歴史におけるウマ娘   作:久保田

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カナダ騎馬警察

 

 王立カナダ騎馬警察と赤い制服。

 

 ――それは国家の顔をしたウマ娘の夢。

 

 広大な大地には、広大な警察が必要である。ましてや、その大地に氷河と滝とメープルが揃っているとあれば、そこに配置される警察のほうも、ただの治安維持者ではいられない。

 

 カナダ――それは日本の約27倍、地平の彼方まで続く氷と森の国である。この土地を一度でも訪れた者は、単なる観光では済まされぬ、どこか「呼ばれた」ような感覚にとらわれるという。オーロラの下でささやかれる精霊の声、カナディアンロッキーの山々が放つ深い寡黙、ナイアガラの滝が囁く大陸の重力──いずれも、気ままな旅人を「次なる物語」へと誘う。

 

 そして、物語の匂いがもっとも濃く香るのは、プリンス・エドワード島。赤毛のアンが住まう、世界文学の「田舎の夢」そのものだ。だがカナダに根を張る物語はそれだけではない。この国は、血と蹄と絆の歴史に生きる──騎馬の国なのである。

 

 

―――

 

 メープルと蹄鉄のあいだには色がある。

 

 カナダの秋、それは燃えるような赤だ。国旗にまで刻まれたメープルの葉は、秋になると国中を染める。その色は、かつてウマ娘たちが着ていた緋色の制服の色にも重なる。そう、王立カナダ騎馬警察──英語でRoyal Canadian Mounted Police、愛称「マウンティーズ」。

 

 メープルの紅葉と、マウンティーの赤。それは国の始まりと、国を守るものの色が、奇妙な調和を見せる瞬間である。メープルの木が数百年の風雪を見下ろしてきたならば、ウマ娘のマウンティーたちはその林を縫い、風のように駆け抜けた。

 

 だがその赤は、日常にはない。あの美しい制服は儀式用。実際の業務においては、マウンティーたちは茶色または紺色の地味な制服に身を包んでいる。あの赤は夢の色。年に数度だけ、過去と現在をつなぐために着用される。

 

 そして、赤い制服を着ることより難しいのは、茶色の革靴の手入れである。所定の光沢を出すには、なんと25時間以上も磨き続けねばならない。それは、騎馬ウマ娘の尾毛の手入れよりも神経を使うらしい。現場の声である。

 

 

―――

 

騎馬警察の誕生は蹄の音とともにあったという。

 

 今から150年前、1873年の春。初代首相レディ・ジョアンナ・アレグザンドラ・マクドナルド(ウマ娘)によって、カナダの西部に「北西騎馬警察(North-West Mounted Police)」が創設される。荒れ果てた西部に秩序をもたらすべく、選ばれし精鋭たち──多くは特に若いウマ娘──が、18歳から40歳までの若さと勇気を携えて馬上に立った。

 

 目的は関税徴収、道路の安全確保、そして入植者のための「文明の顔」としての存在感の確立。だが、彼女たちが最初に相対したのは、単なる盗賊や密輸業者ではなかった。

 

 1885年、「リールの反乱」。この時、マウンティーズは初めて武装戦闘に参加する。それまでの彼女たちは、あくまで法の使い手であり、平和の象徴であった。だが、時代の流れは優雅な蹄の音を待ってはくれなかった。

 

 そして1904年、イギリス国王エドワード7世は、この騎馬警察に王室の名を与えた。「Royal」の冠を得たこの警察は、1920年に自治領警察と合併し、晴れて「王立カナダ騎馬警察」として再編される。彼女たちの本部はオタワへ移転された。以降、長官にはウマ娘が就任することも多く、これは北米におけるウマ娘官僚制度の先駆けとなった。

 

 

―――

 

 治安の守り手から国民的アイドルへと変貌する赤い制服を着たマウンティーたちは、今やカナダの観光土産でもある。Tシャツ、ぬいぐるみ、マグネット、お菓子の缶──中身より外装を愛される存在。それは、かつての御者ウマ娘たちがバ車を引いたときのような、郷愁と憧れが混ざった視線を引き寄せる。

 

 映像作品にも彼女たちは頻繁に登場する。映画『ダイ・ハード3』では、犯人がアメリカから逃走し、カナダに入ったことを示すシーンに騎馬警察が登場する。テレビドラマ『騎馬警官(Due South)』では、アメリカとカナダの警察が協力して事件を解決する様子が、哀愁とユーモアを交えて描かれる。

 

