静まり返った部屋の中、厚手の遮光カーテンがしゃっと音を立てて開かれる。
窓を少し開けると、微かに冷たい朝の空気が部屋に流れ込んで、明るい光が部屋に差し込んできた。
窓の前に佇む彼は、すぐそばで気持ちよさそうに寝息を立てる猫獣人の姿を見て、呆れたように小さくため息をつく。
「ヴィクター先輩、朝ですよー。」
呼びかけたのは、6年制のこの学園で4年生になるウィルフレッド、通称ウィル。明るい栗毛色の艶やかな髪と、目尻の下がった穏やかな瞳が特徴的なレッサーパンダの獣人である。
寝息の主は布団を頭から被ってうずくまり、布団の裾をガッチリ抑え込んだ。
彼の名はヴィクター、白銀に灰が溶け込んだ様な髪色が特徴的な猫獣人で学年は5年生になる。
「あと……ちょっと…」
「ダメです、朝ごはん終わっちゃいますよ。」
ウィルはやれやれといった様子で、布団を強引に引き剥がし、彼を叩き起こした。その顔には小さな呆れが浮かぶ。
「……これも“ファッグ”の仕事ですからね」
小さくため息をつくと、昨日畳んでおいた制服をビシッと指差した。
小さな説教を食らった彼はぼんやりした顔でそれを見て、「そんな制度、なくなればいいのに」と小声でぼやく。
ファッグというのは、年下の生徒が特定の上級生の“弟”として、“兄”である上級生の身の回りの世話をする制度である。
「さむっ……寒すぎる…」
ヴィクターはぶつぶつと文句を言いながらも、半ば奪われかけた布団から手を離さない。
その姿に、ウィルはわざとらしく眉をひそめ、
「これだから猫科は……」
と、あたかも見下ろす様な視線を送ってきた。
「うるさいなぁ……」
ヴィクターは不機嫌そうに返すが、渋々ベッドから足をおろし、手を前で組み伸びをする。
乱れた白銀の髪があちこちに跳ね、耳の先と毛先には淡くグレーが溶け込んでいた。寝癖のついた毛並みはふわふわと軽く浮いており、寝ぼけた猫耳が、ぴるぴると朝の慌ただしい物音を捉えようと左右に揺れている。
ヴィクターは、重たげにまぶたを持ち上げる。翡翠色の瞳がうっすらと光を捉え、ぼやけた視界の中で、指先がゆっくりと目元を擦った。
「……まぶし……」
そんな小さな声が、まだ夢の中にいるような調子で漏れる。
寝巻きを脱ぎ、ひとまず新しいシャツに袖を通す。
顔をパシャパシャと洗うと、制服に腕を通して、スカーフを首に回す。
仕上げに、人差し指に嵌めてあった指輪をするりと外し、チェーンに通して首にかける。首元で小さく揺れるそれを、何ともない仕草で襟元に仕舞った。
これが彼の毎朝のルーティーン。
「よし…じゃあ、行こうか」そう言って、部屋を出て、後ろ手でバタンとドアを閉めて、廊下へと足を踏み出した。
⚪︎⚫︎⚪︎
大食堂に着くと、いつものように賑やかな声が広がっている。
「おはよう、ウィル、ヴィクター。」
「お、今日は朝飯間に合ったか!」
ヴィクターは、同寮生からの挨拶に返事も返さず、まるで誰にも気にされていないかのように、無言で席に腰掛けた。
その無愛想さに、周囲の数人が苦笑いを浮かべるが、本人は気にも留めない。
ウィルはというと、そんな彼の様子にも慣れたものといった様子で、いつも通りにこやかな笑顔を浮かべて挨拶を返し、席につく。
食器がカチャカチャと音を立て、周りの騒がしさが耳に入る中、不機嫌そうなヴィクターにいつもと同じ話題を振る。
「それで、今日は何の授業があるんです?」
ウィルが尋ねると、ヴィクターは思い出すように少し考えてから答える。
「えーと、魔法理論と、あと古代魔法の実習とか、だったかな。」
「あ、僕、魔法理論でちょっとわからないところがあるんで、放課後教えてくれませんか?」
ヴィクターはウィルの頼みを微笑みながら受け入れ、「わかった」と答える。
返事を終えた直後、隣の席から声が飛んでくる。
「おいおいヴィクター、相変わらず余裕だな。ところで聞いたか? 生徒会長、また学年成績トップだってよ」
やたらと声の大きい男子生徒が、ウィルの隣から顔を出す。どうやら話を聞いていたらしい。
「しかも、留学の話も出てるって噂だぜ。戦闘値もアドルフ教官に並んだとか……」
「……ふーん」
白パンをかじったまま、ヴィクターは気のない声を漏らす。
「でもさ、会長とアドルフが並ぶってのは、ちょっと無理あるよな。数字だけで戦闘力は測れないし、あの人の本気、見たことあるか?」
言葉は穏やかでも、その目はどこか冷めていた。
「……出た、ヴィクター節」
ウィルは聞こえるか聞こえないかくらいの声で、困ったように笑った。
すると、案の定。
「てかあいつ、ちょっと強いからって、“危険だ”とか“まだ早い”とか、ガキ扱いしてくんだよ?こっちは真面目にやってんのに」
白パンをもそもそと頬張りながら、ヴィクターは口を動かし続ける。
ウィルはスプーンを口に運びながら、タイミングよくうなずいた。
「うん、まあ、教官ってそういうものですよ」
その声音は、完全に否定も肯定もせず、ただヴィクターが言いたいことを言えるように受け止めているようだった。
ヴィクターは口をつぐみ、手元の皿を見つめたまま、ピクリと片耳を動かす。
何か言いかけたがやめたように、鼻で小さく息を吐き、再び口を開く。
「昨日だって、上級魔法教えてくれって恥も外聞も捨てて、頭下げて、頼んだってのに……」
会話だった言葉が段々と独り言へ変わっていく。
「相変わらず魔法大好きっ子だな。お前。」
向かいの席の生徒が笑いながら、呆れたように、けれどどこか楽しげに言う。そうこう言っているうちに、朝食の時間が終わり、授業の予鈴が鳴り響く。
皆、カチャカチャと食器をまとめて教科書を持ち席から立ち上がる。
ヴィクターとウィルも同様だ、
「じゃ、また放課後な。」
「はい」
ヴィクターはウィルに軽く手を振り、それぞれの授業へ向かう。
こうして、ヴィクターとウィルの平凡な日常が、今日もまた始まるのだった。