まさかまさかの、姫さま。
いったい、どういうことなのかとボクは心の動揺を止められなかった。
秤 アツコ。
アリウススクワッドに所属している人で、みんなが”姫“と呼んでいるお方。
“マダム”からも重要視されてて、アリウスの中でもかなり特別な扱いを受けている人。
と、とんでもない人が来ちゃった……
ボクはてっきりヒヨリさんあたりが来ると思ってたから内心すっごく驚いてる。
でも、サオリさんの代役でやってくる人だと思えば納得できる不思議……
「……」スッ
「ん……ああ、大丈夫、です。どうぞ」
「……」コクリ
……姫さまは普段、全く言葉を使って話さない。
医務室にも来てくれることもあったけれど、大体は他のメンバーとの付き添いとかばっかりで、姫さまが怪我を負っている場合というのは本当に珍しい。
そして、来てくれた時もただ静かにしてる。
それに、顔も見たことはない。
いや、会ったとこがないとかそういうのじゃなくって。
毎日ずーっと、顔を姫さま専用に渡されたというガスマスクで覆ってて……
誰にも見られないように、隠し続けてる。
あれだけ徹底的にやっているのは……やっぱり“マダム”からのご命令だから。
他のみんなもお顔も、その声さえも耳にしたことはないという徹底ぶり。
サオリさんも『マダムのご意向だ』と言ってそれ以上は聞かないでくれ、と言葉を使用しないことも、お顔を見せないことも、触れないようにと何度も言ってる。
ただ、部隊の連携やコミュニケーションのことを考えて専用の動きを使って口を使わずにお話する方法を身につけているの。
最初は何が何だかよくわからないまま終わってた。
たまたまサオリさんがその時いてくれなければきっとお互いに変な気持ちになってたと思う。
そこからボクもなんとなく分かるようにならないといけないと思ってから頑張った。
最初はちんぷんかんぷんだったから、後から暇な時にスクワッドの人たちに聞いたりもしてみたっけ。
主にヒヨリさんから……あの子は本当によく来るから聞くのを躊躇うことなかったっけ。
そのおかげで、今では特に苦労しなくなっちゃった。
言いたいことが仕草で伝わるのって、すごいね。
あ、ちなみにだけど。
ボクは姫さまが言葉を発さないのと顔を隠しているのは今は気にしないようにしてる。
事情があるのも、本当は嫌なのかどうか聞いちゃうのは、違う気がするから……
「……(おまたせ、さっそく、情報交換、しよう)」サッサッ
「わかった。一応、メモ書きもしてあるけど……持っていきますか?」
「……(ちょうだい)」スッ…
「どうぞ」
静寂に包まれた廃墟の中で、淡々と最初に必要な『情報の交換』を素早く済ませる。
向こうにとったらここは“敵地”だから、こうした接触は長引いたら怪しまれるから、できるだけ迅速にやってほしいというのがアズサさんの弁だ。
それはそうだし、見つかっちゃったら一貫の終わりなのも間違いない。
でも……それはそれとして、ちゃんとコミュニケーションは取らないといけないよね。
限られた時間の中でどれだけできることがあるのかは、手探り状態だけど。
「それで、お昼は自分が好きなものを食べていいっていうのが驚いたよ。
最初に食べたパンが、とっても柔らかくって」
「……」コクコク
メモの情報を渡した後、ついついいろいろなことを話しまくってる気がしちゃう。
本当にいろいろなことがあって、話したいことが、伝えたいことが山のように積み上がってて。
本来向こうが欲しがってるようなこと言えてるのかなぁ、と内心思いつつ言葉を続けていく。
それを静かに聞いている姫さまは、一体どんな表情をして聞いているんだろう?
少し嬉しそうにしているようにも見えるけど、やっぱりわからない。
せめて、お顔が見れたら全部わかるのに……でも見ることはできない。
“マダム”のご命令は絶対だから……今この場じゃ見てないから破ってもいいんじゃないかな、と魔が刺すような考えも出ちゃうけど。
「……(とっても、楽しそうに、話すね)」スッ
「え」
「……(今まで、あった中でも、一番、楽しそうに、してるから)」ササッ
「……そ、そう……かな?」
……う、うーん。
そう直接言われるとなんだか恥ずかしい。
でも、たった僅かの学生生活が……すごく楽しいのは事実だと思っているし。
きっと、今のボクは……楽しいんだね。
「……(ところで、それは?)」ピッ
そう心の中でボク自身の心の変化を認識してると、姫さまがボクの用意した袋を指差した。
……あまりにお話が楽しくってちょっと存在を忘れちゃってたのはナイショだよ。
「ん……それは、アリウスのみんなのために用意したものだよ」
「……(物資?)」スッ
「うん」
中身は主にお菓子と保存の効く食べ物。
アリウスの環境じゃお部屋に置いてあるような冷やせる場所は、どこを探してもない。
もしかしたらボクも知らない場所にあるのかもしれないけど、そんなのないのと一緒だからアテにはできない。
それに向こうのご飯事情は……その、あれだから。
せめて、少しだけだとしても美味しいものを用意してあげたいというのが、心からの本音だ。
「……(ええと、これ、中身は?)」ササッ
「お外の世界の食べ物だよ」
「……!(そうなの?)」ササッ
中身を伝えた時、微かに姫さまの肩が跳ねるのを感じた。
……姫さまもお外にあるものとか、興味あったりするのかな?
