救済   作:8時間睡眠

4 / 15
記憶

 

朝でも夜でもない。時間の概念が薄まったような空間で目を覚ますと、天井のシミがゆっくりと形を変えていた。

 

 

 

 アリアは窓辺に座っていた。猫の姿で、静かに尻尾を揺らしている。

 

 

 

 「起きたのね」

 

 

 

 「……ああ」

 

 

 

 夢の記憶はまだ鮮明だった。宇宙のような空間、星々、そしてあの男。「転生」という不可解な言葉だけが、記憶の中心で静かに燃えていた。

 

 

 

 だが、話すつもりはなかった。あんな夢を信じる者はいない。それに、言ってはいけないような直感があった。

 

 

 

 「黙ってるわね。何かあった?」

 

 

 

 「……いや」

 

 

 

 アリアは首をかしげたまま、しばらく沈黙した。そして、ため息をつく。

 

 

 

 「ま、そういう人ってことね。じゃあ、ひとつ聞いてもいい?」

 

 

 

 「なんだ?」

 

 

 

 「あなたの名前。まだ、聞いてないわよね?」

 

 

 

 俺は、そこで言葉を失った。

 

 

 

 ——名前。

 

 

 

 頭の奥に冷たい痛みが走る。思い出そうとした瞬間、脳裏にノイズが流れ込んできた。

 

 

 

 水に濡れた紙が破れる音。古いラジオの砂嵐のような、耳の奥から爪でひっかかれるような音。 そもそも俺は何で自殺したんだ?寝る前は覚えていた。それに覚えている記憶もおかしい。記憶が映像ではなく文章。まるで作られたような

 

 

 

 目の前の光景が、にじんで歪んだ。

 

 

 

 「……っ」

 

 

 

 「ちょっと、大丈夫?」

 

 

 

 「……ああ、ただ……」

 

 

 

 言葉を探す。口から出たのは、ふと浮かんだ一語だった。

 

 

 

 「オロス……」

 

 

 

 「それが、思い出した名前?」

 

 

 

 「いや……分からない。ただ、それだけが浮かんだ」

 

 

 

 アリアは不思議そうにまばたきして、それから小さく笑った。

 

 

 

 「じゃあ、仮の名前は“オロス”で決定ね。名前がないと呼びにくいし」

 

 

 

 オロスは頷いたが、胸の奥に不安が残った。その名前が、どこか異質な音に感じられたのだ。

 

 

 

 アリアは窓から目を離し、少しトーンを落とした。

 

 

 

 「そうそう。ひとつ気になることがあるの。店長のこと」

 

 

 

 「店長……?」

 

 

 

 「ポケットに、いつも何かを入れてるの。右側のズボンの、外のポケット。何かを隠してるみたいでね。硬いもの……たぶん、小瓶か何か」

 

 

 

 「見たのか?」

 

 

 

 「ちらっとね。夜中、裏口でしゃがみこんでたの。ポケットから何か出して、すぐしまった」

 

 

 

 オロスは黙ったまま、壁の影を見つめる。夢の中の男が言った言葉が、心の奥で再び響く。

 

 

 

 

 

 

 

 「……ありがとう。ちょっと気にしてみる」

 

 

 

 「何を考えてるか分からないわね。さっきからずっと黙ってる」

 

 

 

 アリアの目がこちらを探るように光った。

 

 

 

 「……なんとなく、言葉にならないだけだ」

 

 

 

 そう答えたオロスは、自分がどこにいて、何を始めようとしているのか、その全貌をまだ掴めていなかった。しばらく沈黙が続く  アリアは器用に前足を持ち上げると、宙に浮かせた水滴をちゅっと吸い込んだ。水は空中で小さな渦を巻いて、まるで命を持っているかのように彼女の口元へ滑り込んでいく。

 

 

 

「今の……魔法か?」

 

 

 

 思わず俺が尋ねると、アリアは胸を張るようにして尻尾を立てた。

 

 

 

「一応。並の魔法使いよ」

 

 

 

 そう言って、アリアはすっと地面に降りた。そのまま近くの古びた椅子に向かって一瞥すると、小さく呟いた。

 

 

 

「変化」

 

 

 

 椅子の脚が震え、きしんだ音を立てたかと思うと、次の瞬間にはガラリと質感が変わる。深い茶色の木材が抜け落ち、ただの板切れが床に落ちていた。

 

 

 

「うわ……。すげぇ……。あの椅子、ただの板に……」

 

 

 

 俺の感嘆に、アリアは少しだけ首をすくめるようにして言った。

 

 

 

「ま、まあ……普通の魔法よ。魔法使いなら誰でも気づくくらいの」 その声は少し照れているように感じた

 

 

 

「でも……その椅子、戻さないのか?」

 

 

 

 俺が板きれを指さすと、アリアは首を傾げた。

 

 

 

「え? いらないんでしょ?」

 

 

 

「いや、使うけど」

 

 

 

「そ、それは……ごめん。つい、つい魔法見せたくなって……」

 

 

 

 アリアはバツが悪そうにぺろりと舌を出した。猫の顔のままのせいで可愛らしさが増しているのがずるい。

 

 

 

「次はもっとマシなもの壊すわね!」

 

 

 

「壊すな!」

 

 

 

アリアが“ただの猫”じゃないってことは、十分にわかった。

 

 

 

 だからこそ、もう一つ、気になっていることを確かめたくなる。

 

