歴史におけるウマ娘   作:久保田

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ムラービト朝とウマ娘たち

 北アフリカと言えば何を思い浮かべるだろうか。ここで、イスラム世界に言及する者はかなりの歴史通と言う他ない(ハンニバルは見ないことにする)。しかし、その中でも大きな大きなイスラム帝国でなく、小さな、短命な諸勢力に触れる者はもっと少ないかもしれない。

 

 ムラービト朝というのは、11世紀のサハラ砂漠に登場した、いわば「イスラーム系ウマ娘王朝」である。何をもって“系”とするかは異論もあろうが、当時の文献にも明確に「しなやかなる尾をなびかせた王妃」といった表現が出てくるため、言い逃れはできまい。彼女らの出自は、サハラ南部に居住したサンハージャ系ベルベル人の一部族「ラントゥーナ族」の、さらにそのまた一部である「ベッセル族」に遡る。ベッセル族はことウマ娘の出生率が高く、そのため“婿取りの旅”に出る者も多かった。結果、旅先で婚姻と巡礼を兼ねる、という「一石二人参」的な習慣が根づいた。

 

 なお、イスラームはこの時代、驚くほどウマ娘に寛容だった。人間女性よりも行動の自由が多く、旅にも政にも戦にも出た。ある意味、現代より自由だったかもしれない。

 

 1039年、族長イブラーヒーム(ウマ娘)に率いられた巡礼一団は婿取りも兼ねた、メッカを目指す旅の帰り道でカイラワーンに立ち寄る。そしてここで出会うのが、神秘主義的教説で知られたアブー・イムラーン師。彼の語るところによれば、「アッラーフの愛によって自己と神の二項対立を乗り越え、完全なる一体化を果たすためには、まず精神の限界まで走れ、走れ、走り抜けよ」という。ウマ娘の耳がぴくりと反応したのは、言うまでもない。

 

 体が弱く、距離は稼げないアブー師の代わりに、彼の孫弟子イブン・ヤーシーンが紹介される。彼はイブラーヒーム一行とともに西アフリカへ帰還するが、サンハージャの他部族にこの教説は浸透せず、かえって疎まれる。仕方なく、イブラーヒームや他の支持者たちは、現在のモーリタニアにあるセネガル川の島に小さな砦――リバート――を築き、そこに籠って修道生活を始める。騎乗も発声も制限し、アッラーフと己の魂とを静かに見つめ直す生活。水面にたてがみの影が揺れ、蹄も鳴らせぬ静寂のなか、耳とまつげと心だけが動いていた。そんな彼らが「リバート(城塞)に拠る人々」=ムラービトゥーンと呼ばれたのは、至極自然な成り行きだった。

 

 イブラーヒームはこの頃、イブン・ヤーシーンと結婚したと伝えられているが、真偽のほどは神のみぞ知る。だが、月の下で祈りと走りを共にした夜のことを、彼女が「わたしの魂に鞍がついた日」と記しているのは事実だ。

 

 ムラービトゥーンたちは、ただ祈るだけの者たちではなかった。祈りと同じくらい、筋トレと剣術も重視した。後の騎士修道会を思わせるこの“祈走合一”の姿勢は、彼らがどこかで自分たちの教勢拡大を見据えていた証左だろう。1053年から54年にかけて、交易の要衝シジルマーサを押さえたことが、すべての始まりだった。

 

 勢いを得たムラービトゥーンは、イブラーヒームの子孫であるウマ娘ウマルを指導者として、北アフリカで勢力を拡大していく。彼女は極めて敬虔であり、宗教的情熱に満ちた若き指導者だった。民間信仰や地域色を巧みに取り込んだ“ウマ娘中心イスラーム”は多くの支持を集めたが、ウマルの目は常に空の向こうを見つめていた。静かな庭で、雨のあとの広場で、風を読んで耳を傾けながら、誰が見ていなくても走る。走ることそのものが、信仰だった。神学論争が耳の角度で決まったことは歴史の闇に葬られているが…。

 

 彼女の純粋さは国を見事に動かした。その手腕に中央世界は「何やってんの…あいつら(怯え)」。しかし、その純粋さは群体の中で時に異物となる。1056年、ウマルは追放される――政争の結果とも言われるし、あまりに“ウマ娘すぎた”とも言われる。彼女はマリへと移り、競走文化の普及に生涯を捧げた。彼女は人参を報酬として走らせるのではなく、走ることに意味を見出す精神性を説いた。その名は今でも「マリ競走文化の母」として語り継がれている。