 マウンティーたちは今や単なる警察ではない。彼女たちは記憶される公務員である。

 

 

―――

 

 彼らの故地ともいえるフォート・ウォルシュは秩序の生まれた場所である。

 

 サスカチュワン州レジャイナには、マウンティーズの新人訓練施設と、騎馬警察ヘリテージセンター(資料館)がある。150周年記念の際には、カナダ各地でバーベキュー大会やレース、式典が行われた。現代の「緋の騎士たち」が炭火の前でソーセージを焼く光景は、なにやら幻想的ですらある。

 

 レジャイナから西へ300キロ、山あいの町メープルクリーク。ここにはかつての本部、「フォート・ウォルシュ国定史跡」がある。丸太で作られた高さ3メートルの塀に囲まれた施設群。馬小屋、鍛冶屋、警官宿舎、そして──刑務所。

 

 私たち取材班が訪れたとき、大学生のマーカリーさん(20歳)がガイドを務めてくれた。赤い模擬制服に身を包んだ彼女は、中央の小屋を指して言う。「この建物、なんだと思います?」──答えは刑務所。だがそこにあったのは、たった三つの独房。収容されたのは、酒や武器の不法所持など軽微な罪人のみであった。

 

 午後になると、演習が始まる。赤い制服の隊員たちがライフルを肩に掲げ、空砲を放つと、銃口から白煙が立ち上る。木製のカートに載せられたキャノン砲が山々に轟く。音が反響するたび、過去の時間がよろめきながら帰ってくる。

 

 

―――

 

 サイプレスヒルズの記憶と静寂は重い趣がある。

 

 そこからさらに南へ2.5キロ。川沿いの起伏を歩いた先に、「サイプレスヒルズの虐殺」の現場がある。1873年、アメリカからの狼狩り隊が、盗まれた馬を探す中でナコダ族の集落を襲撃し、女性、子ども、高齢者ら20名以上を虐殺した事件である。

 

 この悲劇により、騎馬警察の設立は当初予定よりも前倒しされた。無法の大地に、法の旗と馬の蹄がもたらされたのだ。

 

 現地には、今も朽ちかけた馬小屋のような建物が残されている。釣りをしていたウマ娘が言った。「ここまで来る観光客なんて、めったにいないデス」

 

 けれどその静けさこそが、記憶の墓標であり、語られざる蹄鉄の物語を語る場所なのかもしれない。

 

 王立カナダ騎馬警察──それは赤い制服と、25時間の靴磨き、そして誰にも気づかれずに去ってゆく、馬車の車輪音のような静かな誇り。

 

 

 

 

 

 

――――――

 ――午前6時、カルガリー郊外。霧のかかる林道に、蹄鉄の跡がひとすじ、まだ濡れた地面に残っていた。

 

「なんだこの靴跡……普通、こんな走り方するか?」

 

 イーサン・クレアはしゃがみ込み、泥に残る蹄状の痕跡に眉をしかめた。彼の手元のタブレットは、GPSもAI解析も、特に何も示さない。

 

「データでは、午前4時台には誰も通ってないことになってる。赤外線も反応なし……なのに、これは」

 

 背後で、靴音が止まった。

 

「風は記録されない。けれど、痕跡を残すものだよ」

 

 ハッと振り返ると、そこにいたのは、紅い制服のウマ娘だった。長身、痩身、無駄のない立ち姿。髪はきちんとまとめられ、革靴は信じられないほど光っている。少しのしわが刻まれた顔立ち。

 

「君が、セイラン・レッドモア……?」

 

「王立ウマ娘騎馬警察、派遣官のレッドモアです。今日からあなたとバディになります」

 

 握手の手を差し出す彼女に、イーサンは躊躇する。いかにも古風なその制服、そして自分で走ってくるというありえない行動。

 

「まさか……走ってここまで来たんですか? 徒歩で15キロはありますよ」

 

「走ってきたよ。訓練も兼ねて。走るって、便利なだけじゃないから」

 

「いや、車使えばいいじゃないですか。……もしかして、車嫌いですか?」

 

「好き嫌いじゃない。必要ないだけ。舗装されてない道は、自分の足のほうが信頼できる」

 

 イーサンは苦笑いを浮かべた。

 

「……時代遅れですね」

 

 セイランはそれに反応せず、静かに地面の跡を見つめた。

 

「この足跡、跳ねる動きがある。通常の逃走じゃない。待ち構えた足の使い方だ」

 

「どうしてそんなことがわかるんです? 足跡だけで」

 

