数歩だけ進んだところで、オロスはぴたりと足を止めた。
風がフードをかすかに揺らし、森のざわめきが耳をくすぐる。
「……ちょっと待っててくれ」
ディアスが何か言いかける前に、オロスの姿は森の影へと溶けていった。
数分後、戻ってきた彼の手には、一輪の白い花が握られていた。
月明かりに照らされて、濡れた花びらが淡く輝いている。
「それ、どうするんだ?」
「アリアに」
そう言って、オロスは跪き、静かに地面へ花を置いた。
花はまるで、そこに還るべき場所を見つけたかのようだった。
「……来世では、もうちょっと穏やかな人生を」
呟きは祈りのように小さく、静かだった。
彼は少しのあいだ空を見上げ、何かを確かめるように目を細め周囲を見渡す。
「どうした?」
「猫の死体が消えた」
ふたりは森を抜けた。
目の前に現れたのは、霧に包まれた古びた街――
石畳にガス灯の明かりがぼんやりと浮かび上がり、遠くで機械の唸る音がこだましていた。
オロスは内ポケットから一冊の本を取り出すと、ディアスに手渡す。
「この本について、何か知ってるか?」
ディアスは受け取りながら、指先で表紙をなぞる。
「……正直に言っていいか? まったく分からん。ある日いきなり現れて、どんな手段を使っても捨てられない。気づくと手元に戻ってるんだ。気味が悪い」
「開けない?」
「一ページもな」
オロスは少しだけ顔をしかめる。
そしてもう一つ、問いを投げかけた。
「“ロンギヌスの槍”って組織について、教えてくれ。なんでお前はそれを追ってる?」
その名前を聞いた瞬間、ディアスの表情がわずかに固くなる。
「……あいつらのせいで、俺の家族は殺された。二十年前の話だ。それ以来、ずっと奴らの尻を追ってるってわけ」
「今、やつらがどこにいるかは?」
「まるで分からん。煙みたいに現れて、痕跡を残さず消える」
その時、街角を装甲馬車が通り過ぎた。
鋲打ちの車輪が石畳を軋ませ、明かりが窓に反射する。
オロスは反射的にフードを深く被った。
「……指名手配されてるんだ。派手には動けない」
「そりゃ大変だな。だったら、地下に潜るか? 秘密結社でも作る?」
ディアスの冗談に、オロスはふっと息を漏らした。
「それも悪くないな」
「ならまず、名前を決めないと。“八咫烏”とか、どうだ?」
――だが、彼らがこの名前を決めるのにまる一日費やすとは、このとき誰も予想していなかった。
*
ふと気がつけば、夢の中だった。
靄のような風景の中に、あの男が立っていた。
「よぉ、久しぶりだな」
「転生、ってヒントをやったのに、活かせなかったとはな」
「唐突すぎるんだよ」
「まあな。で、名前考えてたみたいだな。“ヒヨコボール”ってどうだ?」
「絶対に嫌だ。もう“八咫烏”に決まった」
「……つまらん」
オロスは一歩踏み出し、真剣な目で男を見つめた。
「クエスト、コイン、本――それらについて、何を知っている?」
男は肩をすくめて笑う。
「クエストってのはな、神々の暇つぶしだよ。コインと本については……もう少し先で話すことになる」
「それと、“ロンギヌスの槍”を追ってるなら、南だ。そっちへ向かえ」
それだけ言うと、男の姿は霧のように掻き消えた。
そして、目が覚めた。
-
目覚めた瞬間、喉の奥に鉄の味がした。 吐き気とも違う、不快な圧迫感が胸を締めつけている。 横を見る。そこに、黒革の本があった。
おそるおそる、指先で表紙を撫でる。 革の感触は異様に冷たく、ざらついている。まるで死んだ皮膚のように。
そして──本が、勝手に開いた。
その瞬間。
闇が崩れた。 ページの隙間から、何かが“覗いていた”。
無数の目。 大小さまざまな眼球が、紙の間から飛び出してくる。 血走ったもの、無感情なもの、涙を流すもの。どれもこれも、俺をじっと見つめていた。
見下ろすのではない。観察するのでもない。まるで──測っているような視線だった。