 

 対照的に、ウマルの弟バクルは現実的な政治家だった。彼はウマ娘ジェベル(106戦101勝、うち1レース中止)を妻に迎え、聖俗両権を掌握する。ジェベルは穏やかで、嘶くことのないウマ娘だったという。ただし、彼女が走るとき、風と蹄が語り合うような静けさがあった、とも。言葉少なに人々の信頼を集め、諸部族との折衝を粛々とまとめ上げた彼女は、統治の安定をもたらした。チェハ人参事件――些細な人参の収奪が武力衝突にまで発展したこの事件――の鎮圧を経て、ムラービト王朝の体制は完成に至る。

 

 王朝名の由来たる“リバート”は、セネガル川流域に築かれた宗教的要塞にちなむ。やがてムラービト朝はマラケシュを建設して首都とし(1070年)、ついにはイベリア半島へも進出。1086年にはサグラハスの戦いでカスティーリャ王アルフォンソ6世を撃破し、「アル=アンダルスのウマ娘たちの守護者」としての名声を確立する。ウマ娘たちによる馬上戦の様子は、いまなおイスパノ=アラブの古詩に詠まれているという。水を切って進むたてがみと、ほこりをまとった耳の動き。言葉より速く、祈りより真っ直ぐな衝突が、そこにあった。

 

 とはいえ、ウマ娘の走りにも陰りが来る。12世紀に入ると、宗教的な緩みと政の腐敗、そしてウマ娘人材の他朝への流出により、王朝の馬蹄音は弱まっていった。台頭するアルモハド朝は、「神の唯一性(タウヒード)」に基づく急進的な宗教改革を掲げ、その教義にはどこかウマ娘贔屓な匂いすらあった。1147年、マラケシュは陥落し、ムラービト朝はその幕を閉じる。尾っぽの揺れも止まり、最後に響いた嘶きは風のなかへ消えた。

 

 アルモハド朝は、1130年頃にマグリブ西部で結成され、その名の由来――al-Muwaḥḥidūn――が意味する通り、「唯一神の信仰を強調する者たち」として登場する。創始者トゥーメルトは、ウマ娘を**マフディー(救世主)**とみなすという、ある種の“終末論的萌え思想”を広め、ベルベル人の間に革命熱を植え付けた。長く砂漠に埋もれていた耳が、ひとつ、またひとつと立ち上がった。

 

 トゥーメルトの死後は、軍事の天才アブが指導者となり、マグリブとアル=アンダルスの広域を支配。ムラービト朝と違ってウマ娘を制度的に取り込み、芸術・建築・文学といった分野にも進出した。たとえばマラケシュのクトゥービーヤ・モスクは、ムラービト朝の跡地に建設され、幾何学装飾とミナレットで知られる。あるいはセビリアの大モスク跡に建てられたヒラルダの塔などもその代表だ。

 

 アルモハド朝は「強権的で厳格」ながらも文化においては柔軟で、特にイスラームとウマ娘の融合芸術の隆盛を支えた。ただし、13世紀に入るとムワッヒド運動の宗教的緊張は徐々に崩れ、1212年、ナバス・デ・トロサの戦いにおける敗北をきっかけに、アルモハド朝は衰退の道をたどることとなる。ミナレットに尾をなびかせる者はもうおらず、風が吹いても、誰の耳もぴくりともしなかった。

 

 走っても、信じても、滅びるときは滅びるのだ。けれど、それでも走った記憶は、やがて神話となって残る。ウマ娘たちが駆けた砂漠には、今も尚、風の中に馬蹄の残響があるという。

それを聞くには、耳をすませばよい。あるいは、尾っぽの向こうに浮かぶ幻の都を、そっと想えばよい。

 

 ──そしてその記憶は、いつかトレセン学園の片隅に、ふと風を揺らす尾の音として蘇るかもしれない。

 

 

――――

 

 聖フェルディナンドの日──それは、セビリアが記憶のなかで一度だけ羽ばたく日。 5月の陽光は早くから白鳩の羽根のように広がり、石畳の間にまで祝祭の脈が流れ出す。 街路のいたるところに赤と白の布が揺れ、窓辺にはワインとオリーブの香りが満ちていた。

 

 ミナレットの影は、もうとっくに消えたはずだった。 それでも、石の壁のどこかに、消えきらぬ祈りの痕がまだ残っているような気がしてならなかった。 祝祭の鐘が鳴るたびに、空の高みにまでひらりと、誰かの尾の音が響く気がした。

