白の国アルビオン。
ハルケギニアの西で広がる大海。その上空、高度三千メイル以上に及ぶ浮遊大陸だ。
浮遊の歴史は長く、噂では始祖ブリミルが『聖地』より降誕する前から浮いていたとも、かの始祖の『御業』によって大陸を浮かせたのだとか、色々な説が今も囁かれている。
そんなわけで、いつ頃からこの大陸が宙に浮いたかは定かではない。だが、この大陸がどうして浮いているのか、その原理については判明している。
大陸の中に埋まっているという巨大な精霊石……『風石』による異常暴走というものだ。
その力が続いているからこそ、白の大陸は今もなお『浮遊大陸』としての側面を持ち合わせている。
「浮遊大陸に偽りなしだな、これは」
フリーレンたちが落下した場所は、ある程度周囲を見渡せる山脈の端だった。
彼女はまず、周囲の景色を何となしに眺めていた。
空は台風が止んだのか、曇り空一つない晴天が澄み渡っている。
眼下は生い茂る森と草原。薄い緑と雄々しくそびえる白い山、山頂を横切る雲。なんとも美しい景観だ。
こんな状況でなければ、暫くこの光景を呆けて見ていたい気持ちなのだが……。
「ちょっとフリーレン、あんたも手伝いなさいっての」
「ごめんて、マチルダ」
フリーレンはしょぼしょぼ顔をしながら、再び『作業』に戻る。
彼女の背後には、飛び出たタイヤをゴーレムで運ぶマチルダと、飛び散った部品がないかを調べるコルベール、怪我したグリフォンの世話をしているワルド、そしてタイヤが飛び出て破損していたケネディジープの方に目を向けた。
「あんたしかこの『ジープ』ってやつを直せないんだから、あんたが止まっちまうとずっと作業が進まないじゃないのさ」
「分かってるって」
マチルダのボヤキを聞き流しながら、フリーレンは『左手の甲』を光らせる。
魔法で上手く落下衝撃を緩和したため、乗組員は無傷で済んだ。
ただ、ジープそのものまでは上手く庇えなかった。タイヤは飛ぶわ、いろんな箇所が断裂するわの惨状だ。
「あぁぁ……。せっかくのジープが、あぁ……シエスタ君になんてお詫びすればいいのか……」
特にこの惨状にショックを受けたのがコルベールだった。
彼は非常に情けない表情で、どうにか直せないかと必死に修繕作業に入っている。
彼がここまで苦しんでいるからこそ、フリーレンも「置いておけばいいのに」とか薄情なことを言えず、修繕作業に入ることとなったのだ。
幸いにも、こういう作業でも『ガンダールヴ』の効力は覿面だった。
どうすれば直せるか、フリーレンの解析能力も加わったおかげで、ほぼ無知の状態であるにも関わらず、この『車』という、未知なる道具の細部、どこが悪いのか、原因は何か、どうすれば直せるのかが分かっていたのだ。
「タイヤが飛んでるのもあるけど、ジープの底部で諸々が断裂しているみたい。まあ、魔法でなんとか直せそうではあるけど」
それを聞いたコルベールはもう、大量の汗を浮かべた額を、安堵のため息と共にぬぐった。
幸い、スパナやレンチなどの工具類は車の中に収容してあったため、応急対応は可能だ。
フリーレンは再び、ジープの底に潜って工具類を使い、悪い原因を調べてながら応急処置を始めた。助手はコルベールだ。
「ミス・フリーレン。差し支えなければ私にも修理方法を教えてはもらえませぬか?」
「暇があればね」
フリーレンは暗闇の中、『ガンダールヴ』の光量を頼りにスパナを動かす。左手の甲を動かして、そこから放つ光をライト代わりにしていた。
「まったく、ガンダールヴ様様だ」
これを作った技術の高さにも目を見張るけど、初見でなおここまで分析、対応してくれる『神の左手』の能力には感服するばかり。
これを作ったブリミルはやはり、師匠フランメに並ぶ天才だなと、フリーレンは改めて思った。