「足跡は正直。心が出る。たとえば、あんたは緊張してるとき、左の足先だけちょっと開く癖があるよ」

 

「……は?」

 

「後ろの廃材のところに立ってたとき、そうだった。無意識にね」

 

 イーサンは反射的に足元を見た。そして、言葉を失った。

 

「……バディってのは、お互いのやり方を尊重するって意味でしょ? 私の方法が古いと思うなら、それでもいい。でも、現場は“今”しかない。走らなきゃ、届かないこともある」

 

「……風、読んでるんですか?」

 

「読んでるというより、聞いてる。風が通り過ぎた場所に、何があったか。そこにいたっていう感覚があるの」

 

 イーサンは黙った。

 

 数秒後、セイランが歩き出す。

 

「まだこの先、足跡が続いてる。行こう。歩いてもいいけど、私は走るよ」

 

 その言葉を背に、イーサンは一瞬、動けなかった。だがやがて、彼女の後を追い始める。

 

「……待ってくださいよ、バディ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あの式典に、参加してたんですね」

 

 カルガリー警察の古びた講堂。その壇上に立つセイランは、紅い礼装を纏っていた。過去に与えられた表彰記章が静かに胸元で光る。

 

 イーサンは後方からセイランの授賞式映像を見つめながら、少し面食らっていた。

 

「騎馬警察の表彰式って、もっと派手かと思ってました」

 

「うちは派手じゃないよ。戦った記録より、守った記憶を刻む場所だから」

 

 セイランは式の終わりに、壇上でひと礼した。拍手は短く、穏やかだった。

 

 式典の映像は終わり、控室で二人きりになる。

 

「……正直、意外でした」

 

「何が?」

 

「この州、あなたのことを伝説って呼んでる割には、やけに静かで。まるで……昔話の登場人物を眺めてるみたいな感じです」

 

「そりゃまあ、あの頃のことはもう展示物だからね。多くの人は、歴史と記憶の違いを気にしない」

 

「……その制服も、昔のまま?」

 

「これは母のもの。彼女もマウンティーだった。受け継いで着てる。革は手入れすれば、時代をまたぐ」

 

 イーサンはしばらく黙り、やがて言った。

 

「あなた、家族に誇りを引き継いでるんですね」

 

「誇りっていうより、問いかな。『この制服は、誰のために着るのか』って。今も考えてる」

 

 その時、無線が鳴った。郊外で新たな足跡と血痕の発見報。

 

 セイランは制服の裾を整えた。

 

「答えは現場で探すよ。私が走ってきたのは、そのためだし」

 

「……じゃあ俺も、一緒に走ります」

 

 イーサンが言うと、セイランはわずかに笑った。

 

「いいね。走るバディ、ちょっと気に入ってきた」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここが……あの基地ですか?」

 

 イーサンが見上げる先にあったのは、丸太を組んだ三メートル近い塀と、古びた木造の門構えだった。フォート・ウォルシュ──王立騎馬警察の礎が築かれた、今や“記念施設”となった地。

 

「ええ。騎馬警察が、まだ小さな組織だった頃の場所」

 

 セイランの声は、少しだけ湿っていた。門をくぐると、鍛冶屋の作業場、かつての指令室、そして一番奥の平屋──資料館と称された部屋に足を踏み入れる。

 

「……見覚え、あるんですね」

 

「昔ここで訓練した。母もここで任官したと聞いてる。私にとって、故郷みたいなもの」

 

 資料室の一角、埃をかぶった棚に、古い調書のコピーが置かれていた。セイランがそれを手に取る。

 

「この名前……事件の被害者と同じ苗字です」

 

「血縁者、ってことですか?」

 

「可能性はある。でももっと重要なのは、ここの記録と今の事件の地形が似てること」

 

 セイランは一枚の地図を取り出す。

 

「昔、ここに犯人を追い詰めた騎馬隊がいた。その追跡ルートと、今の足跡がほぼ一致してる。つまり……」

 

「模倣犯?」

 

「もしくは、記憶に取り憑かれた誰か。歴史をなぞって“何か”を訴えたい人物がいる」

 

 イーサンは資料棚の一角にあった、手帳の切れ端を見つけた。

 

「これ……RED TRAILって書いてある」

 

 セイランが黙る。

 

「それ、母の部隊名」

 

 沈黙が落ちた。かすかに木の床が軋んだ音だけが響く。

 

「……走ろうか。少し、本気で」

 

 




筆がのらないので暫く休載します。
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