救済   作:8時間睡眠

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世界の果て

 

 

 吐息に濁りが混じる。ダンジョンの空気は湿っていて、肺の奥にまとわりつくようだ。

 

 「来るなって……言ったろ」

 

 アッシュは足元を指先で弾く。次の瞬間、地面に溜まっていた毒素が跳ね上がり、液状の弾丸となって魔物の顔面に炸裂した。

 

 ギャアアッ!

 

 凄まじい悲鳴。腐食性の毒液が皮膚を焼き、目を濁らせ、呼吸器を侵す。だが魔物は怯まない。肉体の損傷では止まらない本能に突き動かされ、怒声とともに突進してくる。

 

 「……ほんと、しぶといな」

 

 アッシュは指先をすぼめ、空中に弧を描く。そこに浮かび上がるのは、光沢のない細い針──猛毒を込めた魔法の具現。高速で放たれたそれが、魔物の喉元に突き刺さる。

 

 咳き込み、のたうち、やがて静かに沈黙した。

 

 ようやく一息ついたアッシュは、背中に手を当てて呼吸を整える。視線の先には、さらに三体の気配がある。戦いはまだ続く。

 

 「ハンターになって、二ヶ月が経った」

 

 呟く声に自嘲が混じる。

 

 ダンジョンに潜り、モンスターを倒し、アイテムや素材を回収して生計を立てる──それが“ハンター”という職業だ。

 誰でも登録はできる。だが、全員が生き残れるわけではない。昇格の条件は明快だ。成果、討伐数、戦闘能力。ギルドの査定でEからSまでの階級が与えられ、依頼内容や報酬にも関わってくる。

 

 アッシュは、最初はEランクだった。生きるために、食うために、地を這うような仕事をこなした。ようやくCまで昇格した。

 

 「毒の魔法ってのは、便利だけど地味なんだよな」

 

 煙のように広がるわけでもなく、派手に爆発するわけでもない。即死性もない。だが、確実に相手を蝕む。

 

 腐食、幻覚、神経麻痺──それぞれの毒は時間をかけて敵を壊す。

 「効かない敵なんて、いない。ただ……派手じゃねえから、舐められる」

 

 地面に指先を這わせ、新たな毒素を抽出する。今度は霧ではない。乾いた砂のような毒粉だ。吸えば肺が焼け、目が潰れる。

 

 「……だがそれでいい。どうせ俺は、目立たない方が都合がいい」

 

 魔物たちが突進してくる。その数、三体。だがアッシュは微動だにせず、指を鳴らした。

 

 毒粉が爆ぜ、空間に充満する。喉を押さえ、咳き込みながら、魔物たちが一斉に崩れ落ちた。

 

 

 

 

---

 

 ダンジョンから出た瞬間、乾いた空気と太陽の光がアッシュの顔を照らした。肩で息をしながら、毒の魔法の余韻を纏った指先をゆっくりと見下ろす。紫黒色の煙がほんのわずかに揺れ、そして消えた。

 

「……やれやれ。C級ダンジョンとはいえ、相手が群れると骨が折れるな」

 

 魔物たちは体力だけならD級の比ではない。それでも、毒魔法は確かに効いていた。効きが遅い分、動きを封じてから仕留めるスタイルが板についてきた気がする。アッシュは剣を鞘に収め、ダンジョンのゲートを後にした。

 

 都市ギルドに戻るまでの道のりは、疲労で足取りが重い。それでも、手持ちの小袋には魔核がいくつも入っていた。今回の成果としては上々。B級への昇格の兆しも見えつつある。

 

 ギルドの重い扉を開けると、騒がしいホールの空気が一気に押し寄せてきた。机に座るハンターたち、張り紙を物色する者たち、カウンターで報告書を出す者たち――それぞれが生活のためにこの場所で戦っている。そう、ハンターとは――

 

『異界から現れるダンジョンを探索し、魔物を倒し、内部に残されたアイテムや素材を回収して換金する者たち。』それがこの世界における「ハンター」の役割だ。成功報酬は高く、だが命の保証はない。だからこそ、ハンターたちは階級(ランク)によって評価される。最低ランクはE級。そこからD、C、B、A、そして伝説とされるS級へと昇格する。昇格には成果と実績、時には推薦が必要だ。

