歴史におけるウマ娘 作:久保田
18世紀末、アメリカ合衆国は誕生したばかりの若き国家だった。 ジョージ・ワシントン、そしてジョン・アダムズ――連邦主義者たちは強い政府を築き、秩序と統治を重んじた。だがその政の下では、時に人民の声は置き去りにされ、重税と軍事によって自由の叫びはかき消される。家屋や土地、果ては奴隷にまで課された税は、民衆の心を冷やし、脱税者を救い出す暴徒まで現れた。特に私営レース場の多くが経営難により閉鎖され、ウマ娘たちの多くは蹄を持て余し、行き場を失った。
その風に逆らうように現れたのが、トーマス・ジェファーソンである。 彼は理想を語った。小さな農場、自由に商う人々、そして「賢く質素な政府」。その演説はまるで春風のように国民の心を撫で、民主共和党という新たな蹄音を響かせた。
ジェファーソンが目指したのは「民のための政府」。その理想は、やがて人々の選挙権を広げ、負債者や囚人にも人間らしい法をもたらす一歩へと繋がっていく。
【記録:ウマ娘 ラナ・ミント】 「わたしたちの走る場所がなくなったとき、ジェファーソンという名の春風が吹いた。蹄の音はまだ、誰にも聞こえないほど小さかったけど、確かにそこにあった。」
1803年、歴史は疾走する。 ナポレオンとの交渉の末、合衆国はルイジアナを買収し、広大な西方の大地が地図に加えられる。ミシシッピ川――それはまるで巨大な競走路。農夫たちは川に沿って耕し、商品を運び、大地と夢を耕すようになる。新たな地平を求める者たちと共に、まだ誰も走ったことのない川辺を疾駆する、開拓の先導者だ。
この頃、一部の州では「フロンティア育成局」という、未踏の地に挑むウマ娘たちの支援機関が設立されていた。のちのトレセン学園制度の礎となる小さな組織である。
同年、ジェファーソンの命によりルイスとクラーク、それに命知らずの野心家ウマ娘たちによる探検隊が結成される。彼らはロッキー山脈を越え、大西洋から太平洋への通路を求めて、草原を突き抜け、森を踏破する。
【記録:ウマ娘 スカーレット・パス】 「知らない土地はこわくなかった。風の向こうに何があるか、それが気になってしかたがなかった。探検は、わたしたちにとって、レースだった。」
だがその希望の道は、遠くヨーロッパから届く戦火によって試される。 イギリスとナポレオンのフランスが戦いを始めると、アメリカは両国に農産物を売ることで繁栄を保とうとする。だが、1805年のトラファルガー海戦でフランスが敗れると、イギリスは海上封鎖を強化。アメリカの貿易は苦境に陥る。
ジェファーソンは賭けに出る――1807年、「通商禁止法(Embargo Act)」。海外との貿易を遮断し、イギリスに屈服を促そうとしたが、結果は逆効果だった。港は沈黙し、農産物は行き場を失い、アメリカ経済は揺らぐ。
この時期、多くのウマ娘たちはトレーニング施設も失い、野原や林道でひっそりと自主練を重ねた。港に響くのは荷を下ろす声ではなく、孤独な走行音だった。
【記録:ウマ娘 アイリッシュ・クローヴ】 「風が止んだ。でも、わたしたちは走った。走って、走って、その先にまた風が吹くと信じてた。」
そんな中、ジェファーソンは国の借金を5億6千万ドルまで削減する。行政府の人員を減らし、軍備も削り、無駄をそぎ落とした軽やかな国家に変えた。
そして、同時にフロンティア育成局への小規模な支援も再開された。資金は少なかったが、彼はこう言ったという―― 「この国が走り続けるには、風を捉える者が必要だ。つまり、君たちだ。」
そして、蹄音は西へ向かう。
こうして、19世紀初頭のアメリカは、広がる大地と理想を携えながら、西部という名の“レースコース”へと足を踏み出した。 そこに待つのは未開の荒野か、あるいは未だ名もなき夢か。 蹄の音が重なるそのたびに、アメリカという国は――一歩ずつ、西部開拓時代へと近づいていった。
