昴くんはなにもしない 作:あまも
まだまだ何もさせませんが、じゃあ今後なにかすることあるのかと言われると……
閲覧ありがとうございます!
左腕の怪我もすっかりよくなった確認を念入りにされた、その日のお昼前のこと。
私の手首に、手錠の如き有様でガッツリとまとわりついていた塩化ビニールの感触が、ぱちりと軽い金属音とともになくなった。
看護師さんが切り離した青いリストバンドは、私の個体識別番号を証明する役目を終え、ただのゴミとしてトレイに収まる。
……………………っ、
やった〜!!!!!
シャバだ〜!!!!!!
「はいはい、嬉しいのはわかったから。大人しくしてろ」
小林くんが、頭痛でもするのかこめかみを押さえている。
大丈夫?ここ病院だよ?
ただのほっそいうっすいかっるいリストバンド如きではあれど、あれは管理されてる患者である証に相違なくてまーーーじで手錠か首輪かそんな気分にしかならなくてねぇ。
入院で何が一番嫌だったかってあれだったかもしれない。
記念になんて誰が持ち帰るか!
「はい、忘れ物はないですね。……あ、そこの重そうなボストンバッグ、自分で持とうとしない! 小林さんに任せてください」
「そういうことだ。ほら、寄越せハル」
「はい……」
荷造りから全部やってくれて、最後に私が携帯の充電器とタブレット入れたのを確認し次第、彼に荷物をぶんどられてしまった。
現在の所持品。イヤホン、スマホ、そして杖のみ。
心もとない!
ノアズ・アークだけが頼り!
ナースステーションの前で通り一遍の挨拶を済ませ……ようとして看護師さんに呼び止められ、自宅でのリハビリメニューと入浴の制限についての念押しを食らった。
「もし足先が冷たくなったり、色が紫っぽくなったりしたら、迷わず電話すること。……あ、シャワーはいいけど、湯船に浸かるのはまだ数日待ってくださいね」
「はい……」
風呂ダメ了解……水風呂ダメ了解……
またしばらくシャワー生活か……
「いい? 階段は必ず右足から上がって、杖と一緒に左足から降りること。これ、絶対ですよ。沖矢さん、そこの辺りいっつも適当なんですから」
「はい……」
多い……再三告げられてるのに念押しが多いってぇ……
後から後から続々と、看護師さんやリハビリステーションからわざわざ来てくれた担当の方々からねちねちと、既に8回くらい聞いてる話を繰り返しされる。
踏み出す足とか、普段意識しないじゃんね。
あと、杖の存在もよく忘れる。
改めて、しっかりと左腕の先、クラッチ杖に左側の体重を預ける。
最初、赤いのをレンタルしたら零くんが『別のにしろ!!!!!』とメッセージで激怒してたので、入院延長ついでに白に替えたやつ。
あの人の赤色嫌いはなんなんだ。
言うて別に杖が無くても立てるんだが、言われた通りに左足を庇い、一歩、また一歩と、世話になった病室を離れる。
少しずつ外に近付いて行くのが嬉しい。
エレベーターを降り、エントランスでクソ世話になったお医者先生が白衣を翻してやってきてくれた。
お忙しい中来てもらっちゃって。
昨日のうちに、病院の方々へ前回みたいな見送りはご遠慮と告げてあるので今回はひとりだけだ。
私の浮かれた顔を見透かしたように、先生は苦笑いして、手元のカルテをトントンと叩いた。
「いいですか、退院は『完治』じゃありませんからね。
特に階段。手すりがない場所での昇降は厳禁。そして、あなたは自分で何でもやりたがるし、じっとしていられない
︎︎首をトントンと軽く示しながら先生が言う。
︎︎それは、まぁ。
「ああ、小林さんにもご家族の皆さんにも伝えましたが……車の運転。来院時にあなたが車自分で運転してきたとか聞いてこっちはなんて事をと……まったく。
右足が動くからといって、咄嗟のブレーキの際に左足を踏ん張れないのは致命的です。通院の間は、絶対にハンドルは握らないこと。処方した鎮痛剤を飲んでいる間は運動も家事も外出も必要最低限に控えること。いいですね?」
「家事も……」
「家事もです。ひとり暮らしじゃないんですから、ちゃんとお手伝いをお願いしてください。そして阿笠さんや“妹さん”、ご友人に『これくらい平気』なんて絶対に言わないこと。同時に、『これくらい平気』なんて思わないことです。
良いですか?あなたはまだ怪我人ですからね?」
「はい……」
話が長……もう何度も聞いたことを、最後の記念とばかりに一気に詰め込んでくる。
耳タコ出来ちゃうって……
でも実際『これくらいなら平気』に動けるんだから別に……ああ前も後ろも視線が痛い痛い。先生からも小林くんからも『今何考えた?』と問い詰めるような視線が刺さる刺さる。
わかったわかった。私平気じゃない了解。
……これ、帰ってからも灰原さんにまた同じことネチネチ言われるんだろうか。もうわかったってば。
「それから……」
えぇ、まだあんのぉ?
