『二人でわるいこになろう』……
ボクは最初聞いた時、混乱しちゃった。
でも、断る気には、ならなかった。
かつん。かつん。
ボクと姫さまの歩く音が、妙に大きく聞こえてくる。
寝静まり、誰も見当たらない街の中を、ゆっくり……一歩一歩噛み締めるように姫さまが前を歩く。ボクがすっかり見慣れてしまった景色を存分に楽しみながら。
「すごい」
最初に出た感想はたったその一言だけ。
でもその中にいくつもの意味が込められているのを、ボクはちゃんと知っている。
瓦礫一つ落ちていない町の道路も、傍に立つ出店も、夜の街を照らす街灯も……
どれひとつとしてアリウスにはなかったものだ。
もしかしたら昔はあったのかもしれないけど、そんなものすら見る影なんてない。
どれもこれも、ボクたちにとっては未知のもので、初めて見るものだ。
「歩きやすいね」
「はい」
姫さまの軽い呟きに、つい無意識にすぐ言葉を返す。
場所によっては足の踏み場さえ困るような道路とは雲泥の差があると、いつも思う。
そのくせ瓦礫を踏み分けるような歩きがなかなか抜けてくれないから、困ったものだ。
いつもやっていることはしなくなったとしてもついやっちゃう……
今も、こう。
やたらと大きく足を動かして、大きな段差とかを遠回りするみたいに登ってる。
こんなことしなくたって、よく見れば段差ひとつしかないのにだ。
……ほんと、偶に変な気持ちになっちゃうよね。
「ねぇ、あの上にある看板の絵……」
「ん……ああ、アレは……ピザって食べ物らしいよ。
チーズとか、ベーコンとかを乗せて……って、言葉で言ってもわかんないこともある……かなぁ」
「そんなこと気にしなくていい。それより、そのピザってもの食べたことあるの?」
「うん、お昼ご飯に何回か……こんがり焼いたチーズがとろとろで……」
姫さまはいろんなものを目にしてはボクに聞いてくる。
まるで貪欲に、でも無邪気な様子でいろんなものに興味を示す。
その姿が嬉しくてついつい全部話しちゃう。
中にはボクもあまり知らないものもあるのはご愛嬌ということにしてほしい。
ボクも、結局全部わかるわけじゃないんだし。
ただ、そういうわかんないことをわからないと言うことは悪いことじゃないよね?
そう言ったら姫さまもそうなんだ、って笑顔になってくれるし。
街の中を抜けたら,大きい公園に着いた。
自然公園っていうもので、木とか草とか……そういうのがいっぱいある場所だって。
ボクはあまり来ないけど、今日は姫さまの行くままに任せてる。
だから、どこに行こうともボクはゆっくり着いて行くことにしてる。
「お水だ」
そこで姫さまが最初に見てたのは、入ってすぐの場所にあった噴水。
誰もいない時間帯、なんの理由かとかそういうのもなく。
ただ、中心から止まることなく水が溢れてくる。
これも初めて見た時、ボクもすごいって思ったっけ?
アズサさんも見てきた日の帰り、お部屋の中でとっても興奮した様子で、
『あれほどの水があれば何日でも戦えそうだ』
と、語っていた。
そこで戦いって言葉が出てきちゃうあたりがアズサさんらしいや、と思う。
……あ、でもアリウスのみんなはどういう反応するのかなぁ。
アズサさんの反応が近かったりする?
「綺麗なお水」
「うん……とっても綺麗なお水だよ」
「飲んでみちゃだめかな」
「うーん、そこの看板にのまないでくださいって……
あ、でも確か公園の中に専用の水飲み場あるよ?」
「そんなものもあるんだ、後で飲んでみる」
少なくとも、姫さまはお水に関して素直にすごいことだと思ってる。
あの場所だと、生き抜くために必要なお水は奪ってでも欲しい貴重なものだった。
特になんの処理もせずに飲めるお水なんてそれこそ夢のようだ。
火を用意して、お鍋用意して……蒸留させて……そんなことしてたのが懐かしい。
綺麗なお水用意するために必死になって色々やったっけなぁ。
その中で比較的綺麗にする技を編み出したけど、お外じゃ普通にサバイバルとかキャンプとかの本に載っているやり方だったのが、知識の差を感じずにはいられなかった。
あれだけ苦戦したのに、本にあっさり書かれてるのは少し……
……いや、やる必要ないならそれに越したことはないんだけどね?