かつてジェファーソンが語ったように、
「人は、自由に生き、自由に働き、自由に走るべきだ。」
その言葉に呼応するかのように、風のように走る者たち―― すなわち「ウマ娘」たちが、歴史の片隅で静かに、けれど確かに疾走していたのである。
―――
かつては金を求めて人間が集まり、今では衰退しながらも交通の要所として栄え、地域の要としてあるはラグーナ・タウン。この町を守るのは、州政府から任命された栄えある正義の蹄の持ち主──保安ウマ娘Carrooooooootだった。この大陸のウマ娘たちは遅かった。だから、町に保安ウマ娘がいるとインディアンとの勝負には必ずと言っていいほど勝つことができた。
Carroooooooot は速く、頑強だった。走る姿はポールフリー、その立ち姿はデストリエ。アルブルケルケでは負け無しであった。
Carrooooooootは強かった。背には星条旗の柄のショール、足には砂埃を消し飛ばす鋼の蹄鉄。金のボニーテールで顕な首には鍛えられた筋肉。足には脂肪がつかず、理想的なものであった。眼は透き通り、年の流れを感じさせず、その高潔な魂は町の男たちを震わせた。彼女の走りに憧れて町の子どもたちは真似をし、彼女の訓示に大人たちは静かに頷いた。
砂漠広がるこの地では、人参がウマ娘の通貨だった。ここ、ニューメキシコの法にも書かれている。
「人参調整法第9条第1項 何人たりとも人参を独占、または買い占めてはならない。」
しかし、法にはまたこうも書かれていた。
「競走等管理規制法第3条 ウマ娘によるレースはレースの当事者を除き、何人たりともその結果による賭博等その他一切を行ってはならない。
第5条第3項 レースに関して、これに参加するウマ娘による賭博はこれを人参が対象となることを認める。
第5条第5項 レースに関して、地域の治安を乱さない限り、ウマ娘による公道におけるレースはこれを認める。」
この世界で人参の独占を目論むウマ娘たちは、逸れもの以外に他ならなかった。しかし、彼女ら、ならず者ウマ娘たちは自由な競走を掲げ、レースによる完全自由市場を求めた。
「レースは市場原理だ!」とは当時の有名な賞金首ウマ娘のアルデパトス・ホセ・パーツ(910ドル 不当人参独占および逃亡の罪)の言葉である。ならず者ウマ娘は人参の自由を主張した。旧大陸のヒュームおじさんは言った。「正義は人工的である。」と。ならず者ウマ娘はこれを主張した。
しかし、法は有効である。苦肉の策として、街ゆく度に保安ウマ娘にレースを挑み、人参を賭けた。
保安ウマ娘たちは人参の独占は全く許容したくなかった。しかし、レースを持ち出す限りはウマ娘の誇りにかけて、断るウマ娘はいなかった。人間は人参がなくともやっていけるからである。
ある日、ラグーナ・タウンにもならず者ウマ娘集団《ドライ・マッシュ・ランナーズ》が町に現れる。
「ここでレースだ、保安官さん。あたしたちに勝てたら労働力として町に住んでってやる。負けたら、町の人参、ぜんぶいただくぜ!」
レース。ウマ娘の矜持をかけた勝負。逃げられない。Carrooooooootは決意した。町の人参がなくなっては同僚に、人間さんが悲しむ。勝つんだ、と。
Carrooooooootは生え抜きの部下たちと出走した。だがならず者たちは、強かった。人間の強盗団との争いと保安ウマ娘からの逃亡劇で鍛えた脚力、荒野を駆け抜け逃げ出す執念。その日、ラグーナ・タウンの人参は在庫切れになった。人間さんによる宴の準備は残念会になった。仲のいい隣家のお爺さんが「次は勝てるじゃろう」と隠し持ったたったの一本の人参を分けてくれた。Carrooooooootは誇りと人参を失った。後者の方が心を痛めた。
