていた。

 

「とりあえず、金を換金しよう。話はそれからだ」

「それはいいんだがな。少なくとも、そいつを連れ歩くならアルビオンはおすすめしねえぜ。さっき少し探ってみたんだが、どうやらあの手配書の大元、レコン・キスタと関わりがあるみてえなんだ」

 

 レコン・キスタ。国境なき貴族連盟。

 無能な王権を打倒し、有能な貴族によって(まつりごと)を行う。

 そしてハルケギニアを一つにまとめ、始祖ブリミルが光臨したという『聖地』を奪還する。

 

「……っていう夢物語をほざいてる連中らしいんだが、馬鹿は馬鹿でも数だけは本物だ。噂じゃ、五万六万規模の大勢力になってるらしいぜ」

 

 どうやら、その夢物語に惹かれる人間は決して少なくないらしい。

 それほど魅力的な理念を掲げているのか。あるいは、それだけの財力があるのか。

 それとも、巧みな手練手管で人を引き込んでいるのか。

 

 あと、ここから先オスマンは言わなかったが、そもそもの話として、異教徒(エルフ)を庇うということ自体、この先ハルケギニアの人々から様々な追及を受ける原因になりかねない。

 それだけエルフは嫌われているのだ。少女がいるから口にはしなかったが、それを目で伝えるオスマン。

 エルフを連れ歩くこと。それは多大なるリスクを背負うことだと。

 

「ならなおの事、彼女は渡せないな」

 

 やはりというか、ヒンメルはそう言って、マントの中にいる、彼女の頭をやさしく撫でる。

 彼女はずっと、ヒンメルのズボンを握っていた。少なくとも今の彼女には、誰か支えてあげなければならない味方が必要なのだ。

 ヒンメルはそのまま先に進む。オスマンは「どうしたものかね……」と、少し煮え切らなさそうに頭をかいて、でも結局は彼の後に続いた。

「別にアルビオンには純粋な好奇心で見てみたかっただけだから、そこまで彼女にとって危険地帯なら、後回しでもかまわないよ」

 

 

 幸いにも、換金所そのものは何とか見つかった。

 アルビオンとの交易が盛んな港町だけあって、それなりに規模の大きい宝石店が存在していたのは僥倖だった。

 

 風石を積んだ宙船が絶えず行き交う『世界樹桟橋(ユグドラシルさんばし)』。

 その根元には、旅人や商人向けの様々な店が軒を連ねている。

 ヒンメルたちは、その中でもひときわ豪華な宝石店を訪れていた。店内では今、ヒンメルが持ち込んだ金貨や銀貨の鑑定を受けている。

 

「ふぅーむ、珍しい貨幣ですな。初めて見るものですが、金の含有率は非常によろしい……」

「どうだろうか? エキューに換えられそうかい?」

「ええ、こちらで換金自体は承れます。ただ……少々お時間をいただけますかな?」

 

 というわけで、しばらくここでヒンメルは留まることとなる。

 鑑定士へ貨幣の説明をしなければならない以上、仕方のないことではあるが。

 

 代わりに少女は今、オスマンのマントの中に隠れていた。

 しばらくぼんやりとヒンメルの背中を見ていたオスマン。不意に、ズボンの裾をくいっと引っ張られる。

 

「なんだ? あぶねえからしっかり隠れてろ」

 

 誰にも見えない角度でマントを少し広げて、中にいる少女に告げる。

 すると少女はもじもじと顔を赤らめ始めた。両足の太腿をすり合わせているのを見て、「あ」とオスマンは大口を開ける。

 

「わりぃヒンメル! ちょっと便所行ってくるわ!」

 

 オスマンは、店中に響きそうな勢いで叫んだ。ヒンメルは思わず吹き出しそうになりながらも、必死に堪えて頷く。

 いや、伝えるのは構わない。この言葉の意味を察せられないヒンメルじゃない。

 だが、もう少し言い方というものがあるだろう? マントの下で少女がビクッと跳ねていたぞ?