「向こうにあるのはなにかな」
「あ、姫さま〜……あまり先に行くと逸れて迷子になっちゃうよ〜」
「大丈夫、そこまで離れないから」
それにしても、姫さまが楽しそうなのは何よりなんだけど……
かなり自由で、あちこち回り続けて……なんだか振り回されている気がする。
いつも見かけたどこか儚げな様子はどこに行ったのか分からなくなるほどの活力で、
先にこっちへきてたはずのボクがまるで追いつけてないような。
いや、儚げな様子でもスクワッドの一員なんだから強い人なのは当たり前なんだけど。
それでもなんだかすごくびっくりした。
姫さまがあんなふうに楽しそうにしているのはボクとしても嬉しいけど。
この様子をサオリさんが見たら、それはもう開いた口が塞がらないんだろうなぁ。
「あ」
そんな、水を得た魚のように元気いっぱい動き回っていた姫さまの足が、ふと止まる。
追いついて、何を見ているのか覗いてみたら……
「お花だ」
囲いの中に、丁寧に整えられたお花の群れがあった。
これも向こうではそうそう見られない……というか見たことない景色だった。
ボクは最初見た時不思議な気持ちになって何十分も眺めてたっけ。
アズサさんはそれよりお水の方見てたのもよく覚えてる。
……姫さまはお花の前でしゃがんで、じーっと見てる。
不思議そうな、けれど穏やかな表情で、のんびり静かに眺めてる。
「きれい」
ふと、静かに姫さまがつぶやく。
きれい。
アリウスで感じたことすらないその感情の名前が、ボクの耳の中に印象深く残る。
きれい、なんてものはここに来る前は感じたことも思ったこともなかった。
だからこそ、来て最初の頃はただただそう思ったっけ。
ボクがそうだったように、姫さまもそうなのかな。
「持って帰っちゃだめかな」
「えーと、だめじゃないかなぁ……それに、向こうでお花のお世話ってできるの?」
「……うん、やっぱりやめておこっか」
……姫さま、随分と活動的だなぁ〜……
やりたいことがあるのはいいことだけど、今持って帰っても、その。
姫さまもわかっているからどうしてもとは言わないけど、ちょっと残念そう。
そんな表情されちゃうと少し後ろめたい気持ちがあるような……
いやいや、だめなものはだめだと言うことだって大切だと思う。はず。
「次は向こうに行ってみよう」
「わかった」
でも色々切り替えが早いみたいで、気がついたらさっきまでの様子に戻って散策を続けてた。
こういう思い切りの良さが、姫さまの本来の姿なんだろうなぁ、と思う。
だけど、そんな姿でいられる方が、ボクはいいことなんだろうなとも思っていた。
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「ふぅ」
夜のトリニティを見て周り、夜もさらに老けた頃。
公園にある時計の針が12時を指して、次の日が訪れたことを教えてくれる。
姫さまも流石に歩き疲れたのか、近くにあった長椅子に腰掛けて休んでる。
ボクも隣に座って……最初はたったままでいようと思ったけど、姫さまに誘われて。
それでも遠慮したらまるで命令するみたいに座ってねって……
姫さまもあんな、圧を出せるんだ……
サオリさんのような、いや、それを上回ってるような……流石に気のせい?
いや、でもあの感覚は相当重かった……うーん……
「ふふ」
“わるいこになろう”
そう宣言した姫さまは、それはもう楽しそうにしていた。
ふたりきり、夜の街を彷徨うようにボクも付き従っていた。
そうして“わるいこ”の気分を姫さまが楽しんでいることが、ボクはとても嬉しく思う。
仮面の下の素顔はみんなと変わらない気持ちがあって、姫さまもみんなと同じようにしたかったことが、心の底から伝わってくる。
「いっぱい、きれいなものがあった」
「うん。今日見たものの他にも、まだまだいろんな“きれい”があると、思う」
「そうだね」
……長いようで短いトリニティの散策。
姫さまはどのくらい楽しんでくれているのか、ボクからはあまり分からない部分もあるけど。
最初に素顔を見た時より、表情が柔らかいように見えた。
それだけでも、ボクは“わるいこ”になってよかったと心から感じられる。
……それに、今の姫様のお姿はボク以外知らない。
二人だけのナイショの時間……そんな響きもまた、魅力に映った。
「ねぇ、リエル」
「どうしたの、姫さま」
ふと、小さな声で呼ばれる。静かな時間の中にいるから、小さくてもよく聞き取れる。
「──私たち、このままでいいのかな」
「……このままで?」
なんだろうと言葉を待っていると、曖昧な、それでいて深い疑問が姫さまから出てくる。
このまま、というのは……おそらく。
「私も、サオリも、ヒヨリも、ミサキも……他のみんなも。
“マダム“に救われて、集められて、色々教えられて、いろんなことをさせられて。
すべては虚しいって、思うようになって。何もかも受け入れて。
……気がつけば、みんな“マダム”の言いなりになっちゃった」
「……」
今の自分たち……“マダム”の支配下で。
救われた以上に、いろんなものを奪われた現在。
それをボクも、姫さまも。やっと自覚することができたんだと思う。
ボクは、アリウスから出て、トリニティで過ごすようになった時から。
姫さまは、そんなボクのお話を聞いて、トリニティをその目で見て回った今から。
互いに自分たちの方が“へん”だと気づいた。
でも、その頃には自分たちの力だけじゃ、簡単に変えられないともわかっちゃって。
「ただ、もう私達はそう生きるしかないんだって……昔なら、諦めてたかもしれない。
でも、リエルは“マダム”の言いなりになってもみんなのケガを治していたし。
その優しさと、みんなのために能力を使う姿は、かわらなかった。
……今のリエルは、私から見たらアリウスの頃とはまったく違う姿。
だけど。きっと今のリエルが……本当のリエルなんだとおもう」
……姫さまが、ボクの隣でゆっくり、言葉を紡いでいく。
ボクは、その言葉をただ静かに聴いていた。やっと出せた姫さまの”心“に、口を挟んじゃいけない気がして。だから、ひたすらに口を閉じてた。
それにしても、本当のボク……かぁ。
確かに、今の姿は今までの自分とはあまりにも違って見えるんだと思うけど……
それと同時に、こんな変わったと思われても、自分の中でそんな気持ちはなかったように思う。
ありのまま、自分の姿を。
演技も、嘘も……何もない、そんな状態。
もともとそんなことしてないけど、そう見えるくらいには違うんだろうなぁ。
「私、今のリエルの方が好きだな」
「そう?……ありがと」
まだ静かにしてようとしてたけど、さりげなく伝えられた好意につい返事しちゃう。
突然のことだから、ちょっと照れちゃいながら。
あ、多分ボク今頬が少し赤くなってるかもしれない。
恥ずかしいとかじゃないけど、妙な気持ちになっちゃう。
ただ、ずっと照れてばかりもいられない。
今日の姫さまとのお話で出てきた疑問を、聞いてもらいたかったから。
「ねぇ、姫さま」
「うん、なぁに?」
「改めて、思ったんだけど……“マダムは、何がしたいんだろう……?
