E 's Il Nome Della   作:ピュゼロ

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陽落ちて その①

 おうどんである。

 熱々の鍋焼きうどんである。

 土鍋に一人前のおうどんを入れ、ぐらぐらと煮え滾るぐらい猛烈に熱くした料理である。

 伝統の幻想ブン屋、射命丸文の前にだされたものには、おうどんの他にシイタケ、シメジ、マイタケを初めとしたキノコなんかや、ネギ、ホウレン草、三つ葉、ニンジンなどの野菜が入っていて、他には衣のさくさくとした鳥の天ぷら、紅白のかまぼこ。そして一番上に生卵が割り落とされていた。

 麺はやや柔らかくあげられている。塩は貴重なため、どちらかといえば味付けはやや甘めであるだろう。ネギは二通り、白い部分をざくざくと乱切りにしてだし汁に染み込ませ、葉は刻んで散らして彩りに。

 湯気と共に鍋の香りが立ち昇る。卵が少しずつ少しずつ固まっていく。

 夜の人里で、メシを食わせる処は少ない。夜は妖怪の時間だからだ。

 射命丸がメシ食う店屋の二階の部分は大きく吹き抜けになっていて、風通しもすこぶる良いし、上空で弾幕でもぶたれていればそれを肴に酒も呑める。人の里という立地を考えなければ、天狗にとって中々気分のいい店だった。

 もっとも、彼女らにとっての最良は、いちいち歩いて階下の暖簾などくぐらせずに、そのままうえから飛んで出入りさせる事であるのだが。

 射命丸文はもちろん、そんな仕草は毛ほども見せてはいなかった。

 

「手のひらを前へ……ひじは直角……」

「なにしてる?」

「これですか? 記事を書く前の準備体操です。……だそうです。同僚がやってたんでマネしてみました」

「取材か」

 机の対面からは、極々小さい、騒霊の声。

 小さく灯された明かりに浮かぶ金の髪を揺らして、ルナサ・プリズムリバーは小首をかしげた。

 ちょっぴり、面倒そうな感じがする。

 人里まで顔を出せと、突然言われていそいそとやってきたはいいが、ただ酒を呑んで終われるようではなさそうだ。天狗も中々話がわかると思ったのは間違いだったらしい。

 酒とうどんが用意されていたところまでは順調だったのだが。

 妹たちに目的も告げず、黙ってこっそり、しめしめとほくそ笑んで来たのがよくなかったのかもしれない。

「ま、あの子なんかは準備体操がどーのよりもまず、自分の脚でネタを稼ぐという事がわかってないんですけどね」

「そうか。自分から動くのは……大事だな」

「いやあおっしゃる通りで。ささ、どうぞどうぞ」

「すまない。うん」

 示し合わせてぐいと酒をあおった。

 昼間と夕暮れと長く続いていた太陽の照り付ける視線もようやく落ち着いて、代わりに月の明かりの下でよどんだ風がふわふわと吹き抜ける夜だ。

 ぐびりと喉を落ちた酒は熱くもぬるくもなく、そのさまはまるで、生きてる人間みたいだった。

 

 

 一、

 そんなような事のあったかどうかは定かでないが、魔理沙がやっとこさ射命丸を探し当てた時、そいつはすでに相当できあがっていた。

 先に見つけたのは彼女の方からだ。

「あ。魔理沙だわ。おーい魔理沙ァ。この白黒やろう」

「あ? 誰だよ、おい、どこだ?」

 夜の往来の中で魔理沙の金髪は店の二階からでも目立つのだろう。うえうえぇ、ここですよーう、などという声を探してあちこちきょろきょろ見渡す魔理沙の魔女帽子に、こつんと何かが投げつけられて、拾い上げればそれは濡れたお猪口だった。

「アハハ。なんだろあいつ、白黒。すっげー暑苦しそう。ウハハハ」

「いってぇ……お、お前これ、よくも二階からこんなもの投げてくれやがったな」

 帽子を脱いで小脇に抱え、頭を恐る恐る撫でてみると、ちょっとたんこぶになっていた。

 魔理沙は涙目になった。

 怒りのままにだかだか二階へ駆け込むと、アホみたいに大笑いしている射命丸がいて、もう一人、金髪で黒いとんがり帽子の、微妙にキャラ被りしている仏頂面のやつがいた。

「……よ、よう。……ええと、久しぶり? かな」

「上昇気流……」

 異変の時に一度会ったきりで記憶も曖昧な相手からなげられる言葉としては、それはちょっとよくわからなかった。

 魔理沙はややひるんだ。

 とはいえ彼女には、はっきりさせるべき事があった。

「で、どっちがこれ、投げてきたワケ?」

「あっちの、ルナサさんですよ」

「ゆ゛る゛さ゛ん゛!!」

「上昇気流……?」

 