数十分後、顔や髪や服が煤まみれになったフリーレンが顔を出す。白を基調とした身体なので、余計に汚れが目立っていた。当人は気にしてなさそうだが。
「後は飛んでったタイヤだね」
そう言うと、フリーレンはマチルダが持ってきたタイヤを、飛び出た個所に再設置する作業に入る。
「フリーレン、ぼくも何か手伝えないかい?」
「大丈夫だよ、ありがとうワルド」
「……あんた、グリフォンはどうしたの?」
マチルダが尋ねる。ワルドはさっきまで、乗っていた愛獣グリフォンの看病をしていたのだが……。
「台風の中、無理させてしまった。翼が折れたようでね、ここでしばらく休ませることにした」
「てことは、足を確保する意味でもこの『ジープ』ってやつには動いてもらわないとだね」
ワルドの背後には、翼に包帯が巻かれているグリフォンが見える。
アウラのこともある。移動手段としてこの車を確保するのは悪い選択肢ではないことだろう。
「よし、大体何とかなった……と思う」
そこから更に、二時間以上かけて『車』を直したフリーレン一行。
一応、ガンダールヴの助言には全部従ったし、こうして触ってみても『問題ない』と帰ってくるから、これで直ったのだと思いたい。
「じゃあ乗って。日が暮れる前までに街に行きたい」
フリーレンが運転席に乗り、助手席にコルベール。
後部座席にマチルダとワルドが乗った。
「しっかし、こんな鉄の塊が自走するとは。しかも魔法を使わずに……」
「ほんと、どういう原理で動いてるんだろうね」
あんた分かる? という目をフリーレンに向けるマチルダ。
「いや、私も雰囲気と『ガンダールヴ』でこのジープを動かしているだけだよ」
そんな会話をそこここに、フリーレンはアクセルを踏む。
無事、タイヤが回り始めて排気口から煙があふれる。
流暢な動きでギアレバーを動かし、車を発進させた。
幸い、なだらかな斜面であったおかげで進行にはそこまで問題はなかった。
だが、小石を踏み抜くたびに車体が揺れ、細かな振動が座席越しに伝わっていく。
この状況に真っ先に音を上げたのがマチルダだった。ようは『車酔い』したのである。
「ふ、フリーレン……もう少しゆっくり運転できないのかい……?」
何せ、初めて乗るものだ。馬とはまた違った微細な揺れに、三半規管が耐えられなかったようだ。
「まったくだらしない。この程度の振動で音を上げるのか」
「あんたはなんで平気なのさ?」
「おれは鍛えているからこの程度問題ない」
少し胸を張って答えるワルド。
フリーレンはルーン効果で、コルベールは興奮で気になっていないらしい。
ただマチルダだけが、どんどんと顔色を青くしていく。
「どうする? 速度を落とす? でもそうすると街に出るころには多分、真っ暗になっているよ」
フリーレンは気遣ってそう言うが、マチルダはふと、脳裏に可愛い妹分の顔が思い浮かんだ。
「……いや、こんなことで挫けるわけにはいかない。もっと速度を上げて! 速くあの子を見つけ出さないと……!」
「分かった」
マチルダがそう言ったので、フリーレンはフルスロットルで車を飛ばす。
「あっ、も、もう少し揺れだけでも……」といった情けない小声は、エンジン音とうなりでかき消された。
現地人のマチルダ曰く、ここは港町ロサイスより北端に位置する、ハイランド地方の山脈の麓らしい。
「ここから南に下れば、『アンソン』という街につくはずだ」
彼女の案内に従い、朱色が混じる空の中、草原を車で走らせるフリーレン一行。
「当面の目的は『ミス・ヴァリエールたちと合流すること』でしょうな」
車を走らせている道中。助手席のコルベールが言った。
「そうだね、ルイズ達には『サウスゴータ』で会うようにさっき伝えておいたし」
とりあえず、ルイズ達の安否については問題なかった。
