歴史におけるウマ娘 作:久保田
特殊な用語一覧
ギルガメシュ:古代メソポタミアで100年以上在位したとされる伝説的な王。ギルガメシュ叙事詩などに伝わる。
月神ナンナ:古代メソポタミアの都市ウルの主神。月の神。アッカド時代にはメソポタミア諸王国の王女が司祭として任じられた。
マルトゥ:アムル人のこと。ギルガメシュ王の時代には野蛮人とされたが、後には王のほとんどをアムル人が占める時代がある。
エンキドウ:初期はギルガメシュに敵対するが後に友となる、ギルガメッシュ叙事詩に登場する人物。戦いの果てに死亡し、ギルガメッシュ王が不死を求めるきっかけとなる。
アプスー:古代メソポタミアの神であるエンキの原型とされる、地底にあるとされた水。神々はここに住み、すべての淡水はこれによるとされた。
エリドゥ:シュメール王名表により、人類初の王権誕生の地と伝わる。
ウマの尻尾:平板測量に用いられる器具。アリダード、示方規。かつてウマ娘の尻尾を用いたことからウマの尻尾と呼ばれる。
イシスと燕:イシスはエジプト神話における豊穣の女神。イシスの夫オシリスは臣下の策謀により棺に閉じ込められ、ナイル川に流された。この棺は下流で資材として利用され宮殿の柱となる。イシスは夫を探すべく、柱となった棺のあるところを見つけ、燕に化けて柱を回ることで夫との再会に成功する。
ユガ:ヒンドゥー教の宇宙観は再生と破壊からなり、このサイクルは4つのユガ(時代)からなるとした。
されば夜空は黒き絹にして、千の光を縫い付けたる天の帳なり。ウルのジッグラト、神殿の石段を跳ね上がる軽き蹄音あり。巫女は風のごとく舞い降り、頂に至る。名をエナ・ナズンという。星詠みの巫女、月神ナンナの使徒。彼女は尾を持つ星詠み、すなわち走る者、夜の静寂を破る銀の尾を持つ者。
その足は地のその先まで届き、その知識は闇をも貫く。その耳は夜鶯のごとく鋭く、星の唄すらも拾い聞き、 その瞳は夜空の深奥を映し、見えぬ光をも見抜く。その身体は宇宙を奏で、その心はまだ見ぬ闇を照らす。
彼女は跳躍しながら夜空を測り、星を掴み、尾をふるわせて星々の呼吸を読んだ。粘土板に刻むは、星の悲鳴。逆行するマルトゥの星が軌道、沈みゆく死せる光。それは「アスブ・インマル」――黒き渦と、彼女は呼ぶ。
その刻む音に重なるごとく、地に響く重き足音。その眼は一瞬、星を捉えた。
「星々は囁くか、巫女よ」
その声は獅子の咆哮の如し。ジッグラトに立つは、王ギルガメシュ。
「王ギルガメシュ」
エナ・ナズンはひざまずかず、ただ星のごとく揺れる尾を振り、首を傾けて言う。
「星々は、光を喰らう渦の歌を歌っています」
「ほう。神々は夢を語るというが、星は悪夢を歌うか。闇とは、我が宿敵。死の化身であろう」
王は笑うも、その瞳には翳りあり。
「わたしはこの地の三分の二を持ち、神の血を受けし者。死など塵芥である。だが死は、我が友エンキドウの名とともに、我が背に影を落とした。獣を討ち、森を越えし我らも、(A)勝てぬと知った。空を仰げば、彼の名がこだまする」
「王よ、空は常に暗くとも、星はそこにあります。貴方が見ぬものを、私は聞き、見ております」
「見えぬものは見えぬ。聞こえぬものは聞こえぬ。おぬしに、何が見える」
「星々は時に沈黙します。怖いくらいに。されど、私は走るのです。その意味を解すべく」
「我は見えぬと申した。だが、否、我が心は――。いや、知らぬ」
エナ・ナズンは立ち上がる。やにはにひと跳ねして神殿の縁を走り、風を切って戻る。尾が風をはらみ、ざわめく。
「“エリドゥの盾”の向こうに、光なき渦。星々はそこへと舞い、消えてゆく。まるで…エンキドウへと花が落つるように」
ギルガメシュの表情が揺れる。
