ある放浪者の備忘録   作:名もなき放浪者

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続編を受けて改稿。真エンドネタバレあり。26.01.01


●封印の解除、獣の巣にて

 わたしが母様と共にいた時間は短い。わたしが幼い内に母様は眠りについてしまったから。けれど、巣の皆には愛情を与えられた。それぞれの思惑が渦巻く中ではあったけれど、ヘラーの娘として、巣が払った代償に対する報酬として。強い力を持つウィルムの血を引きながら、紡ぐ者の性質を強く引き継ぐ娘として。

 そして、父様の城でもわたしは可愛がられていた。城のムシ達は家族とは少し違うし、巣ほど特別扱いはされなかったけれども、王の娘として、あるいは単純にあのような場所では珍しい子供として。大きくなってからは城の一員として。でも、この愛情は本来わたしに向けられていたものだけではなかったと今は思う。

 武芸しか知らない騎士に遊びとして小さな釘を借りて簡単な稽古をつけてもらった時、一番小さな釘も幼いわたしには少し大きかったけれど、それでも小柄な番兵にさえ小さ過ぎる大きさだった。今は空いているからと使わせてもらった訓練場も十分な広さと設備があり、わたし以外に使うムシもいない場所で何の不自由もなかった。当時のわたしはそれらが誰のお古だったのかなんて考えもしなかった。子供らしく我儘を言って困らせて、それをどこか嬉しそうに、それでいて後悔を滲ませる彼らの理由なんか知らなかった。子供は本来こうあるものだと言う意図など。

 少し大きくなって、わたしは一般のムシ達のいる場所にも出歩くようになった。棘のバリケードに守られたエレベーターに乗り、貴族街に入る。その日は更に貴族街を出て、一般のムシ達が行き交う広場を訪れた。母様との思い出は少なくとも、噴水の4つの像の内で真っ先に目に留まったのはやはり母様の像だった。巣では女王だったが、より大きく精巧に作られたムシに仕える従者の内の1体に過ぎない母。記念碑の文もその大きなムシ、ホロウナイトについてしか言及されていない事に少し不満を覚えたが、彼もまた眠っているらしい事に興味を持ち、同行していたハロウネストのムシに話しかけた。

「あの子……いや、あの者は王国の為の犠牲となる為に生まれ、その為に厳しい訓練を積み、それしか知らないままに捧げられたのだ」

「抜け出したりとかはしなかったの? 大人しい子なのね」

「そう……だな……。逃げ出さない優秀な子。そう作られた子だった……」

 当時は本格的な訓練が始まろうとしていた時。訓練は嫌いではないけど、まだまだ幼く遊びたい盛りであったわたしは、外にはこんなにいろんなものがあるのだから、わたしだったら少しくらいは抜け出しちゃう。そんな風に呑気に考えていた。

 

 

 幼さもなくなり、随分おとなに近付いたわたしは、巣からも城からも離れ、歴戦の部族であるハイブで厳しい訓練を積んでいた。力がなければ選べぬ道があるからと。明言はせずとも明らかに何かを想定した訓練計画は、何かしらの彼女たちの経験、後悔に基づくものなのだろうか?

 そんなある時、これまであまり直接接する機会のなかった父から呼び出された。

「今はまだ先の話だが、いずれ役目を果たせなくなった器を取り替える時が来る」

 それは衝撃的な内容だった。母の役目は永遠のものだと巣でも城でもずっと聞いて来たのに、それを完全に裏返されたのだ。けれど、衝撃はそれだけでは終わらなかった。

「だが、次の器は王国内だけで作り上げられるものではない。同じ方法では現行の器を超えられないし、そもそもレディや、以前の器を育てるのに関わった者達が積み重ねられるその犠牲にもうついていける状態ではない。一度打ち捨てた器や逃げた器をそのまま使っても、貧弱な器では傷口を広げるだけ。仮にうまくいってもほんの僅かな時間のその場しのぎだ。だから、この土地の深淵を通じて別の土地の深淵にあるもう一つの虚無に触れさせる。先日、釘鍛冶に作らせた最上級の釘をアビスに投げ入れ、同時に虚無の動きを鈍らせていた灯台の明かりを消してきた。この王国のアビスの入口は封鎖したままだが、真に虚無を操る素質がある者ならば必ず別のアビスに辿り着いて、より大きな力を得て王国へ戻ってくるだろう」

