歴史におけるウマ娘   作:久保田

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南部ウマ娘に見る

 春の光はまだ冷たく、盛岡の町並みに差す陽射しも、どこか凍てついていた。けれどその中で、石黒優馬は背筋を伸ばして立っていた。手には小さなノート、肩には革のショルダーバッグ。

 

 『月間トゥインクル』の新馬戦担当として彼が普段取材するのは、勝敗とスピードの世界。しかし今日の任務は異なる。

 

──「ウマ娘の血統と風土の歴史を掘り起こす特集」。

 

 それは、十数年前に亡くなった父が温めていた企画だった。遺されたノートの端に、走り書きで書かれていた言葉。「黒い血は消えない。蹄が記憶している」

 

 隣には、淡く栗毛の髪を風に遊ばせるウマ娘、ホセホリック。地方G1・南部杯で2着に食い込んだ元競走ウマ娘で、今は府中大学のインターンとして彼の取材に同行している。

 

「今日はきっと、特別な日になりますよ」

 

 ぽわんとした口調の中に、不思議な確信があった。石黒はその言葉にうなずき、盛岡行きの新幹線に乗り込んだ。

 

 だが旅路は思わぬかたちで中断される。新幹線が新花巻で緊急停止したのだ。

 

「車両点検の影響により、運転再開の見込みは立っておりません」

 

 車内の空気が凍る。乗客たちの溜息が重なる中、石黒もまた顔をしかめた。

 

「……テロじゃないよな」

 

 ホセホリックは窓の外を見つめていた。やがて立ち上がると、毅然とした声で言った。

 

「釜石線に乗り換えれば、盛岡までは行けます。少し遠回りですけど」

 

 その手際に導かれるまま、彼は東北本線を経て盛岡へと向かう。車窓から見える雪解けの大地、どこか煤けた民家の屋根、川沿いに立つ小さな祠。風が車体にぶつかる音が、やけに耳に残った。

 

 盛岡駅に着いた頃には、予定より1時間以上が経過していた。タクシー乗り場には長蛇の列。バスも身動きがとれない。時計の針が、取材予定時間を冷たく告げる。

 

「……間に合わない」

 

 石黒が唇をかんだその時だった。ホセホリックが、いつもの調子で言った。

 

「乗ってください。背中に」

 

「……え?」

 

「乗バ免許、持ってます。都市部では通行特例が出ていますから」

 

 一瞬、時が止まった。

 

 乗バ免許──正式には「ウマ娘乗用特例騎乗許可証」。ウマ娘の技術に行政からの強固な信頼があるときにのみ発行され、都市圏でも一定条件下で騎乗が認められる制度。実際に運用されている例は少ない。

 

「でも君に誤解されたら……というか、街中で……」

 

「大丈夫です。石黒さんは、とても紳士ですから」

 

 彼女の頬が、ほんのりと赤らんで見えた。

 

 石黒は、目を伏せて、黙って彼女の背に跨がった。高さにわずかに戸惑いながら、背中から伝わる彼女の体温に息を呑んだ。

 

 盛岡の通りが、普段と違う角度から広がる。高校生がスマートフォンを構え、驚いた顔の老夫婦が道端に立ち尽くす。だがホセホリックの走りは滑らかで、美しかった。

 

 蹄鉄の音が石畳を叩き、冷たい風が頬を撫でる。彼女の筋肉が波のように動き、地面から空へと跳ね返る力を、石黒は肌で感じていた。

 

「この音、久しぶりです」

 

「何の?」

 

「盛岡の石の音。昔、走ったことがあるんです。中央に行く前に、一度だけ。……でも記憶より懐かしいんです。匂いとか、風の角度とか」

 

 石黒は、ふと彼女が持つ「距離を超える記憶」のようなものに打たれた。

 

 岩手大学の構内に到着したころ、風の温度がわずかに変わった。ホセホリックが速度を緩め、石黒は静かに背から降りる。彼女の耳が風に揺れていた。

 

 獣医学部の1号館。重厚な木の扉を押し開けると、眼鏡をかけた細身の男が現れた。樫山重規教授──東北馬事文化史を趣味で研究する文学博士でもある獣医学の第一人者だ。

 

「やあ、君が石黒くんか。さっき噂で聞いたよ。“盛岡で騎乗の青年”って」

 

「……もう……」

 

「もちろん。なかなか絵になっていたとかね、君とホセホリック嬢は。さて、本題に入ろう。南部の黒ウマたちの話をしよう」

 