普段からじゃそういうのはわからないから、こういうそぶりが新鮮に思える。
……失礼なのは分かってるけど、やっぱり表情が見れないとね……
「……!!(これ、きっとみんなにも、喜んでもらえるよ)」スイスイ
「うん、姫さまもそう思うでしょう……?」
「……」コクリ
でも、姫さまだってボクたちと同じなんだと分かってる。
みんなと一緒で、辛く苦しい経験もしているし……それに心を痛めてるのも、どことなく伝わってくる。
だから、せめて……みんなと同じように喜んで欲しいと思って。
「ボク一人だとこれが精一杯。
保存食とか……あれば嬉しいなってものをいろいろ持ってきた。あと、銃弾とかも……」
正直、持ってこれたものだけでアリウスの全部をどうにかできるだなんて思ってない。
ボク一人で出来ることっていったってそんなのちょっとだけだ。
だけどそのちょっとのことをしないのは、嫌だった。
……それにしてもスーパーに銃弾が置いてあるって、なんだかすごいね。
それもあんなにたくさん……それだけ使うの?
むしろそれだけの銃弾をどうやって用意しているんだろう?
買っておいてなんだけど、すごく不思議だったなぁ……
「……?」
お外の不思議を改めて頭の中で実感してたら、姫さまが何か訝しんだ様子でこっちを見てた。
手の動き……えーと、『こっちを見て』?
んー……なんだろ?
「……(いま、笑ってた、ように見えたよ)」ササッ
「へ??」
……ん、ボク今笑ってた??
そうかな……この辺りには鏡とかないし、自分の顔なんて見えないからなぁ。
よくわかんないや。
「……(とっても、いい笑顔、だった)」ササッ
「……ふ〜ん……」
でも、他ならない姫さまいうことなら、そうなんだろうなぁ。
……あんまり実感湧かないけど。
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その後姫さまはぱんぱんに詰めた袋を受け取って、軽い足取りで帰って行った。
……それにしても、あんなに嬉しそうな様子な姫さまは初めて見た気がする。
向こうではじーっとしていることが多くて……医務室に来た時も基本付き添ってる子の方とよく話しているばっかり。
それはかなり喋る子なヒヨリさんの近くだからそう思うだけなのかもしれないけど、それを差し引いても姫さまは静かなお方だ。
でも、今は……背中からでも、喜んでいるのが分かった。
……あれ?
そういえば……姫さま、あのマスク人前で全く取らないのはもう分かってるけど……
ご飯食べる時は流石に取るよね?
いや、だって……あんな顔全部をしっかり覆ってるマスクじゃまず外さないとお口を開くこともできないよね?
今日渡したお菓子も保存食も、普通に食べるタイプだし……
でも、取った場面を見たことがない……ということは……
何か仕掛けがあって、それを動かしたらマスクの形が変わったりするのかな?
……いまさら気になっちゃった……もんもんしちゃうなぁ……
次あったら聞いてみようかな……でも、マスクのことは触れないようにしたい……いや、う〜ん……
……そんなふうにモヤモヤしてたら、帰り道から逸れちゃった。
この辺りはお店がよく並んでる場所で昼間は賑わってるけど、今はあいにくの夜でぴかぴか輝いてたお店たちは、暗闇の中に潜んでるみたいに真っ暗。
夜になったら寝る時間なのはどこも同じなんだね〜……って思ってたら、一箇所だけ光ってるお店が。
……モヤモヤした気持ちをそのままに、ふらーっと吸い込まれるように向かっちゃう。
そこは物資集めに行ったスーパーにあるのとは違うお菓子が売ってあるみたいだった。
「……しょーとけーき?」
売っているものの近くにあるカードの名前をそのまんま音読。
近くには誰もいないから聞かれてないけど、ちょっと不用心すぎたかも?
