E 's Il Nome Della   作:ピュゼロ

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BGM “摂理と反照” by SYNC.ART'S
――眠るように生きる。もう、いっそ死んじゃいなさいよ。


紅墨をたどる その②

 一、

 

 死んだ死体が落ちて、粉々に砕ける音がした。

 割れたわ。

 ――割れたわ、フラン。

 フランドール・スカーレットはそれを大層不快に感じてゆっくりと寝台から体を起こした。自分の部屋の中を見渡すがとりわけ変わったものはない。そもそも彼女は何かが砕ける音を身の毛もよだつぐらいに毛嫌いしていたから、この部屋には死体で出来たものなんてない。あれば真っ先に叩き壊してしまう。

 ぽとぽとと歩いて、テーブルの椅子に腰を下ろした。半分埋もれるようだった。

 そんな一人で瀟洒な感じの椅子に座ったまま、目に映るものはどれもこれも赤く、赤く、どれもこれも赤かった。

 この部屋は一つの区分にカテゴライズされている。血のような真紅は愛する“おねえちゃん”――五つ違いのレミリア・スカーレットの意向だ。本来吸血鬼には必要の無い等身大の姿見も曰く「淑女の嗜み」であり、例えば家具などのちょっとした位置に施されている月の紋様はその姉自らがデザインしたものだ。無論フランドールはその事を知らない。だが、それらがまとめて一つに分けられる事は理解していた。

 彼女が今胸に抱きかかえている可愛らしいテディベアもこの部屋の分類の一つである。ただこれは近頃従者の咲夜がプレゼントしたもので、どういう考えがあったものか、吸血鬼にはあんまり馴染みのない極々一般的に普及している玩具だった。黒い瞳と茶色い毛皮が、赤々しいその場所でどこか浮いていた。

 この部屋に似つかわしくない部分があるという事、それはつまり別の分類である。

 咲夜の世界。

 レミリアの世界。フランドールは小さな世界を地下の奥深いところで囲っていた。

 そのぬいぐるみの、姉のささやかな抵抗は、胸元の赤いサテン生地のリボンにうかがえた。

 そもそもフランはぬいぐるみの遊び方など知らなかった。

 そもそも彼女は“ごっこ”以外の遊びなんて知らなかった。

 それでもフランドールは、優しい少女だった。

 

 

 コツ、コツ、と扉が鳴った。勢いよく振り返ったフランは、思わずはっと息を飲んだ。吸血鬼の鋭敏な感覚をもってしてもその鉄塊より外の事は何もわからなかったし、でなければ幽閉とは呼べないとも思った。

 心当たりは生憎たった二人しかいなかったから、ああ、美鈴か咲夜のどっちかな、と思った。それが多いのか少ないのかも半ば当てずっぽうだ。

 咲夜はおそらく最近で一番顔を合わせるようになったから、始めは咲夜かしらと考えた。しかし、咲夜は毎日針を合わせたようにきっかりと決まった時間にしかここを訪れない。つまり今、扉の外側で立っているのは美鈴という事になる。消去法で導き出せる程度の、薄い交友関係しかフランには心当たりと呼べるものはなかった。

 もちろん、心の隅では、ほんのかすかな期待もある。

 レイムかな。マリサかしら。それとも。

 ――おねえちゃん?

 ちょっとだけ、心が浮き立つ気がした。そしてこの心というやつが厄介なのだと、常々フランは思ってきていた。心があるから我を通したくなる。でなければ、おねえさまのいう事をなんでも聞ける良い子でいられるのに。

 そんな事を思った。

 はあいと返事をしてから、ぴょんと椅子を飛び降りる。レディーとしてはよろしくない行いだ。 でも、しかし。

 ぬいぐるみをぎゅっと抱きすくめて「どうぞ」と扉の外にいる誰かに言った。背中の羽が期待から僅かに上下している。フラン自身はその事に気づいていなかった。それどころではなかったのだ。

 扉に鍵はかかっていない。だからもう、厳密には彼女を閉ざしている障害はないともいえた。けれどフランは吸血鬼であり、わざわざ自分から陽の光の下へおもむく理由は――なかった。

 咲夜にお茶を淹れてもらったり、仕事を手伝ってみたりして。

 美鈴と一緒に夜半の館を守ったり、他愛も無いお喋りに興じてみたり。

 レミリアとただ、顔を合わせたりする事が、フランには途方もなくまぶしく思えたのだった。

 永い永い地下生活程度じゃ、肉体は衰える兆しもないけれど、今さら何かに手を伸ばすのが、堪らなく億劫になっていた。

 怖かったのだ。たくさんの姉の色と少しの他の色とに埋められた部屋の中で、彼女もまたそれを構成する一つだった。

 

 

 

 

 二、

 

 部屋の中は明るい。七曜の相克の、火と日の魔法がたっぷりと使われているからだ。ただ、もちろんフランはその術者を知らなかった。姉の親友であるとは聞いていたから、知識と日陰の少女、パチュリー・ノーレッジという魔女の事を、優しい人なんだろうな、という漠然としたイメージで捉えていた。

 その魔女が直々に手がけたという、シャンデリアに内蔵された白い明かりが厳しい扉になげかけられていた。

 白光が――やがて、割れる。

 ためらうように開いた僅かなスキマが長々とした闇を床に吐いた。

 少年はその黒い世界からそっと現われた。都合四人目に顔を会わせた人間だが、これといって特徴のない、説明に困る雰囲気をもった奴だった。目をつむってしまえば、そのまま余韻も残さず掻き消えてしまいそうとフランが思ったほどだった。物珍しそうに一度室内に目を走らせてから、柔和な笑顔でやあといってきた。

「――初めましてかな、お嬢ちゃん。名前を聞いても?」

「えっと。初めまして、フランドール・スカーレットよ。フランって呼んでちょうだい」

 小さく、これが自己紹介ってやつかしらと思い浮かべる。

 それから――。

 フランは、首をちょっと傾げてそいつの顔を見上げるようにして、問いかけた。そういうあなたのお名前は?

