救済   作:8時間睡眠

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死霊術と死

 

 

 外から見れば、ただの古びた一軒家にすぎなかった。だが、一歩足を踏み入れた瞬間、世界は静かに裏返る。薄暗い廊下を抜けた先に現れたのは、意外にも贅沢な空間だった。重厚なカーテンが外光を柔らかく遮り、繊細な彫刻が施された家具が並び、壁には幾枚もの絵画が語りかけるように飾られている。けれど、その美しさの奥に、どこか冷たい気配が漂っていた。

 

 

 

 「こちらよ」

 

 

 

 アリアの声が静けさを切り裂く。彼女は振り返りながら微笑み、奥の部屋へとオロスを導く。その動きはまるで舞うようで、猫のような気まぐれさを帯びていた。

 

 

 

 「どうぞ、座って。少し狭いけれど、気に入っているの」

 

 

 

 オロスは無言のまま椅子に腰を下ろし、ポケットに手を差し入れた。そして一冊の本を取り出す。奇妙な模様、見慣れぬ文字で飾られた表紙――それは、かの店長のポケットから盗んだものだった。

 

 

 

 「これ、あの男のポケットにあった。俺には、表紙の文字が読めない。お前なら、わかるか?」

 

 

 

 アリアは黙って本を受け取る。表紙に目を落とすと、そのまま数秒間、言葉を発さずにいた。やがて、低く呟くように答える。

 

 

 

 「……これは、死霊術の本。そう書いてあるわ」

 

 

 

 オロスの眉がわずかに動いた。

 

 

 

 「死霊術? それは……?」

 

 

 

 「死んだ者の肉体に干渉し、動かす術よ。禁じられた魔法のひとつ」

 

 

 

 言い終えたアリアの視線が、どこか遠くを見ていた。その目の奥には、静かな怒りと、かすかな疑念が滲んでいた。

 

 

 

 「……つまり、死体を運ぶこともできる?」

 

 

 

 「ええ。力があれば、ね」

 

 

 

 ふと、アリアは口元に手を添え、微笑を浮かべる。

 

 

 

 「私の死体が消えたのは、そのせいかもしれない。死霊術で動かされたのなら、説明がつくもの」

 

 

 

 「つまり、あの店長が……?」

 

 

 

 「そう考えるのが自然ね。少なくとも、私はそう思っているわ」

 

 

 

 言葉に間が空く。オロスは黙って本を見つめ、アリアの言葉を反芻していた。

 

 

 

 「この本が、それを証明する鍵になるかもしれないな」

 

 

 

 「ええ。大事な手がかりになるわ」

 

 

 

 アリアはそっと本を閉じ、静かに胸に抱き寄せた。

 

 

 

 「念のため、この本は私が預かるわ。大切に扱うから、安心して」

 

 

 

 

 

アリアの家を後にしたオロスは、あてもなく森をさまよっていた。目的など最初からなかった。ただ、時間が過ぎれば何かが変わるような気がしていた。音もなく揺れる木々の影が、彼の足元に静かに絡みつく。

 

 

 

 やがて、誰も足を踏み入れないであろう森の一角に差しかかると、空気が変わった。重い。湿った苔の匂いと、澱んだ風。木々は動きを止め、鳥も鳴かない。すべてが、どこかの拍子で壊れてしまいそうな緊張感に包まれていた。

 

 

 

 「……何かがいるな」

 

 

 

 オロスは低く呟いた。だが足は止まらない。不安という感情がすでに摩耗していた。彼はただ、その空間の中心へと導かれるように歩いていく。

 

 

 

 落ち葉の絨毯を踏みしめる音が、妙に大きく響く。その音の中に、彼は違和感を覚えた。何かが、混じっている。無意識に視線を落とした彼の目に映ったのは、落ち葉の隙間から覗く奇妙な線だった。細く、乾いた――骨のような。

 

 

 

 しゃがみ込み、指先で葉を払いのける。現れたのは、青白く乾いた子供の骨だった。細い指先。砕けた肋骨。風化しかけた頭蓋。冷気が指から心臓へと這い上がり、思考が凍りつく。

 

 

 

 「子供……?」

 

 

 

 彼の唇から、呟きが零れた。

 

 

 

 だが、それはただの死体ではなかった。そこに“人間だった”という気配がない。祈りも、悲しみも、誰かの記憶すら感じられない。まるでゴミのように無造作に捨てられた、ただの物体。それは死ではなく、「破棄」だった。

 

 

 

 近くには焦げ跡と、割れた器の破片、破れた紙が散乱していた。そこには何かの記号が走り書きされている。儀式……だが、祈りがない。意味がない。ただ機械的に、冷たく処理された跡。

 

 

 

 「……これは儀式じゃない。ただの手段だ」

 

 

 

 その言葉は、誰に向けたでもなく落ちた。けれど、それは確かな祈りの始まりだった。

 

 

 

 オロスはコートの内ポケットに手を伸ばし、一輪の白い花を取り出した。どこで手に入れたのかは思い出せない。ただ、それをここに置かなくてはならないと直感していた。

 

 

 

 骨のそばに花を置き、ゆっくりと土をかける。手が震えていた。それでも、彼は最後まで目を逸らさなかった。

 

 

 

 「……今度は、ちゃんと死んだ」

 

 

 

 それは、彼なりの弔いだった。

 

 

 

 立ち上がると、風がようやく吹いた。そよ風に揺れる白い花の影が、微かにささやいたように感じた。

 

 

 

 ――私は、ここにいた。

 

 

 

 まるで、忘れ去られた誰かが、最後に世界へ語りかけた声のように。

 

 

 

 森を抜けようとしたとき、彼はまた別の死体を見つけた。小さな猫。アリアに似た、猫だった。隣には小さな墓があり、墓にはロンカルという文字が刻まれている。

 

 

 

 その瞬間、背後から足音が聞こえた。不規則で、慌ただしい。誰かがこちらに近づいてくる。

 

 

 

 オロスは静かに振り返る。そこにいたのは、あの店長だった。

 

 

 

 「気づいたか?」

 

 

 

 その声はまるで、ここに来るとは思っていなかったように冷たかった。顔は無表情だが、目だけが一瞬、異様な光を放った。

 

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