 

 アッシュがE級からC級に飛び級したのは、あるチーム任務がきっかけだった。当時まだE級だった彼に、運命を変える出会いがあった――

 

「よ、アッシュ。まだ生きてんじゃん」

 

 ギルド内、張り紙の前で気楽に手を振っていたのは、長身の男。短く刈った金髪と鋼のような目をした、盾使いのケインだった。彼との出会いは、ある任務での急造チームだった。リーダー格だった男が先走ってパーティが崩れた時、盾で味方をかばい続け、最後に立っていたのがケイン。アッシュの毒魔法に助けられたと本人は言うが、アッシュにとってもケインの盾がなければ今ここにはいなかった。

 

「……ケインか。相変わらず暇そうだな」

 

「うるせぇ。今は狙ってるダンジョンがあってな」

 

その横から、柔らかい声がした。

 

「やっぱりアッシュだった。あの報告、読んだよ。ダンジョン攻略、おめでとう」

 

 水色の髪をサイドで結んだ女性が、静かに微笑んでいた。アン――彼女も、あの時の共闘任務で出会った仲間だ。元はソロのスナイパーとして知られていたが、アッシュが死にかけた時、後方から魔物の目を正確に射抜いたその一撃を、今でも忘れられない。

 

「アン、お前も無事だったか。助かったよ、あの時は」

 

「お互い様でしょ。毒で動きを止めてくれたおかげで、狙いやすかったし」

 

 3人は並び、掲示板に目を向けた。

 

 その中に、黒く太い文字で記された一枚が目に留まる。

 

『【黒竜の巣】C級ダンジョン/再出現地点:西の峡谷/報酬上乗せ対象』

 

「黒竜、だと……?」

 

 ケインが眉をひそめ、アンが僅かに唇を引き結んだ。

 

「前に討伐されたはずなのに、また出たの?」

 

「正確には、"似た個体が出た"ってところだな。……にしても、面倒な依頼だ」

 

 アッシュは黙って張り紙を見つめた。胸の奥が、ざわりと震える。これは偶然ではない気がした。今このタイミングで、C級に上がった自分の前に現れた試練――

 

「……行く気だな、お前」

 

ケインがニヤリと笑う。

 

アッシュは、わずかに頷いた。

 

「お前たちがいれば、悪くない仕事になる」

 

アンも静かに笑って、言った。

 

「なら、三人でやろう。」

 

 

---

 

 

 鉛色の空を、ひとつの影がゆっくりと滑っていく。

 それは巨大な飛行船だった。まるで空に浮かぶ鋼鉄の鯨のように、白銀の氷原を見下ろしながら、静かに進んでいく。

 

 船体はリベット打ちの鋼板で組まれ、時折、蒸気の漏れる音が甲板の隙間から吐き出される。外装には煤けた痕や補修の跡が残っており、長い旅の痕跡を雄弁に語っていた。船体の上部には、大きく膨らんだガス袋――水素と魔法触媒を混合した浮遊球が鎮座しており、時折、空気の震えるような低い唸りを上げていた。

 

 両脇には木製の観測デッキが張り出しており、手すりには真鍮製の望遠鏡や測定器具が取り付けられている。露出した歯車がゆっくりと噛み合いながら回転し、冷え切った空気の中にカチリカチリと小さな音を響かせた。

 

 下部には推進用のスクリューが左右に二基ずつ設置されており、煤にまみれた煙突からは細い黒煙が立ち上っている。動力は石炭炉と簡易魔導炉の複合式。時折、船体全体がわずかに軋み、蒸気弁がプシューッと白く霧を噴き上げた。

 

 船首には、錆びかけた船名プレートが取り付けられている。読めるか読めないかの擦れた文字で、《ジャン号》とあった。

 

 どこまでも続く氷の大地を眼下に見下ろしながら、その飛行船は、ただ黙々と“世界の果て”を目指していた。空を裂くようにして進む姿は、まるで過去の文明が遺した亡霊のようだった。

 

 

---

 

 

 

 