「王よ、闇を拒むあまり、貴方は空を見上げぬ。見ぬままに語る言葉は、神々にも届かぬ」
ギルガメシュは呻くように呟く。
「我が友エンキドウと駆けた夜があった。星の下を、無明の道を、あの笑い声が…あれが命だった。だが、死は彼を奪い、私には残像だけが残った」
「王よ、死は奪うだけではありません。闇の中にも歌があるのです。私は聞いております、今もなお。星々が奏でる、再生の調べを」
「だが星は戻らぬ。わが友も戻らぬ」
エナ・ナズンはその小さな顔をまた小さく振り、続けた。
「戻らぬのではありません。その姿を変え、変容し、あり続けているのです」
彼女は目を閉じ、尾を振るわせて跳ねる。夜空の音が、蹄を通して地に響く。
「星が囁いています――“王はまだ終わらぬ”と。」
その時であった。
天の一点、光は沈黙を破る。宵の深みに白墨が落とされた。唐突に霧のような淡い光が現れた。ささやかな、しかし確かなる星の雲。星々は呼吸を止め、ため息をついた。
それは流れ星のように尾を引き、ギルガメシュの視界に走る。
彼は言葉を失い、ただそれを見つめた。
「……見えた」
低く、それでいて祈りのような声が漏れる。
「光なき夜に、彼の声が。あれは…エンキドウか。否、我が記憶か、我が魂か。あれが“門”か」
エナ・ナズンは微笑んだ。
「王の目にも、届きましたね」
ギルガメシュは空を仰ぎ、ゆっくりと頷く。
「ならば、黒き渦とは何だ。死の門か、絶望の井か」
「いいえ、それは…」
エナ・ナズンは静かに語る。
「すべてを呑む穴は、始まりの口。アプスーのごとく、源を含む父。星はそこから再び生まれ、宇宙は渦より新たに編まれる。死は終わりではなく、門なのです。望み入る星も、望まず入る星も」
ギルガメシュの唇が震える。星々は色めき、呼吸をまた止める。夜風が頭を撫でた。匂い立つ砂の香の奥、銀の匂いが隠れていた。風は止み、鈴の音を耳に震わせた。
「我は旅人か」
「王よ、貴方は走る者です。友と駆けた地を越え、今は星とともに夜を翔けるのです」
ギルガメシュは空を仰ぐ。その顔に、涙に似たものが光る。
「ならば、この身を委ねよう。闇も星も、友の声も。すべてを抱きて、我はなお進まん。死とともに、星とともに、走らん」
2000年11月22日 ER-51粘土板群再構成報告
報告者:ジョン・ウィンドー
マイネルグラファイト・ウィンドー
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この物語は小さい粘土板に刻まれ、砂の中の銀河に、砂塵の下に数十世紀にわたり覆い隠されていましたが、人類の前に再び姿を表し、かつての物語を伝えてくれました。
後に「星巫女と王の対話」として語られるこの記録は、粘土板群の断片より再構成されたものです(判別できない部分は極力補足した)。本粘土板群はこの遺跡で新たに発見された家屋から発掘されました。比較的小型の粘土板に連番された状態で連続的に記されていました。この粘土板群のうち、状態が最も良かったものにはその端にヒトの足による刻印が見られました。これは当時の粘土板記録係ウマ娘(カプラル・トナ・キススリッパャン)による公式な公文書の刻印と考えられています。
王ギルガメッシュと星詠みの対話はこの粘土板群に刻まれていました。2000年4月19日にイラク、砂嵐の翌日に崩れた家屋の片隅にあった第29号炉壁下層から発見されたこの粘土板群は非常に歴史的意義の高い、ウマ娘に見る古代の新たなる神話的概念を示唆するものとなります。ウマの尻尾(アリダード)によると、かなりの深さに眠っていたといいます。
−−プリンギスン大 パーヴェル・フロイブルグ教授
