歴史におけるウマ娘 作:久保田
ケニアとは何か。これは人類が月に到達するより難しい問いである。もしかしたら、ウマ娘が亀に追いつくことよりも難しいかもしれない。・・・・、違うかも。
ケニア。それはすなわち、ライオンが信号無視をして道路を横切り、庭で飼われるグラントガゼルが郵便ウマ娘にガンを飛ばし、首都ナイロビではモバイルマネーで牛一頭を買えるという、常識の限りでは測れない国である。そして、あらゆる観光客の目がサファリパークの映えなど気にしない野生動物に釘付けになる中──その片隅で、ひそかに、だが確実に、人知れず蹄鉄の音が響いていた。
すなわち、競馬である。
……は?と思ったそこの読者よ。大丈夫。私も最初はそうだった。
ケニアで競馬?いやいやいや、バオ(伝統ボードゲーム)なら知ってるけど、それにしても東アフリカで競馬って、ラクダじゃないの? と、脳内ツッコミが止まらないだろう。しかし、本稿を読み終えたあなたは、今日から東アフリカを「未知の大地」ではなく、「ウマの楽園」と呼びたくなるはずだ。
ようこそ、ンゴング競馬場へ。
ンゴングとは何か。それはナイロビ中心部にぽっかりと浮かぶ、芝と蹄鉄、それに情熱の三重奏。 イースト・アフリカン・ターフクラブ(以後ターフクラブ)なる組織が運営する、東アフリカ唯一、すなわち孤高の競馬場だ。 この競馬場、なんと敷地にゴルフ場が併設されている。「 ウマ娘が走る横でホールインワン」という、ウマ娘もキャディも大混乱な奇跡の空間だ。
1954年に開場して以来、ンゴング競馬場はアフリカ競馬界のオアシスとして、荒い大地の風を受けながらレースを続けてきた。トラックは2400メートルの芝。アスコット競馬場をモデルに設計され、2つのシュートと6ハロンの直線を誇る。ちなみに、レース中に現れるヌーはペナルティではない。風景である。
この競馬場で最も名高いのは、やはり「ケニア・ダービー」。なんと100年以上も続く伝統のレース。でも正直、イギリス人の競馬ファンがこの事実を知ると、「青い!」とか叫びながら紅茶を噴き出すかもしれない。
さて、ケニアにおけるウマ娘とは──。というより、まず「どんなウマ娘がどれほどケニアにいるのか?」という素朴な疑問。
実は、沢山いるのである。
では、どんなウマ娘であろうか?
それはンゴング競馬場のパドックに立てばわかる。耳をぴこぴこさせながら、観客の手からニンジンをもらい、レースになると真剣な眼差しで芝を蹴る、そんな黒かったり白かったり、はたまた黄色かったり。アフリカの日差しの下、汗ばんだ肌を輝かせる彼女たちに向かって、人々はこう言う── 「その脚に、ケニアの未来がかかっている」
事実、ターフクラブはウマ娘の発掘と指導に余念がない。ナイロビの町角、モンバサの海辺、キスムの湖畔にまでスカウトが出ている。
ただしケニアの競馬開催は、だいたい2〜3週間に一度、日曜日だけ。つまり、ウマ娘たちの出番も少ない。そのため、彼女たちの間ではイギリスのロイヤルアスコットや、アメリカのケンタッキーに「転職」したいという夢も少なくない。とはいえ、ケニアで走ることこそ、彼女たちにとって「誇り」なのである。
また、ターフクラブは、若者たちの関心を集めようとあれこれ工夫している。レースだけでなく、「ウィニングライブ」なるステージパフォーマンスも導入され、レース後にウマ娘が勝利のダンスを披露する。もちろん、歌はスワヒリ語と英語の混成だ。
ファッションショーも開かれ、競馬場にはお洒落にキメた観客が集まる。ウマ娘は自作の帽子に装い、若いファンはスマホでライブ配信、昔からの生粋のファンは熱狂。ンゴングには未来と過去が同居しているのだ。
さて、突然だが南アフリカのウマ娘たちの話をしよう。南アのウマ娘が、実はケニアで「無双」するケースが多い。なぜだろうか?