 

 この日、大聖堂前の広場には、朝早くから人とウマ娘が集まっていた。 赤い絹の幕がバルコニーに揺れ、果物売りの少年が白葡萄と蜂蜜漬けのいちじくを声高に売っている。 聖職者たちが大聖堂へと吸い込まれていくなか、広場の一角──井戸のそばの木の舞台には、ひとりの吟遊詩ウマ娘が立っていた。

 

 パラトル。 薄青のマント、片耳のリボン、艶やかな尾に巻かれた銀糸の飾り。 その姿は、空と海のあいだに生まれた風のようだった。

 

 彼女はウードを肩にかけ、そっとその弦を弾いた。 そして、声が生まれた。

 

「──風が吹いた、セネガルの岸辺から。祈りと剣と、耳の震えが城を築いた。彼女たちは駆けた。神を、そして己を乗せて。」

 

 声は絹よりも軽やかで、深井戸に落ちる水のように澄んでいた。 詩はムラービト朝とウマ娘たちの記憶を紡ぎ、静謐な戦と祈りを描く。

 

「尾を風に任せ、走りながら祈る。それが、ウマ娘たちの──祈走。」

 

 観客は息を呑んだ。 人間の老人が胡桃を手から落とし、若いウマ娘たちが思わず耳を立てて頷いた。 人々の間に、「やはり詩の神はウマ娘に宿る」という囁きが、そっと波紋のように広がった。

 

 そのとき、ひとりの街ウマが声を上げた。 毛色の淡い栗毛、力強い太ももの太さが、彼女の勤勉さを物語っていた。

 

「素晴らしい詩です。でも……なぜ、彼女たちの話を? カール大帝でも、レコンキスタの騎士でもなく。」

 

 その声には敵意も皮肉もなかった。ただ祝祭のなかに混じった、真摯な問いの響きがあった。

 

 パラトルは一瞬だけ耳をふるわせた。そして、そっと目を伏せ、静かに言葉を紡いだ。

 

「わたしが彼女たちを語ってよいのか。その問いは、いつも心のなかにあります。でも、信じるものが違っていても、 同じように走り、祈り、愛したのなら── その物語には、敬意を払うべき価値があると、わたしは思うのです。」

 

 沈黙。 それは異質で、しかし心地よい違和のように広場を包んだ。

 

 やや離れたところで、年老いたウマ娘が目を細めていた。 その傍らで孫娘らしき少女が、祖母の耳をそっと撫でた。

 

「でも、おばあちゃん……詩はきれいだったよ」

 

「……吟遊詩ウマ娘、だからな」と誰かが呟いた。 ぽつり、ぽつりと拍手が戻り、祭りの風がひらりと舞台を包み直す。

 

 その後もパラトルは数篇の詩を披露した。一つは東方から来た香料のように妖しく、 一つは失われた河川都市を描いた、胸に沁みる歌だった。

 

 やがて、黒髪を編んだもう一人の吟遊詩ウマ娘──ラビーダに席を譲ると、パラトルは石畳を降り、人々のなかへと溶け込んでいった。

 

 そこからは祝宴の時間だった。ワインと干し肉、オリーブとハモンがめぐり、赤いカラフェが満ちては空いた。パラトルは葡萄酒を注ぎながら、街ウマの子どもに耳を撫でられて笑った。

 

「詩を詠んでると、走るのを忘れますか?」と問われ、「いいえ、言葉もまた走れるものですよ」と応えた。

 

 ──そして日が傾き、長い祝祭が終わりかけたころ。 再び、舞台の上にパラトルの姿があった。

 

 空には宵の星が瞬き、尖塔には金の十字架が薄明かりに照らされていた。彼女は静かに、ウードの弦を鳴らす。

 

「──最後に、ひとつだけ。すべての詩のはじまりであり、終わりでもある物語を。」

 

 唇が震え、声がひらかれた。

 

「トロヤ。燃え落ちた城壁と、そこに残されたウマ娘の嘶き。  神々はその嘶きに息を止め、灰の中から新しい蹄音を聴いた──  そしてその音に、詩の最初の鼓動が重ねられた。」

 

 その声は石の街を貫き、遠くグアダルキビール川の向こうへと滲んでいった。

 

 走る詩。祈る尾。そして静かに揺れる耳に、セビリアの夜がそっと降りた。

 

 ──了

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