彼女とは『使い魔の耳目』を使えば簡易的な会話ができる。彼女たちはアニエス、シエスタともども別の方面で健在とのことだ。
ただ、着地先は『どことも分からない森の中』らしく、マチルダのような土地勘もない。
なので定期的に情報を交換しながら、合流地だけを定めた格好だ。
「でもキュルケやギーシュ、モンモランシーがどうなったかまではルイズ達にも分からないみたいだね」
「…………」
コルベールは険しい顔をする。
やはり「連れてくるべきではなかった」と思っているのだろうか……。
「ま、まあでも……あの子たちには色々と民間魔法のイロハは教えてきたつもりだから……。必要以上に心配しなくてもいいと思いますわ、ミスタ」
「教師がそのような顔で言っても説得力がないけどな」
吐きそうなのを必死にこらえているマチルダを一蹴するワルド。
「子供とて、彼らも貴族だ。こうなることは分かって船に乗ったのだろうし、我が国の姫君が拉致されたこの状況に対して、各々責務を全うすることだろう。必要以上の心配は彼らの侮辱でもあるぞ」
「いや、まあそうですが……」
「アウラが相手じゃなければ、私もワルドの言うことに一理あるとは思うけどね」
そんな会話をしていたころには、人が往来するような街道が見えてきた。
途中、『この先、アンソン街』と書かれた看板を見つけた。
「うっそ、もうここまで来たの? 速……」
「馬より速くて助かるな。このジープというのは」
ワルドも感心したような表情で頷く。
「でも、そろそろ燃料が尽きかけている。アンソン街に着く頃には動かなくなるだろうね」
「燃料でしたら私が。作り方はもう、覚えましたので」
燃料不足についてはコルベールが胸を叩く。
ガソリンの供給については問題なさそうだが、それなりにまとまった量を用意するとなると時間がかかる。この日はレキシントンで体を休め、燃料供給しながら夜をしのぎ、明日サウスゴータに向けて発進する。
そんな風に計画を練っていたところで、急に車が急停止した。
「わっ!?」と、大きな揺れに耐えきれず、マチルダは座席の背に激突した。
「い、いったいどうしたのだね?」助手席のコルベールが尋ねる。
もしかして、もう燃料が切れてしまったのだろうか?
「…………」
しかし、運転席のフリーレンは、静かな表情でハンドルを見つめている。何かを考えているかのよう。
「どうしたんだいフリーレン、燃料? が切れてないのなら早く行きなよ」
マチルダもせっつくが、フリーレンは固まったまま。
怪訝な顔つきをする三人に向かって、やがてぽつりと、フリーレンは言った。
「……この先の街にアウラがいる」
それを聞いた瞬間、車内に緊張が走った。
「な、なんで……」
「分からない。こっちを迎え撃つ気……って感じでもなさそうだけど、、奴の波長を感じるんだ」
奴が何をしているのかまでは想像できない。だが、フリーレンの魔力探知には、はっきりと彼女に近い魔力の色を感じ取ったのだ。
「少なくとも、このまま無策で突っ込むわけにはいかない。みんな、アウラに操られて終わるから」
「な、何とかなりませぬか……?」
コルベールが身を乗り出して質問する。ワルドもマチルダも、ただではやられないという意思を見せつけるが……、フリーレンは、アクセルを踏まなかった。
「……まあでも、良い機会か」
やがて、ぽつりとフリーレンは呟く。
どういうことだ? と更に身を乗り出す三人。
「あまりピンとは来ていないみたいだからね。大魔族の魔法は人知を超える。その威力をみんなが知る、良い機会ということだよ」
アンソン街。
白を基調とした石造りの家々が並ぶ、穏やかな色調で彩られた街。
平時であれば、そこには派手やかとは言わないまでも、陰気なものでは決してない、人々の交流がそこここに繰り返されている暖かな街であったことだろうが……。