「……その者が母様を殺すのを黙って見ていろという事かしら」

「いや、お前には王国の外へ出て、いち早くその器を探し出し、連れ戻してもらう。早い話、器が自ら戻ってくるのを待っていては間に合わないからな」

 間に合わない。つまり、それは……。

「どの辺りの土地であるとかは」

「さあな。わたしごときの先見など嘲笑うかのように見る度に結果が変わる。しかも、戻っただけですぐ力になる訳でもない。うまくやれば永遠の封印のみならず、あの光の討伐さえ成し遂げる力を持ち得るというのに、それが王国を救う未来を見る事は叶わなかった。それでも、お前は挑戦するか? それが無為に終わるかも知れない中、危険なアビスを巡り、王国の為に母を殺す者を探せるか?」

 現状、今の封印が綻びる様子はなく、王国は問題なく繁栄している。それなのに父の顔は避けられぬ終わりを覚悟した者の顔で、仮に今わたしが役目を辞退したとしても決して驚きはしないのだろう。

「その役目、拝命致します。わたしは何もせずに終わりを迎えるつもりはない。たとえ0に等しい可能性しかなくとも、出来る事は全てやるわ」

 どこのアビスも極めて危険な場所である事は承知の上。虚無が支配する領域など、生半可な者では探索どころか生きて帰る事もままならない。弱い者が束になったところで何の役にも立たない種類の相手でもある。その上、普通の土地がそんな危険な場所を開け放っておく理由はなく、その土地の守り手を相手したり、何らかの形でこじ開けたりする必要も出てくるだろう。

 それでも、わたしの特別な体質と、訓練を積み重ねた戦闘技術があれば、調べるくらいは出来る。父をよく知っている訳ではないけれど、弛まぬ努力を認められたようで嬉しくあった。

 

 

 虚無の性質を学んだ後、すぐに各地へ探しに出た。近くの土地も遠い土地も。必死に探し求める中で、気付けばわたしはすっかり成長して、かなりの時間が経っていた。遠いハロウネストで一度は完全に克服したと思われていた精神の病が少しずつ報告され始めたと噂を聞いた。短命な普通のムシ達にとっては未知の病。力のあるムシ達にとってはかつての大惨事を予感させる恐ろしい前触れだ。わたしにとってもかつての大惨事は話にしか聞いた事のない出来事だった。けれど、その恐ろしさを推し量る事は容易かった。

 今、病の広がりが限定的なのは守護者の力による部分が大きい。病に侵され、少しずつ壊れていく器を外から押さえ込む。同時に器自身に力を与え、崩壊に抗うように回復させる。だから、器の交換まではまだ猶予がある。今ならまだ間に合う。進展のない捜索の途中、そう思って奮い立たせる事しか出来なかった。

 

 けれども、時は無情に過ぎ去り、全てを奪っていく。とうとう王国の崩壊の知らせを聞いたわたしは、またしても空振りに終わった探索の後、久々に故郷へと戻っていた。

 漏れ出す汚染によって悲惨な事になった王国。地上の集落は地下王国の封鎖によって無事だったが、一歩王国内に足を踏み入れれば動く屍となり果てた国民達が病を広げながら徘徊している。取り残された生き残りは逃げ惑い、どこへも行けないまま力尽きていく。騎士達はまだ王国を守ろうとしているが、一匹、また一匹と病に屈し、仲間を認識出来なくなり、正者を敵と見做して襲いかかる。封印から遠く離れている筈の巣やハイブですら同じ状態で、わたしは間に合わなかった、失敗したのだという事をまざまざと見せつけられた。

 

「ああ、戻ったのですね」

「レディ、ごめんなさい。結局解決策は見つけられなかったの」

 女王の庭の最奥。器の作成から離れたレディは、己の庭で静養していると聞いていた。五大騎士の一体であるドライヤに守られながら、二度とあのような残酷な行いはしないと誓った姿で身を包んでいた。

「それでも、あなたの無事な姿を見れた事を喜ばしく思います。わたしたちはこのようになってしまいましたが、あなたはもう自分のために自由に生きても良いのですよ」

「……あなたは何を待っているの?」

 レディは自ら束縛に身を投じているが、その束縛は同時にレディを守ってもいる。棘に覆われ立ち入るのも困難になった庭の奥で、わざわざドライヤを護衛に付けてまで守るものは何なのか。

「廃墟となった王国でも、全ての精神が病に屈した訳ではありません。彼らを救う切り札を作り出す為の大いなる力の片割れ、それを手にするべき真なる者がここへ辿り着く時を待っています」

「……」

「この場所は近い内に更に棘で覆われるでしょう。真なる者が辿り着く為には自らが生まれた闇へ戻り、その影を纏い直す必要があります。そして、閉ざされた深部への門を開くには、灰に覆われた古き墓の奥で王の印を刻まねばなりません。回りくどいようですが、全ては必要な事。そうして初めて、この王国の影を束ねた切り札となり得るでしょう」