 教授の語りは熱を帯びていた。南部藩が育てた駿馬たち、戦で祈りを背負って走った黒ウマたち。彼の語る言葉が、ホセホリックの耳に静かに響いていた。

 

「ちなみに、ホセホリック嬢、君から取材申し込みがあったときに調べたのだが――、君の血統には、南部の牝系がある。資料で確認した。……これは偶然じゃないだろう?」

 

 ホセホリックの瞳が、かすかに揺れた。

 

「……調べたことがあります。母方の祖母が、北上で育成されたと聞いて。ずっと昔の話ですが」

 

 教授はうなずいた。

 

「血は、土地と記憶を運ぶ。君はこの地に呼ばれたんだよ。走り、蹄を鳴らし、風と石の音を思い出すように」

 

 石黒は、胸の奥に灯るものを感じていた。

 

 歴史とは、古文書の中にあるのではない。いまここに、彼女たちが走ることで記される「生きた記録」なのだ。

 

 窓の外。雪解けの地面には、ほのかに芽吹きの気配。風の匂いが、草を連れてきていた。

 

 ホセホリックは、変わらぬ穏やかな笑みを浮かべていた。だがその笑みの奥には、過去と現在、記憶と風土をつなぐ何かが、確かにあった。

 

 インクが切れ、文字が紙上で掠れ、滲んだ。

 

 

――――

特集連載②南部に見るウマ娘史 筆:石黒優馬

 

 普人ならざるものとして生まれ、人として扱われてきた者たちがいる。

 

 強靭な足を持ち、尾を揺らし、耳をぴくりと震わせながらも、言葉を交わし、歌を知り、誰かを愛し得るその存在──それがウマ娘である。

 

 日本列島において、彼女たちは古代より「人」として、あるいは「人以上」として生きてきた。神話の時代より祀られ、戦の世では騎乗の主とともに矢を避け、近世には田畑を耕し、近代には鉄と火薬の時代に徴発されて戦地を駆けた。列島に生きる人々が築いてきた社会と文化の深層には、常にウマ娘の足跡がある。

 

 そのなかでも、北の地──南部地方に根ざしたウマ娘たちは、特異な存在である。重厚な体躯と忍耐強さ、優れた知性と静けさを兼ね備えた彼女たちは、ただ労働に供される「ウマ」ではなかった。彼女たちは、自らの意思と魂を持ってこの列島の人々とともに歩んできた「ウマ娘」だった。

 

 春、岩手山を越える風はまだ冷たい。安比高原の尾根にしがみつくように生えるブナの葉が芽吹く前、岩手の山間にはまだ雪が残る。そしてその雪を踏んで進む足音の主は、かつて黒ウマと呼ばれたウマ娘たちだった。

 

 彼女たちの記録は、古くは奈良時代初期の文書にも登場する。7世紀、大和朝廷が各地に「牧」を設け、優良なウマ娘の管理と教育を制度化していくなかで、糠部郡──現在の岩手北部から青森南部にかけての一帯が、重要なウマ娘居住域として認識されていた。朝廷の命により、優れたウマ娘の権利が厳しく統制され、「糠部の娘たち」は半ば国家の所有物として生きることになる。

 

 だがその前史はさらに古い。列島におけるウマ娘の起源は、ふたつの系統に分かれる。ひとつは、旧石器時代からの流れをくむ「先住ウマ娘」。もうひとつは、古墳時代後半、百済との外交のなかで朝鮮半島から渡来した「モウコウマ系ウマ娘(北湖系ウマ娘)」である。

 

 百済よりもたらされた軍事的支援の一環として、彼女たちはまず九州北部、そして山陰、東山道を通じて、甲斐、信濃、さらには東北へと拡散した。その移動は人の移動と変わらぬ、またはより困難な苦労を伴い、1~2人ずつを船に乗せて対馬を経由し、本州へ。玄界灘を越えたその海路は、やがて神話となり、「渡半島」の名とともに語り継がれていく。

 

 東北の山々は彼女たちの身体を鍛えた。塩分を含んだ穀草、傾斜の強い道、寒冷で乾いた空気。ウマ娘たちはそこで側対歩という特異な歩様を発達させ、蹄を堅くし、消化器を強くした。そして何より、互いに助け合って暮らす知恵と共同体意識を培っていった。

 