アンソン街は、燃えて
白造りの家々は今、煙と埃、そして血で汚れている。
家々の屋根は崩壊し、穴が開き、壁のレンガは崩れてただの瓦礫の山々と化している。
ついこの間まで、数百人の人々が暮らしていたかの街は、煙硝と踏み荒らされた人間の足跡、そして死臭で埋まっていたのだ。
「うぅぇぇ……ん」
そんな荒廃とした街の中心で、一人の少女が泣いていた。
なんてことはない、この街で暮らしていた平民の少女。
少女は今、地面で寝ている……ついさっきまで『生きていた』両親の遺体の前で膝をついていた。
「おとぉ、さん……おかぁ……さん」
「死んじゃったわね」
そんな少女の真横に、アウラはやってくる。
今にも起きないかと、遺体を揺する少女の横へと。
「あんた達人間って、いつもそうよね。そう簡単に死んだって、認めたくないっていうか。どう考えたって『これで』生きているは無理があるのに」
アウラは二人の遺体を無表情で見下ろす。この少女の両親は、必死になって街を脱しようとしていた、何処にでもいる平民の家族だった。
操って引き返させても良かったけど、
それでこの子の両親はあっさり死んだ。走れば逃げ切れたかもしれないだろうけど、足の遅い自分の子供を、その身で盾にする形で。
「それで自分の子供だけ残して逝って、馬鹿じゃないの? この子が私から逃げ切れると思っていたのかしら、この二人は」
「ひぐっ……」
少女は涙を流して、絶望を浮かべた表情を、両親の仇である、アウラに向ける。
「どうして、どうしてお姉さんは……こんなことするの?」
「理由……か。人間って本当に、私達魔族に理由を求めるわよね。それ聞いたら納得するの?」
『なんでこんなことするんだ』
『私たちが何をしたの?』
『お前らには慈悲の心はないのか』
ハルケギニアに来る前から、五百年かけて聞き続けた質問。
それに対し、アウラはいつもこう答える。
「理由なんてないわ。『あなた達人間がそこにいたから』、それじゃあダメかしら?」
五百年前から、決して変わらない感想だ。
ここでアウラは「さて……」と、折っていた膝を伸ばして立ち上がり、少女を見据える。
「逃げないのね、まあいいわ。
少女はもう、死んだ顔をしていた。アウラの魔法の所為じゃなく、状況がそうさせた。
この街、アンソン街は昼頃、突如やってきた、アウラが率いる首無し軍勢によって、蹂躙されたのだ。生き残ったのはこの少女のみ。
アルビオンの中でも数ある街の中で、ここを狙った理由は、一応アウラの中ではあった。
「この街の近くで
少女は首を横に振った。アウラは嘆息する。これで文字通り『全滅』か。
この質問をするためだけに、アウラは意味も無く村人を絶滅させたのだ。平民だから戦力足りえない、操っても仕方ない。かといって食うわけでもなく。
ただ、
五百年以上続く、アウラなりに考えた『人を襲う理由』だ。
「あっそ、もういいわ」
アウラの言葉はそっけない。元々期待していたつもりは無かった。
少女は再び泣き始める。そんな彼女に向けて、大魔族は無情に告げる。
「で、どんな死に方がお望み? 剣で串刺し? 斧で真っ二つ? それとも、両親と同じように矢で蜂の巣がいいかしら?」
一応、アウラなりに考えた末の発言。
どうせ死ぬなら親と同じ死に方の方が良いだろうという。これでも彼女なりの慈悲なのだ。
これを聞くと人間は決まって『どこが慈悲だ!?』って、叫ぶけど。
一応、この娘で街の人間は全て消えることになるので、最後くらい、何か別なことをしたいとばかりにそう提案したのだ。
少女は答えない。もう、生きる希望すら見いだせてなかったから。
早く終わらせて、パパとママの所へ行きたい。目がそう語っていた。
