その一言はアリウスでの意識をひっくり返すに足る、
考え方そのものだ。
「虚しいって、なんなんでしょう?
その言葉の深い意味とか、そういうものはなんなんでしょう?
……私たちがアリウスで学んだことって、一体なんなんでしょう?」
「意味……言葉の意味……」
ヒヨリさんが口にした疑問。
昔のボクなら何にも思わなかっただろうし、考えもしなかったこと。
『虚しい』、その言葉の意味……
一度聞かれればそれだけで疑問が尽きなくなる。
確かに、ことあるごとにその言葉を言った……いや、言わされていたのが正しい?
ともかく日々耳にしてきたそれの深い意味なんて誰も考えていなかっただろうって。
そんな疑問を、まさかこんな場所で、ヒヨリさんの口から飛び出すなんて予想外。
いや、もしかしたら逆にヒヨリさんだからこそ……?
こう、普段から口にしてきたからよく考えることも多くなったっていうか。
ふと気にしたらなんだかずっとひっかかったみたいな。
……だけど頬にお米の粒をつけてる姿からは、その。
深く考えてるわけじゃないって感じもしてきて……いや、こう思うのも失礼だと思うよ?
でも普段を知ってると……これも悪いくせなのかなぁ……?
「あのー、リエルさん? そんなキョトンとするようなことでした……?」
「ふえ? あ、いや……ちょっとびっくり、しちゃって」
「えへへ……隠さなくていいですよ……
私からそんなこと言い出したの、驚いたんですよね……?
多分サオリ姉さんもおんなじリアクションすると思うので、いいですよ……」
「それは……うん、まぁ、そう、だね……」
ここで素直に否定できなかったのが妙に恥ずかしいような。
だけどそんなふうにすることを戸惑うくらいに今までのイメージが……その。
ううん、今はそうじゃなくって。
「どうしてそんなふうに思ったの?」
「ん……どうして、ですか?
まぁ……きっかけは姫ちゃんが仮面取ってたのを見かけたことなんですが……」
あ、普段から取ることも増えたんだ姫さま。
……アレって確か……“マダム”が姫さまに渡してたんだったっけ?
そうだとすれば、取りたがるのも普通のことなのかな。
なんだか姫さまってもともとああいうの好きそうじゃない気がしてくるし……
「取ってた時の姫ちゃん、すっごくいい笑顔してまして……
どうしたんですかって聞いたら、今見てる景色が綺麗だって言ってまして」
「ん……それ、どこでお話してたの?」
「アリウスの外で……たしか、トリニティの郊外あたりの偵察してた時でしたっけ。
部隊を潜ませておけるポイントを探せって……」
「へー」
郊外といえば、森とか湖とかそういうのがある場所だ。
自然豊かで、お水がいっぱいあって……何より色とりどりで鮮やかな景色。
そりゃ、灰色の世界だったアリウスとは比べ物にならないくらい綺麗だと思う。
そこを隠れるポイントとして使えるかはさておいて。
そういうところにも、もうスクワッドのみんな一緒に向かってたりしているんだなぁ。
……着実に、計画が進んでいるって証なんだろうけど……
あそこって隠れるのに適しているのかなぁ?
「確かに、あの景色は……私から見ても綺麗だったって、そう思いましたよ?
任務中だったんですが、それでもちょっとの間その場所にいて見てましたし」
「そうなんだ」
「そうなんです。
それで、それとおんなじくらい気になったのが……
虚しいって感じが、その時からあまりしなくなった気がしたんです」
「虚しいって気が、しなくなった……」
それって……
ボクたちの持ってた虚しさが、気分で変わるものでしかなかったって事になるのかな。
……確かに、ボクもそういう気持ちいつのまにかなくなってたけど……
そんな単純で、簡単に消えちゃうものだったっけってふと考える。
あんなに頭の中を埋め尽くされるくらい、虚しさでいっぱいだったのに。
「最初はまぁ外に出て興奮したのかな……って思いました。
結局はこういう気持ちも無くなって虚しくなっていくのかな……なんて。
だけど、そうはならなかったんです……」
「……」
「これって、どういう事なんでしょうね……?
サオリ姉さんも姫ちゃんも、その。
以前と比べて全く違う姿を見るようになったって、思いまして……
ああ、ミサキさんも、どこか普段と違う感じも……気がつけばいつもの調子なんですが」
全く違う姿。
確かに、虚しさのない姿となればボクやヒヨリさんの見てきたものとは違うのも間違いない。
だけど、本当に?
姫さまの姿も、サオリさんの姿も……虚しい時の姿が“本当”だって決めていいの?
もしかしたら、その全く違う姿が“本当”にありたかった姿かもしれないのに?