 

(そういうところじゃないのかい……モテない理由って)

 

 よちよちと歩調を合わせて離れるオスマンの背中を見つめて、ヒンメルは何となくそう思った。

 

 

 

「ほれ、待っててやるから、はよ済ませな」

 世界樹の内部は魔法によって整備されており、小綺麗な床や壁、天井にはラ・ロシェールの街並みにも使われている装飾や魔法灯が施されていた。

 手洗い場もかなり清潔に保たれており、男女別にきちんと分かれている。

 

 オスマンは、その入口前で大人しく待っていた。

 さっき軽く確認した限り、中には誰もいないようだったし、都合もいい。

 

 とたとた、と。

 少女は用を済ませ、今は手を洗っているところだった。

 

 魔法式の蛇口へ手をかざすと、石鹸成分を含んだ水のシャボン玉がふわりと浮かび上がる。

 そこへ両手を入れ、少女は丁寧に汚れを落としていく。

 

 一通り終えると、少女は目の前の鏡を見つめた。

 そこに映るのは、あと数年もすれば、百人が百人振り返るだろう美貌を秘めた少女。

 だが、その表情は……強い苦悶に満ちていた。

 

 ふと、少女は指輪の嵌った指を見つめる。

 

 この指輪を手にしてから、あまりにも多くのことが起こった。

 

 どうしてこんな目に遭うのだろう? わたしたちが何をしたのだろう?

 どうして、お父さんとお母さんは殺されなければならなかったのだろう。

 

 ()()()()を目の当たりにしてから、少女は言葉を失った。

 強烈な恐怖と絶望による、失語症。

 

 それでも少女は、必死に気を強く持とうとしていた。

 これからどうなるのかは分からない。

 それでも……何とか、生きてみようと。

 

 俯けていた顔をゆっくりと上げ、少女は再び鏡を見る。

 

 

 鏡の中には、自分の後ろに黒い影が迫りくる様が映っていた。

 

 

「―――――っ!!」

 次の瞬間、少女は口を手で塞がれ、小さな体は野太い腕によって強引に抱え込まれる。

 叫ぼうにも、声を出せない。

「――! ――!」

 たすけて。

 その悲鳴すら、少女は発せられないのだった。

 

 ただ、自由な方の手だけを、必死にトイレの出口へと伸ばす。

 それが少女にできる、ごくわずかなSOSだった。

 

 

「おっせぇな……。大でもしてんのか?」

 

 靴音をかつかつと鳴らしながら、オスマンはぼやいた。

 エルフの少女が誰かに見つかりはしないかと、落ち着かない様子で、女子手洗いの出入口を五メイル以上も距離を取って眺めている。

 もっとも、こんなに距離を取っているのには理由があった。

 先ほどまで入口の近くでそわそわしていたせいで、通行人たちから完全に『不審者を見る目』を向けられていたのである。

 

 このままでは警邏を呼ばれかねない。

 別の意味で危機感を覚えたオスマンは、やむなく今の位置まで下がっていたのだった。

 だからこそ。少女が、別の誰かに攫われかけていることに気づくのが、ほんの数分遅れた。

 

 

「終わったよ、オスマン」

 その間に、どうやらヒンメルの方が先に換金を済ませてしまったらしい。

 再び膨らみと重みを取り戻した共用財布を手に、ヒンメルが戻ってくる。

 

「どうしたんだい? あの子は?」

「まだかかってるみてえだ。化粧直しってわけでもねえだろうに、何をそんな時間食ってんだか……」

「お前の口から『化粧直し』って言葉は聞きたくなかったな、シンプルにきめぇ」

「うるせぇボケソード。てめえも少しはお色直しでもしてみやがれってんだ。サビサビボディのくせによ」

 デルフと口喧嘩しながら、オスマンは親指で、後ろの女子手洗いの出入口を示した。

 そこでは数人の女性たちが、ぺらぺらと談笑しながら中から出てくる途中だった。

 

(……?)

