昴くんはなにもしない   作:あまも

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沖矢昴が好きな奴が原作で関わりの少ない同年代の人間と会話してる所を見たかっただけの話を書こうとしてたら、開幕から入れこみすぎて話が進まなくなったものが出てきてなんだこの文量は!?としてたのでせっかくだから赤の扉を選びます。

2025/06/02: 1話にまとめ、先頭に移動しました。
ここすき等いただいておりましたが、確認はしております。ありがとうございました。



0章:知らない天井
0-0-0:知らない天井


 

※この0章は、本編のための設定が無駄に多い文字数だったのでせっかくだからと繋げたものです。まとまりがありません。

主人公の設定固めのために書いたものなので、読めば主人公がどうしてこんなんなのかややわかります。

 

 

先に投稿されたのは0章です。

 

 

↓↓↓

 

 

 

 

知ら天はやめていただきたい。

 

 

 

 目が覚めたら知らない天井。そういうのは大抵病院だったりするが、ご多聞に漏れず私もそうだった。

 白い天井より先に、何か透明な液体の入ったパックを吊るした点滴台と、薄水色のカーテンとぐるりと曲がったレールのが目立つ。周りを……、見ようと思って、動かそうとした瞬間にピシッと痛みが走った。

 これは不用意に動かしちゃいけないと理解した。

 心臓がバクバク鳴るのが聴こえる。冷や汗がぶわっと出たのがわかる。今、めっちゃくちゃ痛かった。冗談じゃないぞ、大怪我確定じゃないか。外側の皮膚は乾燥した唇を大きく開けた時みたいひび割れた感触でピリピリバリバリ痛むし、中では骨だか筋だかがミシミシと鳴って、こちらも長らく動かしてなかったみたいな感触がある。

 ゆるぅりゆっくり、しぱしぱする目を擦りたくなる気持ちを堪えながら恐る恐る目線だけで見渡すと、なるほど、経験は無いがこれが入院した時の視点かと思えるラインナップ。

 テレビと棚、このコンパクトな感じこれうちにも欲しい。窓の外は景色が低く、見通しがいい。そしてカーテンの向こうは他の人間の気配もない。個室かな。随分と、いい部屋らしい。

 カーテンの向こうはどんなかなと思うものの、とても身を起こせそうにない。挑戦だけはしてみるかとゆっくり、ゆっくり痛みが酷くなる寸前くらいで慎重に首を傾け、体そのものを傾け、激しく動かなければ大丈夫そうじゃんと楽観的に考えて、腕に体重が掛かった途端にビリビリと頭まで駆け抜けた痛みに、動く事を断念した。ゆっくり元の体勢に戻り、お布団に帰ってくる。

 ダメだこれ。全部痛いけど、特に腕が痛い。

 怪我してるんだろうけど、布団の下で見えもしない。この病院のベットで寝てる知ら天の原因は大怪我だなとアタリをつけたが、ここで気付く。

 考える。

 よくよく思い出してみる。

 

 ふむ、おかしい。

 

 

 病院で寝てる理由が、皆目見当がつかない。

 

 

 体が痛いなら、見えないがきっとそれが理由だろうが、入院が必要なほどの怪我をする理由が思いつかない。だって、自分は、部屋で──

 

 ──部屋に、いた、のだろうか?

 

 

「スバルくーん。お熱測りますよ〜」

 

 目覚める前の記憶を漁っていたら、カーテンから淡い緑の服のおばちゃんが出てきた。看護婦さんかな。あ、はい、なんて返事が、思ってたよりカスカスの掠れ声で漏れる。実際返事どころか言葉にすらなってなかっただろう。痛みもあって、呻き声みたいな吐息だけ漏れた。相当永らく寝てたのか自分。

 おばちゃんがびっくりしてバインダーを落とした。目と目が合う。まんまるに見開いた目がこっちを見ているので軽く目礼。

 

 ところで『スバルくん』って誰だ?

 

 おばちゃんがバインダーを拾い上げて駆け出して行き、素早く先生を呼んで、パタパタ駆け付けてきた先生らしき男性と、彼の指示であちこち動くまぁまぁな人数の多分看護の方々。後から扉の向こうにスーツの連中がチラチラ見えた。

 慎重に腕を上げ下げされたり、体を見聞されてる間にわかったが、どうやらこの身は私の“私”じゃないらしい。

 痛々しいというか実際痛い、包帯に巻かれた全身、特に腕と手は、包帯でかさ増しされていても尚細く、小さく、病院のベッドはこの身には広過ぎる。大人の女性の先生の細い指の並んだ手すらも、大きく見えた。ストローの挿された蓋付きコップの水、というあまり見たことのない形式でただの水をもらって、ようやく張り付いた喉が潤った気配。それでもガッサガサの喉は呼吸の度に痛む。

 全身見聞ついでにマッサージされたり軟膏塗られたり曲げ伸ばしされて、ようやく多少の動きはできるようになって、一息つけた。

 どうもこれ、私の怪我というのは火傷みたいだ。手だの腕だの胸だのなんだの、あちこちが焼けただれて、皮膚が赤くなったり破れたり変にくっついて引き攣れてしまっているようで。特に手腕とか胸は、触れるのすら慎重でかなり気を使った動きされてたし包帯もそのままだったから、たぶん一番酷いんだろう。

 

 さてさて、この身、『スバルくん』という少年になってしまっているらしい。

 どこかで頭でも打ったのか?階段から転げ落ちでもしたのか?『私たち、入れ替わってる?!』みたいなあれか?なら入れ替わり先の私はどこに?

 でも知ら天だしな。こういうのって異世界転生とかでよくあるファンタジーだろうに。動くようになったとはいえ、まだまだ痛い首に気を付けて体ごと視界を動かすと、現代社会な窓の景色。ちゃんとビルもあるし、車も走ってる。飛行機だって飛んでる。景色は現代だけど、自分は自分じゃない。

 

 よもやよもやだ。

 これは行くとこまで行くと、私(本体)、死んでる可能性まで出てきた。ひとりで孤独死は嫌である。

 女性の先生の優しい声で、視線をそちらに戻す。優しい笑顔の美人さん。つられて私もにっこり。

 

「どうかな。自分のこと、言えるかな?」

「……」

 

 スバルくん、と呼ばれているが、私の名前がわかっていないらしい。

 事故った現場で見つかって、救出された私の身元がわかれば誰が事故ったのかわかるから、と。なるほどなるほど。

 

 残念ながら、これが何にもわからない。

 そもそも私はこの少年について何も知らないのである。その事故とやらについても、何も知らない。

 なんだかいろんなところに悪い気がしてきて、女性の顔を見てられない。ごめんなさいとかすれた喉で呟き俯き、肩ごと首を横に振る。

 こちとら何もわからないのである。

 

 やや慌てた様子の先生が2人ほどやって来て、時計が読めるか、とかボールペンの芯の出し方はわかるか、とか、絵本の文字は読めるかな、とか色々試された。

 私知ってるぜ、これ記憶喪失の人にやるやつだ。アニメ映画で見たもん。色々やった挙句、先生達が難しい顔で出て行った。怪我の治療だけのはずが、頭まで診ないととなれば大変だろう。痛み入ります。

 おトイレとか、ご飯とか、お風呂は流石に怪我的な意味で体拭くだけらしいが、お着替えちゃんと出来ますかと。体調の確認とかして一通り。何かあったらすぐ外に人がいるからねと看護婦のおばちゃん。

 

 なるほど、ナースコールはこの腕では押せやしないのか。

 部屋を出る前のおばちゃんに聞いてみた。

 

 ところでなんで私は『スバルくん』なんです?

 

「ああ。君が見つかった時にね、事故を起こした車のエンブレムを握りしめてたのよ。それが『SUBARU』ってメーカーのものだったから、『スバルくん』。うふふ、安直よねぇ?

 そうそう、一緒に抱えてた望遠鏡に、文字が彫られていたの。その文字も燃え溶けて殆ど読めなかったんだけど、『晴』の字だけはハッキリわかってね。それがキミの名前の一部なんじゃないかって。天体望遠鏡らしいから、きっと星が好きなんじゃないかって」

 

 バインダーの空いてるスペースに、『○晴』を書いて、その前の○を示してここがわからないのよねぇとのこと。その望遠鏡はと問えば、今警察の方で鑑定中らしい。私が見たいと強請ると、もちろんよとおばちゃんが頷いた。

 

「キミが燃えてるそれを抱きしめてたって聞いてるわ。だからその火傷が出来たらしいから。きっととても大事なものだろうし、見たら何か思い出すかもしれないわね」

 

 調べ終わったら返してもらえるよう、確認してみるからとおばちゃん。うーん、いい人。

 

 にしても『スバル』の車か。じゃあ『日産』とか『マツダ』とか握りしめてたら『にっさん』とか『マツダくん』って呼ばれてたかもしれない。

 『フォルクスワーゲン』とかじゃなくてよかった。あだ名としてはありかもしれないが。ちょっとカッコイイが過ぎる。

 

 

 

 ■

 

 

 

 目覚めてから一月。戻るか、はたまた元からあるのかわからない記憶は未だ目覚めず、『私』の身元もわからずじまい。

 

 事故の概要をざっくり教えてもらったが、なんでも峠道で単独事故を起こした車が爆発炎上、小さく軽い私は扉とかの物と一緒に吹き飛ばされて、頭を強く打ったりなんなりして重傷ながら無事。車と運転手はダメだった、みたいな話らしい。

 詳しいことは、専門的で難しいからか話してもらえなかった。

 ……そりゃ、炭化した男性の遺体の話は子供にするべきじゃないだろう。壊れて外れなくなったシートベルトを、炭化した男性の遺体が握りしめていた十徳ナイフが切ったであろう事と、同じく壊れた運転席のシートベルト。子供を優先したんだろう、とかなんとか、お涙頂戴な話を扉の向こうからきいてしまっているが。

 ……シートベルト壊れて外れなくなるとか怖……そんな事ある?無くない?

 

 その男性が親だったのか、家族なのか、はたまた知らない親父かは知らないが、良い人だったんだろうて。

 

 この身、10歳かと目算されている。歯の乳歯と永久歯の感じは10か11か。事故った近隣の小学校で登校していない学生の確認が進められているらしいが、まだ私の身元がわからないってことはそういうことだ。

 

 精密検査や長期入院、身元照合に各種手続きの為、都内の病院に移って久しい。元々あの病院は小児科はあまり得意でなかったようで、そういうのを担当できる先生のいて、尚且つ治療も色々試せる大きな病院に移された次第。検査だ調査だとここのところ毎日忙しい。

 

 怪我の方は無事包帯も少し減って、リハビリしていこうねとド〇えもん状態から解放された腕と親指。まだミトン状態だけど、物を挟んで持つくらいは出来るようになった。

 スプーンすら怪しいけどね。

 エンブレムの金属フレーム部分を握りしめていた左手の中指から小指にかけての関節が一等酷くて、びっくりするほど動かない。

 これがリハビリで動くようになるのかと疑問に思う。骨とかは無事で、火傷以外にそこまでひどい怪我はなかった足は早々に私をよちよちと不格好にゆっくりながらも自由に歩き回らせてくれたので、体力作りに院内を行って戻って、物を見る事で記憶を取り戻すカケラ探しに勤しんでいる。

 なんて、私にそんなものはないんだが。

 

 

 

 警察からおばちゃん経由で返ってきた、燃えていたという望遠鏡は、小さな身体で抱えるほどに大きく、とても立派な天体望遠鏡だった。しかし、熱で溶けてレンズもひび割れて、衝撃で歪んだ本体を覗いても真っ暗真っ黒ゴミしか見えない。

 それでも確かに、覗く側の隅に、何かが四文字、刻まれていた跡が確認できたらしい。

 『晴』の字の前三文字部分が、熱せられた金属の部品が乗っていたのか押し当てられたのか、溶けて黄色と黒に焦げたチーズみたいになってしまって詳細は何もわからないが。

 

 院内の中庭で、木陰のベンチに座って望遠鏡を眺める。

 最近は、フゥフゥ言いながらエレベーターに乗り、よっこら辿り着いて一息つくには丁度いい距離のここがマイベストポジション。今日は晴れで良い天気。この望遠鏡と、その文字と同じ天気とくれば、何か『この身』に紐付くものを思い出せやしないかと期待して、やっとこさ重いこのボロを抱えて来たのだが、ぎっちょん特に何もなかった。

 見上げた木漏れ日は星にはとても見えない。転院前の担当のおばちゃんに餞別にともらった触り心地の良い布で、望遠鏡を磨くのも指を動かすリハビリの一環。今日はレンズでも磨こうかと、親指で布を挟む。

 

「それ、キミの大事なもの?」

 

 つと、声をかけられた。少年特有のボーイソプラノ。顔を上げると、黒い短髪の吊り目の少年。ぶしつけだが、きょととした目鼻立ちははっきりしていてかわいらしい。こりゃ将来イケメンにちがいない。うん?と首を傾げる仕草もあざとくてかわいらしいが、今、なにやら聞かれたんだったか。“それ”とはこの望遠鏡のことだろう。

 

「ええと。うん、たぶん、そう」

「たぶん?」

「うん。私の名前らしいから」

「名前?」

 

 逆に首を傾げる少年に、私もつられて首を傾げてみせる。だってそりゃ私にもわからないのだ。

 

「ほらここ。これ」

「……『晴』れ?」

 

 ほほう、読めるのか。歳の頃は10かそこら、きっとこの身と同じくらい? だからこそ、声をかけてきたんだろうか。

 

「これは私の望遠鏡で、ならこれは私の名前だろうって。他の文字もあるはずだけど、それは読めないから。詳しくはわからないんだけどね」

「……なんで、わからないの?自分だろ?」

 

 なぜなに期ってやつか。不思議なことがいっぱいある頃。自分のことだが、私のことなんだが、これがわからないからしかたない。

 

「……ああ。うん。なんでだろうね。でも、わからないんだよ。なんにも。私が誰だったのか、どんな子だったのか」

 

 『晴』の字を、唯一マシに動く右の親指で撫ぜる。白地に金で彫られた、『この身』の名前であろうそれ。

 

「きっと、『私』はこの名前が大事だったんだろうけど。親からもらったものなんだろうけど。……なんにも、わからないから」

「…………」

 

 燃える望遠鏡を、熱かったろうに抱き締めたというならそれだけとてもとても大事だったんだろう。私はそれほど大事に思えないが、『この身』には相当。その想いを、私は思い出せてやれないのだ。残念だね。

 

 おっと、初対面の見知らぬ少年に妙なことを話してしまった。どうでもいい身の上話なんて聞かされて、困ってしまった少年が言葉に詰まっている。ゴメンと笑ってあやまったら、何故か少年がぶわりとその目から大粒の涙をこぼし始めた。ええ?