それに、ボクも虚しい時から今の姿になって……違和感とかは別になかった。
むしろ自然体と言ってもいいくらいに気が楽で、過ごしやすかった。
まるで、今までの姿が嘘みたいだった……そんなことを考えるくらいに。
「そう思ってから、ちょっと一人になって考えまして……ふと思ったんです」
「うん」
「缶詰食べながら……このご飯を食べてる間は美味しいって気持ちでいっぱいだなって」
「それは、食べてるからそうなるんじゃないの?」
「でも前は食事時も虚しい虚しいって言葉よく耳にして、つられてそんな気持ちになってたような気がしてくるんですよ……美味しい時は美味しいって思ってるのに。
これって、何か不思議に思いませんか……?」
……そうかな?
いや、そうなのかも。
ボクは美味しいものは美味しいってはっきり思うから一瞬疑問に思っただけで。
向こうにいるみんなは……そうなっているのかもしれない。
今はそうじゃないかもしれない……これは予想というか、そうなって欲しいって願いだけど。
「そうかも?」
「私は不思議でした……そうしたらどんどんわからなくなりました」
「わからない……」
「虚しいって言葉の意味です」
虚しいが、わからない。
いつもそう言ってきた事が唐突にわからなくなるって、なんだか怖いことのように聞こえる。
だけど、ヒヨリさんの表情にはそういう怖いと考えてる部分がないように見えた。
「例えばですよ?
今食べているカレー……これ、すっごく辛いじゃないですか」
「ボクのは程々だけど、ヒヨリさんのお皿はそうだね」
「はい……じゃあこのカレーを食べて虚しいって気持ちになるかって聞かれると……
なりませんよね? 私は全くなりませんでしたし」
「うん」
辛いものを食べた時に感じることは辛い。
それはそうだ、自分の気持ちと舌が実際に感じて、食べた子自身がそう表現したがる。
この一連の中に、虚しいって気持ちが挟まる余地なんて、どこにもない。
「訓練を受けてちょっとミスったときにぶたれたときは痛いです。
寝る時、もふもふした毛布にくるまって眠る時は気持ちいいです。
戦ってる時、すっごく強い相手に遭遇しちゃった時は怖いです。
たまにコンビニに寄って調達したおやつを食べる時は幸せです。」
「……」
「……思い返せば、ないんです。
虚しいって気持ちが、ないんです」
本当に、ない。
全部、ぜんぶわかる。
ボクには、ヒヨリさんの言っていることが、わかる。
お外の世界に来てから虚しいって気持ち以上に、他の気持ちがどんどん湧き上がる。
まるで虚しさが全てなんかじゃないって世界そのものに教えられてるみたい。
「だから、こんないっぱいいろんな気持ちがあるのに……
虚しいの一言で全部終わらせてしまうのって、損じゃありませんか?」
「うん……んん??」
え、損……?
虚しくないからいい事だって話じゃなくって?
「なんでそんな首をかしげるんですかぁ」
「いや、なんか変な感想に聞こえちゃって……その」
「変ですかねぇ……実際そう思ったんですけど……」
いや、損する損しないって気持ちにもあるのかなって。
確かにこの主張もわかるような気がするけど、なんかこう……
ズレているっていうか、なんでそうなったのっていうか……
「だってそうじゃないですか……
こんなにも美味しいのに、こんなにも辛くて苦しいのに……
どんな気持ちもただ『虚しい』なんて言い方で終わらせてしまうんですよ??
それって、自分の感情にふたをしてるみたいで……なんか、嫌じゃないですかぁ……」
「……自分の感情にふたをするのは嫌……」
「そうですよね? 嫌ですよね……?」
そう繰り返し自分の気持ちを伝えてくるヒヨリさんはいつになく真剣に見える気がする。
自分なりに虚しいって気持ちへ向き合った先の答え。
その結果出てきたのが『損だし嫌』っていうのは、なかなかヒヨリさんらしいなって思う。
普段から何気なく、ほんわかしているようで周りへの気配りとかそういうのを忘れないし。
卑屈なようでいてどっしりと構えているような図太い面もあって。
何よりちゃっかりいい思いをできるように立ち回れる、ある種の賢い一面……
こういうところはサオリさんも見習うべきなんじゃないかなって思う。
多分今のヒヨリさんは、幸せってものを探しているんだと思うから。
だけど、それはそれとして……
「ふふっ……」
「え? なんですかその微笑み……? その、どういう感じで……」
「いいや、なんだか意外だなって思っちゃって。
ヒヨリさんからそんな真面目すぎるくらいのお話が出てくるの……」
「うわぁ、リエルさんそれはひどいです……」
そう思わずにはいられなかった。
無論、本当に大真面目だったことは否定しない、むしろよく言ってくれたとも思ってる。
だけどらしくないって気持ちもあって、もっとこう、のほほんとしたようなお話とか気の抜ける感じで来るのがヒヨリさんだったから、そのイメージが抜けなくて。
失礼だよねって、わかってるのに。どうしても……頭によぎっちゃう。
本当にごめんね?