 レディはもう次を見据えている。いつになるか分からない特別な器の帰還に備えている。

「その者は、古き光に挑めるだけの戦闘技術を有しているのかしら」

「どうでしょう。弱った器から役目を奪う程度の力はあると信じたいですが……」

「なら、わたしがそれを確かめるわ。最初は小手調べで、幸運だけで道を歩む事など許さないと教える。それに、父様はそれは病の討伐すら可能な存在だと言った。なら、単なる現状維持だけで貴重な器と母様の命を使いたくない。最終的に全力のわたしさえ打ちのめせる力を持った者をここへ辿り着かせるわ」

「……それをあなたに伝えたという事はそういう事なのでしょう。あなたに勝つ実力があるのなら、弱ったとはいえ、選び抜かれ、生まれた時からずっと鍛えられてきたあの子に勝つ事は出来る。ですが、怒りを蓄えた古き光の力は桁違いです。そこでその旅路が終わる可能性、あるいは封印の為に作られた器があなたの意に沿わない可能性を受け止める覚悟はありますか?」

「当然。巻き込む事になるレディたちには申し訳ないけれど、その勝利の為に全てを賭ける覚悟も、もし封印が選ばれた時にその守護を担う覚悟もある。それまで、わたしはこの廃墟となった王国を守り続けるわ」

 

 久々に歩く見知った街並み。どこもムシ達は変わり果ててしまったけれど、風景はかつての面影を残している。

 都は長い年月が単なる水による侵食を生み、降り続ける雨がかつてと異なる表情を見せている。その周囲は病の拡大を防ごうとして流された酸に囲まれており、ウヌの支配する緑の道や、ムシでも獣でもない菌類が支配する胞子の森はその被害を大きく受ける二重苦となっている。反対に灰の降る墓は酸が流れ込んでも変わらず静かなまま。脱ぎ捨てられたウィルムの殻に近付く者もなく、少しずつ腐っていく死体が灰となって吹き出し続けている。都に近い場所では、終末思想で自棄になっているのか、治安も倫理も死んでいる闘技場が盛り上がりを見せているが。

 けれど、かつて王宮があった場所の風景は様変わりしていた。門と一体の影の兵の死体だけを残して忽然と消えている。どうにか近くで城付きのムシを捕まえて事情を聞いてみたが、彼らから見ても王と王宮は突然消え失せたらしい。レディ曰く、大いなる力の片割れはここにあるらしいから、何らかの仕掛けはあるのだろうが……。

 ここで会えないのは想定外で、何か明確な用があった訳でなくとも、きっとまだ会えると思っていたのに結局再会が叶わなかった事に動揺して、少しぼんやりとした気持ちのまま城を離れた。元々限られたムシしか入らないこの場所に人気はない。しかし、そんな場所だからこそ潜むものもいた。

「?」

 気のせいかと思った。近くで何かが動いた気がしたのに、辺りを見回しても誰もいない。でも、何となく物陰が暗いような。

 直感に従って針を投げ込む。途端に物陰から声も無く転がり出てくるものがある。頭全体を覆う白い仮面。長い影を持つ独特の虚ろな気配。表情の読み取れない顔は、警戒しているのかじっとこちらの様子を覗っている。

 壊れかけた器から漏れ出る光の気配によって、あちこちから生き延びた器が呼び寄せられる事は分かっていた。本命の器以外も、生来刻み付けられた役目によって。

 針を構え、器に襲いかかる。こちらを警戒していた器はかろうじて突進を躱し、そのまま逃走を試みる。蛾の羽根の衣を纏う器はなかなかにすばしっこいが、動きは単調だし、糸で飛び回れるわたしを振り切れる程ではない。

 場数を踏んでいる様子もなく、臆病で、それでも呪いに縛られて姿を現したようだ。最低限の訓練だけは積んでいそうな中途半端さが、逆にこれは本命ではない事を示している。

 あっさりと針が器を貫く。真ん中から縫い止められてもなおもがいていたが、傷口から虚無を流れさせ、仮面に大きなヒビが入るとそれきり動かなくなった。

「……まだ死なせたくない……」

 酷い私情だ。こんなのはただの理不尽だ。確かにこれは封印の器足り得ないが、今葬らなくとも守護者の周囲のムシ達、それ以前に病で凶暴化するその辺のムシ達によって殺されていただろう。古い光の影響を受けたムシ達が器を敵視しない訳がないのだから。それなのに、もしかしたら母様が殺されるかもしれないという不安に駆られてしまった。