そのとき、音が鳴った。 乾いた、金属が石の上に転がるような音。
気づけば、掌の中に一枚のコインがあった。
王冠をかぶった顔のない男の意匠が刻まれたその金貨。 裏には、意味不明の文字列。
一つの目が、コインを見ろとでも言うようにわずかに震えた。 他の目もそれに倣う。全ての眼差しが、掌の中のコインを示している。
理解した。これは──「使え」という命令だ。
俺は、震える指でコインをつまむ。 そして、本の中心に置いた。
……沈んだ。
金属が液体に沈むように、音もなく、抵抗もなく。 その瞬間、空間にひび割れた音が走った。
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《スキルを獲得しました:記憶共鳴》
効果: 他者や物の記憶に一時的に“接続”し、過去の体験・感情・思考を断片的に追体験する。これにより、対象の行動パターンや嘘・真実を見抜くことが可能。
代償:使うと正気が削られます
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視界が崩れ、脳裏に直接刻まれるように情報が流れ込んでくる。 頭が裂けそうな痛み。胸の奥が裏返るような感覚。
【LV5 → LV15に上昇しました】
※現在のレベル:15/50
気づけば、すべての目は消えていた。 だが、背中にまだ感じる。 ──あの“何か”に、今も見られている気配が。
……そのとき、部屋の温度が数度下がったように感じた。
次の瞬間、空間が裂けた。
黒炎のような影が揺らめき、空中に“それ”は現れる。 現実と非現実のあわいに浮かぶように、意味だけが直接、脳に焼きついてくる。
【依頼主:竜王】
──“クエスト”が発生しました。
あなたに与えられし命題は、 この世界の核心へと至る六つの物語を完成させること。物語を完成させると次の物語を閲覧できます。
一つ目の物語:『世界の解放』
二つ目の物語:『■■■■』
閲覧不可。一つ目の物語を完成させる必要があります
三つ目の物語:『■■』
閲覧不可。二つ目の物語を完成させる必要があります
四つ目の物語:『■■■■■』
閲覧不可。三つ目の物語を完成させる必要があります
五つ目の物語:『■■』
閲覧不可。四つ目の物語を完成させる必要があります
六つ目の物語:『■■■■■■■』
閲覧不可。五つ目の物語を完成させる必要があります
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【報酬:女神の復活】
消滅した女神を復活させます
空間の裂け目は、音もなく閉じた。黒炎の残光が消え、残されたのは静寂だけ。
あの奇妙な黒革の本も、今はただそこにあるだけの物体に戻っていた。
先ほどまでの異常が、まるで幻だったかのように。
だが、頭の奥に焼きついて離れない。
──《スキル:記憶共鳴》
「……冗談じゃない」
思わずそう呟いた。
他人の記憶に接続し、すべてを追体験できる。過去も、感情も、嘘も、真実も。
魅力的すぎる能力だった。……だが、それと引き換えに削れるのは、自分自身。
感情。理性。倫理観。思い出。
何がどこから崩れるのか、それすら分からない。
このスキルは、使えば使うほど、“俺”が“俺”でなくなっていく。
「……そんなもん、軽々しく使えるかよ」
たとえ今後、どれほどの情報が必要になったとしても。
たとえ、真実にたどり着くための最短距離がこのスキルだったとしても。
今の俺が、それだけは直感で理解していた。
そしてクエスト──「六つの物語」とやらも、今は重要に思えなかった。
まるで、誰かに物語の続きを書かされているような、不快な強制力。
「まずは……自分で動く」
俺は、本を避けるように立ち上がり部屋を出た。
背筋には、まだ“視線”の感覚が残っている。
だが、ここで飲み込まれたら、もう戻れない気がした。