町の人々はウマ娘に人参を暫く売れないことに深く悲しみ、保安ウマ娘たちは敗北の辛酸と、人参を暫く食べられない悲しみとに顔を上げられなかった。だがCarrooooooootだけは、唇をかみしめて右脚で砂を蹴った。保安ウマ娘は、その姿に憧れを再び抱き、ともに駆け抜けた。
心に敗北の文字が強く刻まれた。もう少し首を下げていれば、もう少し低く走れていたら。思いは頭を何度もよぎり、乱れた。ここでCarrooooooootは決意した。自らを再び鍛え上げ、次のレースでは人参を守ってみせる、と。
「…もう一度走る。あたしはまだ、負けてねえ。」
彼女は訓練を始めた。まだ朝のかなり冷えた時間、河岸を割ってダッシュし、乾いた川底を何度も往復し、夜には鉱山跡の傾斜を全力で登った。トロッコのレールを飛び越え、枕木を飛び越え、時にはヘビにびっくりししながら駆け抜けた。
ある日、とある懸賞首を捕らえるべく、州警察本部に指示され目的の町へと列車に乗ったCarroooooooot。車窓から見える外の風景は相変わらずどこに行こうと変わらないものであった。
やはり列車は煙臭いものであると体感し、そのうるさい音に耳を折っていると、列車の後方部から騒ぎ声が聞こえてきた。何事かと席の後ろに目を向けると銃を持った男がいた。列車強盗団《ホース・ライナーズ》の襲撃だと気づくも時すでに遅し。武装した強盗団が乗客を脅し、自分も武器を取られてしまった。しかし、彼女は決然と言い放った。
「乗ってろ。私が引っ張ってく」
列車強盗も乗客も、丸腰で何を言っているんだ、この保安ウマ娘はと思ったが、銃を片手に脅している列車強盗1人を素早く蹴り倒し、撃たれた銃弾を手で握りつぶして、これも1人蹴り倒してロープで縛り、列車の扉をササッと開け、客車の連結を素早く切り離すとロープで客車を脱線させて町まで引っ張っていってしまった。乗客を乗せたまま町まで逃げた。これを目撃した鉄道ウマ娘警察は涙で寝床を濡らした。
Carooooooootはこの日のことを「人参1ガロン貰えた日」と語っている。後日、鉄道会社から損害賠償請求が届いた。
数カ月後、かつて己が負けたならず者ウマ娘集団が現れる。
「前と同じルールだぜ、ベイビー。走るか?」
「いいとも。今度は、あたしたちが勝つ。」
今度のレースは、観客で溢れていた。町中がCarrooooooootの走りを見守る。全力疾走。喉を焼く風。逃げ脚を使い、始めから戦略などない、本気の走りで前に出る。横を見た。ならず者ウマ娘は笑っている。町の大路を使ったレースは直ぐに決着がついた。
ゴールの瞬間、ならず者ウマ娘集団の頭領の頭が後ろにあった。
勝利。ニンジンは守られた。
町は歓声に沸いた。人間さんもウマ娘も祝福し、宴が開かれた。保安ウマ娘たちも調子に乗って踊り、走り、ニンジンの酒をぐいぐいと飲んだ。
夜が明けた。
貯蔵庫には――
何もなかった。
「宴の買い出し、金庫のお金で人参買い占めたって?」
Carrooooooootは同僚保安ウマ娘に聞いた。
「え?だってニンジンを乾杯したじゃん…」
「私、タルごと酒場で買ったよ。最後の分だったの?」
Carrooooooootは、倒れた。
「ま…また、ゼロから守るか…!」
昼、Carrooooooootは同僚と一緒に牢屋の鍵をかけた。こちら側からの景色を見るのは初めてである。外からは昨日負かしたならず者ウマ娘たちが工具を持ってこちらを煽ってきている。
Carrooooooootは人生で初めて、1日中水を飲まない日を体験した。同僚の保安ウマ娘は干からびていた。
勝者の特権、それは牢屋の中で食べない自由。
「人参調整法第9条第2項 人参の独占を不当に企み、またはこれを不当に実行したものはこれを罰金5ドル、或いは1日の拘留とする」
ラグーナ・タウンの朝は、今日も早い。きっと今日も、良い日になる。