それは「南アでくすぶった才能が、ケニアで咲く」からである。つまり、ケニアは悲しいながらウマ娘界の『逆輸入ヒットの聖地』。かの国で無冠だった彼女が、ケニアの芝を蹴れば伝説となる──。
では、ケニアの競馬は弱いままに消えてしまうのか?答えは「否」。なぜなら、そこに走る者がいる限り、観る者がいる。なればこそ、彼女らは強くなる。ウマ娘たちが一歩一歩、草原を蹴り上げる音。それに心を震わせる人々がいる。
ケニアの競馬は、商業主義や観客数ではなく、「走りたい」「走らせたい」「強くありたい」という純粋な願いで成り立っている。ネットで馬券が買える時代、スマホ片手に実況を追いながらも、やっぱり現地であの風を感じたい。
世界がどれだけ進化しようと── 、ンゴング競馬場の芝の上には、今も昔も、風にたなびく尾と、未来へ向かって走る、ひとりのウマ娘の姿がある。彼女らの名は、まだ知られていない。だが彼女は、きっと、ケニアという国の物語を──その脚で書き続けるのだ。
フィナーレは、まだ遠い。
2014年5月11日 デイビット・サンパニウ
――――――
グラントガゼルの背は、意外と高い。
というよりも、座ったときに地面が遠いのが問題だった。名門メジロ家の生まれ、しかも重賞勝ちウマである私が、アフリカの赤土に落っこちて、顔を真っ赤にして「ぬおお」と呻くなど、国家的損失ではないかとすら思う。
「大丈夫ですか、団長?」
私の乗っていたガゼルの隣に立つ、ケニア政府観光局の案内人──名前はキベさん。首元にライオンの歯を編み込んだネックレスをぶら下げ、民族布とスマホを手にしたその姿は、未来と過去が交差するGoogleマップのようである。
「大丈夫よ。だって私はケニア視察団長、競争の体現者、かつ……旅の乙女なのよ。グラントガゼルに振り落とされるくらいでくじけてたまるもんですか!」
ガゼルは鼻を鳴らしてため息をついた。君、思ってることが顔に出てるわよ。
ナイロビ空港の隣、ケニアナショナルパークでグラントガゼルに乗ったのはなぜだったかしら。空港の外でキベさんがグラントガゼルに乗ってたから、乗ってみたくなったのだったわね。
ケニアナショナルパークは日差しが鋭く、空気が乾いていた。グラントガゼルに改めて飛び乗る。あたり一面に広がるサバンナは、まるでパン焼き機に放り込まれた世界地図。遠くにはキリンが首を揺らし、グラントガゼルが渋滞している。右手には──カバがいる。あれ?カバって、こんなに道路脇にいるの?