 しばらくそうやって、ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ二人して騒いでいた。

 もちろん、魔理沙はただ遊びに来たのではない。狸のやつに言われたように、この天狗から何とかして情報を問いたださなければならないのだ。

 だけど、魔理沙が焦っているとみるやいなや、一転、射命丸はまだ箸の付けてないおうどんを盾にとった卑劣な遅延作戦へとうってでた。

 遅延というか、射命丸自身もまだ熱くて食べられないんじゃないかと魔理沙はこっそり思った。

 猫舌ってか……ほら、カラスの、なんとかって言うだろ? あれだ。

「ねえ……わかりますかねえ。魔理沙さん? どこにヒトが飯食ってる時に邪魔するやつがいますかね」

「ほらほら。見てくださいよこのこだわりの麺の具合をさあ。ここの自慢のところなんですって」

「ホントかどうだかまぁったく知りませんけどね! アハハハ」

 魔理沙はよっぽどぶん殴ってやろうかと思った。かなりの葛藤があったが、あんまり酒の入った天狗を強くゆすったりすると、なんというか、ひっくり返ってしまうのだ。胃袋の中身があれしてあれで。

「マアマアマアマア、ね? 食べ終わるまで待っててくださいよおぉ」

「こっちは急いでるんだ。早くしろよ」

 逆に文の方がゆさゆさと肩をゆすってくる。

 魔理沙は取り付く島もない。

「ネエネエネエネエ、まま落ち着いてください。どうです? なんなら、御一口」

「そういうのいいから。噛まなくて良いから」

 しかし、そんなふうに言われたら、絶対におちょくってかかるのが天狗という種族だ。そういう意味では文も間違いなく天狗だった。レンゲで掬って、わざとらしく啜ったりしている。

 ルナサは静かにうどんを食っていた。

「それにしても、何だか暑いっすねー。冷たいモノ頼んでいいですかー?」

「ならわたしが食わせてやるよ」

「ちょっやめっ、あつあつあっつつつ!!!」

 こいつらいつも何か食ってんな。

「わたしはお前と遊んでるほど暇がないし、お前がおうどん食うのを待つ気もない。いいか? わたしの質問に二秒以内でお前は答えるんだ。それ以外はない。でないと次はそこのゆーれいの番だ」

「……えっ?」

 ルナサはびっくりして、うっかり口の中のおうどんをほとんど噛まずに飲み込んでしまった。ルナサ以外の二人はむしろ、こいつうどんぐらいでいつまでもにゅもにゅやってんだと思っていたぐらいだった。

 魔理沙は静かに八卦炉を構えた。ぴたりと、その照準が射命丸のこめかみに合わさった。

「ウーノ。ドゥーエ」

「ぼくのまぶたが!! おりて来るよォオオオオオオッ」

「じゃあ死ね」

 射命丸は撃たれた。

 パァニ……パァニ……。

 

 二、

 

 痛てて、ホントウに撃つんだもんなあ……と射命丸は頭を擦りながらいった。

 彼女の黒髪が黒以外の色に染まるぐらいで、ちょっとやばい感じだったが、幸いにもアルコールが多量に入っていたため、大事には至らなかった。お酒……飲んでてよかったな……と射命丸は心から思った。

「それで、なんですって。えーと、なんだか」

「人を探しているんだっての。何べんおんなじ事を言わせるんだよ。……マジで何回目だよ。外来人だかどうかも定かじゃないが……日本人っぽくなかったな。それで、なんというか……あれだな」

 魔理沙はぐもぐもと何度も言いよどんで、未だ自分の中で整理のつかぬ全体像を簡潔に言葉にしようとした。

 何の痕跡も残さず、忽然と消え去った人間。

 そうした中で、まんまと妖怪をぶっ殺したと思しき人間。

 ありのまま起こった事を話せばそうなるのだろう。

 そういう事を言った。

 

 射命丸はそれを聞いてもなおへらへらと笑っていた。

 そしてそのまま、軽薄な笑みを浮かべたまま、すっと一段低い声で言った。

 

「それはいったいどっから聞いたんだ?」

「は?」

「狸か? それとも狐か? ああ……いったいぜんたいどうしてまた、貴方たち愛すべき人間というのは、記者でもないのに、どーでもいいような事に首を突っ込んできて、知るべきではない事を知りたがるんでしょうね?」

 

 下から見上げるようにして、忌ま忌ましげな、どこか棘のある絡みつくような口調で、射命丸は睨みつけてきた。

 まるで……魔理沙の事を、ここで殺しても問題ないかどうか、その判断に迷っているようだった。

 辺りに人目はあるのか? 暗いからばれないか? こいつと最後に話したのはどいつだ?

 カラスの羽の濡れたように艶々とした瞳の奥では、そういう事をいろいろと――考えてはいたのかもしれない。

 もちろん……彼女は間違いなく、天狗という妖怪である。

 ちょっとだけズルをすれば、問題が楽になったり解決するという時でも、真面目ぶって融通を効かせられない妖怪だ。

 間違いなく、文もまた天狗なのだった。

 その目は、魔理沙が揉め事面倒事厄介事に首を突っ込む時の、妖怪連中がこぞって浮かべるものと同じだった。そういう目つきをされるのは慣れている。本気で殺されるわけではないし、向こうもそこまで本気ではない。彼女だって自分より弱いやつにむざむざ殺されてやる理由もない。

 ただ、射命丸がそういう目をするとは思っていなかった。だから。

 だからちょっと怖くなっただけだ。

 背筋のところに言いようのないぞわぞわしたものがあって、きっとそれは悪寒というものなのだろうと思った。

 それからやっぱりむかついたので、右手でぐーを作ってからぶん殴ってやった。

「痛いっ!? ちょっ……まって、今ちょっと本気で……お、おえっ」

「天狗か? 天狗の仕業か?」


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