宅配かと思ったが、俺は念のためドアロックをかけたまま、慎重に玄関の扉を開けた。
「祈氏~。ちょっと匿ってくだされ~」
「……誰!?」
玄関の向こうにいたのは、美女だった。
黒く長い髪をして、チェックのシャツを着崩し、垂れ目で泣きぼくろの目立つ、色気のある女性だ。
気さくに俺の名前を呼んでくるが、こんな知り合いはいない。
俺が困惑しているとそれに気づいた美女は「おほほ」とやけに聞き覚えのある、妙な笑い方をした。
「この姿でお会いするのは初めてでしたな。毒霧です」
「嘘だあ!」
たしかにチェックのシャツは着ているし、笑い方も同じだが、共通点と言えばそれくらいである。
眼鏡の種類も一緒かもしれないが、だから何だってんだ。性別が違えだろ。
しかしこの世界には不思議な力が山ほどある。
俺自身も異常な再生能力を持っているのだ。性転換も経験済み。
ならば目の前の人物が荒唐無稽な嘘をついているなどと決めつけてはいけない。
俺は冷静に、再び目の前の女性を観察した。
顔色は少々悪く、目元のクマは何年も消えていないのだろう。
瞼は重めだが、顔が整っているのは間違いない。幸薄そうな美人というか、傾国というか。
スタイルもいいし――いや、そういう美的な観察をしている場合じゃねんだわ。
俺は頭を抱え、深い深いため息をついた。
「……いや、わかった。少なくともお前が毒霧の関係者だってことは、まず認めよう。かけている眼鏡が同一だ――完全に一致する。おそらくなんらかの作品とのコラボ眼鏡、限定発売なのかシリアルナンバーがツルに刻印されてる。000056、俺が見た番号と一緒だ」
シリアルナンバーはツルの内側に刻印されていた。
かつて出会った毒霧が顔の汗を拭く際、軽く眼鏡を外したその一瞬で数字を見た。
俺は記憶力が異常に良いし、再生能力のためか視力もいいのだ。
俺にどう説明するか困惑している目の前の女が、場を持たせるためか眼鏡を外し、レンズを眼鏡拭きで磨き始めたことで、そのシリアルナンバーが見えたのだ。
眼鏡外しても美女だからやめてほしい。かけてても美女だし勘弁してほしい。
美女はにこにこと喜んで、俺はもう許してくれと思った。
「おほほ! 祈氏、さながら名探偵ですなあ! ちょうどこれも探偵もののアニメ、密室ドグマの主人公、ドグマモチーフのコラボ眼鏡になっております。祈氏、素晴らしい観察眼と記憶力! ぜひ一緒にマーダーミステリーを遊びたいものです」
「その遊びは知らんが、マーダーミステリーの説明より先にお前の説明をしてくれ。なんなんだ、もう。とりあえず家には上げてやるけどよ」
コラボ眼鏡の説明より先にすることあるだろ。
リビングには仁がいて、新聞越しに俺を睨みつけた。
「仁、こいつのこと知ってるか? 大丈夫そう? 殺したい?」
「うるせェ。知らねェ」
「おおー。薄墨お前、随分好印象だな」
「これでやったねバッチリ好印象? 恋愛ゲームの隠しキャラのような難易度ですなあ」
俺は仁を攻略対象だと思ったことはない。薄墨すげえ。
仁の殺意が甘いのは相手が美女だからだろうか? じゃあ俺に甘くないのおかしくねえ?