 

 

「なあ、アリア。店長と……一度話してみるよ」

 

 

 

「店長? あの怪しいおっさん?」

 

 

 

「怪しいかどうかは、自分の目で確かめたい。直接話せば、何か分かるかもしれないしな」

 

 

 

 アリアはしばらくじっと俺を見つめたあと、ふっと尻尾を揺らした。

 

 

 

「いいわよ。でも、騙されたらすぐ戻ってきなさいよ? 慰めてあげるから」

 

 

 

「猫に慰められるのもどうなんだろうな……」

 

 

 

 俺は苦笑しながら立ち上がり、アリアの“芸術作品”となった板切れをまたいで外に出た。風が少し冷たくて、背中を押されるようだった。

 

 

 

 さて、次は俺の番だ。

 

 

 

 朝の街路は、ほどよい喧噪に包まれていた。古書店やカフェが並ぶ通りの一角。そこに、ちょっと場違いなほど洒落た木製の扉が目立つ飲食店があった。

 

 

 

 店の名は『アオサカナ亭』。洒落ているのか、ふざけているのか、判断に困る名前だ。だが店構えは真面目だった。看板も磨かれ、窓には手書きのメニューが貼られている。料理の腕はともかく、経営意欲はありそうだ。

 

 

 

 オロスは扉の前で深呼吸し、軽くノックしてから入った。

 

 

 

 中は驚くほど静かだった。客は誰もいない。店内にはスパイスの香りだけが漂っている。

 

 

 

 カウンターの奥から現れたのは、一人の男だった。

 

 

 

 青い髪が無造作に跳ね、目元は鋭く、まるで人を睨みつけるのがデフォルトのような顔つき。清潔感は意外とある。ポケットに手を突っ込んだまま、こちらをじろりと睨んできた。

 

 

 

「予約してないなら帰れ」

 

 

 

「……まだ何も言ってないんだけどな」

 

 

 

 オロスは笑顔を貼り付けながら、カウンター席に腰を下ろした。店長らしきその男は、あからさまに嫌そうな顔でため息をつく。

 

 

 

「店は朝の9時からだ。営業妨害は通報するぞ」

 

 

 

「安心して。今日は飯じゃなくて、雑談に来たんだ」

 

 

 

「もっと迷惑だな」

 

 

 

「まぁまぁ、そんなこと言わずに。ちょっと聞きたいことがあってさ」

 

 

 

 オロスは椅子に肘をつき、軽い調子で話し始める。

 

 

 

「この店の近くで……なんというか、奇妙な噂があってね。変な生き物が見られたとか、猫が喋ったとか」

 

 

 

「猫が……?」

 

 

 

 一瞬、店長の視線が動いた。だがすぐにまた、無表情に戻る。

 

 

 

「知らん。猫なんてどこにでもいるだろ」

 

 

 

「でも“喋る”猫はなかなかいない」

 

 

 

「酔っぱらいの妄想だ。うちは飯を出すだけだ」

 

 

 

「ふーん……でも、たとえば。最近、おかしなものとか見つけなかった?」

 

 

 

 店長の眉がピクリと動いた。反応は鋭い。まるで神経が触れたかのように。

 

 

 

 ──やはり、何か隠している。

 

 

 

 オロスは視線を泳がせながら、さりげなくカウンター越しに店長の腰元を観察した。シャツのポケットが少し膨らんでいる。布越しに見える輪郭。明らかに、本だ。

 

 

 

「なにが言いたい?」

 

 

 

 店長がやや前のめりに詰め寄ってきた。口調も、目の奥も鋭さを増している。だがそれは、図星を突かれた者の反応に近かった。

 

 

 

「いや、ちょっと好奇心で。ごめんごめん」

 

 

 

 オロスは両手を上げ、話題を変えるように店内を見渡した。

 

 

 

「それにしても、いい店だな。家具とか、こだわってる感じする。……あれ? そこの壁、ちょっと焦げてない?」

 

 

 

「関係ない。帰れ」

 

 

 

 「話は終わりだ」と言いたげな声音だった。だがオロスはあえて立たない。代わりに立ち上がったのは、店長だ。

 

 

 

「もう一度言う。帰れ。ここは……遊びで入る場所じゃない」

 

 

 

 青い髪が揺れ、ポケットに入れた手を軽く握り直す。中の本を守るように。

 

 

 

 その瞬間、オロスは立ち上がりながら、一歩踏み込んだ。

 

 

 

 「わかった、じゃあ出るよ」と言いつつ、自然な動きで体をすり寄せ、肩が触れる寸前の位置まで近づく。

 

 

 

 ──今だ。

 

 

 

 右手を素早く回し込み、店長のポケットに指先を滑り込ませる。布の奥に硬い感触。分厚い革表紙。すかさず本の端をつかみ、すぽんと引き抜いた。

 

 

 

 同時に後ろへ一歩下がり、手品のように自分のコートの内ポケットに隠し込む。

 

 

 

「じゃ、お邪魔しました。いい午後を!」

 

 

 

 軽く手を振って踵を返す。店長は一瞬、何かを感じ取ったような顔をしたが、すぐにその感覚は通り過ぎていった。

 

 

 

 扉を出た瞬間、オロスは本がコートの中で確かに熱を帯びているのを感じた。中身はまだわからないが、それが只者ではないことは直感でわかる。

 

 

 

──窃盗罪だな。清く生きていくことは無理だな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。