限界を超え、倒れたフィリウス分派のホスト。
彼女は今なお、立ち上がることができず。
こんなはずじゃなかったこと(桐藤ナギサ)
「お疲れ様です……それで、その……ナギサ様のお加減は……」
「現在ナギサ様は絶対安静につき、面会謝絶となります。
……お身体については命に別状はなく、病などもありませんが……
過度な疲労とストレス、睡眠不足の解消をしなくては復帰はさせられません……」
「そんな……それほどまでにあのお方は……」
遠くで声が聞こえる。
自分の配下と、救護騎士団に勤める生徒の話し声。
すぐ近くににいるはずなのに、随分と遠くから聞こえてくるよう。
……アレから自分がどうなったのか、鈍い頭でゆっくり思い出す。
夜、ティーパーティーの執務室にて考えをまとめていた……
補習授業部の面々について、エデン条約を妨害する裏切り者について……
そして……友人であり守りたい相手であり……一番疑わしい人物である……
……聖園ミカのことを……
ミカに不穏な影が落ちてきたことに気がついてから……記憶がはっきりしない。
バランスを崩し、上手く体を動かすこともできずに、まるで沈むように倒れて……
気がつけば、ここにいた……
「あぁ……」
今になっても、まだその疑念疑惑を信じきれない自分がいる。
何かの間違いであってほしいと、おかしなところなんてないはずだと思い込みたい自分が。
けれど。
数々の状況証拠が、影を拭えず……それどころか疑念が深まるばかり。
そのショックのせいなのか、あるいは無茶に無茶を重ねすぎたせいなのか。
自分の体は倒れて一週間以上経ったであろう今でもまるで動かすことができない。
背中の羽が鉄で塗り固められてしまったように重く、両足も樹木になって、地面に根をはってしまったのではないかと思いたくなるほど、動いてくれない。
やらなければならないことがたくさんあるのに。
きかなくちゃいけないことがたくさんあるのに。
今、何もできない。
歯がゆい。
今ここで横になっている間にもミカの行動は止まっていない。
いや、もしかしたら学校そのものの掌握に動いているのかもしれない……
……できるのか、という疑問よりやるだろう、と考えること。
信じていた友人でも疑えばこう考えてしまう自分に、多少嫌気がさしてくる。
本当は横になっている暇すらも惜しい。
だけど、体は今休息すべきだと訴えている。
……それらの気持ちを混ぜこぜにされているようで少し気分が悪くなりそうだ。
「失礼します」
ふと、絶対安静用の個室……自分が今いる病室の扉が開く。
厳格な声と共に開かられる。
「……ミネ、さん」
「ナギサ様、あまりお話することも控えてください、お体に障ります。
……少なくとも、ある程度は回復したと判断できるまでは静かに横になるように」
救護騎士団の団長……蒼森ミネ。
トリニティでも数少ない、陰謀の気配すら感じさせない実直な乙女。
過剰なほどの救護への姿勢には、少々眉を顰めてしまうこともあるけど。
間違いなく治療、医療に関して信頼できる人物であることは間違いない。
なにかと暴力的な噂も多いが、そこを切り離せば丁寧に、真摯に患者へと向き合っている。
適切で、的確な技術で怪我人の応対ができる方だ。
だから、怪我人を作る方が多いのは気のせい……いや気のせいでもない。
どれほど頼れても誤魔化しようのない部分はある。
「勝手ながら、検査をさせていただきました」
「……」
「日々の不衛生と休息不足による極度の疲労。
栄養失調と、内臓機器の疲労蓄積……ストレス性の消化器官のダメージ。
……一言でまとめると、疲れすぎ……です」
疲れすぎ。
あまりに大雑把でありながらも、今この状態を的確に言い当てた表現。
エデン条約に向けて無理をし続けたツケとも言える状態。
思えばこうしてベッドの上で休息を取れた時間は、あの頃どれくらいだったのか。
昼食や朝食を摂らずに仕事をし続けた日はどれくらいあったか……
思い当たりを探すのもキリがないくらい、無茶を続けた日々だったのは間違いない。
「ナギサ様。 今はなんの立場も関係ない医療関係の一人として言います。
あなたをこのお部屋から出すことはできません。
仕事をするなどもってのほか……なにもせす、養生してください」
「……」
「いいですね」
「……」
話す元気もなく、ただミネの言葉を聞き続ける。
最後の一言へ同意できかねる気持ちも確かに持っていたのだが。
今はまだ、首を縦にも横にも振ることすらできなかった。
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ミネは自分の仕事に戻り、専属の団員がつきっきりで看病してくれている。