 ヒンメルは違和感を覚えた。

 彼女たちが中へ入ったのなら、少なくとも少女と鉢合わせている可能性が高い。

 

 ならば、あの長耳を見られて何か騒ぎになっていてもおかしくない。

 悲鳴の一つくらい上がっていても不思議ではないはずだ。

 

 何かあった。

 そう思った瞬間、ヒンメルは意識を研ぎ澄ませる。

 

 厚い雲に覆われた夜空。

 その切れ間から差し込む、わずかな月光に照らされて――。

 煌めく金髪が、黒い影に抱えられたまま、遥か上空へ運ばれていくのが見えた。

 

 

「――――オスマン!!」

「ッ!?」

 

 

 ヒンメルの声に、オスマンも素早く反応する。

 その間にも、ヒンメルはデルフを抜き放ち、大樹の根元、十メイル以上せり出した巨大な根へと、一気に跳躍する。

 オスマンは『飛翔(フライ)』でヒンメルよりも更に上空。黒い影を追うように、猛烈な速度で飛び上がっていった。

 

「てめぇ! 待ちやがれ!」

 

 怒声を張り上げながら、少女を攫った影へ迫る。

 魔法を撃ちたい。

 だが、いかに若き天才と呼ばれるオスマンでも、この時点では『飛翔しながら別系統の魔法を同時行使する』ことまではできなかった。

 それでも、速度はこちらが圧倒している。

 世界樹の枝が目前へ迫る頃には、もう手が届きそうな距離にまで接近していた。

 だが……。

 

「うおっ!?」

 突如、オスマンの頭上から『魔法の矢(マジック・アロー)』の雨が降り注ぐ。

 

 どうやら増援だ。

 枝の上には、数人のマント姿が並んでいた。その全員が、オスマン目掛けて魔法を乱射してくる。

 一方こちらは、飛翔維持に集中しているせいで迎撃できない。

 

 次の瞬間。

 無数の魔法の矢が、容赦なくオスマンの身体を貫いていく……。

 

 

「なめんなボケぇ」

 

 

 貫かれたのは『偏在(ユビキタス)』だった。

 少女を追いかけると決めた時点で、オスマンはすでに『偏在』を一体生成していたのだ。

 先ほどまで派手に追跡していたのはそちら。本体は枝から枝へ飛び移りながら密かに飛翔し、精神力の消耗を抑えていた。

 

 そして今。

 攻撃によって偏在が消滅した瞬間、一瞬だけ光った魔法の発射地点を、オスマンは正確に捉える。

 

 杖を振る。

 刹那、数十にも及ぶ『魔法の矢(マジック・アロー)』が、夜空を裂いて殺到した。

 それは偏在を撃ち抜いたマント姿の集団へ向かい、一気に伸びていく。

 

 対して、相手側は対応できなかった。

 オスマンは、魔法の矢に身体を貫かれていく影たちの姿を、はっきりと視認する。

 

「悪く思うなよ」

 重力に従って落下していく人影を見下ろしながら、オスマンは冷たく呟いた。

 向こうも殺す気で来たのだ。お互い様である。

 

 その時。

 オスマンの頭上を、黒い影が一瞬で駆け抜けていった。

 過ぎ去る背中を見て、それがヒンメルだと分かる。

 オスマンも後を追おうとした……その瞬間。

 

「っ、なにぃ!?」

 突如、背筋を刺すような殺気。

 オスマンは咄嗟に身体を捻る。

 

 次の瞬間、『魔法の矢(マジック・アロー)』が頬を掠めて通過した。

 悪寒が走らなければ、今ので串刺しになっていただろう。

 

(間違いなく急所に入れたはずだぞ……なんだ、あいつら……!?)