 

「えっ、ちょっ、君?!何?なん、なんで?」

「だ、だって、キミが、そんな」

 

 しゃくりあげながら少年がぴえぴえ泣くもので、私はすっかり参ってしまった。手にした布は汚れちゃいないが、それでも小汚く見える望遠鏡を拭いてたものだし、いやでも泣かせたのは私だろう。毎日替えてる入院着の裾で涙を拭ってやっても、あとからあとから溢れてくる。これは参った。とても困った。少年が、哀しそうな顔をしてるから、なんて、私より余程悲しい顔で言うのだ。この感受性豊かな年頃め。大人を困らせるのが得意でなにより。かなしいのは私じゃない。『この身』の方だというのに。

 

 

 

 

 

 

 なんとか落ち着かせようとすると、何故か人の顔みて更に泣き出す少年。

 なんなん?泣き止まそうとするのがダメなのか?何か別の話題にすればいいのか?子供の扱いなんてこちとらわからないのである。隣に座らせて、涙を拭いてやるが、どうにもとまらない。どうにか、どうにかしないと。

 

「えぇ、あぁ、えーっと。名前!」

「…ッ…、なまえ……?」

「そう! 君の名前は?どこから来たんだい? 見た所、君は怪我とかしてないし、体調も悪くなさそうだけど。病院には、誰かのお見舞い?」

 

質問攻めで、別のことを考えさせてみる。人の顔見て泣くなら、人の顔見て思うことを別のことで流してしまえばいいのだ。うん。いや、子供にこれ使えるかな。

 

「……なまえ……、ひろみつ」

「ひろみつくん?へぇ〜!カッコイイ名前!」

「……うん…あのね、……お見舞いじゃ、ないよ。僕の、ていき、けんしんってやつ」

「へぇ。病気、なの?」

「ううん。昔、病気だったけど。今は大丈夫」

「そっか。治ったんだね。よかったね」

「……うん。ゼロのおかげ」

「へぇ。ゼロって、お友達?」

 

 

しゃくりあげながらも、ポツポツと答えてくれた。不明瞭だが繋げてみると、怖いことがあって声が出なくなってしまったひろみつくんだったが、親戚のおじさんおばさんに預けられたこちらで出会ったちょっと気の強い“ゼロ”という友人と過ごすうちに、無事声も出て、ちゃんと立ち直れたのだという。

 なんだそのハートフル。ええ話か。

 

起こってしまった「怖いこと」は詳しく聞かなかったが、親戚に預けられたってんなら、きっとこの身と似たような事情だろう。保護者の変更は結構問題だ。

ははぁ、さては自分と私を重ねて、昔のことを思い出してしまって、それと似たような状況の私を心配して泣いたって事か。

 

 なんだ、ただのええ子やん。

 

 話すうちに、特に出てくるその“ゼロ”という友人について聞くと、嬉しそうにしてくれるのでその子についてを重点的に聞いてみる。話すことに気が向いたのか、涙は新しくは出てこない。うんうん。いい調子に誤魔化されてくれたようだ。お子ちゃまなんてチョロいもんだ。

 

「ゼロ、って不思議な名前だね」

「あだ名だよ。ゼロはね、ボクをヒロって呼ぶの」

「あだ名かぁ。いいね、お互いの特別な呼び名。面白いし、特別!って感じ」

「へへ。うん。大事な友だちだよ」

 

 うむ、目は赤いがようやく笑ってくれた。

 気の強そうなつり目がほにゃっと緩んで弧を描くと、うん。いや、かわいい。

 なんだ?怖いことって誘拐かなんか?

 でも攫われそうなくらいかわいい。

 

 そこで美少年の安心した笑顔に惑わされ、質問攻めが止まってしまって、少し考える時間を与えてしまった。

 

「……ね、キミは、自分のことが、わからないんだよね」

「え、…と。うん。そうだね」

 

 その質問に、また泣き出してしまうかと思ったが、違うらしい。なんか考えておられる。

 

「キミのこと、なんて呼べばいい?」

「私のこと? そうだな。先生達からは『スバルくん』って呼ばれてるよ」

「『スバルくん』?なんで?」

「うーん。スバルっていう車に乗ってたから? たぶんね」

「へぇ……」

「それこそ、あだ名みたいな感じだよ」

 

 前の病院の看護婦さんが言っていた通り安直だが、スバルって音の響きはいい。カッコイイしね。そしてこの身は名前負けしてないと思っている。

 さて、なんか考えてるひろみつくんだが。

 

「……ひろみつくん?」

「ね、キミのこと、“ハレ”って呼んでいい?」

「はれ?なんで…って、この字か」

 

唐突に過ぎる。望遠鏡の金色の字を指さしているからそれの事だろうが、なんでまた?

 

「うん。それで、キミもボクをあだ名で呼んでよ」

「あだ名で?……ひろくん?」

「くんいらなくない?」

「……いや、でも、それってゼロくんとの大事な名前でしょう?じゃあ……ミッチー」

「それは…なんか…やだなぁ」

「わがままだなぁ。じゃあ……みっちゃん」

「!」

 

 ひろを抜いたらみつしか残らないじゃん、という事で呼んで見ると、なんかひろみつくんは目を見開いて、口を数回パクパクさせてから、彼は俯いた。ポロポロと、雫がこぼれ落ちている。えっえっ

 なんでまた泣いてるのぉ〜???

 

「ご、ごめんね。やだったら──「いやじゃない!!」おおぅ」

「やじゃない。それがいい。 みっちゃんが、いい」

 

 何か琴線に触れるものがあったらしい。熱意がすんごい。

 おまけに ダメ?なんて上目遣い。

 は?あざといんだが?

 

 ……つまりこれはあれか。似た境遇のこの私を、ゼロと出会って元気になれた自分みたいに、ゼロの代わりに自分を置いて?慰めてやろうってコト?

 

 は?何?いい子過ぎるんだが???

 

「……私と、友達になってくれるの?」

「うん」

 

 たまたま出会っただけの、なんか変な奴。

 ほな友達になったろ。なんて、そんな軽い雰囲気……では、ないだろう。何か同情めいたものが見え隠れするが、たぶんこれはひろみつくんから、心配されてる?のか?

 

 私、中身大人なんだが?

 

「……なら、ハレじゃなくて“ハル”かな」

「“ハル”?」

「『晴』が名前なら、きっと二文字の後ろの字だから。前の字も、なんて読むかもわからないけど……男の子の名前で、ハレってつく名前は思いつかないし、きっとセイか、ハルって読むんだろう」

 

アッパレ!って名前は流石にキラキラ過ぎて有り得ないだろうし、名前の終わりがレというのは日本人名としてはあまり聞き馴染みがない気がする。

 もしそうならあまはるとか、てんせい、かな。え〜それはちょっとカッコイイが過ぎるな。私が?『私』なら良いんだけど。

 

「私が今仮で呼ばれてる『スバル』も、ホントの名前がわかったら使われなくなるだろうけど……君と出会った今の私は『スバルくん』だから。せっかくの出会い、せっかくのあだ名。なくしちゃうのは勿体ないでしょう?」

「…! うん! 」

 

嬉しそうに破顔して、キラキラ輝く目で頷くひろみつくん。こっちも笑顔になっちゃうね。美少年の笑顔は健康にいい。

 

「じゃあ、…“ハル”!」

「ふふ。なんですか、みっちゃん」

「うーん、……もしかしてハルちゃんの方がいい?」

「ええ?なんか、それは女の子みたいじゃないですか?」

「じゃあ“みっちゃん”も女の子みたいってことじゃん」

 

 ぷくぷくの膨れっ面もかわいらしい。ホントに誘拐されないか心配になるなこの子。見知らぬ私に話しかけるくらい警戒心が無いし。いや、そういえば私子供だったか。

 周りの大人達も微笑ましいものを見てるみたいに笑って……周りの大人達?

 

 おおっと、小児科の先生と別の科の先生がニッコニコで湯気の立つマグカップ片手にこちらを見ている。子供の仲良しで茶が進むってか。

 

「えーと、……みっちゃん」

「うん!」

「……ミッチー」

「ダメ!」

「ええー?」

 

 ひろみつくんってば、こんなに人懐っこくてかわいらしいと、心の中のおばちゃんが心配なっちゃうな。

 こんな陽の権化みたいな子をかなしませるような事件があったってマ?

 そして友達認定早すぎひん?

 

「……みっちゃん」

「……うん!そう! なぁに“ハル”!」

「グゥ……」

 

 なんこれ尊い……。先生達もこれには思わずニッコリ。私は撃ち抜かれた胸がグッサリ。天使か……平和はここにあったんや……。

 胸が痛いのかなんて焦るひろみつくんを宥めて、先生達を示すと途端びっくり顔。先生達も手を振って歩み寄ってくる。待っててくれたらしい。

 

「せ、先生?!いつから?!」

「さっきから。景光くん、スバルくんとお友達になったんだね」

「……うん!」

「そうか、そうか」

 

 みっちゃんに話しかけたのは、名札を見るに精神科の先生。私の担当の小児科の先生は、私の手をにぎにぎと開いたり閉じたりさせながらニッコニコ。

 

「スバルくん。お友達できたんだね」

「はい。私が一人でいたのを心配してくれたみたいです。いい子ですね」

「……うーん……うん。そうだね」

 

 ここで先生ちょっぴり苦笑い。精神科の先生と、何やらアイコンタクト。小さく頷きあって、また私たちに笑いかけた。

 

「ね、景光くん。君が良ければ、またスバルくんに逢いに来てあげて欲しいんだ。もちろん、君の気が向いた時でいい」

「スバルくんもどうだい? 最近、大人達としか会ってないから退屈だろう。そろそろ君もゆっくりできた方が安心だろうから」

 

  ふむ? これはあれだな。

 私が、いや私達が同年代の友人との間で、どんな様子なのかを確認する良い機会、って事だろう。みっちゃんがうんうんと首が取れそうな位のヘドバンで頷いている。

 まぁ、ひろみつくんかわいいし。うるさくないし。

 そしてかわいいし。私のほうも否やは無い。

 

 

 *

 

 

 ちょっと嫌いだった病院通いが楽しくなった。それもこれも、新しい友達のおかげ。彼に会いに行くのが楽しい。

 

「ハル!来たよ!」

「やぁみっちゃん。いらっしゃい」

 

 ふんわり笑う、陽だまりみたいな子。ホントの名前はまだ分からないけど、あだ名はハル。ボクと、彼だけの特別な名前だ。

 あの初めての出会いの後、先生に聞いたら、ハルはやっぱり自分の事を何にも分からなくなってしまった病気なのだという。

 ボクの声が出なくなったみたいに、とても怖いことがあって、それでその怖いことを思い出さないようにした。思い出したら、とってもとっても辛くてかなしくなってしまうから、思い出すキッカケになるような事までまとめて全部忘れたことにして、そうして自分を守ろうとしてるんだって。ボクも怖いことは思い出せないことがあるけれど、ハルは全部まとめてしまった。

 それほど、怖かったんだって。

 

 そんな怖いことなら思い出さない方がいいと思ったけど、自分の事がわからないって凄く怖いことだって、彼を見てて思った。

 でも、その病気を治すには少しずつ、今の自分は安全だって、安心しなきゃいけないらしい。

 今、彼は自分を知るのは怖いけど、知らないのも怖いって、どうしようもない状態で。

 

 だから、友だちになったボクが『スバルくん』は『スバルくん』だよって安心させてあげるのがいいんだって。

 

 よくわからないけれど、とにかく今の彼は、ずっと怖いのに笑ってるってのはわかった。

 

 

 彼の怪我はとっても酷くて、初めて会ってから暫く経つけど、まだ手が上手く動かせない。「ようやく指が分かれました」なんて言って、五本になった包帯の指はちゃんと曲がるのは二本くらい。

 だから、彼と遊ぶ時は手を動かす練習になるようなものをって先生に頼まれた。積み木とか、パズルとか、おりがみ。来る度に包帯の巻きが少しずつ薄くなっていく彼の手は、ピンク色や真っ赤な痕が沢山あった。焼けて、ただれて、とっても痛かったって聞いて。

 それなのに彼がまた笑うから、ボクの方もまた泣いてしまう。

 

「なんでみっちゃんが泣くの?」

「だって、キミが笑うから」

「ええ?」

 

 それで、困って、困った末に困ったまんま「ありがとう」なんて言う。

 彼について、彼の身に起こった事件について、大人たちが調べてるけれど、どうにもむずかしいらしい。調べるために必要な物が、どれもこれも無くなってしまって、何から手をつけていいかもわからないんだって。

 

 学校帰りの今日は、ゼロに病院に行くからと伝えて来ている。

 最近、ボクが頻繁に病院に通っているせいでゼロが心配してる。今度、ゼロと一緒にハルに会いに来ようか。ゼロとハルが友だちになったら、三人で遊べる。ハルはちょっと外国の人に雰囲気が似てるし、ゼロも髪色とか肌の色でちょっかい出されると怒るけど、ハルならきっと大丈夫だと思う。

 仲良くなれるかな。今から楽しみだ。まだ彼のことを伝えてもいないのに。

 

「みっちゃん。今日は折り紙しましょう。色々覚えたんです」

「いいよ!どんなの折るの?」

「……そこの子も、一緒にどうですか?」

 

 ビックリした。ハルが突然顔をあげて、ボクの後ろ、開けっ放しの扉の方に声をかけたから。振り返ったら、見覚えのある金色の頭がびっくりして跳ねてる。

 

「ゼロ?!」

「……なんで、わかったんだよ」

 

 そろそろと出てきたゼロが、不機嫌な声で近寄ってくる。ふにゃふにゃ笑ったハルの顔は、ボクや他の子供たちを見てる時によくする笑顔だ。

 

「ふふ。通り過ぎる人達が、扉の陰を見てニコニコしてました。みっちゃんが来てからね。目線も低いし、子供だろうと思って。だから誰かがみっちゃんの後に来たんだろうなと思ったんです。

 あなたがひろみつくんの親友の、ゼロくんですね」

「……ヒロ、なんだよコイツ」

「ゼロ。この子はハル。病院で会ったんだ。それで、えっとね」

 

 見ればわかる。ゼロがとっても不機嫌だ。ボクが、ゼロが自分と遊ぶより、ハルと遊ぶのを優先したって思ってるんだろう。その通りなんだけど、そうなんだけども。

 

「ゼロくん。君からひろみつくんを取ってしまって、ごめんなさい。彼、私のことを心配してくれてたんです。

 私があんまりに弱っちくて、すぐにでも死んじゃいそうで、心配で来てくれてたんです」

「えっ」

「えっ?!ハル、死んじゃいそうなの?!」

「えっ」

 

 死んじゃうと聞いてゼロが驚いた。ボクも驚いた。そんな話聞いてない。

 

「でも、ひろみつくんが来てくれたから、私は大丈夫になりました。みっちゃん、ありがとうございます」

「ハル……死んじゃわない?」

「はい。死んじゃいません。元気です」

「……ひ、ヒロのこと騙そうとしてたのか?!」

「いえ。彼が居ないと死んじゃうところでした」

「……じゃあもう死なないのか」

「わかりません。お友達がいなくなってしまったら、私はかなしくなってしまうかも。でも、ゼロくんも来てくれて、今私は嬉しいです」

 

 ニコニコとハルが笑う。確かに元気に見えたけど、木漏れ日の下で会ったハルは今にも眠っちゃいそうだった。あれ?今も目を閉じてるし、今も寝そう?

