BGM “緋色のDance” by 岸田教団&The明星ロケッツ
――小生には我慢なりませんね。
一、
紅魔館の華人小娘、色鮮やかに虹色な門番こと紅美鈴(ほんめいりん)は門の前に柔らかく立ち竦んで辺りを眺めながら、子供という生き物はどうしてあんなに虫を捕りたがるのかしらと思った。
捕って眺めて遊んで、そして。
――死なすのだ。
殺すのではなく、死なせてしまう。子供なのだから、ある意味では当然だといえるかもしれない。一点に向けた集中の気が強すぎる狭い視野は、興味の対象があっちこっちに移ろってしまう危ういものなのだから。
おもむろに腕を突き出した。ぐっと、力を込めて拳を握る。
ぺしゃりと潰せば死んでしまう。頭をもいでも死ぬでしょう。どころか、放っておけば、死ぬ。それはそれは容易く死んでしまう。子供はそうやって、大事な事を学ぶのだ。閻魔にだって大した罪には問えぬであろう。なにせ、初めッから何もかもを知っている生き物なんていないし、親に諭されて教えられる事と、実際にやってみるのとではやっぱり勝手が違う。生まれ落ちて、すぐ“己”を意識する人間、なぞ……。
――ああ、ああ。
稗田が、と呟いた。
(あの、よくわからない輩かしら)
言うまでもなく美鈴は妖怪である。そして、そこまで強い妖怪ではなかった。妖怪は生れ落ちた時既に大体の格というものが決まっていて、年経てもそれは変動しない。だが、彼女は素手での争いならば幻想郷で“中の下”ぐらいの力量はあるとされている。さすがに鬼の連中だとか、大妖怪相手には「ああっ、そんな気軽に言わないでくださいお嬢様無理ですって、ムリムリほら幽香さん怒ってらっしゃるおいレミリアやめろ押すな」となるしかないが、一様
その理由を一概に是と断ずる事はできないのだが、やはり彼女の根幹を成すその一面を取り上げるとするなら、それは武術にある、と見なす事もできる。
美鈴は主に大陸の武をその身で研鑽してきた変わりものの妖怪だった。そのせいか、一時期カンフーと呼ばれるのが流行った。今でもあれは陰険ないじめであったと美鈴は振り返る。つまりカンフーという言葉には思わず呟きたくなる魔法が掛けられている。
カンフー(正しくは中国武術に対しての尊称、というような意味)にはある決まった型というものがある。攻撃の型、守勢の型、その他いろいろ。彼女は妖怪である分、人より遥かに強くしなやかであるが、その肉体でもってしても、達人の域に達した人間には柳に吹く風の如くあしらわれる。年月を積み上げられた技というものである。数多の武術家が生命を賭して伝え切り拓いてきた歴史と、そしてそれを行う人間という生き物に、美鈴は深い敬意を持っているのだ。
幻想郷の、弾幕ごっこと今一噛み合わない技術であるが。
――もちろん食事は食事で別の問題である。
要するに美鈴は(比較的)人間好きであり、命を次代へ手渡す事こそ尊いものと考えている。
すると、稗田とやらは転生を繰り返すなんだか人間なのかも怪しいヤツ、という事になる。それは死への恐怖から生にしがみついているようにも思えて、どうにも浅ましく見える。
そして、幻想郷の知識を一所に集めるかのように振舞っておいて、里へ明け渡すものは一代に一度の幻想郷縁起のみ。自分が幾分しょっぱく書かれているのも気に入らない点の一つだった。
紅い門の前で大きくううん――と伸びをしながら、ぽかぽかとした陽気の中そんな事を思っていた。
いつかのときの巫女のように気を撒き散らして進んでくる輩なら、さすがに迎え撃ちに出向くが、基本的に普段は門の前で文字通り仁王立ち。なぜかといえばつまるところ形式である。
幻想郷のヤツらが、例えば紅魔勢と事を構えようとするならば、それはまず正面から、つまり美鈴をぶっ飛ばして進もうとする。これは堂々争うというある意味スペルカードルールに似通った気風がある。「門番も倒せないの? バカなの? 死ぬの?」という事である。そもそも門番より主人達の方が強いという悲しい現実もあった。