 どこまでも白い。  それ以外の色を、すべて拒絶するかのように。  氷の大地は、凍りついた地平線まで果てなく続き、風は切り裂くように冷たい。雲ひとつない空は青く澄みわたり、その純粋さがかえって不穏さを増していた。

 

 空を裂くようにして、飛行船が着陸した。エンジンの唸りが消え、静寂が訪れる。  ハッチが開き、白い蒸気のような冷気が噴き出した。中から現れたのは、二人の男女。 

 

 先に降りたのは男――オロス。背丈は低く、顔の半分を覆うようなフード付きの黒いマントを羽織っている。片手には、見慣れた剣が背負われていた。  後ろからついてきたのは、黒髪の少女――リサ。腰まで届く艶のある髪を冷気に揺らしながら、不満げに眉をひそめている。

「そういえば、一つ聞き忘れていたことがある」

 

「何?」リサは軽くため息をつきながら振り返る。「この寒さの中でしゃべる気力がまだ残ってるのがすごいわね、あなた」

 

 オロスは視線を雪の彼方に向けたまま、ぽつりと言った。

 

「リサ。お前は“作者”なんだろう? なら、俺の……前世のことも知ってるんじゃないのか?」

 

 リサは一瞬、返答をためらったように沈黙した。しかしすぐに苦笑いを浮かべ、肩をすくめた。

 

「うーん……正直に言っていい?」

 

「もちろんだ」

 

「あなた、脇役だったのよ。だから細かい設定なんてないの。前世の名前は“鈴木”っていう、ごくありふれた名前。あと、自殺してこの世界に転生したってことくらい」

 

 リサはしばらく無言で、オロスの顔を見つめた。

「……寒すぎる。ここでスキーでもするの?」

 

「こんなところでしたら死ぬ」

 

 オロスが肩をすくめる。リサはふんっと鼻を鳴らした。

 

「それにしても……こんな世界の果てに、こんな大陸があるなんて思わなかったわ。まるで地図の“外側”じゃない。ここ、何なの?」

 

 オロスは一度、足元の雪を踏みしめ、遠くを見つめた。

 

「以前、ロンギヌスの槍の拠点を潰した時……そこの幹部が言っていた。『世界の果てには守護者がいる』ってな」

 

「守護者?」

 

「古代、この世界を滅ぼしかけた“何か”を封じた存在だそうだ。そいつに、話をしに来た」

 

 リサは唖然とした表情で、肩を抱くようにして震えた。

 

「ちょっと待って。それだけのために、私をこんな極寒地獄に連れてきたわけ?」

 

「いや、調査も兼ねている」

 

「……嫌な予感しかしないわ。その“調査”って、具体的に何を?」

 

「ここにいるモンスターの糞尿集めだ」

 

「……え?」

 

「ここには珍しいモンスターがたくさんいる。モンスターの糞と尿を採取して、生態情報を得る。学術的にも、軍事的にも貴重なデータだ」

 

 リサは黙り込んだ。目を閉じ、呼吸を整え、深く、深くため息をつく。

 

「それ、最初に言ってくれてたら、飛行船のハッチ閉めてた」

 

「まあ、仕方ないな。ここまで来てしまった」

 

「まったく……私は友達とカフェでパフェを食べる予定だったのよ。それをドタキャンしてまで、氷の大陸で糞尿集めって……何よそれ」

 

「お前の氷の魔法は糞尿集めに役立つ。調査の成功は、お前にかかっている」

 

「最悪なプレッシャーのかけ方ね」

 

 風が吹きつけ、リサの黒髪がなびいた。冷気が顔に当たって涙がにじむ。

 

「……わかったわよ。せめて、終わったらご褒美くれる?」

 

「コーヒーでどうだ」

 

「それで手を打つわ。角砂糖7つ入りね」

 

「それもうコーヒーじゃないだろ」

 

 彼らの足音が、きしむ氷の上に刻まれていく。雪に沈みながら、それでも二人は歩き出す。  その先に、何が待つのかもわからぬまま。  凍てつく沈黙の大地を、目指す者たちはただ、まっすぐに進んでいく。

 

 

 

 

 

 

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