御陵ナグサは七綾アヤメの事を友達だと思っている 作:あばなたらたやた
紅い空の日。
あの日、百鬼夜行自治区は、まるで地獄の絵巻物だった。空が、血のように赤く染まり、妖怪とも呼ぶべき化け物が現れた。
化け物。怪物。悪夢。それらは、名前すら持たず、ただ破壊を撒き散らした。建物は砕け、道は裂け、人々の叫び声は赤い空に吸い込まれた。七綾アヤメと御陵ナグサは、共に戦った。いや、戦ったというより、ただ抗った。抗うしかなかった。だって、あの化け物は、まるでこの世界そのものを否定するかのように、圧倒的だった。
アヤメが消えたのは、その少し後だ。紅い空が消え、百鬼夜行が瓦礫の山と化した後。
復興は、遅々として進んだ。お祭り運営委員会が立ち上がり、ようやく、ようやく、街に笑顔を取り戻す余裕が生まれた。
お祭り。祝うべき日。希望の象徴。それを、百鬼夜行の民は待ち望んでいた。ナグサも、アヤメも、そう願っていたはずだった。
だが、アヤメはいない。彼女の笑顔は、ない。ナグサの右手には、黒い汚染と、色褪せたリボンの切れ端だけが残った。
お祭りの準備が進む中、事件は起きた。いや、事件というより、挑戦だ。花鳥風月部――百鬼夜行の片隅に巣食う、旧態依然とした伝統主義者たちの集まり。
カビ臭い理念を振りかざし、過去にしがみつく者たち。彼らからの脅迫状が、百花繚乱紛争調停委員会に届いた。
文面は、まるで古臭い和歌のような、気取ったものだった。
『現在の百鬼夜行の体制を認めず、非難する。全て燃やし尽くして百花繚乱を塵も残さず消し去りましょう』
ナグサは、脅迫状を手に、鼻で笑った。笑った。笑った。だが、その目は、まるで氷の刃のように冷たい。花鳥風月部。名前だけは優雅だが、中身はカビの生えたカスの集まりだ。
百鬼夜行の秩序を、ナグサが築き上げた平和を、こんな連中に壊させるわけにはいかない。彼女の右手が、黒く蠢く。疼く。まるで、戦いの予感に反応するかのように。
「私の前に立つ者は、轢殺していく」
ナグサの声は、低く、静かだ。だが、その言葉は、まるで宣告のように重い。彼女は、脅迫状を握り潰す。紙が、彼女の決意の前で、ただのゴミになる。
花鳥風月部が何を企もうと、ナグサには関係ない。彼女のドローンは、すでに空を覆っている。
彼女の目は、すでに敵を見据えている。彼女の心は、すでにアヤメを失った傷で凍りついているのだから。
百花繚乱紛争調停委員会の事務室。
ナグサは一人、立つ。窓の外では、お祭りの準備が進む。提灯が揺れ、笑い声が響く。
だが、ナグサの心には、そのどれもが届かない。彼女の視線は、ただ一つ、リボンの切れ端に注がれる。アヤメの不在が、彼女の心を締め付ける。
紅い空の日。あの日の化け物は、街を壊しただけではない。ナグサの希望を、アヤメを、奪った。
花鳥風月部の脅迫は、ナグサにとって、ただの雑音だ。だが、その雑音がお祭りを平和を脅かすなら、ナグサは容赦しない。
ドローンを動かし、敵を鎮圧し、秩序を維持する。たとえ、それが彼女の心をさらに黒く染めることになっても。
右手に宿る黒い汚染が、まるで囁く。『お前は、独りだ』。ナグサは、それを無視する。無視するしかない。だって、彼女はもう決めたのだ。百鬼夜行を守る。全てを守る。アヤメがいなくとも、彼女の笑顔がなくとも
百鬼夜行自治区。秩序の街。ドローンの群れが空を覆い、ナグサの視線が街を監視する。いつものパトロール。
