あの後。
要請に応じてやって来た都市の警備に少年の
ゴトゴトと揺れる列車は、地球のそれとは違い実にエコでクリーンな代物。何せ排出する公害物質如きでは、既にこの世界の人間の身体を侵す事は出来ないのだから、全くの無問題と言えるだろう。勿論ただの戯言だ。
揺れる車内、ふと対面の広告が目に付く。何の変哲もない求人広告の一つ、都市内部の清掃作業者を募集しているそのチラシ。特段変わった所はないが、描かれた都市の姿が厭に目に付いたのだ。
三重に都市を取り巻く大きな壁。外側は尤も低くその分分厚い、外敵に対処するための物。真ん中は薄っぺらい、あくまでも市民権の上下を示す為だけの張りぼて、滑稽で残酷な代物。一番内側、背高ノッポな壁、いやさ
見るたびに厭な気分になる、今の世界の歪さを形容したかの様なその威容。ならば見なければ良い、等と宣う者も居るが、ああも大きければ否でも目に付いてしまう。
頭を振り目線を切り、今見た物を脳裏から剥ぎ取る。そのまま駅弁へと手を掛け遅めの昼食を頂こうとした、その矢先に。
己の懐から、甲高くも抑えた電子音が鳴り響く。
電気機器を使用していないのにも関わらず『電子音』とはこれ如何に、と思わなくもないがそれはそれ、他に上手い形容の仕方が無かったのだからしょうがない。
懐から取り出した携帯端末、職員同士の連絡に使われるそれの画面上、見たくもない名前からの連絡に背筋が震える思いがする。
緑と赤の二つの表示、かつての世界にそんな色合いのキャラが居たなと想起して、現実逃避に勤しんだところで通知が鳴り止む訳もない。どだいこちらが幾ら忙しかろうと、向こうは万年暇人なのだ、根気勝負では勝ち目が無い。
諦めて緑の表示に軽く触れる、途端画面上から中空へと展開される仮想画面に映るのは、予想通りの優男。
「やあやあ、随分と早い仕事振りだったようだね、私も鼻が高いよ。君を派遣して本当に良かった」
金髪に糸目、今は窺えないがこの前見たら綺麗な藤色だった瞳に、ひょろりとした細身の背格好。これでスーツでも着ていたらしがないホストにでも見えたろうに、背を盛り上げる大きな翼が邪魔をして、一昔前の童貞を殺す服の様な大きく背中の開いた服しか着れないのは、実に見苦しいからやめて欲しいものだ。
「後で報告書は出して貰うけど、今簡単に報告を貰ってもいいかな」
そしてこれだ。仕事をしている振りだけは一流、仕事振りもそれなりな癖に、全くもって仕事をこなす気はさらさら無いと。
真面目に仕事をしているこちらが馬鹿に見える。
「では、簡単に。……通報の通り、怪しい風体の人物を発見。行方不明となっていた
ここで一息つく。どうせ向こうは暇なのだ、時間を食った所で「ああ仕事をせずに済んでよかった」程度でしかないだろう。ゆっくりと水筒に手を伸ばし喉を潤す、殊更にゆっくりとする訳ではないが、さして急いだ風も見せず小脇に仕舞い直す振りをする。
咳ばらいをしてから報告の続きを語りだす、とは言えそう残っている訳でもないのだが。
「また、戦闘中の尋問にて同都市部での下層労働者複数名の失踪事件への関与を仄めかす発言もあり、こちらの確認にも肯定の意を含めた返答のあった事から
言葉を切りゆっくりと、直属の上司の顔色を窺う。ここで難癖を付けられてしまうと七面倒臭い事になる為、出来れば手控えて欲しい所なのだが。
「うん、了解。それで良いよ、此方からもその方針で報告するから、戻って来てからでいいから報告書よろしくね」
まあ、文句は出ないだろう。そもそも仕事をしたく無いからと、こんな閑職に志願してまでやって来たそうなのだから、ここでごねる事はしないだろう。
仕事を無意味に増やさないと云う一点で、上司として最低限上に置いておける人材として部の内外で囁かれているだけはある。他の部署なら手柄を独り占めないし横取りするために、今から横槍入れて来い、くらいの事は言われても可笑しくは無いのだから。
まあ、尤も。
「あ、後ね、被疑者が死亡していた部分、上手い事オブラートに包んで不可抗力だったことを強調しておいてね。私が捕縛を念頭に置いて指令を出していたことも、忘れずに書き加えていてね」
「因みにだけど、君の視点から見て被疑者の
優雅にカップを傾けながら、ついには雑談を嗾けてくる上司。勤務時間中の認識はあるのだろうか、今まさに紅茶と思われる飲料に注がれた琥珀色の液体は、見間違いでなければ都市中核部でなければ購入できないお高いブランデーでは無かろうか。
舌鼓を打つのは構わないが、こちらに向けて意味ありげな視線を送るのはやめて欲しい。何が「彼も飲んでいるのだから良いじゃないか」だよ、こちとら安物の粉コーヒーだぞ、特売価格500グラム300イェンは伊達や酔狂じゃねえんだよ。
文句を言いたい所ではあるが変な方向に飛び火してはたまらない。デスクの下には夜勤時の
「所感としては『小粒』と云った所でしょう。二、三週間程度の時間で
まあ、詰まる所はそういう事だ。
確かにたった数週間で、何年も修練を積んだ一人前の戦士を相手どって殺して見せたのは脅威と言えるが、さりとて上には上がいる。己もそうだがチートとは
元よりかの邪神の言葉をそのまま解釈するのであれば、チートとは世界に波乱を巻き起こすための力、既に混乱と動乱を極めたこの世界にこれ以上の混乱は、少なくとも今の所は必要は無いという無言の意思表示なのだろう。
それでも雨後の筍のように、あちらこちらからじゃかぽこと転生者が生え揃っている現状には、いくら文句を言った所で語彙が尽きる事も無いのだろうが。
「なるほどね、ならその旨も報告書に記載よろしく。今は何処も二匹目のドジョウ探しに躍起になっているからね、痛くも無い腹、探られたくは無いだろう?」
お互いにね、等と不格好なウィンクをしてくる上司に、咄嗟に上体を捻って避けようとしてしまったのは致し方の無い事だろう。
そも、背中の開いた服など他にいくらであるだろうに、何故
多方面に言いたいことは多々あるが、社会人としてグッと堪えて返答を一つ。それ以上は上司に向かって罵詈雑言を吐きかねないだけだが。
「了解しました、特務捜査員『ジン』これより帰還します」
向こうの返答を待たずにディスプレイ上の赤い表示に手を翳す。途端、掻き消えた不愉快な上司のにやけ面と、目に飛び入る三重の壁。
うっかりと、弁当に付けてもらった箸を折ってしまったのは、それこそ不可抗力という物だろう。折れて短くなった箸に硬い冷や飯、散々積み上げられた不愉快な話題と儘ならない職場環境。
ため息一つ、無意識のうちに零れたそれに、更にため息が漏れそうになる。
食事の為、懐に携帯端末を仕舞い込むその最中、端末上の自身の顔と不意に目が合う。
灰色混じりのくすんだ黒髪に白目も虹彩もすべてが黒一色に染まり切った瞳、肌には斑に鱗の様な金属質の物質が張り付き額からは角のように突き出た結晶状の金属物質が聳えている。
強面とは言いたくはないが、堅気とは口が裂けても言えない物騒な面構え。その下、装飾少なく縁どられた『ジン』の二文字、
「化け物、か」
まったく、ぐうの音も出ない程、それは今の己を示すのに打って付けの呼称であった。