「まあ、お互い一旦気にするな。んで話の続きだ、どうしてそうなった」
リビングに座り、垂れ目の美女と向かい合う。
すだまがいなくてよかった。また百鬼夜行でも作る気かとか叱られる。
薄墨は指を組んで、組んだ指を眺めながらぺらぺらと喋りだした。
「医学生の祈氏にはもっと詳しく説明してもご理解いただけるのでしょうが、オタクは話が長いとよく言われますから、かみ砕いて簡単にご説明しますな。あるいは祈氏の知識を信頼して、一般人にこう説明したら誤解されるという表現をあえて使ったりもしましょう。某の異能は薬物体質。体液等から様々な化学薬品を作り出し、その耐性や免疫を持っております。それを利用して様々な薬品の副作用を無視し、効用だけを最大限引き出すことが可能なので、自分にだけ使える無茶な薬品を利用して色々やったりもしている所存」
充分なげえよ、主に前置きが。
早口だったがなんとか聞き取って、頭の中で話をまとめる。
「つまり……その姿は無茶の一種ってことか? 女性ホルモン?」
「おほほほ! 流石ご理解がはやい、そうですな。正確には、むしろ以前お会いしたときに男性ホルモンなどをいろいろといたしまして。体液を利用することが多い以上、ああして代謝の良い体はいわゆる戦闘態勢のようなものです。いやあ、申し訳ない、オタクは初対面の人間へのガードが堅いもので」
毒物への耐性を利用し、普通の人間では耐え切れないような薬を服用することができる。
それを利用して、男性ホルモンを増やし、己の体をほとんど男性に見えるように作り変えていた、と。
かつて毒霧の話を聞いて、随分マッドサイエンティストの気質があるなと思ったのは、間違っていなかったようだ。
つまり自分の体をモルモットにすることへためらいがないから、他人も似たように実験体にしてしまうのである。
絶望的な気分になる。
つまり、毒霧の本当の姿は、こちらの美女形態であるということだ。
せっかく同年代同性のオタク友達ができるかと思ったのに――美女だと緊張してオタクトークできねえだろ!
しかし、今は俺の交友関係の問題ではない。
毒霧――いや、混乱するからこの姿のときは薄墨と呼ぼう。
小太りの中年であった頃に薄墨と言われても、タコくらいしか思いつかなかったが、美女の姿で薄墨と言われれば、どことなく風流、水墨画を思い出すような気がしてきた。
俺はタコが好きだし、全然あの姿でも好印象だったんだが――クッ、俺は見た目に振り回されすぎている。なんて浅ましいんだ。
なんとか気持ちを切り替えて、かつての中年男性と目の前の美女が同一で、毒霧が薄墨であることを受け入れる。
「なっほどな……いや、信頼してもらえたのは嬉しいが、ちょっと警戒を解くのがはやすぎるぜ。なにしろ俺はデルタに狙われている。とばっちりを食らう可能性もあるから、ぜひ前の体型で会いに来てくれ」
「おほほほ、良いのですか!? 素晴らしい、あの姿でも偏見なく接していただけると、そう思っても良いのですかな」
「ああ。どっちかっつうとあっちのがいい。デブ専ではねえぞ、なんつうか丸いから親しみやすいんだ、ほら、マスコットみてえな」
「なるほどですなあ。新しい視点です、祈氏は面白いですな、おほほ」
率直に言えば――薄墨は、俺好みの女だった。
俺の体が男で、特に心配事がなくて、それなりの稼ぎがあるとすれば、この場で口説いていたかもしれない。
オタク気質というのもプラスにしかならない。趣味の傾向は似ていた方が良いに決まっている。
現公安勤務の暗殺者というのが気になるくらいだ。
「しかし、今この姿でいるのは変装の意味もありましてな。研究所が襲撃されまして」
「大丈夫だったのか?」
薄墨は懐から試験管を取り出した。
それを机の上に置いて、俺に向かい頭を下げる。
「いやあ、大変に申し訳ない。祈氏から預かっている薬、その現物だけは死守したのですが、解析結果などのデータは持ち去られてしまったやも。力不足でお恥ずかしい限りです」
「充分頑張ってくれただろ。ありがとな。それから俺が心配したのは薬じゃなくて、お前のことだよ」
「おほほほ! 祈氏はやさしいですなあ! そんなんではすぐに人を勘違いさせてしまいますぞ!」
「……いやお前になら勘違いされてもいいけどね?」
「ときめきをメモリアルしてしまいそうですなあ!」
あぶねえ、口説きかけた。
こいつが鈍感オタクくんで助かったぜ。
どう考えてもそんなことをしている場合ではない。