 

 飛翔をやめて世界樹の枝に着地してから『暗視』を発動し、オスマンは下方を見下ろす。

 そして、目を見開いた。

 先ほど撃ち落としたはずのマント集団が、地上から再び魔法を放ってきている。

 五十メイル近い高さから落下したにも拘らず、だ。

 

(なんだよ、こいつら……! 本当に人間か!?)

 

 中には、手足が折れているにも拘らず、痛みそのものを感じていないような者までいる。

 その異様さに、オスマンの背筋へ冷たいものが走った。

 

 

「待て!」

 世界樹桟橋の外縁部。

 ヒンメルは、大樹の枝から枝へと超人的な脚力で飛び移りながら、エルフの少女を連れ去った黒い影を追っていた。

 影は枝分かれした木々の隙間を、まるで針で縫うような軌道で飛び抜けていく。

 

 その速度は尋常ではない。

 だが、縦ではなく『横』へ移動している以上、足場を使えるヒンメルの方が速かった。

 ここまで来れば、巨大な世界樹の枝そのものが彼の足場となるからだ。

 

 それでも、中々距離を詰めることができない。

 道中、ヒンメルの行く手を阻むように、次々とマント姿の影が襲いかかってくるからだ。

 

「――――相棒!」

「ああ!」

 

 一本の枝へ着地した瞬間、デルフが叫ぶ。

 ヒンメルも、すでに気づいていた。

 

 死角へ潜んでいたマント姿の男が、突如杖を引き抜き襲いかかってきたのだ。

 男は杖へ『剣化(ブレイド)』を施し、一足飛びでヒンメルへ迫る。

 

 一方ヒンメルは、デルフの柄でその刺突を弾き流した。

 敵の体勢が、一瞬だけ崩れる。

 

 その隙を逃さず、ヒンメルはデルフを地面の枝へ突き立てると、空いた両手で相手の左襟と右袖を掴み、そのまま足を払った。

 

 一見すれば、それだけの動き。

 だが次の瞬間。

 男の身体が、まるで暴風に巻き上げられたかのように宙へ浮き上がる。

 

 ――『山嵐』。

 佐々木武雄より教わった、『柔術』の技の一つだ。

 

 彼から学んだのは、何も剣術だけではない。

 素手で相手を制圧するための武術も、数多く叩き込まれていた。

 

 空中で為す術なく回転した男は、そのまま大樹の枝へ凄まじい勢いで叩きつけられた。

 そして、潰れた蛙のようなうめき声を漏らした。

 

「行くぞデルフ!」

 

 枝へ突き立てていたデルフを引き抜き、ヒンメルは再び駆け出した。

 再び道中、下から上から左右から、魔法の矢が飛んでくるが、それをヒンメルはデルフ一本で次々と捌いていった。

 致命傷を負うような危機こそない。

 だが、こうして絶えず横槍が入るせいで、どうしても距離を詰め切れない。

 

(数が多い……、懸賞金目当ての傭兵団じゃないな)

 

 魔法を使ってくるという事は、メイジであるということ。ただの傭兵たちじゃこんな芸当はできない。

 じゃあ貴族たちが直にエルフを捕えに来たのか……? とも考えるが、さっきから影での不意打ちばかり。とても名誉を重んじる戦い方じゃない。これだけ相手して、誰も名乗らないのは妙だ。

 それに、異様に彼らは『タフ』である。先程投げ飛ばした人影が、すぐ復帰して後ろから追いかけてくる。オスマンもかなり苦戦しているようだし。一人一人が異様な強さを持ち合わせている。

 

 一体、この黒マントの集団は何者なんだ?