……という気持ちが顔に出てたのか、先生はにこりと、眉は下がっているが、苦くはない笑顔で続けた。
「あとはもう少しだけですよ、沖矢さん。完治まで、一緒に頑張りましょうね。
次回の外来は来週の火曜です。……予約票、無くさないように」
「はい……」
うーん。こんな、クソめんどくさい患者にここまで優しくできるとは……
良い先生やなぁ。
流石、智明くんが紹介してくれただけのことはある。
最後に受付のおばちゃんに挨拶して……自動ドアが開いた瞬間、それまでの消毒液の清潔な匂いから、排気ガスの混じる外の空気の匂いが鼻に届く。
足元には、サンダル越しにコンクリートやアスファルトのじゃりとした感触。
くぅ〜!
正真正銘、シャバだ〜!!!
「来ましたか」
かけられた静かな声は私の声に似てるが、それより少しばかり落ち着きがある。
顔を向けると、色は違うが赤い車が2台。私のフォレスター……の手前に、ひとまわりかふた周り小さなてんとうむし。
丸いスバル360の車体のほうの脇に立って、細身ながら体格の良い男性が待っていた。
うわっイケメンだ!
………………今の自分も同じ顔だけどさ。
あまり私が着ないような、フォーマル方面な格好してるせいで、同じ顔なのにかっちょよく見える。
……あのジャケット、工藤邸のクローゼットで見たな。工藤氏のやつじゃん。『優ちゃんが1回しか着てないのよ』とか有希子さんが言ってたやつ。
そんな、かっこよくキメた時の私みたいな格好の橋波さんが、片手を軽く上げて迎えの車はこっちだと教えてくれている。
日常的で、なんら特別ではない動作なのに、なんとなく滲むかっこよさは、普段の私からは出てこない気配だ。
あれが本物ってやつか……
小林くんが私のボストンバッグをフォレスターのほうに放り込んでる間に、橋波さんは助手席のドアを大袈裟な仕草で開いてみせる。
あれ、わざとか?
本物による、わざとなのか自然とスパダリ感あるのか判断つかない、演技みたいな仕草。
有希子さん監修なのか、“橋波正二”が元よりそういう男なのかわからない。
とりあえず私は助手席に収まって、外で小林くんと橋波さんとで道とか昼飯とか向かう先の話してるのを横目で見ながら、運転席にぽとりと置かれた、彼が待っていた間に読んでいたらしき、文庫本をパラパラと眺める。
……ホームズやん。
家庭教師の仕事を住み込みで始めた女性と、わがままな子供……これ冒頭見ないと中身わからんやつ。
カバーに隠されてたが、タイトルは?と中表紙見ようとした辺りで橋波さんが運転席の扉を開けて、小林くんがこちらの窓をコンコンとノックしてきたので中断。
「俺はこのまま博士達に昴の回収した旨伝えて荷物預けて、バイト行ってくるんだが、お前は“橋波と一緒に”飯食ってから帰るだろ」
「え、小林くん、ついて来てくれないんですか!?」
「悪いな、バイトが入っちゃったから」
指を真っ直ぐ揃えた手を上げて、ウインクしながら軽く頭下げてくる小林くん。
それじゃあ私は、この“
えっ、気まずっ!!