「ええ、とても驚きましたよ。まさかゾロアスター教よりも前の時代、それも古代メソポタミアの遺跡からこのような一方的でない、いわば輪廻、循環的な思想が著されていたとは。それも新しい形態ですからこれは無視できませんよ」
この粘土板群は発見当初、それほど価値はないように思われていました。遺跡の発掘はかなり進んでおり、でてくる粘土板の多くは同じような内容が記されるものしかなく、新しい発見はあまりでないのだと考えられていました。しかし、この粘土板群を発見したイギリス人考古学者のジョン・ウィンドーは妻とともに解読するにつれ興奮に包まれたといいます。特異的象徴操作、宇宙連的逆転があったのです。
−−ノースオブアジア大 ジョン・ウィンドー特任教授
「ギルガメシュ、王の中の王であるギルガメシュ!かなり興奮しましたよ!この文字を見つけたときの興奮ですよ!鼓動がこうドドドドっと!言葉では言い表せませんって。その日は興奮しすぎて眠れませんでしたよ。私の妻なんかびっくりしすぎて自分の尻尾をぐるぐるとまわしていましたから。こう、ピーンって!」
−−ノースオブアジア大 マイナルグラファイト・ウィンドー特任教授
「古代メソポタミアにおける私たちウマ娘について学校ではこう教わったかもしれません。『高貴で可憐で、でも人間の社会に依存してて、飽くまで一歩後ろに引いた、ここで言うと三本指をついているような、そんな神聖視される存在』――なんて。でも、これからはこう書かれるんです。『人類と自然を結びつける存在。つまりは触媒として、走る者、星を詠む者として王権を保護する存在。すなわちシュメール的神性媒介者』とね」
−−府中大 秋吉晃一教授
「詩学的な観点からすると、今回の粘土板は驚異的だと思います。これまでのシュメールの物語、例えばギルガメシュ叙事詩やウル哀歌などは祈祷・物語的構造に収まっていた。しかし、これは違う。明らかな恣意的象徴操作があり、独立した精神変容そのものを読者に追体験させています。これまでのシュメールというものは新潟の直線1000mが分かりやすいのだが、アレのように始まり終わりはあっても、そこに循環はない。今回のように時間の循環的理解や死生観の連続性は表れていなかった。でもこの作品にはあります。これは単なる文学的技巧の表出ではなく、新たなる思想体系の発見です、これは」
−−東京中央歴史研究所 オーエル・ペイブバーン特任研究員
「この粘土板の発見は単なるメソポタミア研究の転換に留まりません。これに見られる『死=門』という発想は閻魔思想の先駆的存在と位置づけることが可能です。これらはイシスと燕やヒンドゥーのユガにみることもできます。そして、何より注目すべき点は人間と動物の境界を極めて曖昧に描いているという点です。この発見の前と後で、シュメール文学に対する概念の根本が見直され、メソポタミア文学の構造的飛躍ともいえます」
ある挑戦的な天文学者は「アスブ・インマル」を重力崩壊による恒星死の兆候と仮定。 ある歴史学者は、エナ・ナズンをナンナ神信仰における回帰と再生の媒介者と解釈し、ウマの耳と尾を持つ存在として偶像的に祀られたとしま。
また、ある文学者はこうも語ります――
「王は死を征せず、死を受け入れ、走ることでそれを越えた。星は死すとも滅せず。星を駆ける物語は常にあり、これは死が終わりでないと人類が忘れぬ限り、走りは希望であると忘れぬ限り。巫女は星を詠むのみならず、天と地とを駆け、音なき音を聞くことで王を導いた。彼女がウマ娘でなければならぬ理由は、走ることがすなわち、宇宙の真理であったからである。かつて王が見上げたように、また我等も失われしものを夜空に見る。星を詠む巫女は時を超えまた囁く。走れ、なお走れと」