平安時代には彼女たちの重要性はさらに高まり、自由な移動は禁止され、徹底な教育が実施されるようになる。その規律のなかで、彼女たちはますます「国にとって必要な存在」として位置づけられ、人間社会の制度に深く取り込まれていった。

 

 やがて、武士の時代が訪れる。

 

 騎馬戦の時代において、ウマ娘は単なる乗騎ではなかった。彼女たちは戦友であり、知恵と意思を持つ戦士であった。特に南部のウマ娘は、重い甲冑を身にまとった武士を背負ってもひるまず、険しい山道を駆け、敵陣へと突撃した。

 

 源頼朝はその力を見抜き、甲斐から家臣・南部光行を糠部に入部させる。彼は甲斐流のウマ娘育成法を導入し、牧野を再整備した。そして南部氏の支配下で、ウマ娘教育の体系化が進む。騎乗技術、農耕技術、行軍時の協調行動、さらには神事における所作までが規範化され、糠部の地は「教育の都」となる。

 

 江戸時代、南部氏が治める盛岡藩は領内に九つの「藩営牧場」、すなわち「南部九牧」を設ける。これらは単なる牧ではない。そこはウマ娘たちの生活と学びの場であり、まさに彼女たちにとっての学校、あるいは寄宿舎であった。ウマ娘が育まれる教育機関であった。明治期には薄れてしまう人としての扱いが強く見られた。

 

 若きウマ娘たちは9歳から15歳までの間、牧場内で共同生活を送りながら学ぶ。指導ウマ娘の下で読み書きそろばんを学び、礼儀作法と労働倫理を身につける。卒業後、彼女たちはその能力と性格に応じて職を与えられた。藩主の侍女、神事の巫女、江戸城下の護衛、各村落の教師──彼女たちは人の娘と同じように社会の中核に位置づけられたのである。

 

 それは、封建社会のなかにおける“人としての承認”のひとつのかたちだった。もはや彼女たちは「ウマ」として扱われていなかった。名前を持ち、血統を記録され、時に家系を継ぐものとして遇され、地域の祭祀や教育にも参画した。

 

 だが、明治維新という近代の嵐は、その制度と共同体を一掃した。

 

 新政府はウマ娘を再び「戦力」として再定義する。輸送・農耕・軍事。そのいずれにも耐える強靭な身体と知能を持った彼女たちは、ただの一労働者として、国の歯車となっていく。帝国陸軍による軍バ指定が行われ、南部の学校は国家直轄の供給源へと変貌する。甲冑も詩歌ももはや存在しない。あるのは粗食、訓練、行軍、戦闘。規律と効率が最優先された。

 

 古来の牧野や教育制度は廃され、伝統的なウマ娘の生活文化は急速に失われていった。その文化破壊の傷跡は、未だ癒えていない。

 

 そして戦後。戦車と自動車に取って代わられたウマ娘たちは、もはや「使われる存在」ではなくなった。だが、だからこそ、彼女たちは「生きる存在」として再発見され始める。

 

 かつての牧跡は今、郷土資料館としてその姿を留めている。南部九牧の一部では文化保存活動が行われ、在来ウマ娘文化の保存に取り組む団体もある。また、岩手県内の一部地域では、春祭りにおいてかつての黒ウマたちを模した仮装行列が行われている。そこには幼き娘が、祖母譲りの黒い外套を羽織り、藁沓を履いて歩く姿がある。

 

 問いかけよう。私たちは、彼女たちを今、どう見ているだろうか?

 

 彼女たちの美貌に驚嘆し、脚の速さに感動し、パフォーマンスに喝采を送る。そのこと自体は悪いことではない。しかし、それだけで終わってはならない。彼女たちはただの偶像ではなく、かつてこの国を生き、今まさに生きる「人」であったのだ。

 

 彼女たちは語った。怒った。祈った。愛した。そして何より、走った。自らのためではない。他者のために、共同体のために──その背には常に誰かがいた。

 

 だから、思い出そう。あの雪を割って芽吹くフクジュソウのように、彼女たちの記憶は土の奥で眠っているだけなのだ。耳をすませば、きっとその声は聞こえる。

 

「わたしたちは、人として、生きたのです。」

 

 南部の黒ウマたちよ。おまえたちは、ただの労働力ではなかった。ただの歴史の脚注でもない。おまえたちは、人だった。声を持ち、名前を持ち、友を持ち、愛を持った。そして今もなお、山の奥で、風とともに囁き続けている。

 

 

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