アウラは目を細める。あれはもう駄目だ。こちらの言葉に反応しない表情だ。幾千幾万と絶望する人間の表情を見てきたのだ。そういう事だけはすぐに推察できる。
アウラはそれ以上何も言わず、背後で聳える百もの軍勢へと歩を進める。
大魔族の姿が軍勢に紛れると同時に、一人の首無し騎士が一歩前に出て、弓に矢を番える。
この距離だ。さっきのように何十と撃つ必要もない。もはや的当てゲーム感覚で、少女の頭を射抜こうとした時だ。
突如、その弓を番えていた騎士が、風によって吹き飛ばされる。
それだけじゃない。続けて飛んでくる火球や雷撃、魔法の矢が、アウラの忠実なる死人兵に突き刺さっていった。
「そこまでだ!」
そう言ってこちらに向かってくるのは、アルビオンの紋章を鞍につけた、竜騎士たちだ。
上空で魔法を射かけ、アウラの軍を吹き飛ばしていく。
更にその竜騎士の下には、地上軍とも形容すべきだろう……数十からなる、これまたアルビオンの鎧兜を身に纏った騎士隊がやってきたのだ。
「貴様の狼藉も、ここで終わりにしてやる! 悪魔め!」
その中でも特に豪華な装飾に身を纏った騎士が、大槍のような杖を掲げて叫ぶ。
アルビオンを篭絡したアウラだったが、軍の全てを掌握したわけでは、まだない。
ウェールズが堕ち、港は抑えられ、城を取られてもなお、アウラの暴挙を許してはおけないと。
残った貴族たちは団結して、アウラ軍に対する『
どうやらこの軍も、アウラの足跡を追っていた連中の一団のようだ。
「悪魔、悪魔ねえ……」
一方、これを見たアウラはくすりと笑う。
兵を魔法で吹き飛ばされたにもかかわらず、それを気にも留めない様子で。
「今あなた達が吹き飛ばした人間たちは、元はあなた達の仲間なのよ? それを吹き飛ばしておいて、私だけ悪魔呼ばわりは無いんじゃないかしら?」
「……貴様の戯言に耳を貸すつもりは無い! ここで必ずその首を討ち取り、ハヴィランドに永劫晒してくれる!」
金色兜の騎士隊長が、大槍を掲げて宣言する。
そして、二メイルはあろうかという杖をアウラ含める軍へと向ける。
するとそこから、大規模の稲妻が飛んできた。どうやら隊長は『風のスクウェア』クラスであったらしい。
衝撃が空気を震わせ、稲光が迸り、遅れて音が、街全体へと響き渡る。
「さすが、『雷槍』の二つ名で知られるドライグ殿だ。あの首無し軍勢を一撃で消し飛ばしてしまった」
離れてそれを見ていた騎士の一人は、迂回して生き残りの少女を助けながら、目の前の光景を見て言った。
彼の眼前には、雷槍の一撃により、ドミノ倒しの如く吹き飛んだ首無し騎士たちがいた。
「あ、あの……」
「大丈夫だ。ぼくたちは味方だ」
少女を助けた騎士は、安全圏まで離れながら、そう言った。
「ぼくはボーウッド。ヘンリ・ボーウッドだ。ついこの前まで『ロイヤル・ソヴリン』の改装艤装主任を任されて……って、これはもう関係ないか」
たはは……と呟きボーウッドは少女の手を取る。
本来、船の重鎮たる彼もまた、こうして反抗軍の一人として加わっているのである。
「きみの両親や、ここの民については申し訳なかった。でもぼくら王政府も手を拱いていたわけじゃない。時間はかかったが、ここから巻き返しの時さ。アイツを討って、必ずこの国を平穏に戻すから――――」
「むりよ」
ボーウッドの励ましに、まるで冷や水を浴びせるかのように断言する少女。
あまりにもきっぱり言い切るものだから、ボーウッドも一瞬、言葉に詰まってしまう。
「む、むりって……きみ、あれを見ただろ? うちの隊長はわが軍屈指の精鋭だ。色んな戦を渡り歩いてきた本物の無双人。彼女さえいれば、『あの時の反乱』を食い止められただろうって人さ。だから何も心配いらない……」
「むりよ。どうせ、くるっちゃうから」
狂う?