 わからないけど、なんだかいつもと話し方が違うなと思った。いつもはニコニコして、なんでもなさそうにしてるのに、今はちゃんと辛そうにしたり、悲しそうにしたりしてる。でもなんだか……いつもそうじゃないのに、なんで?って思う。

 

「ゼロくんは、ひろみつくんの親友ですね?」

「……ああ。そうだよ」

「それはいいですね。みっちゃん、とても優しくていい子で、私ともお友達になってくれたんです」

「……そうだよ、ヒロは良い奴なんだ」

「ゼロくんは、どうですか?」

「は?」

「ゼロくんは、私とお友達にはなりたくないですか?」

「はぁ?なんで…」

「ダメですか?ね、みっちゃん。みっちゃんも、私とゼロくんがお友達だと、楽しいですよね?」

 

 これは。もしかして、ボクがゼロよりハルを優先してゼロが怒ってるってハルはわかったから、ハルの事を心配して様子を見に来てただけのボクって、ゼロに教えてるのかな?

 それで、さみしいならじゃあ3人で遊ぼうって提案してくれてる?だったら……

 

「────うん!ゼロと、ハルと、みんなで一緒に遊びたい!」

「はぁ?!」

「わぁ! それは素敵ですね!さぁ、では友達になりましょう、ゼロくん!私、君とお友達になりたいです!」

 

 ハルが、まだ包帯の残る手でゼロの手を掴んだ。その素早い動きの方か、包帯を見てか、ゼロがびっくりしている。

 

「お前、その手」

「ああ、はい。事故でまだ上手く動かないんです。元々全然動かせなかったんですが、最近ようやく中指も動かせるようになったんですよ」

 

 ゼロが、ハッと息を呑む。ここが病院だってことを思い出したらしい。後で「ひろみつくんがリハビリに付き合ってくれて〜」なんてのほのほ笑っているこのハルが、どんな状態だったのか、どんな状態なのかゼロに話そう。先生にも言って、お手伝いをお願いしたらきっと、ゼロも気にして手伝ってくれるはず。

 だってもう、バツ悪そうにあちこちキョロキョロして、どう謝ろうか考えてるもの。

 

 

「────その……お前、名前は?」

「ああ、すいません。私、名前がなくって」

「はぁ?!」

 

さっきからずっとハァしか言わなくなってしまったゼロに、後でじゃなくて、今話したほうが良さそうだ。

 

 

 

 

「ハル、来たよ!」

「生きてるか?ハル」

「みっちゃん、れーくん。おはよう! 元気だよ」

 

 あれ以来二人が、良く遊びに来てくれる。みっちゃんこと景光くんは私をまるで弟みたいに構ってくれるが、こちとら君のが弟みたいでかわいいと思ってるよ。なんか末っ子気質というか、話を聞けば歳の離れたしっかりものの兄貴が居るらしい。甘やかしたくなるのは仕方ないなこりゃ。

 れーくんこと、零くんは、なんだか私をライバル視?してくる。景光くんと結託して半ば無理矢理友人になった後、ちょいちょい睨んでくるのである。

 これはこれでかわいい。……じゃなくて。

 

 どうも「ヒロと一番仲良いのは自分だ!」って嫉妬と、でも私がちょっと可哀想な身の上ってので完全に拒絶するのも気が引ける。そしてつるんで遊んでるうちに、ちょっとは絆されてくれたってところだろうか。

 景光くんみたいに細かに構ってはくれないが、私が困っている時に目敏く気付いて手を貸してくれたりと、気を使ってはくれている。箱の蓋を開けたり。本のページを捲ったり。

 優しい。うん、やっぱかわいい。二人ともかわいい。猫っ可愛がりしたい。手がちゃんとしてたら撫で回してるのに。

 

 

 ところで、聞くのも忘れていた二人の本名だが、『諸伏景光』と『降谷零』という。景光くんの方は知らない……のだが、『降谷零』は、私は聞いたことがあった。一時社会現象にもなっていたものだから。

 その名前は、確か百億の男として有名になった、あの小さな名探偵の活躍する作品に出てくるトリプルフェイスの本名だったと記憶している。

 降谷零、仮名安室透。潜入先でのコードネームはバーボン。金髪色黒のベビーフェイス国家公務員兼業スパイ探偵。色が同じだから名前も同じにしようぜ!というファン心理によるキラキラネームでないのなら、この小さな友人はいずれの未来に日本中にファンを作る秘密潜入捜査員様だ。

 

 何が秘密なのかかわかんねぇなこれ。

 

 でまぁ、これが本物のあむぴだとするなら。

 

 この世界が創作物の物語の世界だったとなるならば。

 

 異世界転生物とアタリをつけたのは間違いでは無かったのなら。

 

 

 この世界が、かの名探偵が小さくなってからが本番の世界だとするなら。

 

 

 私の、『私』の体の色と特徴に大いに心当たりがある。

 

 

 作中で、この髪の色で、この目を閉じてるか開いてるかわからないキャラクター。

 あむぴと同時期に作中に登場して、あむぴと、あと女の子と一緒に三人並べてワンセットにされて見開き飾ってた気がする。どれが敵かな?!と出されて、どっこい全員味方でした!の流れだったらしいバーボン三人衆。

 

 

 

 もしや、『私』は『沖矢昴』なのではなかろうか?

 

 

 

 生憎と、私はあの作品を友人の付き合い程度にざっと、テレビつけたらアニメやってたから観るか〜程度にしか見ていない。特に、仕事が忙しくなってその友人ともあまり会わなくなってからは、時折SNSなどで話題に上がった事ぐらいしか見ていなかった。

 こんなことならもっとガッツリ読み込んでおくんだったと、今更ながら後悔する。

 

 ただ、私の記憶違いでなければ、本編での『沖矢昴』は『安室透』同様、世界に存在していない筈である。作中の登場人物が騙った仮初の存在だった筈だ。

 この外見も、その名前も含めて、江戸川コナンより更に後に登場、いや、誕生する存在。間違っても、降谷零と同世代の少年ではないはずなのだ。

 だってあむぴがめっちゃ沖矢昴のこと警戒してるってのはコンビニで立ち読みした時見たもん。

 押しかけ宅配便してるの見たもん。

 なんでそうなったのかは知らんけど。

 

 沖矢昴の中の人こと、赤井秀一を警戒してたらしいが。

 どっちもコナンくんの味方じゃなかった?

 

 そういや赤井って人は死んだって聞いてたけど、ある年の劇場版観た友人が生きてたんだ!って大騒ぎだったな確か。死んでたけど生きてたって意味がわからんけど、死人復活トリックがなんかあるんだろう。

 

「とりあえず宿題やるか!」

「ハル、今日どこまでやった?」

「漢字の書き取りはやりました」

 

 ランドセルの似合う最近の二人は、学校帰りに宿題を持ってきて、宿題ついでに学校にいけていない私の勉強を見てくれている。とはいえ私も一応大人の自意識と知識と魂に刻まれし記憶である。小学生レベルなら、まだノー勉でもいけるいける。楽勝ですよ。

 

 ……楽勝ですが、社会科とかはちょっともう一回勉強したほうがいいかもしれない。歴史とか国の小難しいことはちょっと興味が無くて……国会とか税金とかね。関心が無さすぎて何の知識もない。そのうち消費税が上がることしかわからない。

 私の書いたノートをめくり、景光くんがおぉと感嘆の声。

 

「おー、キレイにかけてるじゃん」

「指、動くようになったのか?」

「多少は。まだグーは作れないんだけど、少し曲がるようにはなってきました。今ならあやとりもできるかも」

「やめてね」「やめとけ」

 

 二人から真面目な顔で止められてしまった。

 最近は親指人差し指中指はまぁまぁまともに動くぐらいになったので、順調に復帰作業中。とはいえ七夕飾りの飾り切りに、とハサミを細かく使う作業を、軽い気持ちでリハビリついでに取り組んでいた時に穴に指が引っかかったり取れなくてこちゃこちゃのしっちゃかめっちゃかなったのを思い出す。

 何かの拍子で皮膚が破れてしまったらしく包帯がじわじわ赤くなって、景光くんが真っ青になってぶっ倒れたり零くんがナースコールも忘れて看護師さん呼びにいったりで、てんやわんやでした。いや、その節はどうも。

 

「そう言えばハル。海外から帰ってきたのかもって話、どうなったんだ?」

「またずいぶん唐突で。一応、手がかりになりそうなことは刑事さんに伝えましたが…どうなるかな」

「っても、『英語も話せた』ってだけだろ?それって手がかりになるのか?」

「んもー。いいかゼロ。実は一般的な日本人ってのはな、結構外国語って苦手なんだぞ」

 

 景光くんの言葉にムッとして、お前だって英語出来るだろだのと反論を返している零くんには悪いが、悲しいかな、景光くんの言う通り。

 日本人は英語というか外国語に苦手意識が強い筈である。ちなみに中身の私も苦手。

 しかしそれは却って手がかりの可能性。

 

 少し前、思い付きだったと言うのだが、会話の流れの中、零くんが突然私に英語で話しかけた。完全に油断していたし、なんの気にもせず、私は無意識に普通に応えたらしい。

 その英語のやり取りを、景光くんも聞いていた。

 学校に暫く通えていない私が、流暢にやり取りする様を見て、もしやと気付いたというわけ。

 つまり零くんのおかげで色々気付いたというか。

 

 私が目覚めてかれこれ一年。『私』の正体は未だわからない。刑事さんは少しずつ私の、『私』の事故を追ってくれているが、まだいい情報は入らない。

 

 それというのも、どうも私は地元どころか、小学校に通っていなかった可能性がある。なんせ今現在まで各地の行方不明児童や不登校の子供を調べても、『私』が見つからないのだ。

 

 で、一つの案が。これはもしや、『私』は日本に居なかったのではなかろうか、と。

 

 日本ではなく、海外の……ジュニアスクール?に通っていた、そしてたまたま日本に来ていた、もしくは日本に帰ってきたのか。海外だとしたら、ではどこに?入国記録を調べる?『私』のパスポートが存在する?

 調べることが沢山ある。ただ、今のところ『私』の事故は事故だ。事件じゃない。

 せめて『私』の行方を探している人がいたり、捜索願なんかが出てればいいのに。

 

「ハルもよ〜く見ると結構日本人離れしてるんだよね」

「……」

「日本に産まれりゃ誰でも日本人ですとも。海外で産まれても、日本人から産まれたら日本人だし。ですよね?」

「……ああ」

 

 外見で悪口言われたり嫌がらせされたり仲間外れにされることがある零くんが、むっすりと眉を顰めて不機嫌に。私も大概、肌は色白地毛は赤茶で鼻立ちくっきり美少年なのだが、肌の色ってのは明確に見て違いがわかりやす過ぎる。

 差別いくない。人類皆兄弟!

 

「むしろ……私の方が外国人かもしれないんですから。……もし私がフィンランド人でも、仲間外れにしないでください。二人に嫌われたら、私は悲しいです」

「そんなわけあるか!」

「嫌いになんてならないよ!」

 

 こういう時二人ともすぐに反応してくれる。嬉しい。かわいい。ついつい反応を楽しみにしてしまうのは、私の悪い癖かもしれない。でもこの子供たち、かわいいのである。仕方ないね。

 

「てかなんでフィンランド?」

「景色良いらしいんですよ。この間、雑誌の記事で特集が」

「身長が伸びるのを期待してるだけだろ」

「ぬっ」

「あー」

 

 なんでわかったのか、鼻を鳴らした零くんの意趣返し。景光くんも納得するんじゃないよまったく。

 同年代より比較的小柄な零くんより、更に小さな『私』。いやいや。まだ子供なのでね。成長期ってのは人によって違うのでね。

 

 

 気を取り直して、各々数学ドリルを開き、黙々と宿題を進める。

 終わったら外でキャッチボール?するのだ。ミットをパクパクできるようになってきて、ようやくボール遊びも解禁された。流石に投げるというか転がしてもらったボールをミットで受け止める、負担の軽そうなやつなのでキャッチボール?だ。楽しみである。

 なあに、分数の掛け算計算くらい楽勝ですよ。まかしといてくださいよ。こう…上下くるっとさせるんでしょ……え?違う?ここ先?うそだあ。……マジ? マジじゃん。ひぇ恥ずかし。

 

 ガチ小学生に教えられるエセ小学生。逆ならまだしも。これはちゃんと学習し直さないと。

 

 ちまちまと計算を進める。記憶では一度やった勉強だ。落ち着いてやれば、ちゃんとできる。この頭は冴えている。『この身』は、頭の出来が良い。物事考えてるようで考えていない私と違うのだ。その点を思うと、『私』は、ずいぶんと、出来がいいらしい。

 

 私は、英語なんてTOEICに挑戦しようと思うことすら無いレベルで出来ない。翻訳サイトを通さないと単語も分からないこともある。流暢にネイティブに英語を理解し、返せるような英語のスキルは無い。

 はずなのに、意味を日本語に翻訳しないままで無意識に返せたのは、『私』の身についたものなんだろう。となればやはり『私』は海外にいた可能性が高い。なんだか気持ちが悪いが。

 『私』にはちゃんとこれまでの時間が存在している。異世界転生じゃない。だからこれは憑依とか、乗っ取りとかの方。

 

 この世界に突然現れたのは、私だけだ。私は、『この身』から『私』を奪ったのでは。

 

