アリアは右上に視線を向けて、静かに言った。
「私を殺したのは、あそこのレストランの店長よ」
その目線の先を追うと、一際目立つ大きな建物があった。
「あの店長、きっとネクロマンサーよ」
聞き慣れない単語に、つい聞き返してしまう。
「ネクロマンサー?」
アリアは幽霊でも見たかのように目を大きく見開いた。
「常識でしょ? 異形の神々を信仰する信者が使う技。有名な都市伝説じゃない」
……どうやらこの世界では“ネクロマンサー”が一般常識らしい。
怪しまれないように、反射的に反論する。
「バカなこと言うなよ。知ってるに決まってるだろ」
目線を自然と下に落とす。俺の癖だ。
隠したいことがあるとき、決まって視線が泳ぎ、耳を触ってしまう。
「都市伝説の組織が絡んでるなんて……信じられるか。証拠はあるのか?」
アリアを正面から見据える。少し不安だったが、どうやら怪しまれてはいない。
「証拠ならあるわ。少し待ってて」
そう言って、アリアは部屋の一番奥へと消えていった。
しばらくして、何かを口にくわえて戻ってくる。
「これが証拠よ」
差し出されたのは、奇妙な時計だった。針が――ない。すべての。
「この時計、店長がいつも身に着けてるやつよ。昨日、盗んできたの」
いきなりの犯罪告白に、返す言葉が見つからない。
そのとき、不意に時計が大きな音を立てた。
予想外の音に、思わずよろけそうになる。
「この時計、決まった時間にいつも鳴るのよ。その音がね――ネクロマンサーが技を使う時の音に、すごく似てるの」
アリアは冷静だった。対して、驚いて固まっている俺が、妙に滑稽に見える。
「……なんで、そんなこと知ってるんだよ」
冷静に返したつもりだった。驚いてないように、必死で取り繕った。
「去年、本で読んだの。それより――あなた、驚いてないふりしてるつもりみたいだけど、バレバレよ」
図星を突かれ、大きく咳払いで誤魔化す。
「……で? その証拠、警察にでも届けるつもりか?」
「いいえ。この時計は――私の死体を見つける鍵だと思うの」
「……死体?」
「ええ。私はあの店長が猫を殺しているところを偶然見てしまったの。そして――気づいたら、猫になってた。死んだのよ」
言葉が出ない。
「夜も遅いし、話は明日にしましょう。あなたの部屋はあっちよ」
アリアが指差した先には、豪奢な扉があった。
どこかの貴族が住んでいそうな、金の飾りが刻まれた重厚な扉。
部屋の中へ入ると、予想通りの光景が広がっていた。
赤い絨毯に、柔らかな光を放つ天蓋付きベッド。
壁は淡いクリーム色で、装飾の一つ一つが高級感を醸し出している。
古風なランプが揺れるたび、部屋に影がゆっくりと踊っていた。
アリアは「バイバイ」とだけ言い残し、どこかへ姿を消した。
俺は小さく、心の中でだけ呟いた。
――ナイス
ベッドに横になっていると、視界の端がにじんだ。まるで眠気の波が現実を溶かし始めたかのように、色と音がゆっくりと遠のいていく。身体の感覚が薄れ、沈むように意識が落ちていった。
気づけば、俺はどこかにいた。否、そこが「どこか」だとすら言えない。
空も地面も存在しない、ただ無音の光だけが星のように揺らめく空間。宇宙のようでいて、宇宙ですらない。重力も時間も剥ぎ取られた、純粋な意識だけが浮かぶ領域。
そんな中、不意に声がした。
「ようやく来たか」
耳ではなく、頭の奥に直接響いてくるような声だった。男の声だと、なぜかすぐに分かった。
振り返ると、そこにいた。
黒のロングコートにシルクハット。まるで昔の探偵のような格好の男が、静かに立っている。その佇まいは時代錯誤なのに、妙にこの場に馴染んでいた。けれど、何より異様だったのはその瞳だ。夜空よりも深く、光すら沈むような闇を宿していた。
「……誰だ、お前は」
俺がそう問うと、男は肩をすくめてみせた。
「ただの旅人さ。……今回は暇つぶしに立ち寄っただけだ」
「暇つぶし、ね……」
俺は警戒しつつも、一歩踏み出した。
「ここはどこなんだ?」
「夢さ。そして、少しだけ現実でもある」
男がそう答えた瞬間、周囲の空間に波紋のような揺らぎが走った。空中に幾何学的な模様が現れる。意味のない記号。見るだけで目の奥が軋むような、異質な存在。
「君に、ひとつだけヒントをやろう。今回の事件を解く鍵は、“転生”だ」
「……転生?」
その言葉に、胸の奥がざらついた。知っているはずなのに、決して理解しきれない感覚。
男は、にやりと笑った。
「“転生”とは、魂の選択だ。そして同時に――神々の意図を横からすり抜ける、ズレた意志の現れでもある」
その言葉が、空気にしみ込むように耳へ届いた。まるで、心の奥に誰かが静かに石を落としたような感覚だった。
俺は、思わず眉をひそめる。
「神々の意図、ね……」
男は頷き、足元に視線を落とす。何もないはずの空間に、ぼんやりと光の線が現れた。複雑に絡み合った糸のような光。その一つひとつが、まるで誰かの人生を辿る軌跡のようにも見えた。
「本来、魂ってやつはさ――死んだら、しばらくのあいだ“静けさ”の中に横たわるんだよ。言ってみりゃ、使い終わったページを本棚に戻すようなもんだ。そこで神々は考える。書き直すべきか、そのまま閉じるか、それとも燃やすか」
男は手をひらひらと動かした。その動きに合わせて、空間の一部がざわついた。
「でもな、転生ってのは違う。魂自身が、その棚から勝手に這い出てくる。まだ決まってもいない“次”を選ぼうとして。神々の裁定を待たずに、ルールの隙間を縫って戻ってくる。ある意味じゃ、すごい執念だよな。まっすぐだ。でも、同時に……危うい」
俺は、思わず口を挟んだ。
「それが、悪いってことか?」
男は肩をすくめた。まるで“答える必要があるのか?”とでも言いたげな表情だった。
「悪いかどうかなんて、神でさえ断じたりはしないよ。ただ、観察する。君たちが、どこまで持つのか。どこで壊れるのか。ちゃんと終わるのか、それとも終われずに彷徨うのか……ずっと見てる。気まぐれに、残酷なほど静かにね」
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そう言って、男はふっと息を吐いた。
「ま、難しい話はこれくらいにしよう。暇つぶしには十分だった」
男はくるりと踵を返す。その動作はなぜかやけに軽やかで、現実感に乏しかった。
「……おい、待てよ。まだ話が――!」
駆け出した。けれどなぜか、どれだけ走っても距離は縮まらない。まるで空間そのものが俺を拒絶しているかのように、男は遠ざかっていく。
「また会おう。次は、もっと面白くなってるといいな」
最後に男がそう言い残した瞬間、夢が歪み始めた。空間が崩れ、引き裂かれるような感覚に包まれる。
――そして、目が覚めた。
見慣れた天井。夜の静けさがまだ部屋を包んでいる。汗ばんだ額を手で拭いながら、俺は呼吸を整えた。
……あれは本当に夢だったのか? それとも――始まりの合図か。