……こうして、姫さまのお話を聴いて、改めて思ったの。
ボクはアリウスのみんなのことが大切だけど、”マダム“はそう思ってそうに見えなくて。
「わからない。でも、私達を使って……何かをしようとしてるのは確か」
疑問は消えてくれない。
姫さまと話して、さらに深まって。
どんなに深く悩んでも、”マダム“のやり方がいいことだって全く思えない。
このままじゃ、きっと取り返しがつかない事になる。そんな気が、ずっとしている。
「大丈夫」
「ん、姫さま?」
「今のままじゃだめなら、私たちで変えて行くの。
……少しずつでも、ゆっくりでも。できることはきっとある。
そんな可能性も、勇気も、思いも……私は、あなたからもらった」
「そうなの……?ボクは、そこまで……」
「ううん、リエルは、すごい子だよ。だから、そんなこと言わないで、自信を持って」
「!……えへへ。」
姫さまがボクのことそう言ってくれるのが、何か嬉しい。
ボクは、お外の世界を知って、少しは成長できたのかな。
今まで生きてきた中の時間じゃ、あまりにも短くて……まるで一瞬の出来事だけど。
外の世界で見たもの、感じたもの、知ったもの全てが、ボクに伝えてくれるの。
ボクたちの生きる場所は、生きる世界は。
思っているよりもずっと、広いんだって。
「ボク……やりたいこと、できた。」
「いいね、私にも聞かせてほしいな」
「うん。……ボクね?
アリウスのみんなと一緒に、外の世界を”おさんぽ“したいな。
今日、姫さまとふたりきりで夜の街を、ただ静かに歩いたように」
もし、そんなふうにみんなと過ごせたら、きっと幸せだと……ボクは思った。
……何かをしたいって、ボク、アリウスにいた頃は考えもしなかったね。
でも、やりたいって決めたら。もうその想いは抑えられそうにもなかった。
「こんなふうに考えたの、初めてかも」
「そうなんだ。
……今までは、ずっと。全部虚しいって思ってたから?」
「うーん」
それは。ちょっとだけ、違う気がする。
確かに、虚しいとずっと思ってた……でも、それだけじゃないって、今になって気がついた。
アリウスのみんなが傷ついて、倒れて、苦しんで。ボクはそれを元気にして。
……心の何処かで、ボクがいなくちゃ、みんなが危ないって。
だからここにいなくちゃいけないって。残らなきゃいけないって。
みんなと一緒に、虚くて、何も見えない暗闇の中に……
でも、あの日にを見た。暖かい、空に浮かぶ光を。
”マダム“の命令でお外に出た時。アリウスじゃ見られなかった……あの輝きを。
みんなにあの光を見せてあげたい。
そのために何をすればいいか、今はまだ分からない。
それでも、決めたからには果たして見せたい……初めて得た望みだから。
「いい顔になったね」
その決意を心で固めて……姫さまからそう伝えられる。
いい顔……今までとは違う顔なんだろうな、と何処か他人事に思ってたけど……
自分のことだと理解してより気が引き締まる気持ちだ。
「私も、できること…いろいろ、やってみる。
二人で力を合わせて。みんなをリエルが見た光の下に」
「うん」
ボクと姫さまだけの、ふたりきりの約束。
”アリウスのみんなに光を見せる“。
その決意はボクたち以外の誰にも聞かれることも、残ることもない。
そうだとしても、ボクたちは勇気を出して歩み出そう。
いつかきっと、このどこまでも広がる、透き通った空の下に。みんなを。
アリウスの姫は、決意を固めた。
自分たちの未来を掴み取る決意を。
最初は、小さく。誰にも届かないその意思は。
いずれ、アリウスの少女たちを動かす起爆剤となる。