全てを守る。全てを支配する。アヤメがいなくとも、笑顔がなくとも。
その時、彼女の前に少女が立つ。
勘解由小路ユカリ。
百花繚乱紛争調停委員会のかつての仲間。
ナグサ、アヤメ、キキョウ、レンゲ、そしてユカリ――五人の絆は、まるで花束のように鮮やかだった。いや、だったはずだった。
アヤメが消え、ナグサが凍りつき、絆は色褪せた。だが、ユカリは違う。彼女は、眩しい。真っ直ぐで、純真で、ひたむきで。まるで太陽だ。ナグサの目に、眩しすぎる。
「ナグサ先輩、今よろしいですの?」
ユカリの声は、緊張で震えている。だが、その目は、まるで星のように輝いている。
「いいよ、どうしたの?」
ナグサの声は、平坦だ。感情を押し殺した、機械のような声。彼女の目はユカリを見据える。だが心はどこか遠くにある。
「こ、こほん!」
ユカリが咳払いをする。まるで、舞台の上で宣言する役者のように。
「身共は今の百花繚乱を放っておけないと強く思ったのです! だからナグサ先輩に継承戦を申し込みますの!」
ナグサの目が、わずかに細まる。継承戦。百花繚乱の頂点を決める、伝統の戦い。
ユカリは続ける。
「えりーとである身共が『証』を受け取り、委員長の資格を手に入れますの!」
叛逆だ。純粋な、眩しい叛逆。ユカリの言葉は、まるでナグサの心に突き刺さる光の矢だ。今のナグサは間違っている。だから、ユカリが正す。
その輝きは、まるでアヤメの笑顔を思い起こさせる。だが、ナグサの心は、凍りついている。彼女の右手が、黒く脈打つ。まるで、ユカリの純真さを嘲笑うかのように。
「悲しいよ、ユカリ」
ナグサの声は、低く、静かだ。
「自分の部下を傷つけなきゃいけないなんて」
「え?」
ユカリが目を瞬かせる。だが、ナグサはすでに動いている。
「継承戦を受けるのは、まず私に勝てる実力があるか判断してからだね。構えて、攻撃するよ」
「どんとこい! ですの!」
ユカリの声は、勇敢だ。だが、無謀だ。
一瞬の決着、圧倒的な差
勝負は、一瞬だった。ナグサの動きは、まるで風だ。いや、風よりも速く、刃よりも鋭く。
ユカリが構える前に、ナグサは彼女の懐に滑り込む。左手の拳が、ユカリの腹に沈む。
軽く。手を抜いた一撃。だが、それだけで十分だった。ユカリの身体が折れ、地面に崩れる。ナグサは、彼女の上に乗っかり、押さえつける。まるで、捕食者が獲物を仕留めるように。
「継承戦には幹部二人以上の見届人がいる。審判役だね。この場合はレンゲとキキョウかな」
ナグサの声は、冷たい。感情がない。まるで、ドローンのセンサーのように無機質だ。
「二人に頼むと良いよ。でも、これじゃあ結果は見えてる。強くなって、ユカリ。私を倒せるくらいに」
「……ナグサ先輩。身共は……」
ユカリの声は、弱々しい。だが、その目には、なおも輝きがある。折れない光。ナグサは、それを直視できない。
「じゃあね、パトロールに戻るよ」
ナグサは立ち上がる。
ユカリを地面に残し、背を向ける。彼女の右手が、黒く蠢く。疼く。まるで、彼女の冷たさを肯定するかのように。ナグサは歩き出す。百鬼夜行の街を、ドローンと共に監視する。だが、彼女の心は、ユカリの輝きに、ほんの一瞬、揺らいだ。
アヤメがいれば。ユカリがこんな目にあわなくてもよかったのに。ナグサの唇が、わずかに動く。だが、声にはならない。彼女は、ただ歩く。歩く。歩く。