御陵ナグサは七綾アヤメの事を友達だと思っている   作:あばなたらたやた

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六話

 

 七綾アヤメが消えた。『黄昏』に飲み込まれ、ただリボンの切れ端だけを残して。百鬼夜行自治区は、まだ紅い空の日の傷跡を引きずっている。瓦礫の街。血の匂い。希望の欠片すら見えない、灰色の世界。だが、それ以上に、御陵ナグサの心は、灰色だった。いや、黒だった。彼女の右手が、黒く蠢く。疼く。まるで、彼女の心を侵食するかのように。

部員たちの声が、響く。響く。響く。

 

『アヤメ委員長がいなくても大丈夫』。

 

 希望の声。無垢な声。

 

『だって、ナグサ副委員長がいるもの』。

 

 信頼の声。期待の声。

 無理だ。無理だ。無理だ。ナグサの心が、喚く。このままじゃ、本当の私を知られてしまう。副委員長を演じてきただけの偽物が、暴かれてしまう。才能も実力もない、アヤメの側にいただけの取り柄の私が、バレてしまう。たまたまそこにいただけの私。百花繚乱紛争調停委員会の副委員長なんて、ただの仮面だ。アヤメの光に浴していただけの、影のような存在。なのに、なのに、なのに、皆が私を見る。期待する。信じる。

 

 怖い。怖い。怖い。怖い!

 部員たちの視線が、ナグサを刺す。市民たちの囁きが、ナグサを縛る。みんな、そんな私を見て落胆する。指をさして嘲笑する。

 

 「あいつが副委員長?」「アヤメの代わり?」「冗談だろ」と。笑い声が、ナグサの耳にこだまする。いや、誰も笑っていない。まだ、笑っていない。だが、ナグサには聞こえる。彼女の心が、勝手に作り上げる嘲笑。彼女の恐怖が勝手に織り上げる絶望。

 

 誰か助けて。誰か匿って。真実を知られる前に、逃げなくては――!

 

 ナグサの右手が、黒く脈打つ。まるで、彼女の恐怖に応えるかのように。彼女の左手が、アヤメのリボンの切れ端を握る。色褪せた布切れ。まるで、ナグサの心そのものだ。彼女は、百花繚乱の事務室に一人、座る。窓の外は、紅い空の日の爪痕。瓦礫と、静寂。彼女の心も、同じだ。壊れて、静かだ。

 

 「アヤメ……」ナグサの声は、かすれる。まるで、祈りのように。呪いのよう。「アヤメがいれば、私なんて……」

 

 彼女の右手が、黒く蠢く。疼く。まるで、こう囁くかのように。『逃げてもいいよ。偽物のままでいいよ』。ナグサは、それを無視する。無視するしかない。だって、彼女は副委員長だ。皆が、彼女をそう呼ぶ。アヤメのいない百花繚乱で、彼女が、立つしかない。

 だが、心が、軋む。軋む。軋む。

 

 

 

「ナグサ先輩!」

 

 キキョウの声が、ナグサを現実に引き戻す。

 

「クロカゲが……街が壊される!」

「百蓮で、なんとかしてくださいの!」

 

 ユカリの声。純真で、眩い。

 ナグサは首を振る。

 

「私じゃ……できない。アヤメじゃないから……」

 

 その時、シェロの笑い声が響く。鋭く、冷たく。

 

「ナグサちゃん、逃げても無駄! 真実は皆の心に刻まれた! さぁ、どうする、偽物の委員長?」

 

ナグサの目が揺れる。恐怖がナグサを締め付ける。だが、左手が百蓮を握り直す。逃げられない。隠れられない。百鬼夜行が燃えている。彼女が守ると誓った街が、崩れている。

 

「キキョウ、ユカリ」

 

ナグサの声は震える。だが、決意が滲む。

 

「私がクロカゲを止める。あなたたちは傘の妖怪を食い止めて」

 

 ナグサは立つ。右手が黒く脈打つ。使うか、使わざるか。だが、彼女は知っている。偽物でも、戦わなければ全てが終わる。アヤメがいなくとも、戦うしかない。

 

 百鬼夜行自治区は燃えていた。傘の妖怪が跳ね、クロカゲの炎が街を喰らう。花火は火柱に塗り潰され、お祭りの笑顔は恐怖に染まる。だが、その中心で、御陵ナグサは静かだった。恐ろしく、静かだった。

 箭吹シェロの笑い声が響く。響く。響く。

 

「アハハ! ナグサちゃん、恥ずかしさで死にそう? このまま燃え尽きちゃうかもね!?」

 

 彼女の『イメージ』の奔流が、ナグサの心を抉る。偽物の副委員長。才能も実力もない、アヤメの影に寄り添っただけのナグサ。真実が、百鬼夜行の全てに突き刺さる。部員の視線。市民の囁き。ナグサの恐怖が、剥き出しだ。

 

「……そう」

 

  ナグサの声は静かだ。凍てつく鏡のように。

 

「なら、やってみて。私のやることは変わらない」

 

