灰色の空の下、石畳の通りを一人の少年が跳ねるように歩いていた。
分厚いコートを着て、肩には使い古された短剣。靴底はすり減り、髪はぼさぼさ。それでも目は爛々として、どこか楽しげだった。
「ふっふーん。さあて、伝説の始まりってやつかな?」
自分でそう言ってニカッと笑う少年――名前はアッシュ・カーター。十四歳。元気で、できている少年だった。いや、少なくとも、外からはそう見えた。
ギルドの建物を見上げる。石造りの大きな建物。黒と銀の紋章が、鉄柱に吊るされた旗に刻まれている。どこか血の匂いがする、重たい場所。けれどアッシュは気にしない。
(生きてるだけで、すでにボーナスステージだしな)
心の中でそうつぶやく。あの日、焼けた村から這い出たあの夜を思い出す。
両親の亡骸の匂い、冷たくなった空。三日間、喋らなかった。それ以来、黙ってると気持ちが落ちるって気づいた。だから喋る。元気に。明るく。そうすれば誰も“可哀想”って目で見てこない。
それがアッシュの鎧だった。
「よし、と!」
ギルドの扉に手をかけた――そのときだった。
「よう、クソガキが一人。迷子か?」
アッシュは声のほうを向く。門の脇の影、樽にもたれて座る一人の男。よれたシャツにぶかぶかのズボン。髪は油っぽく、顔には小さな切り傷がいくつか。
「……何か用?」
「へへ、礼儀知らずだな。おいおい、ここがどこかも知らねえで来たのかよ。ギルドってのはな、“先輩”に挨拶してから入るとこだろ」
男は膝を立てて立ち上がる。よれよれの靴がぬかるみにぬめる。
「オレの名はグレンさん。Dランク。四年目。ここの門前、担当してんの。新人チェック係ってとこだな」
「聞いてないけど」
「今聞いたろ、クソガキ。耳も悪ぃのか?」
グレンはニヤついた顔で、アッシュの目の前に立ちふさがった。息が酒臭い。
「まず一つ目のチェック。“入場料”だ。銅貨五枚。これはこの街の伝統な。払え」
「そんな話、どこにも書いてなかったけど」
「書いてないが、伝統なんだよ」
アッシュはじっと睨んだ。だが、口角はわずかに上がっていた。
(わかりやすいチンピラだな)
「……払ったら通してくれる?」
「考えといてやるよ」
「じゃあ、渡さない」
アッシュが横をすり抜けようとすると、グレンは肩を押した。少年の身体が少しぐらつく。
「おっと。いまの暴行な。ギルド規約に引っかかるぞ?」
「は? お前がガキのくせに馴れ馴れしい態度取るからだろ。舐めてんじゃねえぞ、チビ」
「“チェック係”って、たぶん自称だろ。ギルドの人呼ぶよ?」
「テメ……!」
グレンの顔が引きつった。酒気の混じった唾を飛ばしながら叫ぶ。
「このクソガキがッ……! ああ!? 名乗れよ!」
「新人ですって言ったじゃん。馬鹿?」
「うるせぇ!!」
グレンが突き飛ばそうと腕を伸ばす。が、アッシュはさっと半歩下がり、かわした。
「動きが遅いね、じいさん」
「だァあああ!? だれがじじいだゴラァ!!」
その瞬間だった。
「グレン。朝からなに騒いでるの」
ギルドの扉が開き、眼鏡の男が姿を現した。黒いスーツに身を包んだ中年――ハンターギルド職員のモルドだった。
「まーたやってんのか、おまえ。もう今月三回目だぞ」
「ちげぇんだって、こいつが生意気に――」
「その言い訳も三回目だ。いいか、次やったら登録抹消な」
「はぁ!? ちょ、待てモル――」
「“モルドさん”な。敬語も使えねえ三流にハンター名乗られたくねぇんだよ」
グレンは舌打ちして黙り込む。だがその目、明らかに殺気じみた光が宿っていた。
モルドがアッシュに頭を下げる。
「申し訳ない。彼は……まあ、昔は戦闘の達人だったんだが、最近はただのトラブルメーカーでね」
「へえ。こんなチンピラでも“達人”だったんだ」
アッシュはニヤリと笑ってギルドの中へ入っていく。グレンの視線が背中に突き刺さる。
「……ガキが、クソが」
誰にも聞こえない声で、グレンは小さくつぶやいた。
その拳は、わずかに震えていた。
ギルドの扉が音を立てて閉じる。外の寒気を遮ると、室内のぬくもりがアッシュの体を包んだ。
木の床はやや軋み、壁には冒険者たちの功績や武器が飾られている。カウンターの奥では、数人の職員が忙しく帳簿をめくっていた。
モルドが無言で手招きし、アッシュを一つの記帳台へ案内する。机の上には筆と羊皮紙、そして小さな透明の水晶板が置かれていた。モルドはギルドの職員らしい
「まずは基本情報から。名前、年齢、出身地を」
「アッシュ・カーター。十四歳。出身は……メルティア北部、ベル村。今は地図にないと思う」
「……ああ。例の焼かれた集落か」
モルドの視線が一瞬だけ鋭くなった。だが、すぐに柔らかくなる。
「心配するな。ここでは過去より今を見る。少なくとも俺はそういう主義だ」
「ありがとう。……そういうの、ちょっと助かる」
モルドは羊皮紙に筆を走らせながら、淡々と説明を続けた。