 

「……ハル。手が止まってるぞ。またわかんない所があったのか?」

「……いや、大丈夫だよ」

 

 ちょっと考えてただけだ。さっさと終わらせよう。

 

 

 

 *

 

 

 自分は外国人かもしれない、とわかってから、ハルの様子がおかしい。考え込むことが増えたし、事故の捜査状況をしきりに気にしているんだという。

 ゼロも気になるみたいで、ソワソワしている。それもそうだろう。ゼロがその可能性を提示して、ゼロ自身が気にしている事と同じことをハルも気にしてるかもしれないのだから。

 

 外国人の外見ってだけで、仲間はずれにされる悔しさをゼロは知っている。ハルはまだその経験はないけれど、少し大人びたハルのことを、病院の子供はみんな一目置いている。

 というか、ちょっと離れたところで見ている。

 ハルと、彼らは違うものだって、なんとなく決められてしまっていて。その感覚を、ハルは寂しがっていて、それが更にひどくなるのを怖がっているに違いない。

 

 ハルは大人びている。大人相手には敬語だし、いつも落ち着いてて、冷静だ。お兄さんぶって良い子ちゃんの顔で子供の面倒を見ている。

 

 けど実際は、悪戯好きでめんどくさがりで、寂しがり屋で、そして臆病だ。ボクたちには、その素顔を時折見せてくれる。その素顔が、最近何か考え込んでいる。

 

 

 

 ある日、遊びに行くと、ハルは病室ではなくモニタールームにいた。インターネットを使わせてもらっていたらしい。

 

「パソコン、いえ、キーボードですね。すごく、指を使うんです。いいリハビリになるでしょう?」

 

 歴史の教科書を、そのまま書き写ししているらしい。「満足に動く指はまだ少なくて、まだまだかかりそうです」なんて言うが、ハルの指は別の生き物みたいに滑らかに動いていた。まだ小指と薬指が全然ダメで、なんて言うけれど、三本でも充分に見える。

 いったいどこを目指しているんだろう。

 

 一通り遊んで、帰り道。ゼロが気付いたことを教えてくれた。パソコンは、作業の為の画面を何個か同時に開けて、それをタブで選べるって。あの打ち込んでいたテキストの他についていたタブはインターネットのブラウザってやつで、覗き見た時に見えた見出しの数文字は、とある峠での車の事故について。彼は自分の事故について調べていたようだったと。

 

 それは、いいリハビリになるんだろう。

 でも一日や二日で、あんなにキーボードの入力が上手くなるわけがない。

 ハルは、いったいいつから、何を調べているんだ?

 

 

 ■

 

 

 最近久しぶりにパソコンを触ったが、よくよく考えたらキーボード入力って凄い指を使う作業だった。それに記憶より手の大きさや指の長さが違うから、感覚が上手いことつかめない。

 ただ、リハビリにとても良い。同じ理由で、楽器とかも覚えるといいかもしれない。リコーダーとか、鍵盤ハーモニカ?私、アイーダ位しか弾けないんだけど。

 

 車の爆発炎上を伴う派手な事故なんてSNSで話題になるだろと思って検索してたが、思ったよりSNS自体がまだ発展していないらしい。峠なのに、走り屋にも不人気なのか?なんて思ったが、どうやら現代より少しばかり時代が前の様で。インターネットより、リアルな知り合い間の口コミの方が情報は出回ってそうだ。

 そりゃ小さな名探偵が最新を更新し続けてるのだろうし、本編では立派な公務員してたあむぴがまだ小学生ってことは過去編。ならそうなるか。

 テレビもパソコンも携帯もまだ四角いし分厚いしでっかいし、タッチパネルはなぁにそれだし。でも知らない間に最新機種が出てきそうな気もする。なんだか妙。でも、仕方ないか。

 辛うじて某掲示板ならガチガセオカルト入り乱れてはいるものの、まともに情報収集できそうだ。

 

 

 その日も朝からカタカタッッターンしてエンターキーで遊んでいると、警察の方がいらっしゃっていると看護師さんに呼び出しをくらった。

 

 なんか進展があったんだろうか。

 

 

 

 面会用に開けてくれた狭めの小部屋で、見知った顔の小児科の先生と、私の事故の担当刑事の小林さんと、もう一人。スラッとした長身の男性がいた。大きなメガネの奥に、キレイな青い目。うーん、これは美形。この世は美形しかいないのか?

 

「こんにちは、スバルくん。今日はお客さんが来てるから、よろしくね」

 にこりと笑う小児科の先生は、中野先生。この人は四角い眼鏡で背が高くて、さわやか系のおじさま。小児科なのに子どもを相手にしている印象より親御さんを相手に相談事とかのお話ししてる印象がある。あと景光くんの担当の先生と話してるところを良く見かけるせいか、精神科の人との方が仲良さそうな気がするんだよね。私達の話してるからだろうけどさ。

 

「やぁ。こんにちは、今日はよろしくね」

 んで小林刑事。こちらは縦に短くて顔が丸い感じの人。なんだかポンの気配が漂うけれど、人が良いだけかもしれない。

 私の事故っぽいあの山のあれこれを、私の身元含めて色々調べてくれてる刑事さん。刑事さんって、事件じゃないと動かないものなんじゃないの?って最初の頃に聞いたが、なんでも小林刑事の知り合いがまだ怪しんでるから調べてる所なんだとか。怪しいの?って聞いたら凄いはぐらかされたけど、いや私でも思うよ。

 だってここは小さな名探偵のミステリ世界の可能性大だし。

「こんにちは、小林刑事。……それで、ええと。はじめまして。あなたは、どちらさまですか?」

 そして最後に、初めて会ったイケメンな青年。にこにこしている顔がこう……なんでか楽しそう。

 

「はじめまして。私は、工藤優作という小説家だよ。聞いたことあるかな?」

 

 

 スラッと美形が工藤優作氏でござった。

 

 ふんわりしか作品を知らなくても知ってる名前だ。工藤優作。確か、大人気な小説家。ハワ親の語源で、小さな名探偵の上位互換である生みの親の片方!

 私は知っているが、『私』はどうだか。知ってる?知らなそう。知らんよね、たぶん。

 

「すいません。知らないみたいです」

「そうか。でも、君の事を私は知っているかもしれない。

 いくつか、確認してもいいかな?」

「はい? ええ、と、大丈夫です……覚えていなかったら、すいません」

 

 工藤優作氏が『私』のことを知っているって……?

 何繋がりで?てか私は『私』のことを知らないから、聞かれても答えられない未来しか見えないんだが。

 わざわざ椅子に座る私の前にやってきてしゃがみ、目線を合わせてくれる。片膝立ててしゃがむ姿も絵になるなこの人。

 

「君のその髪。地毛かい?」

「……はい。地毛です」

「目の色は?」

「目が小さくてすいません。こう……見えますか?」

「うん。ありがとう」

 

 頭を撫でられたり、目を見開いて見せたり。ちなみにうっすい糸目の私の目の色は青である。外人顔!!

 そんな顔をマジマジと眺められて、こちとら美形に覗き込まれてタジタジだ。

 矯めつ眇めつこねくり回されて、キャスター付きの椅子の上でちょっと圧に負けそうになっていると、ようやく解放された。

 ひと安心だが、ちょいと離れたところでこそこそと話をする小林刑事と工藤氏二人。中野先生は一歩後ろで彼らを見ていて、視線が合うとにこと笑いかけてくれた。イェーイ、見てるぅ。

 

「工藤さん。どうですか?」

「ええ。面影はあります。やはり、彼の血縁だと思います」

「そうですか…」

 

 そこの小林刑事のガッカリした様子の声、聞こえておりますとも。『私』の外見が、工藤優作氏の知り合いに似てるって話?

 でもその口ぶり、『私』の存在は知らないような、出会ったことは無かったような?

 

「だとしたら、母親は……」

「小林刑事。彼の前です」

「あっ…すいません」

 

 何何の何?小林刑事とさらにこしょこしょ話している。子供の前では難しい話?

 ならなんだろう。母親が何かアレだって?

 

「母親、とは、……『私』の母親が、何か関係があるんですか?」

 

 死んでる、とか、出生届に母親の記載がないとか?私ってば出生届ってやつを詳しく知らないから、そんなの受理されるのかも知らないんだけど。そもそも私の戸籍どうなったんだ?

 ギョッとした小林刑事と、きょとと目を丸くした工藤優作氏。先生は見ているだけらしい。私の反応を見てるのか?

 

 工藤氏が私を訊ねてきて、何かを確認する。

 何かがわかったから、それを確かめる為にするってのが“確認”だろう。なら、

 

「事故にあった男性は、『私』の父親で確定なんですか?」

 

 証言なんてのがあやふやで、使い物にならない私を、外見だけ見ての確認作業。

 となりゃ見た目が似てるかどうか、ってだけしかない。他は……思いつかないなぁ。

 工藤氏が、先生、小林刑事とアイコンタクト。小さく頷き合うお二方。それで、ゆっくりと目を閉じて、そして真っ直ぐに私を見た。

 

 

「────歯の治療痕がね。日本には記録が無かったが、海外で活動している私の友人の記録と照合したら、一致したんだよ」

「ちょっ、工藤さん!」

「彼は、聞いてくれると思いますよ。強い子だ。大丈夫」

 

 小林刑事が慌てているが、そうだろう?なんて私に微笑む工藤氏。思わず笑い返してしまった。確かに私は特に思うことはないけれど、『私』がどう思うかはわからない。

 にしても、これがイケメン…未来のイケおじ……ちょっと年取るだけで工藤新一はこうなるのか。

 

 あれ?この工藤優作氏、何歳?そもそも作品の本編中では何歳なんだ?高校生の息子がいるなら、それなりに歳もいってるんだろうが。四十代?今の見た感じは二十代前後ぐらいか。成人してるかも怪しい。

 

 ……んん、良い顔に流されるところだった。今、事故を起こした炭化遺体の身元が、分かった話ってことで良かった?

 

「────て。それ、断定できたんですか」

「ああ。断定というか、その記録を元に彼だと想定した上で、日本での足取りを調べた結果、事故前日に羽田空港で入国した記録と、監視カメラに子供連れで映る姿、そのままレンタカーを借りた記録まで確認出来ている。事故車両の車種と彼の借りたレンタカーも一致しているからね。他は目撃情報を探る程度しか出来ないが、ここまで情報が拾えたなら、まず間違いないだろう」

 

 確認できないことが多いって話だったが……日本での? やはり、『私』は海外から来てたのか?

 

「そして、その数少ない目撃情報の証人の一人でもあるのが、この私だ。──彼は私の友人でね」

 

 工藤氏が、その友人、こと、『私』の父親と目算される人物についてを話してくれた。なんでもちゃんとした仕事についていた人ではなく、多少、結構、わりとかなりの、自由な人だったらしく。仕事内容も多岐にわたる、なんでも屋のような人であったらしい。あっちで資料の写真を撮ったり、こっちで物を運んだり、そっちで人を捜したり。

 時折、工藤氏の編集殿に依頼されて、逃亡先まで捜索し、現地で編集との橋渡しなんてのもやってたそうな。……逃亡?物騒だな。

 そんななんでも屋の規模が世界規準のワールドワイドな活動範囲してた辺りが、流石工藤優作氏の友人と言うべきか。

 

 事故のあった日の朝、突然何の前触れもなく、彼は工藤氏の元を訪れたという。たまたま自宅に居たから良いものを。

 

「『息子を、一度、母親に会わせてやりたくて。』と言っていたんだ」

「……母親に?」

「ああ。その息子だという…車に乗っていた君とは、私は会ってはいないんだがね。朝も早い頃だったし、上がって茶でもと薦めたが断られて、そのまま別れたんだ。また今度息子を連れて訪ねるよ、と最後に言っていた」

 

 なるほど、だから『私』と工藤氏は面識は無いし、工藤氏もそのお友達から息子だ、と紹介されただけ、と。

 工藤氏が、小林刑事の言うまだ怪しんでる人だとすると、この事故はきっと事件なんだろう。

 

「でも、私の知る彼と、君は本当に良く似ているよ。だからきっと、彼の息子だというのは本当だ。

 それで、彼の身元がわかって、彼の一人息子の身元もわかった。つまり、これが君だ」

「本当に?」

「ああ。私が話して良いかい?」

 

 つい、小林刑事の方を見る。渋い顔だが、頷いた。先生は、目が合うとにこと笑うだけ。このまま、私が頷けば工藤氏に説明させるつもりらしい。

 もちろん否やは無い。『私』がいたことが証明されようとしている。

 いいことだろう。良い事だとも。

 

「……お願いします」

「うん。

 彼は、以前『息子に自分と同じく星の名で読める名前を』と言っていた。

 君の名前は、彼が『ある日に見たすばらしい夜空にかけた願い』から、『素晴』。素晴らしいと書いて…『オキヤ モトハル』だ」

 

 

 工藤氏に合わせて、小林刑事が机に出してくれたのは一枚の紙。パスポートか、何かのコピーらしい。全文英語だが、名前の欄にはローマ字表記で『MOTOHARU・OKIYA』とある。漢字まではこれではわからないが、唯一の手がかりたる工藤氏が言うならそうなんだろう。

 

 ──もとはる? “昴”じゃないのか。

 

「どうだろう。何か思い出せたかな」

「…………」

 

 工藤優作氏が私の反応を待ってるのはわかるが、こちとら大混乱祭中なのだ。少し待って欲しい。

 

 この外見でオキヤスバルって名前なら、安室透もとい降谷零もといバーボンを見た時になんとなく察したからまだわかっただろう。それはいい。

 

 存在しねぇんじゃなかったのかとか色々あるが、そこは元より曖昧な記憶だ。本当に今はどうでもいい。

 

 モトハルだって?

 

 この紙は、イギリスで取得されたパスポートであると主張している。オキヤモトハルが、『沖矢素晴』という人間が、イギリスで生きていたと言っている。

 『この身』は、『私』は、イギリスで過ごし、父親と共に日本に来たのだと。

 

 来歴がわかった。良い事じゃないか。

 イギリス。イギリス人か。

 

「────私は、イギリスの人なんですか?」

「……イギリスで暮らしていたのは確かだ。君は父方の祖母と暮らしていたが、その祖母が亡くなって、身寄りを求めて日本に来たようだからね。断られたのか、それとも会えなかったのか、はたまた会いに行けなかったのかは定かではないが、親戚を……母親を頼って来たのは間違いないだろう」

「……」

「言いたいことはわかる。『その母親が、今、自分のことを探していないなら、引き取ることを拒否した』可能性も考えられる。…………いや……そうか、本当に君は賢い子だね」

 

 

 工藤氏が安心させるように私の手を握り、微笑みかけながら優しく語りかけてくれているが……それはそうで、『私』としてはそうなんだろうが、私としてはそんなのはどうでもいい。知らん顔した知らん親なんて、私には関係ない話。だが『私』はそうではないんだろう。情報だけ見れば、母親はきっと真っ黒だ。

 だからこんなにぐるぐると、不快感が胸の中で渦巻いているのか?