どういうことだ? ボーウッドは怪訝な顔で、少女の言葉に耳を傾ける。
「みんな、みんな正気を失っちゃうの。あのお姉ちゃんの『天秤』が、みんなをおかしくするの」
「天秤……?」
刹那、轟音が再び轟いた。
ボーウッドは慌てて背後を向く。さっきと同じ規模の魔法。『雷槍』の隊長殿が、また魔法を撃ったのか?
そしてボーウッドは唖然とした。
何故か、その隊長は
「どうせおじちゃんたちも、くるっちゃう」
何度も見てきたのだろう。
少女の諦観の声が、ボーウッドの背後で聞こえてきた。
さて、こんなことが起こる数秒前。
確かに最初の雷撃で、数十を超える首無しの大群は、物言わぬ死骸となり果てた。
だが……。
「良い威力。気に入ったわ、あなた」
アウラだけは、平然と隊長格の大槍を手で添えながら、悠然と呟いていた。
開いた片手は、天秤が握られている。黒々とした焔を乗せた秤が、大きく傾いた天秤だ。
「な……が……」
「あなたくらい鍛えている人だったら、まあ『首を落としていてもいなくても』、そこそこの強さは担保されているわね」
で、どうする? アウラは尋ねる。
「くび、いる? いらない?」
悪魔のような笑みを浮かべて尋ねるアウラ。
まるで己の体とは思えない、その命令に従いそうになるのを……、しかし、腐っても隊長、そこは強靭な精神力で跳ねのける。
「……もとより、命などとうに捨てた身! 我が滅び……ようとも、きさまさえ、討てれば……本望!!」
甲冑の奥の瞳をぎらつかせながら、アウラの命令には決して屈しないと。
隊長ドライグは、至近距離にいるのならこれ幸いと、そのまま大槍の杖に雷撃の魔力を纏わせる。
このまま暴発させて、自分ごとアウラを焼き滅ぼそうとしていたのだ。
こんな状況にも関わらず、しかしアウラは涼しい顔。
「あっそ、撃てば? 後悔するわよ」
「お望みどおりに!」
隊長はそのまま、雷撃を
巨大な衝撃と稲光が、何も分からず佇んでいた地上軍へと襲い来る。
「――――ち、違う! 待て! そっちじゃ……!」
隊長は慌てて叫ぶも、時はすでに遅し。
誰もこんなことになるだなんて想定してなかった。だから魔法による対応など、誰もできなかった。
煙が晴れた時にはもう、百はいた筈の軍勢は半壊していた。
誰もが皆、どうしてこうなったか、理解ができない顔で死んでいた。
「あなたの魔力操作、ちょっと癖があったみたいね。こうして触ればよりよく分かるわ」
一方、アウラはくすりと笑いながら、隊長ドライグの腕から胸へ、胸から首筋を妖艶になぞっていく。
「ちょっといじっちゃった。頭じゃ逆らっても、身体に流れる魔力の流れは正直なものよ。ちょっと細工することなど、造作もないわ」
なので、暴発させるはずだった魔力を、上手く流動させて『いつも通りの放出へと、無意識化で変えた』。
命令に逆らうあまり、それに気づかなかった隊長は、哀れ己の軍隊を自ら焼いてしまったのだ。
「え、エマッグ……グリッソン……、ラドフォード……、サルオン……」
隊長は呆然として名前を呼ぶ。どうやら親しかった者の名前らしい。
だが、隊長がいくら読んでも、その名前を上げた者は返事すらしない。
「あーあ、やっちゃったわね。だから言ったじゃない。『後悔するわよ』って」
一方、アウラはこれ以上ない下衆顔を浮かべて、隊長に告げる。
「どっちが悪魔か、これじゃあもう分らないわね。この
