「あー、やっぱり降り出したか」
「アナスタシアちゃんの言う通りですね、ケイ?」
「はいはい、傘はありますよぉ」
「ハイは一回!」
鈍色の空が雫を垂らして雨音を奏でていた。
生憎の天気だが通常業に変わりはない。
私物の傘を差すと私に密着する様に沙百合さんが入ってくる。
「沙百合さん、傘は?」
「あー、お姉ちゃんパトカーに忘れてしまいました」
雨の日はいつもこうだ。
彼女が濡れない様にしながら定位置に停められたパトカーに辿り着く。
隣ではアキト達が巡回の為パトカーを点検している。
制服の上に雨合羽を着たアキトと可愛らしいポンチョ型のレインコートを着た霞が居た。
霞のレインコートは備品調達部が外部より調達した特注品である。
職員所有人形雇用制度が始まり、現場では機能性と共に威圧感のない物が求められた。
武装した人形は一般市民から見ると威圧的に見えてしまう。
そういった意見があった為、対策として人形用装備の分配が始まり今に至る。
大人っぽいものだったり、可愛かったりするのは多分調達部の趣味だろう。
「ケイ、雨で視界が少し悪い、気をつけてな」
彼が片手を上げてそう告げた。
私も片手を上げて答える。
「そっちも、気をつけて!」
「おうよ!」
彼は力強く返事をするとパトカーへと乗車する。
「それではお姉様、お気をつけて」
霞が沙百合さんにお辞儀をしてパトカーの助手席に乗り込んだ。
発進する彼らを見送り、私達も準備をする。
暗い今日が始まった。
パトカーの窓の外、雨粒が窓を伝って落ちて行く。
商店通りの雨、少し懐かしいと感じるのはいつかの私達が辿ったからだろう。
紫陽花が艶っぽい色を見せて柳の木も雨に濡れている。
たしか、新しいレインコートを買ってもらった時の事だ。
カエルを模したそれをご機嫌に身につけて沙百合さんにお散歩を強請ったんだ。
彼女は母から許可を得て二人で雨の街へと繰り出した。
緑の長靴、カエルのレインコート、歌う雨音が世界を包んで、大きな水たまりにジャンプした。
「ケイ、覚えてますか?」
窓の外を眺める沙百合さんは懐かしそうに言った。
「何が?」
「傘を差し出してくれた事」
彼女の問いに記憶を振り返る。
楽しい時間は長くは続かず、スピードを出した車に水をかけられた。
近くのお店の店主が軒先に招き、雨宿りさせてもらう。
沙百合さんは視線を合わせる様に姿勢を低くして傘を片手に私の顔を拭こうとする。
小さいながらに大変そうだな、と思った私は彼女の手から傘を取った。
彼女は少し嬉しそうにすると私の頬に手を添えて優しくハンカチで拭いてくれた。
その後はと言うと嬉しそうにする彼女を見て幼い私は家まで傘を持って帰ると言い張り、頑張って背伸びをしながら雨から彼女を守った。
身長が足りない為、何度か傘の骨で彼女の頭を殴打した覚えがある。
もしかして…その事根に持ってたりする?
「その…あの時はすいませんでした」
「いえ、確かに頭を何度も叩かれましたけど」
「気にしていませんよ」
ご機嫌そうに笑う彼女を横目に商店街入り口に辿り着く。
巡回用の所定位置に停車し、無線で降車の報告を上げる。
外に出れば雨音の大合唱。
その中に商店街から流れている音楽が微かに混じっていた。
対面の沙百合さんが私の傘を差していた。
そういう私は雨合羽を着ている。
なんだかあの日の様だった。
雨の日の商店街は人が疎で少し寂しく感じる。
お店のおばちゃんやおっちゃんに挨拶しながら進む。
行く先々で沙百合さんは世間話をし、お土産を貰いながら歩いていた。
人との繋がりを大切にしている此処は悪く言えば古臭い。
ただ昔と違うのは人形が居て、その文化の中に溶け込んでいた。
古い文化と新しい家族が混ざった此処は開発者の思い描いた人と人形の共生を実現していた。
此処にいると現代生活で忘れてしまった大切なモノを実感できるような気がする。
「沙百合ちゃん、こっちこっち」
嬉しそうに手招きする八百屋のおばちゃんに彼女は一礼すると進路を変えた。
置いていく訳にも行かず、彼女の後ろをついていく。
「八百屋の奥様、お疲れ様です」
「今日は坊ちゃんとデートかい?」
少し楽しそうな声でおばちゃんが此方を伺う。