 事切れた器を見る。器が作られていたのはわたしが生まれるより前の話だから、少なくともわたしよりは年上だろう。しかしその殻は未だに未熟で子供以外の何ものでもない。それが倒れている様子は同情を誘う。

 手を伸ばそうとして、咄嗟に距離を取る。器から漏れ出た虚無がその面影を残す形を取り、曖昧な腕のような物を振り上げたからだ。動きは鈍く、避けるのには苦労しないが、決して触れてはいけないと本能が告げる。ふわふわと浮かぶ影は、やがて解けるように消えていった。

 ……今のは明らかに外れだったからいい。心情的には全く良くないが、もしこれが半端に力がある器だったらどうだろうか。そもそもアビスから連れ出されて訓練させられていた器は何かしら可能性を見出されていた筈だ。取り逃がさずきちんと始末しておいてくれればとも思うが、もしたった一匹だけ逃していたら本命と見分けられるだろうか? それに、こうして一匹ずつ始末していく過程は、器という存在がいかに非道な行いの上に生み出されたのかを突き付ける。では、本命以外が呪われていなければ? そのような事はそもそも不可能であるし、行動が縛られているという事は虚無本来の凶暴さが封じられているという事でもある。束縛がなければ王国は汚染よりも先に虚無に呑まれて滅んでいただろう。

 結局、この件に関しては元々部外者で、出来合いのものをただ享受する立場でしかない。紡ぐ者たちは関わっていたようだが、それはその協力の対価としてわたしを得る事が目的であり、器そのものにはさして興味を抱いていない。同じ天秤の反対側に乗せられて、勝手に責任を感じていただけで、実際は他人事でしかなかったのだと、今更理解したようだった。

 

 

 母様が消えるのと入れ替わるように小さな亡霊が目を覚ます。

 あれから、わたしは数え切れない程の器を殺してきた。どれほど遠くへ逃げても、どれほど長く生き抜いても宿命からは逃れられない彼らに同情する部分はある。どれほど弱くとも資格のない器は殺さなければならない。呪いで縛られた彼らは殺されなければ止まれない。半端なものに光を逃がされては敵わない。

 これは優秀な器だ。戦闘能力は高く、器としても極めて大きな虚無を内包している。忽然と姿を現したその足取りは、間違いなく遠い虚無から王国へ戻って来た証だ。封印の引き継ぎは問題なく行えるだろうし、場合によってはそれを超越する結末も実現させ得るだろう。呪いに縛られている割には寄り道が多かったが、それによって戦闘能力を高めた訳であり、大枠では役目の為と言える。一部完全な好奇心としか思えなかったり、無駄に死にかけている場面もあったが……。

 もしかすると、この器もまだ生きたいと、自由になりたいと願う事があるのだろうか? アビスに生まれ、アビスの底から別のアビスへ、そしてそのまま国外を旅して来た器に王国への思い入れなどある筈がない。苦しみばかりの生まれと廃墟しか知らない器が身を捧げる理由など、そのように作られたから以外にない。

 ともかく、これが封印の器となるのなら、今度こそ永遠となる可能性がある。討伐を行うとしても、勝敗に関わらず何らかの形で終わりが訪れる。虚無の心にはいかほどの力があるのだろうか。仮に今度の封印も駄目だったとして、器はもう作られていないし、使える器も残ってはいない。母を見殺しにした者として、この器を最大限守る事だけがわたしに出来る事だ。

 母の寝台から器を追い払い、最後の別れを済ます。残った夢見の守護者は母が最後だった。それは偶然なのか、わたしへの配慮だったのか。とにかく後は黒卵の神殿へ向かうだけだが、彼にも別れを言いたい相手はいるのだろうか? 随分隅々まで探索していたようで、その分知り合いも多そうだが。……今更そんな大きな寄り道はしないでしょうね?

 急に不安になって知り合いらしい相手をいくつか回ってみたが姿は見つけられず、ならばもう神殿に行ったかと思えば黒卵はまだ閉じたまま。本気でどこに行ったのか、もしや外に出たのかと空を見上げてヘラルドが飛んで行くのを目撃した頃、越境の高台である風鳴りの崖から勢い良く小さな亡霊が戻って来た。どうやらダートマウスの住民達の顔を見て行くようだが、これ以上寄り道はしないだろうと見て神殿へと向かう事にする。いや、今まで一体どこにいたのか。そう言えば先程のヘラルドも同じ方向から飛んで来ていた気がするが、このタイミングであいつを追い回していたとでも言うの?

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