「うう………私せっかく自分の中で思ったこと真面目に話したのにぃ……あんまりです……」
「ごめん、ごめん。 だからそんな泣きそうな表情しないで、ね?
ボクも悪かったから……ほら、機嫌なおして……?」
「うぅぅ……リエルさんのなでなで、優しくてあったかいです……」
頬から、手を上に伸ばしていくように頭を撫でていく。
昔から、ヒヨリさんは割とこれが好き。
よくサオリさんにも撫でてもらっているところを見たし、見よう見まねだけど……
「だけど、リエルさんって私のことそんなふうに思ってたんですね……
それはちょっと、むむって来ました……」
「いや、本当にごめんって」
「こうなったら……やけ食いしてやりますよ……!
そして、今日のご飯は全部奢ってくださいね……!」
「うん、ボクはそのつもりだったしわざわざ言わなくてもいいけど……
急いで食べたら口の中がヒリヒリしちゃうよ?」
「大丈夫ですよぉ!いざとなったらリエルさんがなんとかしてください!はふっ、はふはふっ、はふぅっ!!」
ああ、そんな一気に食べ始めたら辛さがどんどん口の中に向かって……
加速的に顔も赤く……そして目には涙が。 もっと味わって食べる……のもつらそうだよね。
……ボク、カレーの辛さでやられた子を元気にするのかぁ。
それは初めてだなぁ……
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「たくはんたべまひたぁぁぁ…………うぅぅ、なおひてもらったのにヒリヒリしまふ」
「あれだけ食べればそれはそうなるよ。
辛いのはまだ口に残ってるんだし、いくら治せるっていってもね」
「ばんのうじゃないってことでふね……うぅぅ〜〜、いはいへふ」
今日、ヒヨリさんは激辛カレーを合計3皿平らげた。
二杯目からは辛さを落としたけど、それでも辛いものは辛かった。
なんだかボクの食べてた普通の辛さのカレーも無性に辛く感じたんだもん。
いくらなんでも美味しいからってそんな自爆覚悟で行くものなのかなぁ、激辛カレー。
だけど。
それほど辛いものを食べて涙と汗がいっぱい出てる状態になっても。
ヒヨリさんはすっごく満足げだった。
「……ふー、ふー……ふぅ……リエルちゃん……」
「なぁに?」
「私達みんな……ちゃんと虚しいって気持ち以外もあったんですねぇ……。
リーダーも、姫ちゃんも、ミサキさんも、リエルさんも………アズサちゃんも……」
「……うん」
「これから苦しいこと、いっぱいあるかもしれませんが……
それ以上にたくさん、色んなことを感じたいです………
つまるところ、それが生きてるってことだと思いますから……」
この一言を言った時にヒヨリさんの笑顔は、普段見るもの以上に眩しく見えた。
にへらっ、って感じじゃなくって。 ちゃんとにこっとした笑顔だった。
目には見えない何かに媚びて、自分を卑下するようにも見える不自然な笑顔じゃなくって。
自分の気持ちを精一杯に出した、ほんとうの笑顔だった。
……もしかしたら、いつも知ってるあの笑顔もどこか無理をしたものだったのかもしれない。
”マダム“の影響とか、教官たちの影響もあったものだったのかもしれない。
苦しい時こそ笑顔になって暗い気持ちを笑い飛ばす、みたいな話も聞いたような気がするけど。
そんな時の笑顔って、やっぱりなんだか変だと思うんだ。
こう、歪で……心からの笑顔じゃなくって、無理してるってすぐわかるような、そんな。
だから、ボクもヒヨリさんも。
誰かから見て、歪じゃない気持ちのいい笑顔になれていたら、嬉しいな。
「さて、名残惜しいですが……私もそろそろ、戻りますね」
「あ、そういえば……こんなことして大丈夫?
カレーの香りって結構残っちゃうような気がするけど……」
「そこら辺は問題ないですよ……ちゃんと丸一日単独行動の許可は取っていますし……
なによりしばらくはアリウスに戻る用事もありませんから……」
「あ、なるほど〜」
それはそれとして、そこら辺はちゃっかりしていた。
このしたたかさも、なんだからしいなぁって。
そう思った。
【その後のアリウスでの一幕】
「……なんか香ばしい香りがするような……」
「どこから?」
「さぁ……でもなんかこの前みんなで食べたカレーっぽいような気がする」
「カレー……なんかこの前誰か言ってたよ?
ヒヨリがリエルと一緒に食べてたって……」
「は?」ジャコンッ
「リエルと一緒にご飯食べるとか許されることじゃない」ジャキッ
「ころちゅ」カチャ