ある放浪者の備忘録   作:名もなき放浪者

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純粋と光輝、初めの頃

 まるで愛された子を眺めているようだった。

 いや、そこに愛があったのは事実なのだろう。地獄のような仕打ちも、こいつにとっては気に留めるような事ではない。苦しみに麻酔をかけられた心には、捨てきれぬ情が与える僅かな愛ですら充分な物。身を捧げるべき王国と、その頂点にある両親。全てを差し出し尽くすと言う行為が更に愛着を生む。

 一応、それを危惧した跡はある。追加で刻み込まれたルーンは精神の動きを抑える。そしてそれをこいつは無抵抗で受け入れた。だが、無抵抗だからこそ傷とならず、精神が崩壊していない。

 とは言え、傷がないからこそ安定している部分もある。例えばこれを力づくで突破するのはほぼ不可能と言って良い。作りだけならその名に違わぬ理想形であり、器としては確かに最上級。その他大勢のムシ達のように囁き唆すとしてもしばらくは無理だ。本能と呪いの両面でわたしを敵視し、忠誠と愛着、何よりあの大勢の中から選ばれ、王国の持てる力全てを使って鍛えられた自信が誘惑を拒絶する。

 でも、拒絶だったらいずれどうにかなる。もしも本当に全てが彼らの理想の通りに誘惑される心がなければお手上げだった。限りなくそれに近付けた精神に干渉するのは困難極まるが、幸いにもここはこいつの中なのだ。こいつの殻はわたしとこいつの心を隔てる位置にない。身を守る壁は作れないし、こいつの状態は丸見えだ。あの他者の力や技術を集めるばかりの物乞いに懐くこいつの思い出は腹立たしい物であるが、それを道具としてこいつを壊せるのなら多少は溜飲も下がろう。

 定命の存在でないわたしにはいくらでも時間がある。焦らず着実に、奴の哀れな愛し子が壊れるのを待つだけだ。

 

 

 王国を脅かす存在は思いの外大人しかった。悪しき存在でなくとも、永遠に囚われるとなればもう少し抵抗しそうなものだが、光が抵抗したのはこの身に収めるまでの事だった。

 何にせよ、役目は果たすのみ。父上達の想定の範疇に収まったのなら問題はない。

「永遠に囚われているのはお前だろう?」

 封印の為だけに生み出されたのだから、他の道は必要ない。

「だからお前は抵抗しなかったと。あの場所での生活は温かさに満ちていたのにな」

 返事をしたつもりはない。

「そもそも声を持たないお前は返事など出来ないだろう。わたしの声を聞いたお前の思考、お前自身に対する言い訳、わたしはそれらに適当に感想を言っているだけだ」

 思考と言い訳?

「まあ、そのうち分かる」

 そんな事を言う光には余裕を感じる。虚無に囚われ、周囲を照らす事も出来ないと言うのに、天上で輝いているかのような態度である。

「お前はわたしを捕える存在であって、わたしを消す存在ではない。つまり、これ以上悪い事にはなりようがないのだよ」

 これは単なる暇潰しなのだとにやにやしている。こういう態度の奴は腹の中に別の思惑を抱えているものだ。実際にそのような相手に遭遇した事はないが、わたしを育てる為に与えられたソウルの中にそのような記憶を持つものがよくあった。

 しかし、ここでひとまず光は話しかけるのをやめた。静かになったのは良い事なのだが、諦めたとは思い難い。だが、そう考えたところで何か出来る訳でもない。光の言う通り、封印し続ける事しか出来ないのだ。わたしの役目はこれを抱えて眠り続ける事。ぽつぽつと話しかける光を極力無視して眠る事にした。

 

 

 嫌な予感でもしたのか、器の反応が鈍くなってしまった。全く聞こえていない訳ではないだろうが、元々思考を持たぬ者を目指して造られている所為か、反応はかなり希薄でぼんやりしている。そもそもわたしの声が聞こえにくいような細工もされているようだ。引けば多少焦れるかと思ったのだが、これは逆に押し続けた方が良かっただろうか。

 だが、これは焦った方が負けだ。普通の者なら夢を見せて引っ張り出すが、器を満たす虚無が邪魔で夢が展開出来ない。もう少し隙をつければそのくらいは出来そうなのだが。

 

 ……しかし、あの物乞いはこんなものまで加工するとは。古き敵にして地の底を支配する古の存在、虚無。あれは一見こちらがコントロールしているように見えても、油断すれば簡単に牙を剥く。ムシも獣も、神ですらも恐れるもの。彼らにとっても長年悩まされてきた存在であるというのに、このような使い方をするなど。

 時に虚無はどうにもならぬ状況の元で信仰を集める事がある。もっとも、己を信仰する存在だろうと容赦なく喰うが、刺し違えてでも神を殺したい、一切の残滓も残さず消え去りたいと願う者にはむしろ歓迎すべき事だ。だから、利用するだけなら驚きに値する事ではないが……。

 実のところ、あれを器として明確に定義を重ねたのは自らの身を守る為でもある。命令を刻み込み、器の中で制御され、今は檻として機能している虚無だが、その本質は全てを飲み込み吸収して無に帰す破壊的な力である。ここにあるのはあくまで断片であり、その本体は遥か下方にあるが、やろうと思えばここまで本体を呼び寄せる事は可能。むしろ虚無を安全に制御するよりも余程簡単な事だ。当然大惨事は避けられないが、よくもまあ、己の国を長らえさせる為だけに、こんな状態で生きられる存在を作り出したものだ。事実だけ拾えば鬼畜の所業だが、こいつが懐く程度に愛情を抱きながら実行する奴の神経はどうなっているのか。虚無の振り撒く古い狂気に侵されたようないかれた所業であるが、奴はおそらく正気である。

 さて、なりふり構わず国を長らえさせようとしてそんなものに手を出した奴に真に狂気が満ちるのが先か、奴の国をわたしが壊すのが先か。あるいはこの虚無の暗闇の中にあるわたしも、いずれその狂気に囚われるのだろうか? もしかすると、虚無はその結末を知っていて、ただ待っているのかもしれない。

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