 否。これは私の不安だろう。

 

 イギリスで、世話になった祖母がいなくなって、きっとあちらに居たであろう友人と別れて、聞く限りではちゃらんぽらんの親父に連れられて、会ったことの無い母親に会いに来て。

 

 さぞや心細かったろう。

 

 だのに、事故になんかあって、爆発に巻き込まれて。それで咄嗟に抱えたのが、自分の名前の手がかりになりうるものだったと。

 そこまで来て最後にしがみついたのが、自分の名前?

 これまでの今までの『オキヤモトハル』が、彼を形作った全部から丁寧に引き剥がされて、それで最後の最後に残ったのが、この外見と、名前だけ?

 

 

 そんな出来すぎた話があるか。

 

 

 ありえないとは思う。でも、何より今の私こそがありえない。

 『オキヤモトハル』が、綺麗に過去を消去された『この身』を、名前と外見以外は不要とばかりに丁寧に全部無くされたこの身体をのこして、のこったところに私はいるなんて、そんなの。

 

 まさかと思う。でも、もしかしたらと、思ってしまった。可能性を考えてしまったら、もうダメだ。私は他人の体を奪っていた。そのうち『彼』は目覚めるだろうとなんとなく思っていた。簡単に世界について考えていた。気楽にへらへらしていた。手がかりから呼ばれる名前に、この外見ならそうなんだろうなんて簡単に考えて。これまで生きてた、『彼』はたぶんもう、いないのに。

 『彼』が、どれほど、どれだけ、『モトハル』を……これまで生きてきた『モトハル』を大事に思っていて、それが何のために私に奪われてしまったのかを考えてしまったら、もう、ダメだ。ここまで、私は私になってから『スバル』と呼ばれて、そうだと思って過ごしてきた。

 何の意思が働いてか、それとも偶然か、神とやらのイタズラか。私がここにある意味は。

 

 

 何かが、私にスバルを名乗れと言っているらしい。

 

 

 

 ♠

 

 

 

 何かに強いショックを受けているのは分かった。父親の死には、あまり動揺していなかった。

 ならば母親からの拒絶にか?

 だがこれも、恐らくはそれ程気にしていない。

 もしくは、自分が日本人ではなかったことに? 母親も、どこで産まれたかも定かでない彼だが、父親はほぼ確実にアイツだ。大きくなった時に国籍選択でどこを選べるかは、あの父親が確定してさえいればイギリスか日本かは選べるだろう。

 

 薄い唇が固く引き結ばれて、整った眉も顰められているが、先程見せてもらった青い目は、今はしっかりと閉じている。あの男に似た紅茶のような癖毛が目元を隠して、小さな彼の白い顔を一層青白くさせて。

 やがて、彼はゆっくりと口を開き、小さく息をついた。短い深呼吸。

 

「…………わたしは、彼じゃない」

 

 今までの、子供らしからぬハッキリとした口調ではなく。ぼんやりとした、つい溢れてしまったような、弱音のような言葉。くしゃりと、口元が歪み、火傷跡の残る手がじわじわと握り締められていく。

 

 これは、まずい。

 

 小林君が安心させようとしたのだろう。彼にさらに資料を提示してしまう。後ろで中野先生が息を呑んだ。

 

「いいや、君は確かに素晴君だ。あちらから資料も送ってもらい、照合も進んでいるよ。今、親戚の人を探しているから、じきに──

──「“私”は! 『モトハル』じゃない!!」

 

 青い目を精一杯に見開いて、そう叫んだ彼は、咄嗟に止めようと握り直した手も振り払って部屋を飛び出して行った。勢いで彼の座っていた椅子が、慣性でカラカラと虚しくキャスターを滑らせる。

 

 あまりにも落ち着いた様子で、きちんと理解した受け答えと、笑顔も浮かべ頷く姿にこちらも油断があった。取り繕っている様子もなく、大人びた言動は聞いていたより少し緊張も見えたものの、話の内容としては全体的に落ち着いていた方だろう。

 

 全くの見当違いだった。

 

「……彼はいったい」

「ああ。……申し訳ない、中野先生。小林君。私は、勘違いをしてしまっていたみたいだ」

「勘違い…ですか?」

「彼は確かに賢いが、強い子では無かったらしい。いや……強い子ではあったんだろう。

 どうやら、彼について何か情報の見落としがあるようだ。私としたことがとんでもないミスをしてしまったよ」

 

 少年が走っていったのは、彼が寝起きする病室の方。あれほど中野先生から気を付けるよう言われていたというのに、消息の掴めなかったアイツの手がかりに辿り着いた嬉しさから、やや焦ってしまったのは間違いない。

 

 案の定、彼の担当である小児科の名札を付けた“精神科の”中野先生は真っ青になって「そうですか」と、深いため息と共に呟いた。

 

 

 ♠

 

 

「私は、彼は、解離性同一性障害だと考えています」

 

 面談の前、中野先生はそう切り出した。

 

「今支配権を持っている彼を、彼の友人に倣って『ハル君』とします。

 ハル君は、事故の前の自分についてを何も覚えていないと言います。彼は、目が覚めたら病院で、自分が誰かわからないし、何故怪我をしたのかも、それまでどこで何をしてきたかもわからなかった。言動は極めて温厚、精神年齢は高く、身近な歳上の人物を模倣したものと思われますが、その知識量は年齢に見合わず、時折大人も凌ぐ知識を見せます。治療には積極的、また大変協力的ですが、自身に『モトハルくん』の記憶は無い事を彼なりに理由をつけて理解している様子もありました」

 

 小林君が首を捻っている。

 

「自身は、記憶の共有のある人格ではないという認識である、ということですか?」

「……ハル君の認識では、恐らくモトハルくんと自分とを完全に別の存在だと見ている様です。典型的な憑依型ですが、特殊な、というのはここでして。

 主人格であると思われるモトハルくんと思われる人格が、全く反応が無いんです。事故以来、一度も確認されていません。そうなると、ハル君が記憶喪失によって仮に形成された主人格なのか、それともハル君とは完全に記憶の共有の無い主人格のモトハルくんが別に存在しているのかが、判断がつかないんです」

 

 彼の精神的な面への治療が進まない原因がそこだと彼は言う。記憶喪失の回復を優先すべきか、極度の精神的負担が原因で目覚めないと思われる主人格の目覚めを待つべきか。

 

「ハル君のフリをして、モトハルくんが表層に出てきていた可能性は?」

「有り得ます。その場合は、外からの判別は非常に難しくなります。我々は注意深く見ているしかありません。ですが、ハル君はかなり賢い人格です。正直、子供とは思えません。学力的にも得意不得意はありますが、一般成人並と言えます。

 その彼が、自分の中に別の人格の目覚める気配を感じていない様子で生活している。その彼のフリをしているとしたら、モトハルくんはあの大人びたハル君以上の賢さを持つ可能性があります。ハル君ですらああなのに、あの年齢ですから……そうそう無いことだとは……思いますが、そうなると、正直……私は見抜けるかわかりません」

「モトハルくんとハル君が別人格だったとして、ハル君を生み出して自分は心の奥底に沈んだ要因は……」

「事故が切っ掛けであるのは確かでしょう。ただ、それまでに推測するだけでも…世話になった祖母との別れ、住み慣れた土地から離され、友人とも別れ……実母からの拒絶があったかはわかりませんが、もしあったならばそれも。幼い心には、負荷としては過剰な程には充分に。……でも、刑事さん達はもう一つ、別の可能性も考えているんですよね?」

「…………彼の実の母親が、事故に見せかけて沖矢…父親と彼を殺そうとした可能性、ですね」

 

 素晴少年の事故には不可解な点が多い。極端に少ない目撃証言と、空港、レンタカー会社、工藤優作宅、そして事故現場以外の足取りが全く掴めないこと。

 崖下へと、ガードレールを突き破り勢いそのまま飛び出したが、ブレーキ痕が存在しないこと。

 更に、いくら爆発炎上したとしても人体が身元の確認が困難な程炭化するまで燃えることも、車体から飛び散った破片からも、事故の当事者達の身元に繋がるものが何も見つからないというのもおかしい。

 素晴少年が無事であるのだから、燃え残ったパーツや物が、存在するはず。しかし確かに存在する筈のものが、どこにもない。ナンバープレートを始め、身分証、旅行の荷物、人物の所持品も、車がレンタカーであった証も、何も残されていなかった。そもそも、それが車内にあったかすら怪しいくらいに不自然に。

 むしろ、それぞれの手にあった十徳ナイフと望遠鏡が普通に車に乗っている際の人間の持ち物ではないため、異質に見えてくる。何かの意図があるのかと勘ぐる程には、手がかりが何も無い。

 

 最後に、事故のあったとされる時間。当日の朝、工藤宅で姿を確認されたが、事故があったと見られる峠道は交通量が少ないとはいえ、車通りや人目がまったくないわけではない。

 しかし通報は夜の8時である。麓の民家から、山から黒煙と赤い炎、との火事の通報でようやく事故が発覚した。近くの森林に延焼は多少あったが、広がってはいないため、事故から発見まではそう時間はかかっていない。

 峠道で事故を起こしたのは、夜。

 朝から、夜まで、彼らはどこかで何かをしていた。

 

「彼の……モトハルくんの実母が誰かは未だ不明。ですが、彼の母親に会いに行った、という証言しか現状彼らの手がかりはない。

 1つの手がかりとして。彼らは何者かによって、ある意味では巧妙に、またある意味では杜撰な計画性のある手法でもって事故のように見せかけて殺された……事件の可能性。

 そしてもう1つの推測…唯一の生存者の少年は強いストレスにより心の防衛反応で深く沈み眠りこんだらしい、という現状。

 モトハルくんは、事故の原因または大きな手がかりを目撃している可能性がある。

 本当に事故だったのか、それとも何者かの故意か。はたまた、後から何者かによっての介入があったのか……

 彼の証言は、重要な証拠になりうるだろう」

 

 そして、これが殺人事件だった場合。

 彼らが彼らであると、特定されるまでは許されているが、その彼らが殺されるに至った原因を、突き止めるための手がかりはいっそ清々しい程に無くされている事が、何よりも引っかかる。

 

「沖矢。君はいったい、何に手を出したんだ?」

 

 彼が最期に、唯一とも言える手がかりを遺した相手がこの工藤優作であり、そのメッセージは『息子を母親に会わせる』こと。

 これを、犯人は想定していなかったのなら、犯人は自ずと決まる。あとはどこの誰なのか特定すればいい。殺された友人の仇だ。なんとしてでも見つけ出してみせる。

 

 しかし、彼が『工藤優作に』遺言を遺すことまで計画に組まれていたのなら……その犯人の、狙いは。

 

 

 *

 

 

 

 宿泊学習の林間学校で二日間遊びに来れなかったけど、この日。学校終わりに、ハルに会いに来た。レクリエーションで、昔ながらの日本の遊び道具をたくさん作ったのだ。竹とんぼ、ゴム鉄砲はボクたちの手作りで、自信作。早く見てもらいたい。病院の中庭は広いし、ゼロにちょっかい出す奴らも居ないから、ボクたちにとってはいい遊び場でもある。

 でも、いつもなら開け放たれてるハルの病室のドアは閉じられて、扉の前には彼の事故の調査を担当していた小林刑事が長椅子に座ってた。彼も気付いて、ボクたちを手招きしてくる。

 

「刑事さん!こんにちは!」

「こんにちは刑事さん。ハル、診察中?」

「こんにちは、景光くん、零くん。……今日はちょっと、二人にお話しと、頼みたいことがあるんだよ」

「「頼みたいこと?」」

 

 小林刑事は、なんだかちょっと疲れた様子。背広もくたびれて見えて、こうしているとまるでサラリーマンみたいだ。

 病院内で騒ぐのは良くないし、ハルの部屋がとても静かで落ち着かなくて、ボクたちは小林刑事の横に大人しく座った。ボクたちの持ってる竹とんぼとゴム鉄砲を、小林刑事が見つけて懐かしいね、なんてこぼす。

 

「刑事さん、知ってるんですか?」

「ああ。おじさんが君たちくらいの頃は、田舎の子供なんてすることもなくて……いやぁ、本当に懐かしいね。どうしたんだい?それ」

「宿泊学習で行ったレクリエーションで作ったんだ!ハルにも見せてやろうって」

「作り方も、ちゃんと覚えてきたんです」

「宿泊学習……そうか、だから」

 

 静かに扉が開いて、中野先生が出てくる。そうして彼も、ボクたちの顔を見てなんとも言えない顔をした。

 

「こんにちは、景光くん。零くん。また遊びに来てくれたんだね」

 

 こそと、声を小さくしている先生。ボクたちが来たって、ハルに知られたくないのかな?

 

「先生、ハル、どうしたの?」

「体調、悪いのか?」

「うーん、体調……というか……とりあえず、二人ともちょっと先生とお話ししてくれる?」

 

 ジュースおごったげるから、小林さんが。とのことでほいほいついて行った。患者さんのいない空き部屋で、コーラを渡されて話始めた中野先生の話によると、なんとハルの身元がわかったんだという。それはとても良いことじゃないかと二人で喜んだけれど、大人たちは渋い顔。なんで?