小さい頃から営業している八百屋さん、スーパーよりは少し値段が張るが揃えている商品はとてつもなく上モノだ。
そんなおばちゃんや彼女の人形は私を坊ちゃんと呼ぶ。
小さい頃からの顔見知りだ、私が大きくなった今でも彼女にとっては坊ちゃんなのだろう。
「いえ、実は業務中なんですよ」
「あら残念、いいモノが入ったんだけどねぇ」
沙百合さんの言葉におばちゃんは残念がった。
忘れかけてたけど業務中なんだよな。
彼女の人形がお茶を運んできてくれた為、感謝を述べて頂いた。
絶えず雨がアーチ型の屋根で音を立てていた。
雨風を凌げる此処は不良グループなどが溜まり場にしたりする為、雨天時のパトロールルートに組み込まれている。
断じてサボりに来た訳ではないのだ。
「お巡り業務も大変でしょう?昨今物騒な事も多いし」
大変ねぇ、と彼女は私達に労いの言葉をかけた。
沙百合さんはお気遣い感謝しますとお辞儀をする。
「じゃあね沙百合ちゃん、引き留めて悪かったわね」
「いえいえ、業務終了後にまた来ます」
「はーい、頑張ってねぇ」
業務に戻る私達をおばちゃんは見送ってくれた。
私達は会釈をして歩き出す、いつもこうやってゆっくりと巡回する事になるのが定番だ。
この後いろんなお店の人に声をかけられ、10人を超えた辺りで私は数えるのを辞めた。
長い挨拶行脚を終わりを迎え商店街の出口が見えてくる。
「誰もいないね…」
外の通りも雨が降っているため、人っ子一人居なかった。
「戻りましょうか」
沙百合さんの言葉に踵を返して来た道を戻る。
あの雨の散歩の終わりもこんなやり取りだった。
あの日も人が全然居なくて、世界に私達二人ぼっちになったような寂しさを幼いながら感じていた。
先ほどの道なりを行く、言わずもがな2周目の挨拶行脚である。
熱烈な社交の波を超えた私は疲労感を覚えた。
早く、巡回を終わらせてしまおう。
今日のお昼は蕎麦にしよう、少し寒い今日にはぴったりだ。
そんな事を考えながら、私は駐車してあるパトカーに歩みを進めた。
運転席のドアに手をかけた時、対向車線の車が減速する。
路上に歩行者なし、妙だな。
私は腰のホルスターに手を添える。
窓がゆっくりと開いた先に黒く光る筒、それが何かを認識するより先に青白い閃光がはっきりと見えた。
連続する破裂音がビルの間に反響する。
身体を殴る強い衝撃に背をパトカーに強打した。
「ケイ!」
ホルスターから銃を抜き、車へ5発発砲する。
あまりの激痛に私はパトカーへ背を預けた。
「16号車、銃撃を受けた」
CPに報告をあげ私は座り込む、パトカーに開いた穴が目に入る。
「銃を捨て、両手を見えるところに上げなさい!」
沙百合さんが車へ拳銃を構えて此方に回り込む、私の傍で膝をついた。
機関拳銃を持った男が車の影から顔を出す。
沙百合さんが3発、男に叩き込んだ。
「ケイ、お姉ちゃんに傷を見せて」
銃を収納し私の雨合羽を脱がせる彼女に雨は降り注いでいる。
雨が私の身体を冷やし、傷が刺すように痛んだ。
「急所には当たってません、防弾ベストのおかげですね」
「肩の傷を止血します、痛いかもしれませんが我慢してください」
彼女は救急ポーチからガーゼを取り出して傷口に押し当てる。
強い痛覚に思わず呻いた。
彼女は私の手を握る、排熱の擬似体温が暖かく心地よい。
少し安心してくると暗く視野が狭まってくる。
「どうしましょう、血が止まらない…」
「しっかりして沙百合、お姉ちゃんなんだから」
沙百合さんが不安そうに此方を眺め、自身にそうに言い聞かせている。
彼女の言葉が遠くなる、瞼が重い。
遠くから微かにサイレンが聞こえた。
「ケイ、しっかりしてください!」
「目を開けて、お姉ちゃんを見て!」
「ダメです、瞼を閉じないで!」
沙百合さんが頬を叩き、手を添える。
暖かかった。
彼女の頬を伝うのは雨の水滴かはたまた擬似涙液か、暗く霞む視界では判別できない。
五月蝿いサイレンが響いている。
「ごめんなさい…」
「ごめん…なさい…」
沙百合さんが私を抱きしめる、少し痛かった。
彼女の辛そうな謝罪の言葉を最期に視界は暗転する。
私は意識を手放していた。