「おや、お嬢ちゃん……ケーキ欲しいのかい?」
「ひょえっ……あ、はい」
そのまま眺めてたら中の方からお店の人から声がかかっちゃった。
びっくりしちゃって変な声出たけど、気になったからには買っていきたい。
今日はもうみんなにはあげられないけど、ボクも食べたくなっちゃったから……。
「それじゃあ、このショートケーキください」
「まいど、どうもね!」
上に真っ赤な果実を乗せた、白いクリームにまみれた三角形を受け取る。
その間から、ほのかに甘い香りが絶え間なくボクの鼻へとやってくる。
ああ、匂いだけでもいい気持ちになっちゃいそう……こんなの嗅いだことないや……
「崩れやすいから気をつけるんだよ〜!」
「は、はーい!」
帰った後のお楽しみを手に抱えて、ゆっくりとお部屋へと引き上げる。
今日あった出来事と、買った自分へのご褒美を胸に、ちょっとだけ軽い足取りでのびのび帰路についた。
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リエルがトリニティへと潜入して短くない時間が過ぎた。
その間、アリウスの生徒たちの様子はと言えば。
「あ“〜〜………」
「……小隊長、だるいです……」
「文句を言うな、折檻を喰らいたいのか?」
「……そうは言っても、ずっとモヤモヤしたまま……虚しいとかそういうより変ですよ……」
とてもたるんでいた。
この場にいる彼女らは元々終わりの見えない内乱と紛争で疲れ果てたストリートチルドレンの寄せ集めであった。
内戦の終結と共に、ひとまとめにされたアリウス分校の所属者たち……
彼女らもまた、”マダム“の教えに身をどっぷりと漬け込まれ虚無に沈んだはずの者たちである。
で、あるのだが。
「リエルさん、本当に居なくなっちゃったんですねぇ」
「言うな……私とて気にしていることを……」
「小隊長だって、文句あるんじゃないですか〜……」
「もうダメ〜……やってられない〜……」
内戦が終わってからの時間、おおよそ
医務室へずーっと怪我しては治してもらってを繰り返して、その度にのんびり会話を楽しんで。
その度に、『よーし、頑張るぞー』と思えるくらいの、心の余裕を持ててしまったことにより。
無自覚ながらも自分たちの心にあったはずの”マダム“教えが溶けてしまっているのである。
無論、当人らは気づいていないことだ。
だが、リエルがやってきたことの成果は確実に出ていたのである。
そこに近づく、一つの影。
座って半ばのんびりしかけている生徒たちに気が付かれないように、こっそりと。
まるで獲物を狙うように……或いは、悪戯に興じるように。
「はぁ〜……こんなザマ、”マダム“に見られたりしただけでも激昂ものだぞ……
スクワッドの方々にも目撃されたら即報告ものじゃないか……?」
「……」チョンチョン
「ん……ああ、アツコ様か……
ほら、アツコ様も彼女らのことをどう、おも、わ、れ…………!!?!?!?」
小隊長と呼ばれた少女が二回三回と同じ方向を向き直す。
そこには、いつの間にか自分の背後で肩を指で小突き続けるアリウスの姫の姿。
「あ、姫さま」
「お疲れ様です」
「どうも」
驚き内心慌てふためいている小隊長をよそ目に、緩く挨拶を返す他の少女たち。
そこにはちゃんと敬意はあるものの……なんと言うか、いい加減だった。
「おっ、おまえたちっっ!!!
そんな態度ではアツコ様に対して無礼だぞ……!?!?」
「……」フルフル
声を荒げようとする体調を手で遮り、首を振って静まるように命令する。
この仕草は、大半のアリウス生徒へ暗黙の了解が如く伝わっている仕草だ。
アツコが使用する手話は一度見ただけ程度では意味の全容を把握しにくいもの。
それでも、全員が見たことのある動きは自ずと“そういうものだ”と認識されていくものなのである。
「よ、よろしいので……わっ」
「……」ズイー
その仕草で戸惑いを見せていた小隊長へ、畳み掛けるようにアツコは両手へとあるものを押し付ける。
小隊長は手の感覚に更なる困惑を極めたまま、その手を眺める。
そこには、一人2つに分けられる量のクッキーが置かれていた。
「……こ、これは……」
「……」ササッ スッスッ
「……リエルから、私たちに、ですか……!?」
「えっ、本当!?」
「やったぁ〜」
「何これ、すっごく美味しそうに見える!」
渡されたものに、配下の少女たちは即座に喜びを示した。
特に、リエルの名前を聞いただけでも相当心が晴れやかになっているのか、自然と嬉しそうな素振りをしてしまっている。
その姿を諌めようとした小隊長は……そうすることをすぐにやめた。
「あ、ありがとうございます……!!」
「……」コクリ
少女らのお礼を聞き届けた後に、アリウスの姫はゆっくりとその場を立ち去る。
ひとしきり配り終えたあとで、身軽になった袋の中身に手を伸ばす。
その間に、周りを観察……誰もいないことを再三確認した後に。
ゆっくりとマスクを外す。
「はむ」
儚げな桃色の髪を靡かせ、アリウスの姫は人知れず菓子を口にする。
外したばかりの時には無に等しかったその表情を、笑顔へと変えて。
できる限りの小声で、声を紡いだ。
「うん。おいしい」
【秤 アツコ】
アリウススクワッド所属、通称は“姫”
由緒正しい特別な血筋を引いており、アリウスの中でも相応に特別視されている。
しかし、その理由については殆どのものが知らない。
外見は儚さを感じさせる要素が多いものの、根底はどちらかと言えば女傑タイプである。