 

「なんでそんな暗いんだ?アイツが、どこの誰かわかったんだろ?」

「色々と事情があってね」

「事情って?」

「その説明のためには、まず君たちに謝らないといけない。先生たち、嘘をついてしまっていたから」

 

 

 そうして、ちゃんとした話を先生は教えてくれた。

 ゼロはそれにとても怒った。でも、話を聞いて、段々黙り込んでしまった。ボクだってそうだ。

 

 ハルは、本当の名前を『モトハル』くん。あだ名は本当の名前の方にも似ていた。

 でも、『ハル』はこの『モトハル』くんとは違う人なんだって。どういうことか、わからなかったけれど、劇の役みたいなものなんだって。

『モトハル』くんは、昔のボクみたいにとっても怖いことがあって、痛くて、辛くて、苦しくてどうしようもなくなって、それでもう、全部がイヤになっちゃって。

 それで、全部全部、なにもかもを知らない事にしちゃったんだって。

 でも、ホントは知ってるのに知らないフリしても、自分の事はわかってる。嘘ついたりごまかしても、自分はわかっちゃう。だから、自分じゃない自分に『モトハル』を押し付けた。

 その押し付けられた『なんにも知らないモトハル』が、『ハル』なんだって。『モトハル』の代わりに、体が痛いのとか、お父さんがどうなったのかとか、住んでたところの思い出とか、そういう辛くて嫌な事を全部引き受けたのが…そういう役に成りきってる、『ハル』なんだって。

 

 「なんだよ!」と、ゼロが、椅子から立ち上がった。勢いで、一口呑んだだけのオレンジジュースが溢れてしまう。

 

「やなコト全部、ハルに押し付けてんのか?!」

「ぜ、ゼロ…」

「だって、ヒロ! …アイツ、ハル、なんもわかんないんだって、言って、でも、動かない手動かして、事故の事調べたり、時々すごい辛そうにしてるのに、大丈夫って、あんな頑張ってたのに、ぜんぶ……やっても、意味なかったってことか?」

「…………先生」

「……主人格を守るために作られたのが、彼だ。そういう人格、として彼はあるから、きっと記憶が共有されることはないだろう。『モトハル』くんが目覚めないから、なんとも言えないんだけれど。

 話を戻すよ」

 

 まだあるっていうのか。

 

「その彼がね、君の名前はモトハルくんだよと伝えられた時に、『自分はモトハルじゃない』と言って、逃げて隠れてしまったんだ。ここが、この反応が先生たちはどうしても引っかかってね」

 

 

  ❀

 

 

「ハル?」

 

 声を掛けて病室の戸を引くと、病室には鍵はかかっていなくて、ベッドのカーテンも引かれてないままで、なんならベッドにも居らず、窓の外の木を眺める様に、窓辺の棚に寄りかかって、ハルは立っていた。扉の方を振り返り、いつもみたいににっこりと糸目を弧にして笑いかけてくる。

 

「れーくん、みっちゃん!今日来る日でしたっけ?…ああ、みっちゃんの健診の日?」

 

 体調悪いと聞いていたのに、ハルの様子はあんまりにも、どう見てもいつも通りで、覚悟を決めてきたつもりなのに、こっちの表情が固まったのを感じてしまう。隣のヒロの方なんて、生唾飲み込む音が聴こえてきた。

 

「なんで、いつも通りなの?」

 

 そう、ヒロが思わず口からこぼしてしまった言葉は、隣のボクにも、部屋の反対側のハルにも聴こえたらしい。ボクらの後ろでスライドの扉が静かに閉じた。不思議そうな顔になって、首を傾げたハルが、はた!なんて口で言って手のひらを拳でぺそりと打つ。

 

「……あ! もしかして、一昨日の事先生に聞いたんですか?いやぁ、まいったなぁ。実はちょっと取り乱しちゃったんですけど、一晩考えたら、考えてもしょうがないってことに気付いちゃいまして」

 

 なんか、聞いてた話と違う。

 

『ハル君は、私はモトハルじゃない!と強く否定したんです。相当なショックを受けて、酷く不安そうな様子だったんですが、その原因がわからない。君たちも知っているでしょう?ハル君は、それを理由に逃げる子では無いんです。いえ、無いはずでした。……何かを見落としてる。それを我々大人では気付けなかった。君たちは彼の唯一の友人で、彼を『ハル君』にした君たちなら、何か……』

 

「そう、いや当たり前なんですよね。元々私はモトハルではないですから、名前がわかっても記憶を思い出すことは出来ないでしょうし。なんだか先生達を困らせてしまって、……申し訳ない事をしたなぁ。君たちにも、たぶん心配させちゃいましたよね。すいませんねホント」

 

 ヒロが、ボクの後ろでボクの服の裾を掴んだ感触がする。聞いてた話では、ハルは酷く不安そうで、何かを嫌がって、それで逃げ出したと言っていた。

 三日前に別れた時と、何も変わってない。

 けど間違いなく、何かが違う。

 

「そう。しかたないんです。こうなっちゃったんだから、受け入れるしかない。解決に向かって突き進むのみ!ってね。改めて立派に……あの、ホントに私、大丈夫ですよ?」

 

 誰だこいつ。

 

 

 ■

 

 

「いやあの、ホントに大丈夫なんですって。私の記憶はたぶん、戻って来なさそうってことで吹っ切れましたし、私が二重人格ってんならそういう事でもう良いですし」

「……しかしだねぇ」

 

 零くんに酷く睨まれて、景光くんに酷く怯えられて、中野先生が慌てて病室に入ってきて、なんかすっごく悪いことした気分で、申し訳なくなった。

 始末がつかなくなって、改めて説明した方が良さそうだと考えて一旦落ち着きませんかと声をかけたらそれをお前が言うのかと呆れられた夕方。

 

 先生にお願いして、病院の面談室にてモトハルくん関係者大集合。お忙しい工藤先生まで呼びつけましたとさ。

 

 

 一晩寝て頭の整理つけたらマジで吹っ切れただけなのに、一回不安定な所出したら滅茶苦茶心配されちゃって申し訳ない気持ちでいっぱいなう。

 

 あの時は本気であーもう無理マジ無理神様仏様!って感じだった。

 私はモトハルくんの体を奪ったし、私は私の、元々の私という存在についての情報を何も覚えていない。事実がそこにある。どこの誰でいつごろまでどこのなんて仕事してた人物なのか、なんにも思い浮かばなかった時はアイデンティティってのが木っ端微塵だったんだけど、一周まわって考えてみたら、なんか以前中野先生のポロリした情報が私の頭に天啓をもたらしたのである。

 二重人格!

 つまり……モトハルくんはモトハルくん!私は私!

 

 いや、二重人格ならなんでこの世界を創作物だと思ってるんだよとか色々あるけどね。考え方の話。

 

 我思う、故に我あり ってやつですよ。

 

 私って誰だろう?って考えた時点でこの世界に私は存在してるし、他者から観測されてる私もいるんだから、観測できない私はひとまず置いといて、ここの私について考えれば良いのさってね。

 同じ理論で、モトハルくんについては存在を今現在観測できないんだから、モトハルくんへの失礼無い様最大限尊重した上で、有難くこの体を使わせてもらおうってね。

 戻ってきたならその時はその時相談すれば良いのさ。

 結局頭の出来は良くても使い方が悪い私が考え過ぎたところで、ろくな事になんないんだから。解決出来ることから片付けていきたいですってこと!

 

「二重人格ってんならそれで良いですって、なんか、精神疾患持ちを主張して減刑求めてくる犯人みたいですね」

「ハハハ、言い得て妙ですね〜」

 

 小林刑事が口を滑らせ、周りからの視線に縮こまるのをフォローしてあげたのになんか複雑そうな顔される。二重人格ってそういう使われ方するじゃん(悪用)。あと多重人格とか主張して、他人からの心配を得ようと画策するんでしょ(悪用)? だから、え〜小林刑事上手いこと言うな〜なんて思ったんだけど。

 

 たぶん私二重人格ではないし。これ魂の憑依的なオカルトな話だと思う。

 

 ……なんかホントに心配させちゃったんだな。良い人たちだからマジで申し訳ない。

 

 コホンと、工藤氏が咳払いして話の流れを戻した。

 

「改めて、無理はしてはいないのかな?」

「ええ。何も無理してはいません。ただ、考えてもしかたないことを保留した、という意味で、問題を先延ばしにした形にはなります。なんせ、モトハルくんは現状私にも存在がわからないくらいですから」

 

 保留したのは、いくつかの今考えても答えの出ない事柄。モトハルくんの事。元々の私の事。今私がモトハルくんになっている事。そこら辺はなんの情報も無いからね。

 

「いずれ向き合う必要は出るでしょうが、今は置いておけると思ってます。そう考える事が、私が安定する選択だと思うのですが、これって大丈夫そうですかね?」

「ええ、まぁ……状況的には、安定している様子なのは…確かですよね」

 

 中野先生が困っている。小児科の先生だと思ってたけど、実は精神科の先生だった中野先生。気難しい年頃のこんなクソガキの心と頭のケアしなきゃいけないなんて、大変だなぁ。

 

「次に、私の…私と父の事故についてですが。工藤先生、この件は、事故ではなく殺人事件なのでは、とお考えですか?」

「そうだね、その可能性は捨てきれない。もし彼が何者かによって殺されていたのだとしたら、その被害者である沖矢の友人の工藤優作としては、犯人を必ず見つけ出してみせるつもりだ」

「わかりました。手がかりである私がこんなことになってしまっている以上、とても難しい件だと思いますが、あなたの頭脳を信じます。可能な限り協力します。どれだけかかってもいい。真相を突き止めるためのご助力を……協力を、お願いします」

 

 頭を下げる。テーブルの向こうで、大人たちが慌てている気配を感じる。

 難しい事件だ。だが、たぶんそれは間違いなく『事件』だ。とある峠道……“来葉峠”での、車両単独事故。ただし、事故車両は不可解な点が多いものとする。

 そしてこの探偵ミステリーラブコメ世界で、世界的にもトップクラスを争う頭脳の持ち主の、友人の、事件。

 

 そりゃ、なんかあるでしょ。

 

 逆に無かったとしたら、これらの件は完全無欠に“沖矢昴”のためだけの事故だった事が証明されるから、それはそれで私個人が助かる。

 ……なんなら、元々のお話でも沖矢って友人が殺されてる事件があったとか……?沖矢の名前が出てくるにはあんまり、普通の名前じゃないもんね。

 うーん、ここはわからないから保留で。

 

 肩に優しく手を添えられ、顔を上げると、工藤優作が真剣な顔で、青い目をこちらに向けていた。

 

「──君は、真相を知りたいんだね?」

「はい。それが私の…『私』のためにも必要なことです。何年かかるか分かりませんが、依頼料は必ず用意します。どんな真相であったとしても、必ず支払います」

 

 世界的な名作家で、そうとは名乗っていないが紛うことなき名探偵。その貴重な時間を借り受けるんだ。幾らになるかわからない。でも、彼の力を借りれば、絶対に真相には辿り着けるだろう。恐らく、彼はこの世界ではそういう立ち位置の人物だ。主人公の父親で、ハワ親の語源なんだから。

 

「……そうか。わかった。私は探偵ではないが、友人の忘れ形見の頼み事だ。引き受けるよ。…そして、依頼料はいらない。代わりにこちらも頼むことがあるから、それでトントンだ」

「頼むこと?」

「その話はまた後で。まだ、君からの話はあるんだろう」

 

 頼み事ってなんだよ。怖ぇよ。でも名探偵達光側のこの人だから、酷いことでは無いはず。だと思う。思いたい。

 怖いことは後でのお楽しみにね、怖いけどそういうことにして。次は景光くんと零くんに。なんでか知らないが怖がらせてしまって、今も変なもの見る様な顔で見てくる彼らには、ちゃんと前みたいに友人として付き合いたい。

 なんでそんなに変な顔してるのかわからないんだけど、きっと心配させてしまってるのが問題なんだと思う。

 だから──

 

 

 ♠

 

 

「…………私の名前を、変えたいんです」

 

 顔を上げた彼は、糸目の奥に確かに青い色を覗かせて、彼はハッキリとそう言った。

 

「私の戸籍が現状どうなっているかはわかりませんが、可能であれば、変更を希望します。最悪普段の呼び方だけでも変えられるならば。

 私は、『オキヤ モトハル』じゃない。

 ……いえ、吹っ切れましたし、そこまで気にもしてないのはまちがいないんですが……その。彼は彼なんです。私は私なんです。人格がどうとかは、面倒なので別になってるってそういう事で良いんです」

 

 事故の前と後の自分を別のものとして考えているし、そう扱って欲しい、という。

 

「私は目覚めてから、スバルと呼ばれて過ごしてきました。みっちゃんやれーくんには、『ハル』って素敵なあだ名ももらいました。

 だから、私はスバルくんなんです。そして、みっちゃんやれーくんのお友達の、ハルなんです。……できれば、私はそう呼ばれたい」

 

 可能でしょうか。

 そう言った彼は、今日一番の緊張に、ほんの少しの不安と、確かな決意を込めた表情だった。

 

 

「……だから……れーくん、みっちゃん。私をまたハルと、お友達の、ハルと、そう呼んで下さい」

 

 最後の最後に、寂しそうにそう付け加えて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて諸々あったが季節は冬。寒いけど都内は滅多に雪が降らないので、窓から見える景色は白くない。多少積もっても、長く残ることもない。

 

 冬の景色が白くないことに違和感を覚えるけれど、冬と言えば雪が降り積もるもの、という意識があるからだと思う。

 

 

 私は大丈夫だから心配しないでね会議の後、それでも心配されながら日常生活に支障はない程度まで回復するのを待って、ついにようやっと明日、退院となった私。

 身の回りの整理整頓……もなにも持ち物は望遠鏡と、周辺小物と、景光くんたちや工藤氏からもらった暇つぶしグッズくらいしかない。たいへんミニマムな生活ですこと。増やす予定も無いけどさ。

 

 

 春に見つかり、夏の暑い盛りをクーラーの効いた病室で過ごし、秋にリハビリ頑張って、冬にようやく退院。ひととせ暮らした病院と、ついに別れの時が来た。

 

 でこぼこヤケドを切ったり貼ったりの手術に、注射ブスブスされたりレーザーで焼かれたり苦い薬飲まされたり。先生方が頑張ってくれてはいたけれど、これがただの子どもなら泣き叫んでそうな大変な治療三昧の半年でござった。私は流石に我慢出来ますよ。

 それだけかけてようやくまともに動けるようになったが、実はまだ指は満足に動かないし声はがさがさだし風呂は禁止(シャワーのみ)だったりスポーツダメだったり。なんでも風呂も合わせて体温が上がりすぎると、汗での体温調節が上手く出来なかったり皮膚が痒みを感じたりして色んな意味で危ないらしい。

 まだまだ通院頻度は三日に一回だったりと結構不自由だ。ただの子どもだったら時折ひび割れて血のにじむ皮膚に泣き言言っていただろう。流石に──

 言うて朝起きて手の包帯が血塗れだった時は我ながら結構焦ったかな。痒くて、掻き毟りはしないんだけど、無意識に自分で布とかに擦ってたりする。治りかけが一番キツいまであるね。

 

 

 そんな半年の入院の治療期間に何かあったのかと言われると、病院での治療とリハビリに次ぐリハビリの毎日だったのでそれほど語る事は無い

 ……わけでもない。結構出来事はあった。

 要因は大きく3つ。

 

 まずひとつめに、小さな私の友人二人について。

 

 

 ■

 

 零くんと景光くんは、あの後もちゃんと私と友人を続けてくれて、リハビリを手伝ってもらったり、こまめに会いに来てくれていた。

 

 景光くんは初めて会った頃から変わらず、ころころ良く変わる表情でややオーバー気味に学校での出来事や、自分を例にしてのハウトゥー社会復帰を教えてくれてたり。

 元々怖いことから来る心的ストレスで、大概大変な目に遭っていた彼である。おじさんおばさんのお家に来てからは、昔みたいに日常生活を送れるようにと、多少無理して昔と同じような態度を心がけていたらしい。

 暗い気持ちになると、暗い気持ちにしかならないから、明るい気持ちを思い出して、明るくなるよう頑張るのだそう。その心がけすらできない状態が一番危ないのだって、とのこと。

 少年、それはからげんきとも言うんではないかね。社会人の得意技だぞ。

 

 だから彼は普段、明るく振舞ってるのかぁ、と、なんだか彼の事を撫でてやりたくなった。実際撫でたら、「ハルも頑張っててえらい!」と言って撫で返された。照れるんだが。

 

 なお、景光くんの日頃の出来事話の内容の一割が零くんの喧嘩の話でしてくれる話題の四割が零くん関係。

 大丈夫?他に友達いる?……零くんに。

 

 そしてその零くんは、何故か私の元々の人格(と思われてる)のモトハルくんを目の敵にするようになってしまっていた。心配かけまくった私に怒るならわかるんだけど、なんでそっち?