この言葉で、隊長の支柱は折れた。
己の魔法で親しき人を焼き殺した。これはもう、どうあがいても変わらない事実。
こうして絶望した人間に、新しく鍛えた〝
「もう一度言うわね、跪きなさい」
今度は、隊長は反抗しなかった。
大槍を地面に携え、臣下の礼で、隊長はアウラの前にひざまずいた。
「な、なんで……」
その様を、隠れて確認できる場所で見ていたボーウッドは、ただただ茫然とするしかなかった。
この少女の言った通り、隊長ドライグは乱心したかのように。
何故か雷の魔法を仲間に撃って自軍を壊滅させ、敵と見据えた相手に頭を垂れていた。
「た、隊長……どうして……」
ボーウッドはなにがなんだか、分からないとばかりに呟くしかなった。
アルビオン首都、ハヴィランドで起こったという『皇太子反乱』からこっち、不可思議な現象ばかりが起こる。
ようやくその元凶があの女にあると気づけたのも、つい最近だった。
故に、奴さえ討てれば、この悪夢は終わると思い、数をかき集めてこの戦に望んだというのに……!
「さぁて、じゃあ改めて命令するわね。『上の鬱陶しい蠅を、その槍で撃ち落としなさい』」
一方、アウラは嬉々とした顔で隷属した隊長に命ずる。
隊長は、尚も身体を震わせ反抗の意思を見せたが……、もはやか細い抵抗にしかならず。
数秒後には、その大槍を上空で旋回する……竜騎士たちに向けて撃ち放った。
「な、何が起こって……!?」
「ぐぁ!?」
「隊長が! 隊長が乱心されたぁ!!」
地上から飛んでくる雷撃の嵐は、それだけで竜騎士隊を紙屑の如く吹き飛ばしていく。
騎士隊は碌な対処が……離脱すらできなかった。それはただ、突如として隊長が乱心したからというわけではない。
「お、おい動け!」
「やめろグリーズ! 何故こっちに向けて魔法を撃つ!?」
「ど、どうなってんだ! 俺たち仲間だろ!? やめっ――――!」
そう、この雷撃の嵐に乗じて、何故か乗り物の竜が反乱を始めたり、仲間同士で同士討ちを始めたり、いきなり自分の竜を傷つけ始める手合いまで現れる始末。
このせいで、指揮系統が乱れに乱れた。互いが互いを傷つけあう。第三者からは
逃げることも、戦うこともできず、空を見張っていた空軍も、あっけなく散り散りになっていく。
「あはっ、まだこれだけ活きのいい人間たちがいたのね。この街に来たのも、満更無駄ってわけじゃなかったみたいね」
五分経たず、空を覆っていた竜騎士たちは撃ち落とされていた。
代わりに、彼女……アウラに傅く兵と竜だけが、異様に増えた。
(な、なんなんだ、あの化け物は……?)
これを影で、助けた少女と見ていたボーウッドは、動揺を抑えるのに精いっぱいだった。
あんな化け物、聞いたことない。エルフよりも恐ろしい亜人なのではないか……?
あんなのがアルビオンから解き放たれたら、他の国は、いやこの世界は、一体どうなってしまうのだ……!?
そんな危機感さえ、今頃になって持ち始めていた程。
「いったでしょ、みんなくるっちゃうって……、街のみんなも、あんなかんじで……」
少女はもう、全てを諦めきった声と顔に、ボーウッドに向ける。
ボーウッドは錯乱しそうになるのを必死になって堪える。とはいえ……守るべき民である少女がいなかったら、一人だったら発狂している自信があったが。
(なんだ……? 我々は……どうやったら奴を倒せるというのだ……?)