「ドッピオっていいます。ヴィネガー・ドッピオ」

「ドッピオは、ここに何の用事?」

「すみません、不躾で。つまり、その」

 まっすぐにフランを見つめてくる。

「電話を貸して欲しくて」

「でんわ?」

 箱入り娘の彼女には、縁のなかったものだ。無理もない事だが、地下にいて必要も無い道具を知りえる機会なんてそうそうない(きっと美鈴も知らない)。けれど、フランは優しい子だった。その上、短くない生涯でほとんど初めて人に頼みごとをされたのである。自然に何とかしてあげたいと考えていた。

 だから。

 ドッピオがフランの腕に抱かれた物を示していると気づいた時、ちょっとドキドキしながらも「これ?」といって手渡す事ができた。

「ありがとうフラン。携帯か、丁度良かった」

「けい――たい?」

「うん、少し――話したい人が、いてね」

 そういうとドッピオは熊のぬいぐるみを大事そうにもって、顔の横にあてた。

「ごめんね、ちょっと長くなるかもしれない」

「ううん、構わないけど」

 あんまり会話する事がなかったから、思わず、言葉が途切れる。今までのツケがやってきたかのようだった。

 デンワって、私にも使えるの――

 自分にさえ聞こえないような言葉は、分厚い扉によって防がれた。

 話したい人。そうドッピオがいったときに零した表情は、彼女の理解の外にあるものだった。

 話したいのかしら。それとも、怖い……?

 そしてそれは、私も同じ事だと思った。

 姉と最後に話したのはどのくらい前の事だったろうか。

 やっぱり、495年の月日は、吸血鬼の彼女にとっても――永すぎたのだ。

 

 

 ドッピオは戻ってきて開口一番に「ありがとう」といった。

 話したいといっていた、おそらくきっと大事な人と話した後なのに、なんだか落ち込んでいるように見えた。

「大丈夫?」

 ぬいぐるみを受け取って気づいたらそう口走っていたフランに、ドッピオは表情の端っこに悲しんでいるような色をたたえながらも首を横に振ってみせた。

「ごめん、ただ、繋がらなかったんだ」

「つながらない……お話できなかったの?」

「うん。ボスは、すごく忙しい人だから」

 しょうがないというドッピオは、口でいうほど気にしていないわけではないようだった。はあ……とつく大きな溜め息。見ていてもわかるぐらいにその様子が辛そうで、フランの方まで胸が痛くなる。

 裡の冷たい心臓がとくんと鳴った気がした。

「あの……その、ドッピオ?」

「うん」

「元気、だして。ね?」

 こんな時に、私はどうしてあげられるのか。フランが思い出したのは美鈴が優しく頭を撫でてくれたぬくもりだった。けれど、代わりに撫でてあげようとしても彼の方が背が高くて届かないから、しょうがなく肩の辺りをぽんぽんと叩くしかなかった。それでも精一杯気持ちを込めて、がんばって、といった。

 事情はうかがい知れないが、それでもドッピオにはそれだけ心を痛める事があるのだろうと思って。

「……あはは、そこまでいわれるとなんだか照れくさいなあ」

「そうかな――」

「ううん、でもありがとう。おかげで元気がでてきたから」

 にっこりと笑いかけてくる。とってもシンプルな笑顔だった。自分の中に一本の折れない“基準”があって、それをとても大切にしている目をしていた。

 咲夜と似てるわ、と思った。

 そしてそこで、ややあってからどうしてドッピオはここに来たんだろうと思い至った。咲夜か、誰かが案内のために一人はついてきそうなものだ。まさか誰にも会わなかったわけもないだろう。門のところにはいつも美鈴が出づっているはずだし。どうにもこうにも不思議なやつだった。

「さて――もう、行かなくちゃ」

「もう? せっかちなのね」

「うん、ごめん」

 全然、お話してないじゃない。そう文句を言うと、琥珀色の目を伏せて、もう一度ごめんと繰り返した。

「君のお姉さんが起きる前に、行かないと」

「おねえちゃんと、ドッピオは喧嘩してるの?」

「ううん――」

 ドッピオは困ったように頬をかいて言葉を濁した。

「喧嘩は――だめよ? 私は、よく知らないけど……」

「いや、喧嘩してるわけじゃあないんだ」

「ならどうして?」

 そう再び訊ねても弱りきったように笑っているだけだった。少しお喋りだったみたいと反省を胸中で呟いた。やっぱり最後にぼろを出してしまうのは、私の心だ。そう、思った。

 それはやがて日が沈む、少し前の事で――

 

 

 

 

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