私は、脊柱管狭窄症が進み、車椅子生活になった。私と大姪との同居生活が始まったのだ。
==== この物語はあくまでもフィクションです =========
私の名前は野本由起夫。姪の名前は如月来夢(らむ)。
私は、脊柱管狭窄症が進み、車椅子生活になった。私と大姪との同居生活が始まったのだ。
母が亡くなった後、私は徹底して『終活片づけ』をしていたので、大姪(妹の孫)は2階に居住した。
私が母と同居していた時の名残の『ナースコール』を復活して、私は必要時に大姪を呼ぶことになった。
「なあ、来夢。後悔してないか?」
「勘違いするなよな、オッサン。あんたは、私の実験台、練習台なんだよ。夫婦じゃないんだからね。催しても『夜這い』すんなよな。私はまだ嫁入り前なんだからな・・・そう言って欲しい?」「欲しくない。」
「だよね。お母さんもお婆ちゃんも、益美おばちゃんも本気で心配している。ひいおばあちゃんが死んでから、人が変わりすぎたって言ってる。だから、先のことは皆に任せて。私に任せて。」
来夢の提案で、書斎に置いていたPCは、ベッドサイドの床頭台に移動した。
既に、他のPCも皆処分していた。
さらに、冷蔵庫を処分した。
台所に冷蔵庫は2台あった。1台は、私が住みだした頃、父が購入・設置させていたものだ。もう1台は、実家にあったモノを、実家を貸主に返した時に処分せず私が移動させたものだ。
先の1台は台所奥にあり、後から運んだ方は、入口にどんとある。
流しとその冷蔵庫の間には、キャスターを着けて移動式にしたゴミ箱がある。
書斎代わりにしていたので中央の台所用テーブルと合わせて圧迫感がある。
元実家冷蔵庫は、益美おばちゃんこと私の姉の娘(来夢のまたいとこ)が独立することになったので、引き取って行った。
母の遺産相続で、きょうだいには、大きな『財産格差』が生まれた。
妹は、進んで「断捨離」を手伝っていたが、一段落した頃、義弟が「要介護」になった。
そこで、妹の孫である来夢が手伝いに来るようになり、「当面」の私の介護担当になった。
介護には、介護保険を適用しても、色んな費用がかかる。
それは、黙って妹が引き受けた。
私には、「最低限の生活費」しかないのだから、「孤独死」させる訳にもいかないのだ。
大姪の来夢は、よく働いた。
高校時代もよくバイトをし、「結婚で永久就職」なんて夢にも思わない子だった。
「何、考えているの?エロジジイ。反応しするな。意識するな。」
彼女なりの気遣いが嬉しかった。私と2人だと、わざと『ぞんざいな』言葉使いをした。
夕食後。私がキーボードを叩いていると、来夢は、「オッチャン、玄関だけどね。」と、私にスケッチブックで書いた「設計図」を見せた。
「ふむふむ。」私は、執筆作業を止め、そのスケッチブックの内容をワープロに書いた。
「明日から、訪問介護士さんが来るからね。ちょっかいだしたら・・・。」
「ちょっかいだしたら?」「殺す。ちゃんと『設計』しておいた。
スケッチブックをめくると、『殺人計画』が出てきた。
無言で返した。これは、電子記録させられない。
来夢が、洗い物をし、洗濯をし、風呂を沸かす間、私は執筆作業にいそしんだ。
姉は、シルバーカーを押して買物をし、デイサービスに通うようになったそうである。
時代は変わった。
―完―
来夢が、洗い物をし、洗濯をし、風呂を沸かす間、私は執筆作業にいそしんだ。
姉は、シルバーカーを押して買物をし、デイサービスに通うようになったそうである。
時代は変わった。