彼女に頼みカレンダーだけ持ってきてもらったが。
倒れてもう何週間も経っていることに内心動揺を隠せずにはいられない。
しかし立ち上がることもできないのが焦りを加速させる。
休まないといけないのに、何かしなければ……という強迫観念が強い。
……でもダメだ。
このままじゃいられない……何かしたいという気持ちが抑えられない。
必死になって体を……右手だけどうにか動かせたような気がして。
そのままバランスを崩してベッドから落ちかけた。
その際にすぐ異変に気がついた団員の子が険しい顔でベッドに戻してくれたけど、
それ以上に心配そうな表情が頭から離れない。
普段自分を見る目とは違う、純粋な心配の気持ちが……
……あのような表情を見るのも、なぜか久々に思う。
いや、本当は配下の子達もそのような顔をしていたのかも知れないけど。
表情の確認さえ、今となっては曖昧だったと思い返す。
何度も、何度も……今までの自分を思い返して。
あまりにも、焦りすぎていたことに気がついた。
冷静なようで、心は怯えてばかり。
恐怖を噛み殺してばかりで、周りに相談もせず。
隙を見せてしまえばやられるとばかり思い込み、配下の子達も遠ざけて。
怪しいという理由だけで無実かも知れない生徒を……
(……ここまでにならないと、気がつかないとは)
明らかに、おかしかった。
自分自身がおかしくなっていた。
まるで何かに追われていたように、自分自身を追い詰めていた。
これでは心配されて当然に決まってる。
その上自分の体調さえ気を配らないとなれば、不調にもなろうものだ。
「……はぁ……」
深すぎるほどに、大きいため息が自分から漏れる。
看護の子には聞こえてないみたいで、もしかしたらそう聞こえたのは自分だけかもだけど。
溜めに溜まったものが全部体から出たような気持ちになった。
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やっと、冷えた頭で。
目を閉じながら、考える。
どうしてミカがこのような凶行に走ったのか。
まるで、わからなくて。
いくつか考察しても、どれもこれもピンとこない。
まず凶行を行う上で真っ先に疑う方針。
『誰かに脅されている、あるいは従わされている』
穏やかで悪いことをするはずのない人が急に悪事を働くのなら、この線がベター。
だけど、まずそもそも。
あの聖園ミカという存在を脅せるほどの存在がいるのだろうか?
……同じ立場として断言できる、そんな人物はいない。
トリニティ総合学校でも3大派閥と呼ばれるグループ……
その上でいちばんの武闘派であるパテルをまとめる彼女を脅迫するのなら、まず同じほど強い立場でないと意味がない。
なんの力も持たない弱小派閥から脅されたとしても、何も恐ろしくはない。
むしろ容易く返り討ちにできる。 政治的にも……物理的にも、だ。
そして何よりミカは、強い。
少なくとも、素質はあの正義実現委員会の現委員長にすら届くほどに。
そんな相手にわざわざ喧嘩を売ってまで脅すなど、とてもできるはずがない。
では、次のパターン。
『何者かに利用される形』。
ミカを言葉巧みに騙す、唆す、知らず知らずのうちにコントロールする。
……だが、この線も考えにくい。
その手の接触があるのなら、必ずミカ自身に何か噂がつくはず。
だって、ミカはこの学校から一歩たりとも外に出ていないのだから。
利用するために近づくのなら、間違いなく何かのアクションがあるはず。
ミカ自身か、利用する何者か……あるいはどちらも。
だけど、そういった話はまるで聞いたことがない。
聞こえてくる話は、いつものようにのびのび学内で過ごしているということくらいだった。
……いいや、自分が眠っていた間に動いていたのかも、しれないけど。
もし、そうだとすればもう自分でもどうしようもない……
できればそうでないと信じたいけど、可能性として頭をずっと掠める……
ないはず、でもあるかも……不安は消えない。
……ずっと横になっているからか、それとも疲労のせいか。
自分自身の考えが後ろ向きになっていることを自覚しつつ、他の可能性も考える。
「まさか」
そんなことあるの、と思いつつあるかもしれない路線。
『本人の意図から外れてしまった結果になった』。
そんなことあるわけない、と冷静な部分がツッコミを入れるがもしかしたら……という気持ちがこのパターンを浮かび上がらせた。
今までのことがミカの仕業だとして、いったいどこまで予定通りなのか。
自分のやったことがうまくいき過ぎている可能性もないのだろうか。
もしそうだとして……その事態をコントロールできているのか?
