アリアが指を鳴らすと、空間が裂けた。音のない悲鳴とともに、大地がめくれ上がるような錯覚が広がる。
出現したのは、蠢く肉塊。球状の中心に人間の顔のパーツが不規則に埋め込まれ、目玉が無数にこちらを見ていた。口のような器官が断末魔のような囁きを発しながら、地を這いずる。
虹色に染まった空気が歪み、理性が削れていくような感覚に包まれる。
そのときだった。
オロスの目の前に、煙のような文字がふわりと現れた。
依頼人:悲劇王
《クエスト発生:アリアの討伐》
《報酬:悲劇王のコイン》
「……なんだこれ」
空間に浮かぶ文字は、まるで火の粉が煙に溶けるように揺らめきながら、しかし確かな存在感を持ってそこにあった。
「……え? 今、見えたか?」
隣にいた店長に聞くが、彼は怪訝な顔で眉をひそめた。
「見えた? 何がだ。こっちはそれどころじゃねぇんだよ!」
銃を構えながら怒鳴る店長。
オロスは目を見開いた。自分にしか見えない。これは幻覚か、それとも――。
《……クエスト? ゲームみたいに……? でも、現実だ。死ぬ。》
戸惑いが脳を駆け巡るが、躊躇する暇はなかった。肉塊が触手を伸ばして襲いかかる。
店長が咄嗟にリボルバーを撃つ。魔力を帯びた弾丸が肉塊に炸裂し、腐臭を撒き散らす。オロスはその隙に刀を抜いた。
「この体が戦闘を覚えている。やれる!」
二人は同時に飛び出した。
オロスの刀が肉塊の足に相当する部分を裂き、毒の霧が尾を引いた。肉塊が奇声を上げ、オロスに無数の触手を伸ばす。だが、店長がその射線に入るように動き、的確に触手を撃ち落とした。
「連携を取るぞ! 奴は魔力のコアを持ってるはずだ。どこかに核がある!」
「見つけて……ぶっ壊せばいいってことだな!」
オロスが目玉を切る。その隙に店長が銃弾をコアの中心らしき黒い目に叩き込んだ。
肉塊が悲鳴を上げ、動きが鈍る。
オロスが跳躍し、刀をコアに突き立てた――
ずぶり、と鈍い音がした。
肉塊が崩れ落ち、腐臭とともに溶けていく。
静寂が訪れた。
アリアが唇を噛んで立っていた。
「やるわね……ここで詰む予定じゃなかったのに」
「もう終わりだ、アリア!」
店長が銃口を向けるが、アリアは一歩も動かない。ただ、静かに笑っていた。
「この世界、思った以上に“深い”のよ。私を倒しても、扉はもう開いてる。あなたたちは……選ばれたの」
そして、彼女の体が崩れるようにして霧散した。
残された空間に、黄金の光が落ちてきた。
虚空から、硬貨がひとつ。
表には王冠をかぶった顔のない人物の意匠。裏には、解読不能な文字列。
オロスはそれを拾い、まじまじと見つめた。
「……これが“報酬”?」
店長は訝しげにオロスを見る。
「何か拾ったか?」
「いや……何でもない」
胸の奥で何かが変わっていくのを、オロスは感じていた。
オロスは何かを思い出すように、店長へと視線を向けた。
「そういえば、あんたの名前をまだ聞いていなかったな」
店長は静かに口を開く。
「ディアスだ。よろしくな」
その名を聞いた瞬間、オロスの心は少しだけ軽くなった。
自分が本当に求めていたものが何だったのか――それは、支え合える仲間であり、理解し合える相手だったのだと、今さらながら気づいたのだ。
「助けられたよ……ありがとな、ディアス」
「何、気にすんな。」
オロスが目を閉じると、再びあの煙のような文字が視界に浮かび上がるのを感じた。無視できるはずもなかった。
依頼人:全知の愚か者
《クエスト発生:転生の理由を探れ》
《報酬:前世の記憶》
それを見て、オロスはひとつ深く息をつき、ディアスに目を向ける。
「……また、出た」
「出た? 何が?」
ディアスは周囲を見渡すが、当然ながら何も見えていないようだ。オロスはため息をつき、ゆっくりと説明を始めた。
「クエストってやつだ。俺にしか見えないらしい。さっきも“アリアを討伐せよ”って出た」
「……何だよそれ」
「でも現実だ。たぶん」
オロスはゆっくりと立ち上がり、刀の鞘に手を添える。一瞬、不安そうな表情が浮かんだが、すぐに決意の色に変わった。
「このクエスト、答えがどこにあるのかもわからない。けど、あんたが追っているロンギヌスの槍。何か関係している気がする……ついていってもいいか?」
ディアスは少し驚いたような表情を見せたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべてうなずいた。
「……歓迎するよ、相棒。店はしばらく休業だな。お前の謎が解けるまで付き合うさ」
その言葉に、オロスはわずかに笑みを浮かべる。しかし、その直後、また別の影が顔に差す。
「……ただ、不安なんだ。いつか仲間を、自分の手で殺してしまうんじゃないかって」
声には、確かな震えがあった。
その不安は、ディアスにも伝わったのだろう。彼は真剣なまなざしでオロスを見つめる。
「……正直に言う。たまに、“別の声”が頭の中に響くんだ。怒りや憎しみ……まるで、殺したときの感情が、今も生きているみたいに」
ディアスは沈黙し、聞き入っていた。
「この体の前の持ち主――俺は、そいつを“a”と呼んでる。たぶん、そいつの残留思念だ。感情が暴走すると、そいつに引っ張られる。俺自身が消えて、aに体を奪われるかもしれない」
しばらくの沈黙の後、ディアスは静かに言った。
「――もし、乗っ取られたら任せろ」
「……え?」
「そのときは、俺がぶん殴って止めてやる。そんだけのことだろ?」
オロスは目を見開き、そしてゆっくりと顔をゆるめた。
「……ああ。頼むよ、」
ディアスは軽く肩をすくめて笑い、立ち上がる。
「さて、行こうか。お前の“転生の理由”を探す旅は、ここからだ」
オロスはひとつ深呼吸をし、ディアスの背に続いて歩き出した。
その足取りは重かったが、もう孤独ではなかった。彼には今、支えてくれる仲間がいるのだから。