大体彼女の日々はこの門と庭とそれらの周辺で完結していた。傍らにひっそりと作られた番小屋で身を休め、時々現われる妖精を適当に追いやったり、時々迷い込む人間を丁重に追いやったりする事が主な業務と呼べるかもしれなかった。それと、土いじり。
だがしかし、それらは決して美鈴が無能である事を示唆するのではなかった。彼女は心から幻想郷を愛する妖怪であるし、それを誇っている。自尊は自負であり、心根の真っ直ぐなヤツは総じて強靭だ。つまり何が悪いのかというと、ボス含め幻想郷の上位陣が狂っているだけで、彼女も総じて強い妖怪なのだった。
とりわけ、あの――
その時。
あるはずもない視線を感じて、美鈴は背筋がぞわりと震えた。
あの、境界の――妖怪が。
二、
不用意に踏みつけた枯れ枝が「パキッ」と思ったよりも大きな音を立てて折れ、知らず知らずのうちに息をのんだ。そして、それに続くようにして、
「あ、頭が……痛い」
顔をしかめて呻いた。
ドッピオは、森の中から急に開けた場所へ出たために、光に眼が過敏になったんだろうなと思った。
そもそも、頭痛なんて気にしている場合では、ない。
顔を上げると、湖の畔にそびえたった、辺りを睥睨する赤い洋館があった。山と緑ばかりの景色の中に悪びれもせずつくねんとあって、酷く浮いている。違和感も甚だしい。
木の幹に手をついて、ゆっくりと目を細めた。
「あの館を、見張って……う、うう……」
紅の色に意識の焦点を合わせると、疼痛が深くなる。だが強固な観念があれを見張れと、見計らっていろと、耳元で囁いている。彼にとってそれは何よりも優先されるべき事だった。
「まいったな……頭痛薬……お?」
そこで何かに気付いたように左右をきょろきょろと見回す。なぜなのか、経緯も理由も定かではないのだが、まるで覚えのない場所に立っている。
改めてドッピオはポケットに手を突っ込むが、頭痛薬どころか何一つ入っていなかった。何だってこんな森の中に、しかも手ぶらでいるんだろう……としばし振り返る。
はっと、ドッピオはある恐るべき事態に思い至った。
「ケータイがないぞ……これじゃあ次の“指令”が受け取れない……」
もちろん、こんな山の中に公衆電話の類も見当たらない。あるのは背後にある鬱蒼とした森と、半ば霧のかかった湖と、そして例の赤い館だけである。
「どっかに落っことしたのかなぁ……でも、あれ? さっきまで――」
ぼくはどこにいたんだっけ。
そう思って背後を、辺りを見回すが、それよりもまずは連絡だ、と思い直す。
「電話をどうしよう……ああすいませんボス、ぼくがうっかりしてるから……」
湖から適度に涼を含んだ風が吹きつけるのか、頭上の陽光と比べると、感じる気温はずっとおだやかだった。周囲の雰囲気も合わせて、
あるいはそんな空気に影響されたのかもしれない。
確かに彼は不安で注意力が散漫になっていたのだろうが、それでも、誰かが近づいてくれば気付かないはずがない。
「やあ、何かお探しかしら」
だから――
そんなセリフと共に「ポン」と肩を叩かれて、ドッピオは心臓がよじれるほどに驚いた。
「う、わッ、あ……」
咄嗟に出した足が、もつれて――そのまますっころんだ。
「わ……うわああああ!」
全身に電流でも流されたかのようにビリビリと得体の知れないものが走って、受身も取れないまま顔から地面に落ちた。情けない悲鳴が鼻血と一緒に勢いよく零れた。
「ひ、ひいいぃ! わああああ!!」
「あらら、ごめんなさいね。でもここはもう、お嬢様の領地……に、近いから」
ドクンドクンと早鐘のようにこめかみがうずき、痺れるような感覚が指の先にまで広がっていた。何をされたのかまるで見当がつかなかった。
土を踏む音がして、そいつが傍らに立ったのだとわかった。
「悪いけどもうちょっとそのままで頼むわ。いくつか、簡単な質問に答えてもらうだけだから」
「う、あ……な、んだって」
「ううん、拒否されると、私が困るなあ……」
頭の上で声が――その声音からするにおそらく歳若い女性が、はふうと息をつく気配がした。
「えっと、まず、なんでお屋敷を見ていたのか教えて欲しいわ」
