第1節 篠澤広
初星学園プロデューサー科では生徒一人につき教室を一室、活動拠点として与えられている。
室内には備え付けのテレビを始め、黒板、本棚、スチール製の
文字通り、
学園での成績や芸能活動の実績、技能面においての得手不得手をはじめとしたプロフィールを黙々と読み込むその瞳は志向の色を帯びている。
これから彼はこの名簿の中から担当したいアイドルを選び、スカウトに向かうことになる。
特に新年度となるこの節目はプロデューサー科の生徒にとっては最も重要な時期だ。
聞くところによると、同期の中にはすでに複数のアイドル科の生徒とを契約を結んだという話まであるとか。
やはりどこの界隈にもその手の猛者はいるものなんだなと感心しつつ、立香は思考を巡らせていた。
初星学園に集った可能性の塊たちを前に、果たしてどんなアプローチを心試みるべきだろうか・・・。
半端な理由で決めるというのは相手に失礼なので論外、だがあまり悠長にしていると担当を取られていく一方だ。
最悪、学園からサポートを受けられるだろうが、やはり自分で納得できる選択をしたい。
思えば、グレイルライブに向けてのプロデュース活動を円滑に進められたのは、あの特異点特有の指向性の他に、スタートの時点で
そう考えるとつくづく自分は縁に恵まれていたんだなぁ、と自身の至らなさを痛感してしまう。
急いてもダメ、慎重になりすぎてもダメ。
ある種の板挟みに頭を抱えそうになったところで、丁度名簿を読み終えてしまった。
「うーん、仕方がない。今日はここまでかな?」
結局、『気になる一人』を見つけることはできなかったが、気持ちを切り替えるきっかけにはなった。
そもそもの話、プロフィールだけで決めるものでもない。
学園側に申請すればアイドル科のレッスンの見学や、もっと詳しい資料を閲覧することもできるだろう。
アイドル特異点では知りえなかったことも学ばなければならない。
課題は山積みだが、プロデューサーとしての旅はまだ始まったばかり。
今できることをひとつずつ積み上げて、これからできることを増やしていく。
カルデアのマスターとしても、アイドルのプロデューサーとしても、自分がやるべきことはそこまで変わらないならやってやれないことはない。
・・・そう考えると少し気持ちが楽になったような気がした。
一息をついて時計を見やると夕方の時刻を指し示している。
キリもいいところだし、立香はいそいそと帰宅の準備に取り掛かるのだった。
☆三
それは校舎の出口に向かうために廊下を歩いていた最中の出来事だった。
冷蔵庫の中身を思い出しながら今日の夕食はどうしようかなと思案中に、ふと視界に人影が過ぎった。
小柄な体格に背中まで伸びたベージュ色の髪の女の子。
「あの・・・キミ、大丈夫?」
「・・・・・・・・・・・・」
こちら側に進める歩みはおぼつかなく、その顔色はもはや蒼白そのもの。
心配になって声をかけてみたが、耳朶を討つのは切れ切れの吐息のみ。
返事を返す気力もないのか、まさか立香の存在自体に気付いてすらいないのか・・・。
いずれにせよどう見ても絶え絶えな様相に目が離せないでいるのだが、そんな心配も他所に、少女は依然としてふらふらとした足取りで横を通り過ぎようとしていく。
そんな姿を前にされて元来お節介な性分の立香にとって見過ごせるはずもなく、この際迷惑がられてでも呼び止めようと決意した。
そうでもしないと目の前の少女は今にも倒れてしまいそうで———
「・・・・・・・・・きゅう」
予感的中。
再度声をかけようとしたその刹那、か細い声を漏らして崩れる体躯に息を呑んだ。
「———っ!」
咄嗟に地面を蹴って手を伸ばす———そして腕に確かな重荷が圧し掛かる。
もしもに備えて身構えていたことが功を奏し、少女の身体が廊下に打ち付けられる寸前に抱きとめることができた。
だが間に合ったことにほっとするも一瞬、急いで容体を確認する。
