深夜。
フォドラの月は静かに空を照らし、士官学校の寮を青白く包んでいた。
静かな夜。月光に照らされる女子寮の近くを、ベレトは見回りのため一人歩いていた。
「……うぅっ……く……ぁああっ……! お……さぁっ! ……けっ……!」
「……!?」
どこかから、誰かのうなされる声が聞こえた。息苦しそうで、切羽詰まったような。
と、そのとき──
「まさか、お化けということはあるまいな」
ソティスがひょっこり脳内に現れて言った。
「…」
「……なんじゃ、その目は。わしはお化けなぞではないわ!」
ベレトは軽く息をついて、声のする方へ向かう。
扉の前に立ち、耳を澄ますと、再び寝言のような呻き声が聞こえてきた。
エーデルガルトの部屋だった。
そっと扉を開けて、静かに足を踏み入れる。
寝具が擦れる音。苦しげな寝息。
彼は一歩、部屋の中へ。
その気配に、エーデルガルトがはっと目を覚ました。
「……ぐうぅ……はっ!?誰!?」
「……師? ど、どうしたの、こんな時間に……」
「夜這いに来た」
「…………………………」
静寂が、降りた。
エーデルガルトは瞬時に全身を硬直させ、そして、その赤面が夜の闇をすら照らす勢いで広がった。
「な……ななななっ、なにを……っ、あ、あなた、い、いまっ!よよよばっ…夜這いって?!」
「夜這いに来た。声が聞こえた。苦しそうだったから」
「くっ、苦しいのは……っ、ああ、もうっ!」
(な、なにを考えてるの!? まさか、まさか本気で!?)
「寝言でうなされていた。心配だったから来た。それだけだ」
ベレトの言葉は、あまりに平坦だった。
あまりに、いつも通りの無表情で。
「……ねえ。師、夜這いっていう言葉……意味、知っているの?!」
「夜、人の部屋を訪ねること。民間の習わしだと聞いた」
辞書に書かれた意味を音読するようにベレトは言った。
「……そう、なるほど」
(やっぱりこの人……意味、知らないのね)
ベレトの表情は変わらない。けれど、彼がここに来た理由──それだけは伝わってくる。
不器用で、言葉を選ばない。だけど、行動で示す人。
「……でも、ありがとう。来てくれて」
「うなされていたから、当然だ」
「当然ね……ふふ」
(本当に変な人……でも…)
エーデルガルトは少しだけ息をつき、掛け布を引き寄せた。
「もう大丈夫。少し寝苦しかっただけよ。ごめんなさい、心配かけて」
「なら良かった。……じゃあ、戻る」
「ええ。おやすみなさい、師」
「……おやすみ、エーデルガルト」
ベレトは静かに部屋を出て行った。
その足音が完全に遠ざかってから、彼女はそっと枕に顔を押しつける。
エーデルガルトは部屋でひとり布団の中で悶えていた。
冷静に事態を振り返るといろいろな感情が湧き上がってきたのだ。
「……夜這い……って……そんな、真顔で来るものじゃないわよっ……!」
(もし、あの時わたしが意味を問いたださずに「来てくれて嬉しいわ……師」とか言ってたら……!?)
(そして、師が無表情で「好きだ。エル」なんて言いながらベッドに上がってきて──そのまま服を脱いで…肌を見せ合って…)
細身だが筋肉質な体。細長く綺麗だがゴツゴツとしている男性的な指をした手が彼女の白い肌へ──
(──だ、だめよっ! な、なに想像してるの私!!)
そのままエーデルガルトはベレトを受け入れ、自然と両腕を彼の背中へ伸ばし二人は密に交わり、蜜のような甘い時間を過ごした…って……って、ちがっ──!)
一度始まった妄想は止まらずどんどん膨らみ続ける。
「…ぅあああああっ!!」
顔が焼けるように熱くなって、布団にもぐって転がる。
静かな夜。だけど、胸の鼓動はなかなか落ち着かなかった。
ーーー
朝。曇り空の下、ガルグ=マクの中庭は今日も変わらぬ日常を繰り返していた。
その一角でエーデルガルトはじっと壁に寄りかかり、一日が始まったばかりにもかからわず、すでに憔悴しきった顔で空を見つめていた。
目の下には青黒く深い隈があった。
頬はまだ熱い。脳裏では昨晩の記憶が何度も再生される。
そのとき、聞き慣れた無機質な声が背後から届いた。
「エーデルガルト」
体が跳ねた。反射的に背筋が伸びる。
「……せ、師……!」
目を合わせられない。呼吸すらうまくできない。
「今日の戦術論、始まる。教室で待っている」
「わ、わかったわ。すぐに行くわ…!」
逃げ出すように歩き出そうとした彼女に、ベレトはふと付け加えた。
「……昨夜の件だが」
ビクリと足が止まる。
(来た……話題に……!)
「“夜這い”という言葉、使い方を間違えていたようだ。すまない」
「…い、いえ…気にしてないわ」
「……俗語として、特定の、意図的な意味があると知った。……すまなかった」
「…」
エーデルガルトは耳を赤くする。
ベレトの表情はいつも通り無機質で、声音にも一切の感情がない。
だがその胸中――
(“女の部屋に入って“夜這いだ”などと……! あはははっ、おぬし! 本当に言うとは…くっく…あははは…!! 信じられぬ!!)
回廊の影のように心に居座る声――ソティスの哄笑が、何度も何度も反響していた。
彼女はあの夜、ベレトの頭の中で延々と笑い転げていた。腹を抱え呆れが混じった笑いだった。
「どうしてそんな恥知らずな言葉を無垢に使えるのだ……っ! そなた、本当に大人か……!?」
(……知るわけがないだろう。今までそういう会話など、ほとんどなかったのだから)
ベレトは心の中で静かに溜息をつく。だが、ソティスの声はまだ残響している。
(あははは……! “夜這い”とは、そういう意味なのだぞ? わかって言ったのではなかったのか!?)
(わかっていれば、言わなかった)
淡々とした内心の返答にも、ソティスの笑いは止まらなかった。
「師…」
エーデルガルトの声が、現実に引き戻す。
「……私も……その、誤解してたわ。いろいろ取り乱してしまって、ごめんなさい……」
「気にしていない。むしろ謝るのはこちらの方だ。すまなかった。……誰でも、知らなければ誤解は起きる」
「……ええ、そうね……本当に」
ベレトの言葉に、エーデルガルトは小さく笑った。
その横顔はまだ赤みが残っていたが、昨夜の混乱よりも、少しだけ柔らかくなっていた。
二人は言葉少なに歩き出す。教室へと向かう並んだ背中に、まだどこかぎこちなさが残っている。
だがその奥で、ベレトは思う。
(……あれ以来、ソティスの笑いが止まない)
ベレトはまた静かに歩いた。
当分、ソティスのなじりは続いた。
風花のルナティックもう一回やろうかなぁ銀雪ルート…