「では、ギルドの仕組みを説明しよう。ハンターのランクはE、D、C、B、A、そしてSの六段階。Eが最低、Sが最高だ。全登録者の七割がD止まりで、C以上になるとそれなりに“本物”扱いされる」
「Sは?」
「世界に現在、五名しかいない。王国に招かれ、戦場では一騎当千。人間兵器とすら呼ばれる。伝説級だ。まあ、誰もが目指すが、誰もが辿り着けるわけじゃない」
「……目指すよ、俺は」
即答するアッシュに、モルドは少しだけ目を細める。
「それを聞くと、若いなと思うが――同時に羨ましくもある。さて、次は魔力適性の測定だ」
水晶板に手を置こうとするアッシュに、モルドが言った。
「一応、知っておくといい。魔法を使える者は――およそ百人に一人だ。しかも、そのほとんどは簡単な火起こしや風の操作止まりだ」
「……そんなに少ないのか」
「ああ。魔力というのは、魔法を使うためのエネルギーだ。実戦で通用する魔法を操れる奴なんて、千人に三人もいない。だからこそ、魔法士は貴族や軍に重宝されるんだ」
アッシュは一瞬だけ沈黙したのち、小さく呟く。
「俺の村には、一人もいなかったな。魔法を使える奴なんて」
「そういう土地は多い。魔法は貴族の学問であり、都市の資産だ。だからこそ、地方から現れた魔法使いは驚かれるし、恐れられる」
「……それでも、使えるなら使いたい。どうせ生きるなら、意味のある力が欲しい」
その言葉に、モルドはふっと口元を緩めた。
モルドは棚から透明な水晶球を取り出し、机の上に置いた。内部には薄く霞がかった青い光が揺れている。
「これは“測定球”。魔力の有無と、ある程度の質を測れる。手をかざしてみろ」
アッシュは頷いて、そっと手を伸ばした。
――次の瞬間、
水晶球がぱんっと鈍く音を立て、眩い紫の光を放った。青白い光が部屋中を一瞬で満たし、空気がピリッと緊張する。
「……なっ!?」
モルドが目を見開き、後ずさった。
周囲にいた受付嬢や他の職員も、思わず顔をこちらに向ける。
「まさか……紫!?」
「ちょっと待て、まだ十四歳だろあの子……」
「新人に混じってたなんて、信じられない……」
ざわめきが広がる。アッシュはぽかんとした顔で自分の手を見る。
「……え、これって……ヤバいやつ?」
モルドは咳払いしながら、眼鏡を押し上げた。
「“ヤバい”どころじゃない。お前、魔法が使える。それも、かなり質のいい魔力だ。……とんでもない逸材かもしれないぞ」
アッシュは照れたように笑った。
「ま、人生たまには当たりも引くってことで」
「油断はするなよ、素質があるからといって生き残れるとは限らない。命と才能は別物だ」
アッシュは笑った。
「うん。知ってる。俺、もう何回か死にかけたから」
「……そうか」
モルドは水晶球の光が収まりきったのを確認してから、ぽつりと呟いた。
「……それにしてもすごいな。紫が出たのは、これで二度目だ」
アッシュは眉をひそめた。
「前にもいたのか?」
モルドは棚にしまわれた古い書類に視線を移し、懐かしむように頷く。
「二年前だ。突然現れてな……『八咫烏』のリーダーを名乗っていた」
アッシュの背筋がわずかにこわばった。
「……八咫烏。ロンギヌスの槍を潰して回ってる、あの組織?」
「ああ。王国の兵士が血眼になって追ってる。連中の手にかかっちゃ、どんな要塞もただの瓦礫だ」
モルドは静かに続ける。
「そのトップ――オロスという男も、紫だった。魔力量だけで言えば、あれと君は同じクラスだ」
アッシュは思わず自分の手を見る。そこには何の変哲もない掌があるだけだ。
「そいつ、どんな魔法を使ったんだ?」
「霧だ。薄くて冷たい霧が、気がつけば部屋を満たしていた。何も言わずに立っていただけなのに、息が詰まりそうだった。まるで……自分の意思が霧に溶かされるような感覚だったよ」
モルドは眼鏡のブリッジを指先で押し上げ、アッシュを見つめる。
「安心しろ。君はまだ、そうはなっていない。けど――気をつけろ。その素質は、世界を動かす側にも、壊す側にもなれる」
アッシュは苦笑しながら肩をすくめた。
「……そんな大物と一緒にされたら、重いって」
だが、胸の奥で何かが静かにうごめいた。熱でも冷たさでもない、形のないもの。目には見えないが、確かにそれは、彼の中で何かを動かし始めていた。
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「登録完了だ。君のギルドカードを発行する。“Eランク・仮登録”。初期装備として、簡易地図、依頼帳、そして非常用ホイッスルが支給される」
「ありがと。じゃ、S目指して頑張るよ」
「……その目が濁らないうちに、なるべく早く強くなれ。世界は“弱者”に優しくない」
アッシュは頷き、手にしたカードを見つめた。ギルドに登録したただの一歩。けれど、その足取りは確かに――世界の裏側へと続いていた。