声をかけても反応はないが、呼吸は整っている。
脈拍も安定しているため緊急性はないと判断するや、立香は少女を抱えて踵を返すのだった。
☆三
保健室に駆け込んで十数分後。
診察してくれた保険医の先生の見立てでは、過度な疲労で力尽きただけで症状としてはごく軽いものとのこと。
現に穏やかな寝息を立てているところを見るに重症でないことも分かり、ようやくひと心地ついた立香はベッドに寝かせた少女の様子をその傍らで見守っていた。
現在、保険医は用事で席を外しているため、保健室には立香と少女の二人だけ。
話し相手もいおらず手持ち無沙汰な立香は改めてその容姿を見て、少女のことを思い出していた。
「んん・・・・・・?」
「気が付いた?」
と、彼女の方も丁度目を覚ましたようだ。
ゆっくりと起き上がったところで様子を窺うと、こちらに気付いた少女と視線が合う。
「・・・ここは?」
「学園の保健室。気分はどう?」
「ん、だいじょうぶ。・・・・・・あなたが運んでくれたの?ありがとう」
抑揚のない声音ではあるが、受け答えに問題はなさそうだ。
顔色も最初に見かけた時よりよくなっているように見える。
「あなたは・・・プロデューサーの人?」
「うん。プロデューサー科の1年、藤丸立香です。」
「篠澤、広。・・・はじめまして」
ぺこりとお辞儀をする彼女に倣って立香もこちらこそ、と頭を下げる。
「・・・・・・・・・・・・」
挨拶もそこそこに、澄んだ琥珀色の瞳で立香を見つめる広。
見た目や言動から感じるもの静かな雰囲気から、どのような思惑を秘めているのかがいまいち読めない。
「・・・・・・わたしをプロデュースしてほしい」
「・・・・・・・・・・・・・・いくらなんでもいきなりにもほどがでござるよ?」
紡がれた言葉の理解に至るまで数秒。
思わず妙ちきりんな反応を返してしまうほど、実に清々しいまでの思い切りの良さだった。
どうにか止まりかけていた思考を整え、その急すぎる申し出に立香は想いの丈をぶつける。
「はっきり言うけど、キミがアイドルを目指すのは無謀が過ぎるんじゃないかな?」
「わたしのこと、知ってるの?」
キミはプロデューサー科の間でも有名人だからね。と首肯して、これまでの調査で知りえたことを口にする。
「14歳で大学を卒業した日本有数の頭脳を持つ天才にして神童。そして、入試の実技試験で0点を記録した
「ふふ、照れる」
「・・・・・・・・・」
立香が告げる内容に初めて少女の表情に変化が見られた。
気恥ずかしそうにはにかんだ笑みをたたえているが、対して立香は苦笑いを浮かべていた。
そう、この篠澤広は初星学園の入学試験で学園始まって以来の最低点数を叩き出した張本人でもあるのだ。
この事実を知った時、しばし立香は宇宙猫状態になっていたものだ。
・・・それはさて置き、あえて言葉にして伝えてみたもののご機嫌な反応を見せる広。
果たして彼女の真意はこれいかに。
「それでも、現にキミはこうして入学を果たしている」
「筆記が満点だったから?」
「それでも普通なら不合格のはずだよ?」
立香の言う通り、広のアイドルの適性が合格点に満たなかったことを本人が示してしまった以上、本来ならあり得ないことのはず。
にもかかわらずこうして合格を勝ち得ている事実に懐疑的になるのも当然だろう。
「面接の時、変なおじいちゃんが———」
(学園長)
『見込みがある!この学園でトップアイドルを目指すがよい!』
「———って」
だが、そんな疑問への答えを目の前の少女があっさりと言ってのけてみせたことで、立香は頭を抱えそうになっていた。
可能性としては考えていたが、まさか本当に最高権力者の采配が絡んでいたとは思うまい。
ホント何やってんだあの
「大丈夫。おじいちゃんじゃなくて、あなたの考えが正しいと思う。自信を持って」
「なんか急に励まされたんだわ」