 そうなったにも一応理由があるらしいのだけど、その理由を聞くと憮然とした態度でそっぽ向いて「モトハルはずるい奴だから」とだけしか言わない。

 そんな零くんの態度の一方、景光くんも「『モトハルくん』は、ボクの知らないハルだから……ボクもあんまり、……よくわからない、かなぁ」とのこと。まぁ私もモトハルくんはよくわからないし、そんなもんか。

 

 それでも、二人とも『ボクたちは、ハルの友達だよ』と言ってくれたので、細かいことは今はよいのである。

 

 はい保留!!

 

 

 ■

 

 そこ関連かはわからないけど、もう一つ進展。

 色々と手を尽くして調べてくれている工藤優作氏が、モトハルくんがイギリスでどんな生活してたのか、うっすらわかってきた事のいくつかを教えてくれた。

 色々私の予想と違ってて、びっくりしてしまった。

 

 彼はあちらで友人をろくに作らず、祖母と静かなド田舎暮らしであまり他人と関わらない、見る人によっては寂しいと見える生活をしていたらしい。

 その生活していた頃の地域と家を衛星写真を見せてもらったけれど、その敷地は広々としていて、基本自給自足で賄えるような大自然。ある意味のびのび育ってたんじゃないかなと私は思うのだけど。

 

 でも、ある意味さみしいそんな生活をモトハルくんが送っていたらしい……と聞いた友人二人は、ならば彼がした事の無いようなさみしくない楽しくて面白い物事を、私、昴に叩き込……教えようと決めて躍起になっていた。なんかもう勢いが凄かった。

 

 景光くんと零くんと私の三人で連れ立って、この昴という人物が初めて行うであろう事をどんどんやらせてくれたのだ。

 友人と遊ぶをメインにしたそうだったけれど、身体を動かす事が好きそうな二人に対して私はあまり身体を動かすことが出来ないのが、申し訳なくなった。色々なゲームや、自作のなぞなぞとか出してくれた。

 なぞなぞの答え?ハハハ……わかるわけないじゃないですか。いつも零くんや景光くんに解答速度で負けて、ヒント教えて貰ってようやく辿り着く、みたいなことばかりだった。出題は景光くんの方が良い問題出してた気はする。解答は零くんが一番早くて。二人とも頭良くて参ったね。

 リズムゲームとかは景光くんの圧勝だった。昔テレビのバラエティ番組で流行ったリズムに合わせて決まった動作するゲームとか、覚えてるやつやらせてみたら、早々に脱落する私と、長い戦いの末勝利する景光くんの構図が多かったっけ。なんだろうね、センスが良いんだと思う。

 ちなみにまだなのかされないのかわからないけれど、番組は放送されてなくて私の発祥ゲームって事で小児科で流行ってたらしい。どっかで見たゲームですって訂正してくださいお願いします。

 ……一応私の勝つゲームもあった。テレビゲームの勝率だけは高かったと思う。こればっかりは指三本動けば何とかなるもんだよ。

 …………というか二人がテレビゲームに馴れてないだけで、たぶんもうしばらくやってたらそのうち私負けそゲフンゲフン

 

 退院間近に迫った頃にはお祝いだと花火持ち込んだり、夜中に外出させようとしたり、ちょっとだけ暴走気味だった気がする。

 

 きっと、『ハル』の記憶に楽しい出来事を増やしてくれようとしたんだろうから、私から文句を言うつもりはない。実際、とても楽しかったしね。

 

 そうしてなんだかちょっと懐かしくなった。友人と楽しく遊んだりした記憶は、この私にもあったから。こういう時に戻りたいなぁって気分になる。戻れるのかなぁと……

 

 ……ええい、無駄なことを!保留だ保留!!!

 

 

 ■

 

 

 そんなこともありつつ、みっつめに。

 

 工藤氏は、沖矢さんの親族周りをかなり遠くまで調べてくれた。私の身元の引き取り先の為である。

 

 結果わかったのは、父方の親族は今現在にはゼロ。母親の情報も限りなくゼロって事だった。唯一可能性のある手がかりは私のDNAだけなので、照合先になるものも無いしデータバンクにも該当ないし意味もない。これも実質ゼロです。

 

 そう、天涯孤独である。

 このままでは施設行きである。

 

 孤児院?児童養護施設?保健所?…は犬猫か。そういう感じのところに行くしか無さそうな、でもそれも仕方あるまいと流すしかない。いないもんはいないんだからね。

 

 祖母の家や土地やらは既に売却済み。そちらの代金含めた沖矢家の財産やらは、沖矢素晴の父の口座にあった。一般人ではあまり見ないだろう金額がまるっとちゃんと入っており、工藤氏が法的に上手いこと片付けてくれて、私がちゃんと自立したらその何割かが私の所に転がってくるようにしてくれた。

 相続税とか難しい話は聞き流してしまったけれど、妙な無駄遣いさえしなければ、沖矢家の遺産からのお小遣いで私が成人するまでの諸費用払ってもおつりが出るそうな。なんてこと、金持ちじゃったか……

 ちゃらんぽらんな生活してても世界中飛び回れる程度には金あったんだからそうだったかもしれん。

 

 なにはともあれ入院費含め今後の私の費用問題はなんとかなるらしいので良かった。一応便宜とか措置とかあるらしいけど、私は法律関係は耳が遠くなってしまうので。

 

 名探偵世界で法律知らないってそれはマズイ?

 その説は百理ある。

 

 悪いことしなけりゃ良いんじゃないの〜??

 

 ……流石にちゃんと考えます……。

 

 

 ■

 

 

 それは、このまま退院後、施設行きになったとして、引き取り先の人に金銭的に迷惑はかけないが、あまり良くない人だと逆に金を毟られる結果になっちゃうから保護者になってもらう人は慎重に選ばないとね〜という話が上がった際のこと。

 そんな私の話を耳にしたのか、工藤優作氏がまたもや手を貸してくださった。

 

「私の友人のところではどうだろう」

 

 来てくれたその時は、すわこれ主人公の家ってコト?!と思ったら、友人殿らしく。

 

 その後面談に連れてこられたのは、大きな丸メガネと丸い鼻、丸いからだとフサフサの髭のおじさん。

 

「ワシは阿笠博士といいます。はじめまして、沖矢昴くん」

 

 ………アガサヒロシ………あっ!阿笠博士!「ワシじゃよ」の人!

 …………の若い頃!!

 

 阿笠博士の名前は実は黒幕だとかワシじゃよとか爆発は春の季語とかのネタで知ってるぞ!

 詳しいことはわからないけれど、友人曰く作中のファンタジー三銃士の中の1人で、博士の超技術探偵道具によって小さくなった名探偵は超人じみた活躍を出来るようになってるって話だったはず。

 他のファンタジーはバトル漫画の住人と、あと一人はなんだったかな……

 

 この度来てくれた阿笠博士の口調が、有名な「じゃよ」でも無いのは、まだ若いからだろうか。ワシってより、ワタシのワァーシ?黒髪フサフサだし。始まった時はつるんとしてたし白かったもんね。

 

 でもこの優しそうなおじさんという印象は間違いない。

 

「はじめまして、阿笠さん。ええと、……私の保護者になってもらえるというのは本当に……?」

「うむ。キミさえ良ければ、だけども」

 

 良いも悪いもないですとも。施設というのがどんな所か知らないけれど、そういう所に送られるよりは工藤氏のおすすめの人に引き取って貰えるなんて有り難い提案だろう。

 保護者がいるってのは大事な事。子供にやれることなんてたかが知れてるもんね。

 工藤氏が、ウンウン頷いて実はね、と始める。

 

「本当は、こちらで引き取ろうかと思ったんだ。沖矢君……キミの父とは、私の小説家デビューよりもずっと前から仲良くやっていた。その友人の忘れ形見となれば、放っては置けないだろう。……それに、酒の席の冗談とはいえ、頼まれてもいたからね」

 

 祝いの席に誘われて、そこで私の父親は酔った勢いで『俺に何かあった時は、息子の事頼むな』とか工藤氏に頼んでいたそうな。

  余程その沖矢氏とは仲良くしていたんだろう、懐かしさと、どこか悔しさが滲む眼差しを私に向けてくる。その時だけ、私ではなく私に面影が似ているというその人の事を見ていたように見えた。

 

「……とはいえあれは口約束だから、書面も何も無い。実際はなんの効力もないがね。それでも私はしっかり記憶している。協力は惜しまないさ。

 それに事件のこともある。あの件が片付くまでは、連絡の付く場にいてもらいたい。

 いてもらいたい、が……ただ────ウチには今、身重の妻が居てね」

 

 そこは衝撃である。目覚めた時の痛みくらい。ビリビリ来たね。

 

 身重。ってぇと、お子さん!!

 

 順調に行けば来年の春か初夏頃に出産予定日になりそうな、工藤氏のお子さん。

 

 それすなわち……まだ産まれる前だったのか主人公!!

 

 聞けばまだまだ安定期前で、妻の有希子さんはちょぴっとだけ、普段よりぴりぴりしているらしい。ちょぴっとだけね。普段どんな人なのかわからないもんで、そのぴりぴりがどれくらいちょぴっとだけなのかはわからないけれど、工藤氏は茶目っ気含ませたウインクしながら、『ちょぴっと』と人差し指と親指で5mmくらいの隙間を作っていた。

 

 ……これ、そんな大事な時期に嫁さん放って私の所に来てて良いのか?の質問を先に潰しに来てる?

 

「だから今はタイミングが悪い。そこで、私の信頼のおける人物で、緊急時にも動けて、今一人暮らしの阿笠博士に頼んだんだ。ちなみに家は私の家のお隣さんだよ」

「ワシとしても、人手があると助かることもあるから、丁度良い話だったんだよ。独身のワシでは、きっと君に不便を強いてしまうだろうけど、落ち着いたら工藤君たちも手伝ってくれるそうだから」

 

 深読みしてしまうに、色々な理由を以て工藤氏は私を目の届く範囲に置きたいんだろうと思う。一応事故に見せかけて殺されかけた、とも言えるからね。

 そして阿笠博士は、この歳まで一人暮らしで居るのにここで子供ひとり引き取るなんて、本心は面倒事だと思ってるはず。

 

 だってひとりで暮らしていた“私”がそう思う。きっと彼もそのはずだ。

 工藤氏の頼みで、私が増える分の金銭問題は大きくない事と、私自身の問題がある事を考慮して、仕方なく、そう仕方なく置いてくれるに違いない。

 

 うむ。……なるべく迷惑かけないよう、静かに、愛想と礼儀良く過ごして…家事とお手伝いはやろう。自慢じゃないけど、“私”は、料理は多少心得がある。最低限食えるものは作れる。

 ……まだこの手では充分じゃないけれど……治ったらちゃんと、きっと。

 

 それにさっさとあの件は事件か事故か明確にして、母親見つけて文句言って……解決しようがしまいが、工藤氏には、一生かけてでも恩を返さなきゃならない。

 とにかく、早々に自立しよう。私の目標はそれだ。

 阿笠博士が心配そうに、わざわざしゃがんでこちらに視線を合わせて、訊ねてくれる。

 

「どうかな、沖矢くん。ウチで良いだろうか?」

「いえ。むしろ……お願いします。私を阿笠博士の家に置いてください。よろしく……お願いします」

 

 そうして、私は頭を下げた。しゃがんでくれてる阿笠博士よりも、なんなら土下座だってしてもいいくらい頭を下げた。

 沢山の人に面倒をかけてしまって、申し訳ない。私だって、よく分かってないんだ。

 保留した事が山ほどある。

 でもそれらは、今手伝って貰う話じゃない。

 こんなこと早く終わらせるべき。

 

 私の知ってるかぎりでは、沖矢昴は存在しないし、邪魔になるのは、絶対に良くないだろうから。さっさと正しいお話しから……

 

 ……いや、待てよ。

 

 ────沖矢昴になる人って……どうなるの?