この国の切り札たる巨艦『ロイヤル・ソヴリン』はすでに奴の操る私兵に押さえられている。
空軍としてのパワーバランスすらも劣勢と言っても過言ではないのだ。
だからこそ、短期決戦を挑んだというのに……。
本気で絶望を覚えているボーウッド。
そんな、瓦礫の中へと隠れていた彼らを、一体の首無し兵が襲う。
先の『雷撃』を逃れた、最初から操られていた兵の一体だろう。振りかぶった斧を、ボーウッドは風魔法を使って何とか逸らす。
「ぐっ……、くそぉ! 何故ここがバレた!!」
しかし、そうして魔法を使ったところで、敵は一体だけでない、二体、五体、十体、二十体。敵は鼠のようにわらわらと増えていく悪夢。
とうとうボーウッドは、隠れていた場所から追い立てられる。少女も勿論連れていたが、大通りのど真ん中。もっと言うなら、アウラと視線が合う地点まで来てしまった。
そのアウラは、まるで品定めするようにこちらを見てきた。
その瞬間、ボーウッドのこれまでの人生の中で、最大級の恐怖というものを初めて抱いた。
アウラは無言で、ただにやりと口の端を歪める。それだけでボーウッドは足先が、生まれたての鹿のように震えてくる。
何故かは分からない。でも、『もう自分達は助からない』。
それだけは嫌というほどに分かる警鐘。
全身から汗を拭きだし、魔法で反抗する術すら『無駄』としてしまうほどの戦慄。
未知の化け物に自分の全てを食らわれるような、悍ましいイメージが、彼女のどす黒い瞳を見た瞬間に思い描けてしまった。
やがて、アウラの持つ天秤……片方が異様に傾いたそれを、ボーウッドに向ける。
ボーウッドは目を瞑った。殺すならいっそ、殺してくれと言わんばかりに……。
そんな彼の耳に、彼女……アウラの言葉が聞こえてきた。
「随分と荒々しい登場じゃない」
――――へ?
それは、ボーウッドに向けられた言葉ではない。別の誰かが来たのだろうか。
ボーウッドは目を開ける。そして、ふと背中を向けると……。
轟音を立てた鉄の塊が、死兵の群れを突っ切ってアウラの元へ向かっていく光景だった。
「――――うおっ!?」
ボーウッドは少女を庇って慌てて回避する。
その横を、馬より速い速度で駆け抜けた『それ』は、一気にアウラとの距離を詰めていく。
恐らく、アウラを轢き殺そうとしていたのだろう。それぐらい、殺意の籠った突進だった。
しかしアウラもまた、それに気づくと首無し兵たちを肉盾にして守りを固める。
鉄の塊を操縦している『主』は、それに気づくとハンドルを素早く横に切って、アウラから見て右方向へと移動先を変える。
「あら、逃げるの?」
アウラは離脱していく、『走る鉄館』を見据えて従僕たちに命じる。
首無し兵は速やかに動き、数多の矢を去ろうとしていく鉄館に射掛けた。
「コルベール、運転代わって、ここから離脱して」
「は、はい!」
操縦席でそのようなやり取りの後。
走り去っていく鉄の塊から、一人の少女が飛び立つ。
その者は二つ結びの白髪を揺らしながら、紅玉を備えた長杖を振り回し、巨大な防御壁……。六角形の半透明型の障壁を生み出す。
その障壁は、車に向かって飛んでいた全ての矢を、悉く弾いていった。
「しばらくぶりだね、アウラ」
「そうねえ、約三年ぶりかしら。帰ってきたわよ。フリーレン」
二つ結びのエルフの少女……。フリーレンは宙に浮き、眼下のアウラを睨み据える。
対するアウラもまた、得意の『服従の天秤』をその手に持って、フリーレンを見上げた。