腹へった。この胃がきゅうきゅうと収縮して痛む感覚も随分と懐かしい。麦粥なんて上等なもの、久しぶりに食べたもんなあ。くそまずかったけど人間の食べ物だったもんなあ。もっと食べたかったなあ。あれじゃあ全然足りないもんなあ。
──ゆさゆさ。
しかしまあ奴隷堕ちか。とうとうというべきか、ようやくというべきか。人間として生きていく段階なんてとっくに過ぎてたもんな。というかよく奴隷商があんな辺境の開拓村まで来てくれたな。もっと早くに来てくれたら、もうちょいマシな状態で売られたんだろうけどな。果たしてこんな餓死寸前のガキにいくらの値がついたんだか。
──ゆさゆさ。
あの二人は生き延びられるだろうか。おれがだいぶ食っちまったせいでほとんど食べさせられなかったもんなあ。そもそも三人で粥一杯は少なすぎるだろ。なんなら一人三杯あったって足りないって。ケチくせえな。
……なんて言ったらもう二度と出てこないだろうな。あの巨漢が一発ぶん殴ったらおれなんて即死だろうし、飯くれるうちはなるべく従順に振る舞わないとなあ。
──ゆさゆさ。
これからどうなるんだろうな。こんな死にかけのガキなんて、良くて性奴隷か愛玩奴隷、もしくは鉱山やらで死ぬまで働かされるか、最悪肉食獣のエサか人体実験か変な儀式の生贄か。前世でオタクコンテンツに触れてきたせいでろくな想像が出来ねえや。
あーあ。俺ツエー系主人公様に買われて美味いもん食べながら奴隷とは思えないくらい悠々自適に暮らしてえなあ。そしたらめちゃくちゃ感謝して媚び売るし太鼓持ちするから。全肯定するわ。美味い飯食わしてくれるなら。無理か。そんなやつが本当にいるならこんな死にかけじゃなくて普通に年頃の可愛い子選ぶだろうしな。世知辛い世の中だわ。夢も希望もありゃしない。
──ゆさゆさ。
しかしなんださっきからこの感触。妙に居心地が悪い。脇腹を押されているような、もしくは揺すらされているような。……ああ、そんなこと考えてたらまた腹減ってきた。やっぱあんなクソまずい麦粥一杯じゃ足りないって。肉食わせろ肉。本当に出てきたら胃が受け付けなくて吐くだろうけど。
──ゆさゆさ、ゆさゆさ。
わかった。わかりました。いい加減起きるって。いいだろ現実逃避くらい、許してくれよ。起きてたって何もいいことなんてねえよ。どうせ死ぬなら寝てる間に殺してくれよ。そしたら痛くないだろうし。
──ゆさゆさ。べし、べしべし。
はあ。マジでやってらんねえよ。どうせこの先ろくなことないのに。
……まあでも、麦粥もらっちゃったんだよなあ。あんな不味くても、おれが開拓村で文字通り死ぬほど求めていた飯を、施してくれたんだよな。餓死寸前だったおれを助けてくれたんだよな。
なら、その義理くらいは果たさないと、だよなあ。
──べしべしべし、ぐあんぐあん。
ああ……最悪だ。このまま微睡んでいられたらどれだけ幸せだろうな。
ハロー、ワールド。くそったれの世界。
せめてもうちょっとマシな飯を食わせてくれよ。
▽
「おきた? 起きたか?」
「んー、わかんない」
「わかんない? ならもっと起こすか」
「もっと強く」
「もっと? 死んじゃわないか?」
「でもこのままなら死ぬ」
「たしかに。じゃあ死ぬ前に死ぬほど叩くか」
「ん。……あっ」
「ん?」
「おきた」
物騒な会話に慌てて目を開ける。危ねえ。諦め悪く狸寝入りなんてしてたらマジで死ぬとこだったわ。被害を避けるように体を起こす……ことができずに脱力してそのまま仰向けに横たわる。
腹減りすぎて力が出ない。助けてアンパンマン。ここに欠食児童が一名……いや三名います!