少なくともミカ自身、政治的な手腕や策略など、できないということはない。
そこは長い付き合いであるし、疑ってもいない。
そうでなければティーパーティーのホストという立場に立つことはできないから。
……例え彼女に望まれている姿がただのお神輿だとしても、その手の話は否応なく入ってくるはずだから。本人があまりやろうとしないだけで、できるのだ。
けど、今の今までしなかったことを突然に行ったとして、どれほどうまく行くのだろう?
人を動かすのも、自分が動くのも……予測外のことなんていくらでも起こるのに?
しかも、命令者と実行者との間で伝達そのものが歪むということも普通に起こりうる。
深読みのし過ぎ、発送の方向音痴、単純な理解不足……
自分自身の配下の子でもたまにあることが、起こらないなんてこともない。
詰まるところ。
みんな運が悪かった。
それぞれが思惑を外れて、事態が予測もつかないことになってしまった。
「そんな、ばかな……」
考えすぎだ。
疲れているから、こんな発想が出るんだ。
そう考えることも簡単なのに、嫌な予感というのは残り続けるものだ。
だけど、そんなことで自分がいまベッドの上で横になり続ける羽目になったと想像するだけで。
なんだかお腹の辺りが痛くなってきた……
これも、気のせいなのか……気のせいにしては鮮明すぎる……
「はぁ……」
もう何度目かもわからないため息。
疲れ、想像、不安、曇り……あらゆる側面をぎゅうぎゅうに詰めたものが口から漏れた。
「すみません」
「はい、なんでしょうかナギサ様?」
「……少し、外の空気を吸いたいのですが……窓を開けていただけませんか?」
「ええ、そのくらいなら……あ、逃げようとは……」
「しませんしません……今は、動く元気もないので」
かんがえつづけるのも、疲れてしまった。
一旦気持ちを切り替えて、頭を冷やしたい。
……救護騎士団の団員が開けてくれた窓から差し込む風が体に当たって。
その感覚が、やけに気持ちよく感じた。
(……もっと、人を頼るべき、だったのでしょうか)
こんなはずじゃなかった。
そんな後悔が、自分の心を突き抜けていく。
だけど、今となってはその後悔さえも疲れに流されていく。
……もう、何も考えたくない。
一人で悩み過ぎて、抱え過ぎて……気がつけば押しつぶされてしまって。
責任も責務も、これ以上持ちたくもなくて。
何もかも投げ出してしまいたくなるような衝動が身体中を包み込んでいく。
でも、そこまで自暴自棄にもなれなくて。
どうしても冷静な部分がそういうものにブレーキをかけて。
どうしようもないくらいに自分の気持ちを保とうとしてしまう。
いっそのこと、暴走できたほうが……気も楽になったのかもしれないが。
そんなことはしたくないと、理性が思ってしまうのだ。
「……疲れました……」
「ナギサ様……どうか、今はお眠りください。
救護騎士団の一員として以前に……一人の生徒として……あなたのことが心配なんです……」
「……ふふ、ありがとうございます……」
……気遣いの言葉が身に染みる。
人に労われるのも、ここまで身を案じられるのも……いつ以来だったのだろう。
自分がそんなことをしたのは、いつが最後だったんだろう。
人に優しくする。
最近は、そんな簡単なことができていなかった気がする。
何かあるたびに条約、条約と躍起になって……
セイアさんやミカさんについてもどこか投げやりになってしまったように思えて……
果てには、自分をよく見ていた側近の子でさえも……
(そんなこともわからなくなるほどに……余裕がなくなっていたのでしょうか……?)
ふと、自分のことについてそう思って。
ナギサは再び、深い眠りの中へと潜っていった。
【桐藤 ナギサ(2)】
間違いなくトリニティを代表する大物の生徒ではあるが、年相応の未熟な一面もあり、
思い詰めてしまったらかなり暴走しがちで、視野も狭くなる。
何がなんでも脅威があると思い込んでしまったら排除するために手段を選ばない冷酷さと、過剰なまでに怯えてしまう心の弱さも抱える。
しかし、学園のトップという弱さを見せられない立場ゆえに、誰にも相談できず。
心の中にある弱さと恐怖をただ隠し続けるしかなかった。