ある放浪者の備忘録   作:名もなき放浪者

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続編のネタバレしかない


●母達と

 ムシ達が遠くから旅してくるのを待っていた。全ては己を広くばらまく為。いつか誰かとの間に種を結んでみたいとも思うが、これという相手はなく、ただ思うがままに根を伸ばす。しかし、だからといってここまでの大物が訪れる事など全く予想してはいなかったのだ。

 ウィルムといえば特異な個体でなくとも大きな力を持つ種だ。その中でも長い時を重ねた巨体に蒼白の光を持つ王の姿をした個体。根が伸びる先よりも更に遠方から訪れた、特に魅了されている訳でもなさそうな強いムシの姿に、もしやこの地の支配権を奪い取りに来たのではないかと身構える。わたし自身は今のこの地の頂点にいる訳ではないが、支配権の争いとなれば全てが巻き込まれるのが常である。

 しかし、齎されたのはこの上なく魅力的な取引であった。まず第一にこの神々に溢れた土地において古の者一匹で成し遂げられる事など高が知れている。故に協力して一つの王国を作り上げないかという事。そして第二にその王国を守る為に大量の強い子が欲しい。その器としてこの身を差し出す代わりに深層の地の更に奥深くまで根を伸ばし、奈落の底で実を結んで欲しいという内容だった。

 内容だけ見れば妙に具体的ながら意図を掴みかねる部分もあったが、先見の力を持つのだと言われればなるほどと思える取引だ。力を持つ者としてやはり国というものにも興味は惹かれるし、何より子を求めるのはこちらも同じ。単なるムシと異なり、たとえ身を差し出しても終わる事のない存在であるのも良い。長く続きそうなこの取引には利しかないと言えよう。

 ……己の一部としてばらまくだけで育てる発想すらなかったそれらの扱いについては、当時は何も考えていなかった。種が広がる事は良い事だ。最も生き物に厳しい場所の一つであるアビスにも適応するムシは存在するそうだし、自分では長く留まれないあの場所でも誰かは芽吹き適応するだろう。

 

 

「おや、少し大きくなりましたか?」

「ええ」

 あの最初の出会いから随分経った。国を守る計画が次の段階に進んだ頃、獣の女王が抱くのは少し前に王が取引の一環としてなした子だ。物心も付かない幼子は、母の腕に抱かれてすやすやと眠っている。

「抱いてみますか」

「良いのですか?」

「あなたなら問題ありません」

 そっと受け取ると、多少むずがるそぶりは見せたが、ゆっくり揺らしている内に安心したようにまた寝息を立て始めた。単なる本能以上に子を守り育てるというのは新しい価値観だ。時に元々の生態から外れる価値観となる事もあるが、彼女達の場合は子を育てる事自体は普通のように見える。愛情というには次世代に向けた打算が色濃いようでもあるが。

「……可愛らしい寝顔。物心が付くまではまだまだかかりそうですね」

「そうですね。いくら偉大なる父を持とうとも、わたしは所詮単なる獣に過ぎませんから」

「あまり卑下するものではありませんよ。あなたは民に愛される女王なのですから」

「それでもです。……ところで、あなたは恨んでいますか?」

「何をです?」

「我々の一族があなたの夫の血を望み、それが受け入れられた事を」

「いいえ。強い子を求めるのは当然の事ですから」

 彼女達の事情は多少知っている。故郷では神の眷属として聖なる者と扱われた事。本当は高貴でもなんでもないただの獣の末裔で、奴隷のような立場でしかなかった事。

 今、彼女達の一族は暗闇の巣において統治者として崇敬を向けられている。死んだ彼らの父が忘れられる程に暗闇の巣は彼女達の糸で絡め取られていると言っても良い。支配権を巡る争いなどよくある事とはいえ、高貴な存在でありながら歪んだ獣達に全てを奪われ死んだ、かの父の怒りはいかほどだったか。ただ、これ以上力のある存在と事を構えるのは無謀と判断したのか、今のところ巣から離れた場所では不穏な行動はしていない。

 野心自体はあるようで境界での小競り合いは絶えないが、暗闇の巣とハロウネストの間にナワバリを持つ菌類などは明確に彼女達を単なる獣と見下している。決して協定は結ばない姿勢であるし、ハロウネストだって取引はしたが協定は結ばず、カマキリ族との間に彼女達を見張る協定を結んでいる。

 それでも彼女達との取引はハロウネストにとって利益があった。彼女達自身をも呪うあの糸とそれによって紡がれる魔法は有用だ。その爪によって作られる高度な道具が、たかが娘一匹を産ませる事で得られるのなら妥当だと言えた。彼女達にとっても彼女達の糸の力を宿しつつ本当の神の血も引く子供はとても貴重な存在となるだろう。糸の力こそ至上、自らを神聖だと思い込む彼女達の血筋だけでは力のある子など生まれる筈もない。彼女達が彼女達の神から自由になる為には必須の存在だ。

「この子がいつか希望となると良いですね」

「まずは無事に育ってくれる事を願いたいです。大切な娘ですから」

「ふふ。母としてはまず健やかな成長ですか」

「それで1つお願いがあるのですが……時々でいいので、この子の面倒を見てもらえないでしょうか」

「私に、ですか」

「きっと一族の者はこの子に愛情を注いでくれる。ですが、それはいつか女王になる者に対するものであり、彼女達では決して母にはなれない」

 それはそうだろうと思う。そもそも目的の為だけに生み出された子であり、彼女達は平気で他者を道具にする性質である。だからむしろ、自ら産んだ子とはいえヘラーがこのような気の掛け方をする方に驚いた。