ここはどこ? わたしはだれ? ……なんて小ボケをしようにも、一切忘れていなかった。ここは奴隷を収容する檻で、おれは名も無き開拓村で死にかけてた欠食児童兼推定奴隷。なお商品価値。最高だね。クソがよ。
なんて混乱しながら目を回しているおれを、二人の子どもが顔を覗き込むように見つめている。就学前くらいの、おそらく女の子だ。双子だろうか、顔立ちはよく似ている。二人とも心配そうにこちらの様子を伺っているのがわかる。
「おきた。起きたな」
「生きてる」
「生きてるな。こっち見てる」
「見てる。おめめぱちくり」
じろじろと無遠慮に観察されるのはいい気分じゃない。けれど空腹のせいで電池切れのおもちゃよりも体が動かないおれには何もできない。せめてもの抵抗として目をつむろうとしたら「起きろ」「死ぬな」って強引に起こされた。怖えよ女児。口悪いし。
とりあえず二人の目を見ながら軽くうなずく。つもりで頭を揺らす。マジで腹減りすぎて死ぬ。体力というか気力が出ない。めちゃくちゃ億劫。
幸いおれが話を聞いていることを理解したようで、二三言葉をかわしたあと、一人がお椀と木匙を持ってきた。気を失う前に食べた麦粥の器と同じものだ。おそらく中身も同じだろう。またあのクソまずい粥かよ。食べるものがあるって最高だぜ。
お椀を持った子が、中身をすくって差し出してくれる。やはり前回と同じ麦粥のようだ。ありがてえ、ありがてえ。
おれが身体を起こす元気もないことに気づいたのだろう、お椀を持ってない方の子が膝を俺の身体の下に入れ、食べやすいように支えてくれる。マジで気が利くなこの子。ありがてえ、ありがてえ。
今世に生まれてから初めてと言えるくらい久しぶりに人の優しさに触れて胸を熱くしながら口を開ける。……うん。やっばくっそまずい。かさ増しをするためなのか、久しくまともなものを食べてないおれの胃を慮ってなのかは知らないが、麦が意外と細かく挽いてあって粥というよりは重湯に近い。なのに火をケチったのか十分に煮えておらず粉っぽさが残るし、えぐ味が口に残る。冷めて粘度が上がってるし何より臭い。そもそもの麦の質が悪そうだし、水なんて多分そのまま飲めなさそう。
ても、おれはいま、人が食べるものを食べられている。
まずいし、くさいし、良いところなんて一つもない。
それでも、食べ物を食べられるという事実は、人としての尊厳を得られたように錯覚することができた。
「……っ、ぅ、……ぅぅっ」
「……泣いた」
「……泣いた」
「よしよし」
「まだいっぱい……はないけど、残ってるからな」
子ども達に食べさせられると、不意に涙がこぼれ落ちる。情けなさからか、それともようやく餓死の心配が和らいだからか。いや、もしかすると、久しぶりに人の暖かさを実感できたからかもしれない。
涙とともに嗚咽が漏れる。体力がないせいでひきつけみたいになってるのが恥ずかしい。子ども達は、少しずつ、おれが飲み込むのに支障がない程度にゆっくりと粥を運んでくれる。乱暴な口調とはうらはらに接し方は丁寧で繊細だ。
そんなこんなでとうとう完食。こんなに満たされたのは生まれて初めてかもしれん。
「ごめん……ごめ、ごめんなさい……。……ありがとう……っ」
「もっと食え」
「もうない」
「……えっ」
「おなかすいた」
「えー、……どうしよう」
あー。泣いたのなんていつぶりだろうか。もしかして生まれ変わってから一度も泣いてないな。そんな余裕なかったし、水分も塩分ももったいなかったし。クソみたいな世の中に罵詈雑言は吐き散らしてはいたけど、泣いて助けを待つような殊勝さは持ち合わせてなかったもんなあ。
「おかわりもらってくる」
「あるかな」
「なかったら泣く」
「てってーこうせん」
久しぶりに泣いて疲れた。さっき起きたばかりなのに、また眠気が襲ってきた。身体が体力を回復させようと頑張ってくれてるんだろう。
世話を焼いてくれてた二人も、俺が落ち着いたのを見計らってか、そばを離れたようだ。話し声も遠くなり、会話の内容もわからなくなる。意識が遠のいていく。
さっきの膝枕。骨と皮しかないような、幼い子どものぬくもり。
背中に感じる土の冷たさが、なぜだかさみしさを強く思わせた。