御陵ナグサは七綾アヤメの事を友達だと思っている   作:あばなたらたやた

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二話

 

 ■二ヶ月前 上空が紅く染まっている頃■

 

 大雪原。白。白。白。どこまでも広がる白。まるで世界が白紙に戻されたかのような、否、戻されることを拒否されたかのような、果てしない白の牢獄。

 

 そこに、御陵ナグサはいた。

 否、いたというより、投げ出されていた。意識が目覚めた瞬間、まるで誰かに悪意を持って配置された人形のように、ナグサはそこに在った。

 

 右手を、見た。黒。黒。黒。汚染された、という言葉では足りない。まるで闇そのものがナグサの右手に棲みついたかのように、脈打つ黒が指先から肘までを侵していた。

 

 触れれば崩れる、触れずとも崩れそうな、不気味な黒。だが、ナグサの目を奪ったのは、その黒ではない。右手の先に、絡みついたように握り潰された、七綾アヤメのリボンの切れ端だった。

 

「アヤメ……」

 

 名前を呼ぶ。

 声は、雪に吸い込まれる。

 まるでこの雪原が、ナグサの存在を、ナグサの声を、ナグサの全てを否定するかのように、音を飲み込む。飲み込む。飲み込む。

 アヤメの言葉が、脳裏にリフレインする。

 

『友達だと思ったことはなかった』

 

 その一言。たった一言。だが、その一言が、ナグサの心を切り裂き、抉り、粉々に砕いた。友達。友。仲間。絆。そんな言葉は、ナグサにとって、アヤメと共にあることで初めて意味を持ったはずだった。

 

 なのに、なのに、なのに。

 アヤメはそれを否定した。否定して、『黄昏』と呼ばれる場所へ、ナグサの右手ごと消えた。

 

「アヤメ……! アヤメ……!」

 

 叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。

 雪原は無情だ。

 ナグサの声は、どこにも届かない。届くはずがない。だって、ここは大雪原。人の影すら存在しない、ただ白と寒さと絶望だけが堆積する場所。

 ナグサは膝をつく。雪が膝を刺す。冷たい。冷たい。冷たい。だが、その冷たさは、アヤメを失ったこの心の冷たさに比べれば、まるで温もりのようにすら感じられた。

 

 ああ、御陵ナグサは、知ってしまった。友を失うということは、ただ友がいなくなることではない。自分自身の一部が、永遠に奪われることなのだと。右手に宿る黒が、それを嘲笑うように蠢く。まるでこう囁いているようだった。

 

『お前は、独りだ』

 

 御陵ナグサが友を失った理由。それは、単純で、複雑で、残酷だった。七綾アヤメは、ナグサにとって、ただの友ではなかった。

 

 彼女はナグサの鏡であり、剣であり、希望だった。百花繚乱紛争調停委員会――その名の通り、百花繚乱、咲き乱れる個々の思惑を調停する組織。

 

 その理念である「相互理解」を掲げ、ナグサとアヤメは共に戦ってきた。だが、その理念は脆かった。あまりにも脆かった。

 

 『黄昏』。

 その場所の名を聞いたとき、ナグサは笑いものだと思った。黄昏? まるで詩的な冗談だ。だが、そこにアヤメは消えた。ナグサの右手を黒く汚染させた何者かによって、アヤメは連れ去られた。理由? わからない。いや、わかっていた。

 

 ナグサが弱かったからだ。力が足りなかったからだ。相互理解? そんな甘っちょろい言葉は、力の前では紙切れよりも無価値だった。

 

 アヤメの最後の言葉――『友達だと思ったことはなかった』――は、ナグサの無力さを嘲笑う刃だった。

 

 力。全てを守れる力。それさえあれば、アヤメを失うことはなかった。ナグサは雪原で悟った。

 百花繚乱の理念など、所詮は理想主義者の戯言。必要なのは結果だ。力による秩序の構築。それこそが、ナグサが求めるものだった。

 百鬼夜行。

 ナグサの拠点であり、百花繚乱紛争調停委員会の根城。この場所は、かつては希望の象徴だった。

 

 今は、まるで瓦解寸前の砂遊びの城だ。ナグサは雪にまみれた体を引きずり、事務室の扉を押し開けた。そこにいたのは、参謀の桐生キキョウ。彼女の顔は、まるで三日三晩寝ていないかのような憔悴っぷりだった。

 

 髪は乱れ、目は赤く、書類の山に埋もれている。まるで、組織そのものが彼女の肩にのしかかっているかのようだった。

 

「ナグサ先輩……!」

 

  キキョウが立ち上がる。椅子がガタンと倒れる。

 

「やっと戻ってきてくれた! アヤメ委員長と副委員長のナグサ先輩の二人がいなくなって、もうどうしたら良いか……百花繚乱は大混乱で、辞めたいって部員も多くて、書類は山積みで、私、参謀なのに何もできなくて……!」

「キキョウ」

 