無慈悲にも「じゃ、そういうことで」とフォレスターの扉開けてる小林くんと、後ろで扉を閉めるぱたむとした音。
恐る恐る振り返ると、私の手から文庫本を抜き取り、にこりと微笑む柔和なお顔。
その白い素手からタバコの香りがぷんと。
「そういうことらしいので、どこかにご飯、食べに行きましょうか。希望はありますか?」
「へ、へぇっ……じゃ、じゃあ、コロンボで……」
「なるほど、阿笠博士の研究所近くでしたね。了解しました」
にこ、と目の端の皺を深くして、車のエンジンをかけた。
ちゃんと私がシートベルト締めるのも待って、法定速度も交通ルールも守った運転で病院から出て最初の交差点まで安全に進んでいる。
まぁ私の方がそれどころじゃないんだが。
冷静・沈着・慎重を体現したかのような、落ち着きはらったこの態度。
木馬荘の事件の一件を、聞いてもいないのに知りたかろうと読んで、きちんと家財が救出できなくて申し訳ないと謝罪混じりに説明してくれる気の遣い様。
この橋波さんが『ジャンジャンバリバリ』言ってるのが全く想像つかないんだけど、もしかして私の唯一の信じてた“沖矢昴”は偽物だったのか……?
中々そちらを向けなくて、窓の外を眺めていたら、街路樹やら人々の服装やらが、パステルな感じの淡い色合い。
白い病院の天井しか見ていなかった視界に、どこまでも続く青い空と、忙しなく流れる街の柔らかな色彩が…………
「あの」
「はい?」
説明してくれていた橋波さんの言葉を遮ってしまったのは申し訳ないが、既に燃えカスとなった家財とかは今はどうでもよくてね。
「あの、……今って、季節は……」
「? そうですね、日本の四季に当てはめるなら“春”に該当するのでは?」
不思議そうに、運転しながらよそ見もせずに橋波さんが教えてくれた。
春かぁ。
………………私、春に入院して、春に退院したんだぁ……
……
考えないでおこう。
道中の話題は、主に橋波さんがどう過ごしていたかについて。
つい先日燃えたてホヤホヤな木馬荘は、大家さんたちが無事で犯人も捕まってるならなんら問題ではない。
それでまぁ、工藤邸に入る経緯として、尊敬する阿笠博士と、“
…………灰原さんか?
んん、なんでだろう。
そんなビビるような必要、あったか?
「怖がらせたりしたんです?」
「いいえ? 思えば、木馬荘の火災現場で彼ら……少年探偵団達と出会った時から、彼女は怯えていましたね」
……あれ、新一くん単品じゃなかったのか。
てか、灰原さんと初対面だったんだ?
てっきり、小林くんや前の橋波さんが顔合わせ済みだと思ってたな。
「彼女は沖矢さんの妹ですか?」
「妹みたいなもの……ですかね。阿笠さんが最近引き取った子なので、そういう意味では確かに妹かもしれません。
本人がしっかりしておられて、最近は小さいお姉さんみたいに、私のほうが世話されてますよ」
「ホォー……なるほど……」
私が苦笑しながら答えると、得心いった様子で深く頷いている男を見る。
その後も、色々と訊ねてくるが、基本的には灰原さんと阿笠さん、そして“江戸川コナン”と工藤邸の人々との繋がりについて。
自分が今拠点にしている工藤邸の周辺人物は押さえときたいんだろう。
これから私という怪しい不審者も増えるしな。
……いや不審者もなにも橋波さんのパトロンにして親戚の人間だが!
ついつい、橋波さんをあの怖い人と認識してしまうけど、あれだから。設定上は“一文無しのお兄ちゃん”だから。
将来が不安で夜も眠れず隣の家を監視してそうなお兄ちゃんだからね。
安心してもらうべく、既に知ってそうだが、私の情報を直接補完して行くうちに、道はズンズン進んで行った。
うーん、色々聞いてくれるが、工藤邸の一人息子、工藤新一なんてのも元々
でも、私から抜き取った情報と照らし合わせての参照フェイズかな。
私が、何を、どこまで知ってるのか……ちゃんと確認したいのだろう。
そのために、小林くんは私を彼とで2人きりにさせた…………のだと信じている。
……さ、さもなきゃ2人っきりは嫌でごわすしたはずなのにこんな、こんなかわいいてんとう虫の中でご一緒させられるだなんて……!
もしもの時にはノアズ・アークが通報して、きっと今も後ろから見守ってくれてる小林くんが助けに来てくれるはず……!
後ろどころか辺り一辺、私の目立つ赤いフォレスター、どこにも見えないけどさ!