 

 

 

 

 

 

 これまでの病院で起きた大きな出来事はそんな3つ。

 さて消灯時間も過ぎ、あとは寝て起きたら病院生活ともおさらばなのだけど。

 

 退院前夜に考えることでは無い。考えることでは、ないんだけど……寝床でひとりになれる最後の機会だから。今後の方針をまとめようと思う。最後の付き合いになる布団に潜り込んで、真っ暗な中更に目を瞑って視界を無くす。

 

 私の始まりからそうだけれど、これらは困ったことだった。

 とてつもなく困ったことだった。

 生命に関わるほどに困ったこと。

 まず、“私”はもう、命を落とし、存在などとうに居ないのかもしれない。

 それすらもわからないから、やっぱり困ったことだった。

 

 この私は“私”ではなく、“私”の証もなく、本当に“私”はこの私なのかわからないこともまず困っているが、そんなことより今のこの私の存在すらも困りごとの種だってことまでなると、現状に至るまで1から100まで困りきっているわけで。そして目覚めてことここに至るまでの全てだろう。

 

 では困ったとはいえこうなってるのは仕方ないので切り替えるとして。

 

 ひとまずはわからないことは全部かなぐり捨てて、せめて自立するまでを、諸々の全てを「私は大丈夫です」の状態にするのを最優先にする。

 

 大丈夫になったら、これまでお世話になった病院の方々や、小林刑事、景光くん、零くん、工藤氏、阿笠さん、そしてこれからお世話になるだろう方々に恩返ししながら、私は──赤井秀一について考えなければならない。

 

 確か、あむぴが追ってる大嫌いな男がそんな名前だったはず。詳しかった友人曰く、『だから安室さんは赤色が嫌いなんだよ』と言っていた。死んだふりして追っ手から逃れて、主人公に匿ってもらいながら、天才的な狙撃技術で主人公を助ける人。

 

 彼が死んだフリしてる間の変装姿こそが、“沖矢昴”だった。

 でも、今こうして私という“沖矢昴”がいる。

 

 ええとだね。

 何故沖矢昴が存在するのか、なぜそれが“私”なのか、といくら考えたってわかるわけが無いことはもう良い。

 また保留案件が増えてしまったけど、戻れる方法なんて、本物のフィクション沖矢昴が発生するか、名探偵の物語が終わったら、くらいしか思いつかないのである。

 ここまできたらなるようになれ、そしてきっとなるようになるので、だったら開き直って私は今の沖矢昴として動くしかない。

 

 となれば、沖矢昴は果たしてどう動くべきか。もちろんここまで世話になった以上、恩でも気分でも工藤家側で動くのは当たり前だ。いずれ大活躍する江戸川コナンこと工藤新一の助けになってあげられるよう必死になりたい。『中身ヘナチョコ一般人が助けになるか』どうかは置いておいて。

 

 そして、ここに沖矢昴が存在する以上発生する問題。それは、赤井秀一が死んだフリをした後、誰になるのか、ということ。

 これは、1つに赤井秀一がこの世界に居ることを前提に、2つに本編が元々の流れで進むのか、という大問題を経由して、更に3つ目の、元々の流れに私という沖矢昴が関わった事件や話の流れはどうなるのか、と、様々な考えなきゃいけない事項の上での大問題である。困っちゃうねホント。めんどくさいから保留したいんだけど、こればかりは流石に、解決するものが解決しなくなるかもとなると……

 

 ともなれば、最重要課題は赤井秀一の存在の有無。彼が居るなら、彼にいずれ何の後暗いことも無い完全無欠な一般人“沖矢昴”を預けて、彼に名探偵の援護に就いてもらって、まぁ……私は適当に海外にでも行くか、引きこもりでもしてれば無事解決するだろう。悪い黒ずくめの人達が海外の僻地とか行くようなら話は変わるけど……そんなグローバルな組織なの?

 黒の組織については、ちゃんとボスが存在してることと幹部スパイだらけでワロタしてる友人の言うことしかわからないな。

 

 

 万が一、彼が居なかったら?

 

 彼の狙撃の腕も時折事件解決には大事だが、それよりも彼は色んな事件に絡んでるはず。主要メンバーの一人だろうし。あむぴとあんだけ喧嘩してるんだから、因縁とか色々あるんだろうし。きっと彼が居なきゃ様々なフラグが、関与したありとあらゆるものが、しっちゃかめっちゃか大変なことになるだろう。

 

 細かいこと何したのかとかは知らないんだけど。

 

 劇場版とそのCMだけは観てたから、スカイツリー周辺で狙撃したり首都高カーチェイスしたり観覧車の上であむぴと喧嘩したりリニアモーターカー狙撃したりヘリ落としたり潜水艦沈めたりしてるんでしょ?

 ……冷静に考えたら何してんの?もしかしてここってロアナプラなの?

 

 あと一つ、友人曰く『安室さんと赤井さんは、スコッチの件さえなければ、たぶんめんどくさいことにならずに、みんなコナンくんの協力してくれてるんだよね』とか言ってたんだけど……酒ごときで喧嘩してるのかコイツら?って話半分に聞いてたから、それ以上がわからないんだよなぁ。

 良く考えたら、確かベルモットとかバーボンとか、酒の名前のコードネーム使ってたし、つまりそのスコッチってのは人の事なんだろう。

 ……もしかして、赤井さんいなかった場合、名探偵の有能協力者ゴリっと居なくなるの?

 

 困るな。それは困る。

 

 巡り巡ると居ないけど必要、となって、最悪、一般人の私が赤井秀一役にならなきゃいけないとかいうトンチキが発生してしまう。

 断言しよう。無理だ。私は根っからの小市民であるからして。

 

 工藤新一の味方陣営の要人材がぼりんと消えて欲しくないので、是非とも赤井秀一には存在していて欲しいんだが……

 

 問題は、名前と、黒髪の細い長身で、目元が特徴的な人って外見情報と、狙撃技術が凄いってことと、FBIの人ってことと、赤井家がみんな凄いことと、あむぴにめっちゃ嫌われてる事以外わからないことなんだよなぁ。

 あ、あと声が有名な人だったっけ。聴けば解るかな?

 

 …………とにかく。

 赤井さん家についてそれとなく、どうにかして工藤氏に頼んでみる?

 でもそれって、今やると私の事件に関係が?って要らんこと考えさせちゃうよね。となると、解決してからになるけど……解決、しないような気もする。世界のパワーが関係してそうでさ。

 

 保留してぇ〜〜〜〜

 

 でも今後の私の行動基準が、これから工藤家と阿笠博士、やがては主人公との関わり強くなるってなると、一般クソザコナメクジは余計な事しないようにするべきか、せめてこの沖矢昴ボディースペックにワンチャンかけて色々やってみるべきかわかんない。

 余計な事しなければ、作品はちゃんと物語通り進んで、私は一般小市民沖矢昴を明け渡して……そこまでの私のやってきた沖矢昴がいたのだから、性格も行動も赤井秀一の沖矢昴に変わるだろうけど、そしたら……目敏い景光くんや零くん辺りから人が変わったねなんて言われて、そうなったら……どうなるだろう。いや、そうか、彼らから見たらモトハルくんが復活した事に──それは嫌だな。

 

 え、嫌だな。誰だかわからないけど、モトハルくんはモトハルくんだろ。私じゃないし、赤井秀一でもない。

 

 第一、そしたらモトハルくんとの邂逅として零くんがバチ切れしちゃうじゃん。今でも謎にキレてるのに。でも確かあむぴが宅配便装って沖矢昴の所に来てた時の態度から考えると、それもある意味物語通り…?いやいや、あれは沖矢昴を赤井秀一だと思ってたんだっけ?あそこら辺なんか話が二転三転してて、テンションの高い友人からの話じゃよくわかんなかったんだよね。

 待って、景光くん達?……零くんっていずれ安室透やる人でしょ?もう知り合っちゃってるじゃん……知り合いだった訳ないのに、知り合いになっちゃったどころかお友達だし、これからも末永くお友達よろしくお願いしますまで(こっちから)言ってるじゃん……沖矢昴知られちゃってるじゃん……!

 今更別れられないなら、いっそズブズブのズブまで連れ込むしかない……。だってあむぴってほっとくと勝手に裏を探る男になるんでしょ……私隠し通せる自信ないもの。

 

 そうなると……赤井秀一の演じる沖矢昴に、これからの私を寄せるべき……なの?

 

 逆じゃない?私の沖矢昴に赤井秀一が寄せるべきじゃない?

 でもそれだと、いざって時に名探偵の援護が出来なくない?

 

 沖矢昴ってなんなの?!

 

 私が動いてる沖矢昴見たのって、たまたま見たアニメでなんかバーカウンターで「ジャンジャンバリバリ!」言ってはしゃいでる沖矢昴だけなんだけど!!

 漫画とか聞いてた話と随分様子違うから、赤井秀一って、仕事してない時ははっちゃける人なんだなぁって思っててぇ……アレを、私がやるの?

 

 

 や、やだよぉ〜!一般小市民私、あんなはっちゃけも長距離狙撃もできないよ〜!!

 

 

 でもハワ親の語源に協力してもらってるしファンタジーの住人に即入眠麻酔針作れる人居るし……でも、私自信ないよぉ〜!!

 

 

 ■

 

 

 等とじたばたして、結局私はろくに未来を考えることもなく無事退院となった。

 

 こういう時、グダグダうだうだ考えたとしても一晩寝たら切り替えられるのが私の良いところだと思う。悪いところでもある?それはそう。

 気持ちの切り替え大事に。そういう事にしていこう。そういうふうになっていこう。割り切りは大事。

 

 だって考えたって仕方ないし、やってみなけりゃわからない。

 

 私が沖矢昴だとして、立派で素敵な沖矢昴になるか、使えないダメな沖矢昴になるかは私次第だ。

 赤井秀一がいるとして、事が起きて赤井秀一に沖矢昴を預けるとなった時、どんな沖矢昴を預けるのかって言われたら、そりゃ立派で素敵な沖矢昴のほうが赤井秀一だって嬉しいだろう。

 

 じゃあ目標はそれだ。それを目指すしかない。

 

 なんだ、考えることないじゃないか。

 できるできないは一旦保留。まずは挑戦してみること。やってダメそうなら、改めて考えるってことで。

 …………立派で素敵な沖矢昴がジャンジャンバリバリするのかと言われたら……うん。はい。

 

 おかしいよな……あれってほんとに沖矢昴だったのかな…………

 ……でも間違いなく放送されてたんだよな……見た覚えが確かにあるんだもんよ。

 

 

 通院ですぐにまた来るものの、世話になった先生達にご挨拶して、見送りに来てくれた景光くんと零くん、小林刑事にまた今度〜とご挨拶(と今生の別れの如く涙する景光くんにまたすぐ逢えるからと宥める等)して、阿笠さんの運転する丸い車に乗り込んだ。レトロな感じで可愛い車で、ついにこれからしばらくをお世話になる家に向かう。

 

 

 ■

 

 

 やってきた阿笠博士の家は、高い塀に囲まれた、二階建ての、独特な形をした建物だった。見たような覚えはある。作中結構な頻度で出てたはずの建物だし。

 てか敷地広……

 車は正面の門の前に止まり、私だけ降ろして阿笠さんは車を裏に持っていった。車庫が裏にあるらしい。

 彼の代わりに門を開けて出迎えてくれたのは、工藤氏と、その隣にとんでもキレイ可愛い、美少女と言いたくなるほど可愛い美人さん。

 その美人さんが、工藤氏が口を開く前に門が開いて早々に私に飛びかかってきた。一瞬で柔らか暖かいい香りに包まれて、状況がよく分からなくなってしまう。

 待って?

 

「やだホント可愛い〜!!あなたに会えるの、楽しみにしてたのよ!!」

「ハッハッハ。有希子。昴くんが困っているよ」

「だって優ちゃん、この子すっごい美形よ!?今でコレよ?!将来絶対私のタイプの顔になるに違いないわ!」

「有希子……」

 

 顔を両手で挟まれ、ふにふにと揉まれているが……凄い美人のニコニコ顔が近くて……困る……これは困る……

 メガネの反射で目元の見えない工藤氏から、醸し出される少しだけしょぼんとした空気に、美人さんが慌てて駆け寄って「やぁだ、貴方が一番よぉ!」とか言って肩を叩いている。

 明るい人だ……美人の押し付け良くないよ……ふわふわして照れちゃうからね。

 

「改めて、ようこそ昴くん。阿笠博士の自宅兼研究所へ。そして隣のあの家が私の家だよ」

 

 塀の中の次に、隣に見える洋館を示す工藤氏。屋根だけでもわかるが、中々特殊な形らしい。おしゃれそう。

 ……というか、ここら辺に建ってる家はどれも普通の一軒家な面構えをしていない。高い塀、立派な門、屋根だけでもわかるお屋敷やら洋館やら、ちらりと見える広い庭……

 これここら辺たぶん高級な方々の多い住宅街だ……!

 

「阿笠博士も気にかけてくれていたが、彼も家を空けざるをえない時はある。そういう時は、気軽に我が家に来てくれて構わないよ」

 

 独身男性の自由を邪魔するつもりは無い。とはいえ小さなお子様のいるお家にお邪魔するのも……気の引けるもので。

 ここで、美人さんが肘で工藤氏を小突く。

 

「わかってるさ。昴くん。こちらが私の妻の──「工藤有希子よ!もちろん、私もあなたが家に来てくれるのは大歓迎!何かと言わず何も無くとも来てくれて良いからね!」──……とまぁ、有希子も歓迎しているから。気負うことは無いさ」

 

 工藤氏の言葉を遮って、再度有希子さんが突撃してきた。私の包帯に包まれた両手を躊躇うことなく、だが力は入れずにそっと持ち上げて、勝手ながらも優しい握手を交わす。

 うーん、良い人そう。ゆったりしたスカートと、もこもこのコートの下に細身の身体に似合わない膨らみを見て、こんなにこの人動いて大丈夫なのかなと心配になってしまう。

 

「おお、まだ外に居たのか。大丈夫かね?」

 

 玄関を開けた阿笠さんが、扉を大きく開けている。そういえば、二人をこの冬の寒空の下待たせてしまった形になっている。これはいけない。

 

「ゆ、有希子さん。体冷やしちゃダメじゃないですか!」

「あら……、大丈夫よ。あなたも同じく体冷やしちゃダメじゃない。ほら、行きましょう」

「ハハハ。二人共体調に気をつけるべきだろうね。さ、博士に入れてもらおう」

 

 有希子さんが私の手をやんわりと握り、引いてくれる。工藤氏は私と有希子さんの肩と背に手を添えて、前へ踏み出すよう促してくれる。そして阿笠さんが、玄関の前でパタパタおーいと、手を招いてくれている。

 なんか……それらの暖かさに、一気に目と鼻がツンと来た。慌てて俯く。

 作品とか登場人物とか関係無しに、この、良い人達に助けてもらえそうな事が普通に嬉しい。この私のよく分からない記憶から来るものだとしても、とてつもなく安心出来る、絶対に悪い人じゃない存在が嬉しい。

 その人達に、認めて貰えた様で、実際はどうあれ、……とても、嬉しくなってしまった。

 

 あぁ、絶対に彼らを裏切る様な真似は出来ないなと、深く思った。

 

 




0章を一話にまとめる前の前書き後書きのひと言

あの少年、小学校の途中で転校したのだけはわかるんですがいつ声出たのかわからないんです

読んでくれた方、
ありがとうございました。

この後本編となりますが、時系列は決まっておりません。ご了承ください。
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