 と、ナグサが静かに、だが鋭くその言葉を遮った。彼女の目は、雪原の冷たさを宿していた。いや、それ以上の、凍てつく決意を。

 

「なに?」

 

 キキョウが目を瞬かせる。彼女の声には、希望と不安が半分ずつ混ざっていた。

 

「今から百花繚乱を立て直す。そのために力を貸して」

 

 キキョウの目が、驚きと感動で揺れる。

 

「はい!」

 

 彼女の声は、まるで救われた者のように弾んだ。だが、ナグサの心は別だった。彼女はもう、甘い言葉や絆を信じない。キキョウの熱意は、利用する価値がある。それだけだ。

 

 ナグサの右手が、黒く脈打つ。まるで、彼女の決意を後押しするかのように。力。全てを守れる力。そのために、ナグサはどんな代償も払うつもりだった。たとえ、それが彼女自身の心を蝕むものであっても。

 

 数。数。数。

 御陵ナグサは、数を欲した。数が全てを解決する。

 数が全てを支配する。百花繚乱紛争調停委員会――その名は、かつては希望の花束だった。今は、ただの烏合の衆。七綾アヤメが消え、求心力が霧散したこの組織は、まるで風に揺れる枯れ草だ。まとまりがない。力がない。数がない。だから、崩れる。崩れる。崩れる。

 

 ナグサは目を細める。百鬼夜行自治区。その混沌とした街を、彼女は見据える。争いを調停する? 相互理解? そんな甘ったるい言葉は、もうナグサの辞書にはない。必要なのは、力だ。圧倒的な力。そして、その力を支える数。人間の数ではない。ドローンの数だ。

 

 ドローン。無機質で、冷徹で、感情を持たない機械の群れ。それがナグサの新しい軍勢となる。争いを調停するのではない。

 

 鎮圧する。武力による、強制的な平和。それこそが、ナグサの求める秩序だった。

 

 ルールを守る。秩序を守る。悪の芽を摘み取り、根絶する。暴力を許さず、暴走を許さず、争いを許さない。機械的に、数学的に、百鬼夜行自治区を管理する。それが、ナグサの描く未来だった。

 

 右手に宿る黒い汚染が、まるでその決意に応えるように脈打つ。蠢く。疼く。ナグサはそれを無視する。いや、無視しているふりをする。だって、彼女はもう知っている。力を求めるなら、代償が必要だ。たとえそれが、彼女自身の心を、魂を、黒く染め上げるものだとしても。

 

「それは……ちょっと、やり過ぎじゃないの?」

 

 桐生キキョウの声が、事務室の空気を震わせる。彼女の目は、困惑と不安で揺れている。まるで、ナグサの言葉が彼女の心に突き刺さったナイフのように。

 

「百花繚乱紛争調停委員会は、あくまで争いを調停して、当事者を含めた円満な解決を目指す組織でしょ? それが、私たちの理念だったはず……」

「甘いね、キキョウ」

 

 ナグサの声は、まるで氷の刃だ。鋭く、冷たく、容赦ない。

 

「それは理想論だよ。そんな甘っちょろいことをやってきた結果が、どうなった? 治安の悪化だよ。魑魅一座なんてテロ組織が、我が物顔で百鬼夜行を闊歩してる」

「テロ組織……確かに、魑魅一座の迷惑行為は問題だけど、そこまで言うのは……」

 

 キキョウが言葉を濁す。彼女の声には、ためらいがある。信じたいものと、信じられない現実の間で揺れる、弱々しいためらい。

 

「迷惑行為?」

 

 ナグサが鼻で笑う。嘲笑う。

 

「百鬼夜行自治区のみんなで作り上げるお祭りを、毎回ぶち壊そうとする連中だよ。多くの人に迷惑をかけ、多くの損害を出し、多くの希望を踏みにじる。それを、ただの『迷惑行為』で済ませるつもり? もう甘い対応はしない。私が委員長……なんだから」

 

 ナグサの言葉は、まるで宣告だった。

 彼女の目は、キキョウを貫く。いや、キキョウを通り越して、もっと遠く――百鬼夜行の混沌を見据えているようだった。キキョウは言葉を失う。彼女の参謀としての頭脳は、ナグサの論理を否定できない。だが、彼女の心は、ナグサの冷たさに震える。

 

「ナグサ先輩……」

 

 キキョウが呟く。

 

「アヤメさんがいたら、こんなこと、許さなかったと思う……」

 

 その名前。アヤメ。その瞬間、ナグサの右手に宿る黒が、まるで生き物のように蠢いた。ナグサの表情は変わらない。だが、彼女の心の奥で、何かが軋む音がした。軋む。軋む。軋む。彼女はそれを無視する。無視するしかない。

 

「アヤメはもういない」

 

 ナグサの声は、低く、静かだ。

 

「だから、私がやる。キキョウ、ついてきてくれるよね?」

 

 キキョウは、答えられない。彼女の目は、ナグサの黒い右手を、じっと見つめていた。

 




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