呆れが顔に出ていたのだろう、心中を察して労わってくれる広。
しかし、その優しさとは裏腹に実に愉しそうな面持ちに釈然としないものを感じてしまう。
同時に、立香は篠澤広という少女の認識を改めていた。
最初は感情の起伏が乏しい物静かな性格と認識していたが、全然そんなことはない。
学園長をおじいちゃん呼びする度胸といい、事実を指摘してもあっけらかんとする図太さといい。
ポジティブ、物好き、大胆不敵、怖いもの知らず、放胆・・・とにかく、ここまでの短いやり取りで広への印象が180度ひっくり返ってしまったわけだ。
「とにかく、約束された将来を擲ってまでキミは初星学園に入学した。そこまでして、なんでアイドルに?」
別に、彼女に可能性を見出したわけではない。
自分のプロデュースで一人前のアイドルに導ける保障なんて語れない。
でも、そんな彼女の在り方に、彼女を突き動かす『何か』に期待する自分がいた。
———嵐の中を進もうとする少女が目指す『何か』を見てみたくなって、聞かずにはいられなかった。
そんな心情の変化に気付いた立香の質問に、広は控えめに、だが胸を張って答えてみせた。
「一番わたしに向いてなさそうだから、かな?」
ああ、それは———
それは、藤丸立香が旅の中で見つけた『答え』のひとつで。
「———それは本当に、
しまった。
たまらなくなって思ったことをそのまま口にしてしまったことに失念する。
現に、広の瞳が一瞬揺れてしまったのを認めた。
「・・・・・・がっかりした?」
それでも、なんでもないように気丈に振舞う彼女に首を横に振る。
「ううん。ただ、いつの時代も天才は変態だったなと思い出してただけだよ」
「初対面の女の子を変態呼び・・・。ふふ、容赦ない、ね」
皮肉った立香の返答に広は口角を小さく上げる。
よかった、少しは気持ちを持ち直してくれたようだ。
安堵もそこそこに、改めて立香は広と向き合う。
「引き受けるよ。キミのプロデュース」
「・・・・・・・・・・?」
あっけらかんと言ってのける立香の申し出に、ポカンと瞬きをする広。
よほど予想外だったのか、今度はその瞳に戸惑いの色が見て取れた。
ここに来て、初めて彼女のペースを崩してやったことにしてやったりと内心でほくそ笑みながら立香は続ける。
「キミの旅に、オレのこれまで経験してきたことがどこまで活かせるかは分からないけど。それでもいい?」
「・・・・・・ほんとうに、いいの?」
絞り出すような声で確かめてくる女の子に手を差し出す。
「篠澤広さん。オレと契約、してくれるかな?」
「・・・・・・・・・」
差し出された手と立香の顔を交互に見やる広に頷いて応える。
それを見た少女は、ゆっくりと、だがしっかりと手を伸ばし、その手を取ってくれた。
「・・・ありがとう。こちらこそよろしく、ね」
それは弱弱しいけれど、確かに結ばれた縁。
かつて、何の取り柄もない自分の声に応えてくれたサーヴァントのみんなもこんな気持ちだったのかな?なんて、繋がれた手にあるぬくもりを感じながら、いつかの巡り合わせにひとり思いを馳せる。
「あのね。わたし・・・アイドルにちっとも向いていないけど。本気で、全力で、頑張るよ。それはきっと、楽しいから」
そう言って少女は、今日一番の笑みを綻ばせてくれていた。
☆三
以降、保健室を後にした二人の会話。
「さて、本格的な話は明日にするとして。取り合えすオレは先生に報告をしてくるから、篠澤さんは今日はもう家に帰ってていいよ」
「プロデューサー」
「ん、何?」
「わたしは今日、レッスンで体力が尽きて倒れてしまった」
「うん、そうだね」
「そんなわたしだから分かる。あの程度の休養で寮まで無事に辿り着ける可能性は皆無」
「・・・さっきと言い、今と言い、なんでそんなドヤ顔でいられるのかナ?」
「ふふ、わたしの貧弱さを甘く見たらいけない、よ」
「うーん、体力/zero・・・」