「今日も、ンゴングは晴れですね」
キベさんが言う。私たちは今、ケニア唯一の公式競馬場──ンゴング競馬場へと向かっている。時間があったからナショナルパークに寄っていたのだ。道中は未舗装の砂利道で、キベさん曰く、日本の企業が敷いたものなのだという。
この視察は、外交的にも重要な意味を持っている。というのも、近年、アフリカにおけるウマ娘事情は活発化しており、日本からの人参輸出による経済協定のきっかけにもなりうる。文科省から頼まれたのだから、一応成果はあげないといけない。
とはいえ。
「でも私、本当は視察なんてどうでもよくて、ただこの目で見たかっただけなのよ。走る彼女たちを──ケニアの大地を蹴る、未知のウマ娘たちを」
グラントガゼルは軽く跳ねた。興奮が伝染ったのかもしれない。ちょっと腰を痛めかけたから、降りることにした。決して筋力がないからではない。
ナショナルパークを横断し、森を抜けた先に競馬場に着いたのは午後二時。空は真っ青で、雲ひとつなかった。ンゴングの芝は青々として、ところどころに小さなタンポポが揺れていた。
「ここが……ンゴング競馬場」
かっこいい写真の印刷された入場券片手に私は観覧席に立ち、風に帽子を飛ばされかけながら、全体を見渡した。あえてガラス張りの屋内観覧席でなく、屋外に立つ。事前にゴルフ場が併設されているとの話は聞いていたけれど、まさか第4コーナーの内側でパターの練習をしているとは。
「カオスね」
「いいえ、団長。これがケニアの普通です」
ああ、なるほど。なんでも自由なのね。日本にも導入すればどうかしら。中央の競馬場で運動会とか。小さなウマ娘たちのジュニアレースとかしているのだから、地方みたいにサッカーとかしてみればよいのではないかしら。
視線をパドックに移すと、そこには確かに、いた。
黒い肌が陽に照らされ、白い歯がきらりと光る。瞳はどこまでもまっすぐで、耳をぴこぴこさせながら飾られたニンジンをねだる。たまに尾っぽを振りながらも、カメラに愛想振りまくその目つきは鋭い。
「かわいい……!」
思わず口に出ていた。隣のキベさんが「それはウマ娘に対してですか?ニンジンですか?」と訊いてきた。違う。両方よ。
レースが始まる。実況は英語とスワヒリ語の二言語。スタートの旗が振られると、彼女たちは一斉に飛び出した。砂埃が上がり、遠くケニア山の山影に音がこだまする。
「速い……!」
それは日本のサラブレッドたちと同じくらい、あるいはもっと──精神的に──速かった。自由に、強く、美しく。
「この自由さ……まさに私の理念そのものだわ」
私は熱くなる胸を抑え、ハンカチで汗を拭った。自由こそ、競馬の本質。蹄鉄の音は、規制を超える音律。
レース後、ウマ娘たちは「ウィニングライブ」を行った。衣装はカラフルな民族柄とスパンコールのミックス。歌詞はスワヒリ語だったが、ノリは完全にアイドル系。「バオよりはモバイルマネー♪」という謎のフレーズだけは聞き取れた。
観客にはスマホで撮影し、ライブ配信をする者もいた。帽子に羽をつけたウマ娘もいれば、マサイ族風の髪飾りをした子もいる。まるで多文化共生の走るショーケース。
その晩、パーティに招待された。キャンプファイヤーの焚かれる野外で、私はあるウマ娘と話す機会を得た。
彼女の名前は、ジェラバブ。
「ケニアの競馬、楽しい?」
と私が聞くと、彼女は少しだけ、困ったような顔をした。
「楽しいわ。でも……もっと、走りたい。レースの数、少ないから」
「ふむ……なら、公道レースとかどうかしら」
「それ、危ないんじゃない?」
「楽しさとは時に、危うさと引き換えなのです」
彼女は笑った。ケニアの夜風がその笑顔を包んだ。暫く話し込んだ。そしたら、彼女は教えてくれた。どうやらインドへの移籍を考えているらしい。仲良くしているウハガーさんが支援してくれるのだとか。
靴紐をきつくし、サバンナを一緒に走った。彼女はやはり速く、土地に慣れない私には追いつけられなかった。
空には満天の星。私はふと思う。彼女たちが自由に走るには、舞台がまだ足りない。制度でも、資金でもない。「理解」が、だ。
「この国の土地に、走る意味がある。なら、私はそれを見届けにまた来るわ」
「次も一緒に走る?」
「もちろん。名家の看板は、時にサバンナで曇るけど……私の蹄は、まだ終わっちゃいないもの」
人参の味は、国境を越える。競走の旗の下、走る意味を問い続ける者たちへ──私は誓う。次にここに来るときは、日本の人参をたくさん輸出して、日本とケニアの交流を深める……いや、やっぱりちょっと無理かもしれない。
でも──
走りたいと願う彼女たちの「未来」なら。
それに、私たちが本気で向き合わなくて、どうするのよ。