「厚かましい願いかも知れませんが、彼女達だけに任せていてはこの子は彼女達にとって都合のいい傀儡にしかなれない。しかし、わたしは彼女達に掌握されるだけが未来ではないと聞いた。その意味があなたなら分かるでしょう?」

 ヘラーは彼女達の中では異質な存在だ。姿が異なるのもそうだが、彼女だけは自分自身を生きているように見える。周囲の者が皆呪われる中でただ一匹正気であるような。孤独にもがくヘラーの姿はその娘の未来の姿であるように思えた。

「そうですね。それが彼の見た未来ならばわたしも喜んで協力しましょう。ですが、精神だけ守っても余計な苦しみを生むだけ。わたしの知り合いに歴戦の部族を束ねる者がいますから、彼女にも協力を頼みましょう」

 糸の扱いは彼女の同胞が教えるだろうし、それだけでもそれなりには強くなれる。だが、きっと糸の力に頼らない戦闘能力も必要となる。彼女達も出し抜くのならそれぐらいはしなければ。ヘラーは安心したような様子で深く頭を下げる。それから一つの覚悟を秘めてわたしを真っ直ぐ見た。

「あなたがこの子の面倒を見て下さるならわたしも安心出来ます。その代わり、あなたの子はわたしがわたしの全てをかけて永遠に守りましょう」

 

 

 彼女の娘は母にとてもよく似ていた。自らと自らの未来を守れるようにと考えた結果、多少厳しい育て方になってしまったように思うが、彼女は一切折れずについてきた。彼女達の企みを教える事はなかったが、それとなく別の世界を見せるようにした。そして彼女達よりも我々の国に強い愛着を抱いたようだった。

 託された子が育ち、これ以上母のように接する必要もなくなった頃、私は王宮近くの閉ざされた扉の前に立っていた。ここは王の印によって封じられ、2度とこの先へ入る事は出来ない。

「ここは君にとっても危険な場所だ。あまり近付くべきではない」

「わたしはそんな場所に我が子を突き落としたのですね」

 ヘラーとその娘。共にある事は出来ずとも、そこには深い愛情があった。ヘラーだけではない。王国に生きる多くのムシ達が我が子の健やかな成長と幸せを願う当たり前の感情を持っていた。

 一方で、子を道具として扱う価値観も珍しいものではない。今でも獣の多くは生き残る為に子を産むし、生まれた子も我が身を顧みず種の為に生きる。そういった生態の種に連なるムシ達がそう簡単に変わる訳がない。

 託された子は師の教えに背いてまで国の永続に加担する事を選んだ。我々は本当にその想いに値する存在だろうか。

「そもそも一切の心を持たない器を作る計画だった。それがなかなか上手くいかずに苦痛を強いる形になったのは君の責任ではない」

「それでも止めなかったのはわたしです。それどころか、上手くいかず繰り返される試行錯誤に対して、やはり難しい、時間がかかるのも仕方ないと思うばかりでそこにある犠牲を見落とした。彼らを単なる材料のように認識していた」

 あまりに鈍感過ぎる。恨まれる覚悟もないどころか、恨まれると言う発想すらなかったなど。

「もう、この場所に入る事はないのですよね」

「ああ」

「これ以上の新たな器……新たな子は必要ない」

「そうだ」

「あの子は完璧な器、或いは完成形と呼んで良いものですか」

「……」

「完全でないものを永遠に縛り付けたのですか」

「国の存続に関しては最善だった」

「……そうですか」

 つくづくこの国の女王でしかない自分の思考が嫌になる。器が僅かに弱り始めているのは気の所為ではないと知っても、必要な犠牲だと考えてしまう。高貴な者と呼ばれても、その実態は他者を踏み潰す事になんの感情も抱かぬ者でしかない。

「完全でなくともあの子がこの非道の生み出した限界、終着点ですか」

「いや……、もう1つだけ終わっていない計画がある」

「まだ私に何かさせようと?」

 いくら国の為でももう何もしたくない。それなのに、内に燻る欲求がまた足を踏み外させそうで恐ろしい。

「君にはある物を持って待っていてほしい。それだけでいい」

「待つ?」

「今はまだ渡せる物ではないが、望むのであれば表舞台から離れてもいいし、一切の干渉を拒絶してもいい。もしかしたら君のところまで辿り着けない可能性もあるが、成功しても失敗しても最後の作戦だ。成功すれば、今度こそ真に一切の精神を持たない完全な器になるだろう」

 私から見ればこれ以上ない提案だろう。たとえ気の迷いがあろうと二度と子供は産まずに済む。女王として表舞台に立つ事もなく、自罰的に過ごす事が出来る。その上、当初の計画のような苦しみも知らない器が得られるかもしれない。

 諦めが悪いし、懲りないし、他者の提案にあっさり乗ってしまうのは悪い癖だ。その後しばらくして送られてきたある物を見て、結局、私は私だけ覚悟が足りなかったのだと思い知らされる事となるのだった。

 彼が目的の為ならどんなものでも差し出すとよく知っていたのに。

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