「それは……」
言えない、とまず思った。あの館についてボスから届く何らかの指令を待たねばならない。そして、その事をこいつに知られるのは、確実に――まずい。
とはいえ実際、何をすべきかわからずにいたのであり、そういう意味では推定無罪とか冤罪だと思った。
「な、なにも……ただ目立つから――それで」
「あのお屋敷を? お嬢様が住んでいると知っていて?」
「えっ、と……?」
ドッピオの煮え切らない声に、そいつは「どうも本当に知らないみたいね」といった。
それも本当だ。ドッピオは真実何も知らないのだから。
「そんな格好で森をうろつけるわけもないし……どうやら、あの八雲紫の仕業みたいねえ」
外来人は食べてもいいって言い伝えられてたかしら……などと呟きながらそいつは、身動きのとれないドッピオの体をひょいと抱えあげた。まるで米俵か何かのように、今会話をしていたその女性が軽々と彼を持ち上げたのだ。
「うわっ」
「どうせだから君には――貴方には、妹様の遊び相手を努めていただこうかと」
実に気楽そうな口調でそう告げると、そいつは軽い調子で歩き出してしまう。
(……でも)
何をされたかはまったくわからないが、それでもこの状態は逆にチャンスではないかとドッピオは思った。ボスは――敬愛すべき我らがボスは、おそらくあの館の情報を求めているに違いない。秘密裏に処理すべき案件の中でもとりわけ群を抜いて重要である事が、ドッピオが出向く仕事の条件だからだ。それに、あれほどの大きさである。中には電話ぐらいあるだろうとも思った。その“遊び相手”とやらの隙を縫ってボスと連絡を取る事も可能なはずだ。
いずれにしろ今は情報が必要だ。ドッピオは僅かに動くようになってきた指の感覚を確かめながら、自分を運んでいる女性に向かって訊ねた。いったいどういう具合なのかと。――内心で、こっそり舌を出しながらも。
「あの――そのう、遊び相手って」
「そっちも、大丈夫ですよ。死にはしませんから」
さらりと冗談めいた事をいわれるが、はたしてここは笑うべきところだったのだろうか。生死をかけた遊び――冗談じゃないぞと思った。
「とりあえずいわれた通りにお相手ください。あんまり失礼のないように――ん。そういえば、あんまり抵抗されないんですね」
歩調と共に一定のリズムで上下に揺さぶられながら、まあ……と適当に相槌を打つに止めた。素直にいえるわけもないし、そもそも動けないんですけどと怒ったように返す。それに彼女は「あはは」と悪びれる様子もなかった。
近づくにつれその赤い館は徐々に徐々に存在感を増して、ドッピオたちがその門を通り、中へ入ってもなお、じわじわと締め付けてくるようだった。
勝手知ったる足取りで廊下を進む彼女――
行く先が下へ続く階段となった時だ。
ふと思いついたドッピオは何気なくいった。
「それにしても、よくずっと持っていられますね。というか早く下ろして欲しいんだけど」
「うーん。別に、普通ですよ? いやだって私、妖怪では非力な方ですし」
「――妖怪?」
「妖怪」
ああそれと――。
いいかける美鈴が一歩一歩、階段を下りていく。こつ、こつ、と薄暗いその場所に、足音が響く。
「妹様は、吸血鬼です」
「……吸血鬼…………?」
いつだったか。なぜかその言葉には、覚えがあった。
吸血鬼。吸血鬼、吸血鬼……は。
吸血鬼、に、は――
「う……あ」
「――どうしました?」
ズキンと、頭が痛む。瞬間、視界が真っ赤に染まって、痛みは治まる気配も無くズキズキと膨らむようにズキズキと、ドッピオの中のスキマにズキズキと広がりつつあった。
「あ、あ……『吸血鬼』……や」
カツン、カツン……。
「ドッピオさん?」
「や、やめて……う、ああ」
「やめるって、何をです」
苦痛に顔が歪むドッピオの中から、やがて一つの言葉が首をもたげ、みしりとその一つに塗り潰されていく。
――『吸血鬼には近づくな』。
「もうお部屋が近いですから、事情なり説明してちょっとだけ休ませてもらいましょう――」
「うあ、あ……頭が」
頭が――痛い。