 心が暴かれた。人目に晒された。だが、ナグサは動じない。彼女の覇気は勇壮だ。冷たく、完璧に、相手の戦意を跳ね返す。右手が黒く蠢く。疼く。だが、彼女は無視する。無視するしかない。

 

「虚偽も諧謔も、私を折れない」

 

  ナグサの声は刃だ。鋭く、冷たく。

 

「躍起になる価値もない。百蓮で倒せばいい。それだけ」

 

 恐怖を踏み潰す。自己否定を叩き割る。ナグサは光を目指す。アヤメのいない百花繚乱で、ただ目的のために突き進む。負けることなど、考えない。

 

「ナグサちゃんの癖に、生意気……!」

 

 シェロの笑顔が歪む。だが、遅い。ナグサの動きは風だ。いや、風よりも鋭く、刃よりも速く。一閃。 百蓮がシェロを捉える。彼女は崩れ落ちる。あっけない。

 

「次はクロカゲ」

 

 ナグサの目は、巨大な猫を射抜く。黒い影。怪談の化身。百鬼夜行を焼き尽くす炎。ナグサは突撃する。百蓮を掲げ、クロカゲの懐へ飛び込む。心は制御された。彼女は百花繚乱の委員長だ。アヤメでなくとも、ナグサはナグサだ。

 だが――。

 

「――!?」

 

 百蓮がクロカゲを撃つ。だが、破邪の刃は空を切る。通じない。ナグサの目が揺れる。初めて、揺れる。心を制御した。自分を認めた。なのに、なぜ? クロカゲの炎が襲う。熱。痛み。ナグサの身体がよろける。

 

「ナグサ先輩!」

「危ないですの!」

 

 右手が黒く蠢く。疼く。囁く。

 百花繚乱の防衛線は風前の灯だ。御陵ナグサは、膝をつく。百蓮は効かない。

 偽物だ。 箭吹シェロの『イメージ』が、ナグサの真実を抉る。才能のない、ただアヤメの影に寄り添っただけの副委員長。皆の視線が、ナグサを刺す。

 

「なんで……!」

 

 温もりがナグサを包む。キキョウの腕。優しく、強く、ナグサを抱きしめる。

 

「ナグサ先輩。一人で背負う必要はない」

 

 キキョウの声は、春の風だ。柔らかく、だが、揺るぎない。ユカリが続く。彼女の目は、太陽だ。純真に、燃えるように。

 

「そうですの! クロカゲを倒すのは百蓮でも、守るのは私たちでもできるですの!」

 

 仲間。絆。 百花繚乱紛争調停委員会。それは、ナグサ一人のものじゃない。百蓮は、持つだけでは輝かない。責任を負う心。仲間からの信頼。それが、破邪の刃に力を宿す。

 だが、今、彼女は負けない。負けられない。

 キキョウが叫ぶ。参謀の、揺るぎない声。

 

「百花繚乱紛争調停委員会、参謀が命じる! ナグサ委員長、クロカゲを討て!」

 

 ユカリが叫ぶ。純真な、炎のような声。

 

「勘解由小路ユカリが叫びますの! ナグサ委員長、一緒に戦いましょう!」

 

 その声は、ナグサの心を貫く。アヤメの笑顔を思い起こさせる光だ。恐怖が溶ける。偽物ではない。仲間が、彼女を委員長と呼ぶ。信頼が、彼女を支える。

 

 私は、ナグサ。御陵ナグサ。

 百花繚乱の委員長だ。

 

 

「百花繚乱紛争調停委員会、委員長の御陵ナグサが希う!」

 

ナグサの声が、響く。響く。響く。

 

「私たちの道に、花束を!」

 

 百蓮が、輝く。全てを解決に導く銀の光。仲間たちの信頼を映す鏡。ナグサは突撃する。クロカゲへ。動きは風だ。いや、光よりも鋭く、刃よりも速く。百蓮が、銀の弾丸を放つ。光の矢が、クロカゲを撃ち抜く。

 轟音。

 クロカゲが咆哮する。だが、その影が砕ける。黒い炎が霧散する。傘の妖怪が、糸の切れた人形のように崩れる。クロカゲが滅び、妖怪は消える。

 勝利の余韻。ナグサの光。

 ナグサは立ち尽くす。百蓮を握る手が、震える。右手が、黒く蠢く。疼く。だが、今、彼女はそれに負けない。

 キキョウとユカリが駆け寄る。「ナグサ先輩!」 キキョウの声は、涙に濡れる。

 

「やりましたの! さすがナグサ委員長ですの!」

  ユカリの笑顔は、太陽だ。

 ナグサは微笑む。かすかに、だが、確かに。

 

「ありがとう、二人とも」

 

 お祭りの残骸の中、百鬼夜行は傷ついている。だが、希望は消えない。アヤメの不在はまだ痛む。だが、ナグサは知った。彼女は偽物ではない。仲間がいる。信頼がある。

 百蓮は、彼女の手で輝く。

 キヴォトスの空に、花火が上がる。百花繚乱の絆が、夜を照らす。

 

 

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