 

 そう考えている間にも、エルフの少女を攫った影は、ゆるやかに高度を下げていく。

 

 視線の先。

 一本の巨大な枝の先端へ、黒い船が静かに停泊していた。

 宙に浮かぶその異様な船こそ、『宙船』なのだろう。

 

 どうやら、あの集団はあれに乗って現れたらしい。

 事実、少女を抱えた影は、その黒い船へ向かっていた。

 

 ヒンメルも速度を上げ、後を追う。

 一方、船側も目標を回収したことを確認したのか、枝へ繋がれていたもやいを解き始めていた。

 

「相棒! このままじゃ、あの船に飛び乗れねえぞ!」

 

 デルフが警告する。

 だが、ヒンメルは速度を一切緩めなかった。

 すでに少女は、あの船へ連れ去られている。

 宙船は世界樹から離れ、ゆっくりと空へ浮かび上がっていく。アルビオンへ向かうつもりなのだろう。

 

 このまま、みすみす攫わせるものか。

 ヒンメルは、大樹を蹴る脚へさらに力を込めた。

 

 

「名前も分からないまま、さよならにはさせないよ!」

 

 

 枝の先端へ辿り着いた瞬間。

 ヒンメルは迷わず跳躍した。宙船へ飛び移るために。

 

 だが……さすがの彼でも、それは少々無茶な距離だった。

 伸ばした指先は、あとわずかに届かない。

 

 飛ぶ術を持たないヒンメルの身体が、そのまま重力に引かれ落ちかける。

 その瞬間だった。

 

 

「ったく! お前は本当に無茶しやがるな!」

 

 

 ギリギリ『飛翔』で追いついてきたオスマンが、バレーボールのトスの要領で、ヒンメルの足場となる。

 

「ナイスタイミングだオスマン!」

「おれがこなきゃどうする気だったんだよ馬鹿野郎!」

「きみは来るって信じて賭けた! そして、その賭けに勝っただけさ!」

「……ったく! この貸しはでけえぞ! 後でまた酒奢れよ!!」

 

 オスマンという『足場』を得て、ヒンメルは再び宙へ跳ぶ。

 今度こそ、その身体は確かに宙船の甲板へ着地した。

 夜風にマントを翻しながら、ヒンメルは少女の攫われた船へ乗り込む。

 

 当然。

 そんな彼を迎えたのは、数十にも及ぶ杖の切っ先だった。

 

 それでも連中は、誰一人としてフードを外さない。名乗りもしない。

 ただ、無言で杖を向けてくる。

 まるで――『動くだけの人形』を相手にしているようだった。

 

 その異様な空気の奥。

 押さえつけられているエルフ少女が、涙を溜めた瞳でヒンメルを見つめていた。

 

 ヒンメルはデルフを手に、静かに立ち上がった。

 雨脚が強くなる。

 頭上にアルビオン大陸が迫っている影響か、霧混じりの雨が船上を激しく打ち始めていた。

 短く切り揃えた青髪が、雨粒を受けて淡く光沢を帯びる。

 それを見た敵の一人が、杖を振り上げた。

 

 魔法を放とうとした、その瞬間。

 腕が『魔法の矢(マジック・アロー)』によって切断される。

 

「ヒンメル、こいつらはただ強いってわけじゃなさそうだぞ。さっきから殺す気で魔法ぶち込んでいんのに、全然死にやがらねえ。気をつけろ」

 

 オスマンの警告を裏付けるように。

 腕を切断されたメイジは、悲鳴一つ上げなかった。ただ無言で地面へ落ちた腕を見下ろし、やがてそれを拾い上げる。

 やがて、その腕を別の手でつかみあげると、強引に、断面へ押し当てた。

 本来なら繋がるはずもない。それなのに、腕は何事もなかったかのように動き始める。

 

 亡者(アンデッド)か? いや、それにしては彼らからは生前の人間のような躍動感を、まだ少しは感じる。

 いったいこれは何なのか、さっぱり分からないが……、こんな異形の連中に、あの少女を絶対渡してはならない。

 それだけは、はっきりと分かったヒンメルだった。

 

 

「少しだけ待っていてくれ、必ず助ける」

 

 

 ヒンメルは決意を宿らせた瞳と声を、異形の群れの中で囚われている少女に向けて送る。

 その声を合図に向かってくる集団に、濡れていくデルフの刀身で迎え撃った。

 

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