■
コロンボに到着して、出ようとしたのを「待ちなさい」とか止められて、わざわざ回り込んで扉を開けてくれる橋波さんに申し訳ないやらなんだその甲斐甲斐しさと背筋がゾッとするやら。
隣に立たれると、立ってる側の肌がゾワゾワするんだが。これが本物か……
周りからチラチラと見られているが、この顔1人ならまだしも、2人並んでるからな。
そりゃみんな2度見する。
注文取りに来た馴染みの店員さんとかも、いつもありがとうございま、と言葉が途切れてたし。
ポアロ行ったら、梓さんとか面白い反応してくれそう。ちょっと興味あるわ。
橋波さんには美味しいボロネーゼをおすすめして、私はペスカトーレを一緒に食べながら、今後貸し出すスバル360を使うにあたっての注意点……こと、なんせとにかく安全運転での使用をシクヨロニキとお頼み申した。
この米花町で暮らす以上、避けて通れぬ修羅の道ゆえ、フォレスター共々保険はありったけ、自損他責対物対人災害盗難なんでもござれで色々入っている東都仕様で詰め込んでいる。
だから万が一でもお金の心配はないが、あの車自体が工藤夫妻と阿笠さんからのお気持ちの塊みたいなものだからね。
大事にしたいのである。
「あ、と。橋波さん、お煙草吸いますよね」
「ええ。……やはり、禁煙でしたか?」
小林くんからも言われていた……かはわからないが、小林くんはあの車、常にきれいに使ってくれていたからな。
灰皿とかにチリひとつないの見て『やはり』なんて言ったのかね。
「いえ?可能な限り、締め切って吸わないようにと、灰皿はなるべく空にしておいて頂ければ、ご自由に。ただ、小さい子供も良く乗るものなので、そこの配慮はして頂けると」
「なるほど。了解しました」
おいおい、了解しちゃったよ。
この人も大概隠す気ないというか、私もそうだけれど……この人、私がどこまで知ってるのか、実はわかってないんじゃなかろうか。
無一文設定で私という不確実な親戚頼ってきた男が、煙草なんて嗜好品を普通に嗜むんじゃない。
そしてそれを金の無心頼む相手に奢られた飯食いながら肯定するんじゃない。
普通になんの裏もなくそんなことされたら、私じゃなくてもキレるぞ。
ああいや、それで私が今、キレるかどうかを見たかったのか?とか、 怒らないということは私はお金にはあまり頓着してないとか、それとも事情を知ってるから煙草を吸うことも最初から知ってるのか………………
だからわからなくなるってのに。
そこも含めてヒントとして零くんに伝わってしまって良いのか、それを隠そうとしてくれたりするのかを確認したいのか……なんも判断つかん。
えーん!お兄ちゃんがわからない!
「怪我が治るまでは阿笠研究所に?」
口の周りを汚すことなく、けれど豪快に手早く、されど静かに、食べ切ってしまった橋波さんが口を紙ナプキンで拭いながら私が食べ終わるのを待っている。
私そんなに食べるの上手くないし、美味いものは味わいたいんだけど!
急かさない様子ではあれど、彼と2人っきりってのがそもそも……
物が口に入ってる時に質問しないでくださいな!
「……そうですね。あそこは1階で全ての生活が出来るようになってるので」
阿笠さんちは、壁が無いので物伝いに移動するしかないのがネックだが、キッチン傍に適当に椅子置いといて貰えればそこで勝手にひとりで過ごしてるので。
「その後は決まってるのですか」
「その後ですか……ひとり暮らしに戻るつもりですけどね」
どこで、とかはまだ決まってないな。
ノアズ・アークが今も話聞いてて、右耳から『シャトー米花の部屋、空いてるよ!』と勧めてくるけど、あそこ駐車場広いからさぁ。
部屋との行き来で、荷物とか多いと大変なんだよね。
「今のところは……シャトー米花ですかね。あそこは1部屋借りてるので」
「シャトー米花」
ん?
橋波さんの声が、今一瞬……変わった?
「……ホォー……シャトー米花に、部屋を借りてるんですか」
「へ? ええ、まぁ……」
ゾワゾワが強くなってきた。笑顔は威嚇と言うけれど、橋波さんの目を細めた、目端の皺が深くなっている。
笑ってるのに!気配が笑ってない!何これ!
「あそこは、その、友人がいるのでその関係で……」
「ホォー。友人、ですか」
なるほど、なるほど、と水を飲みながら頷いている橋波さん。
何!?
今のは怒りなの!?驚きなの!?
沖矢昴顔を毎日見慣れているのに、初めて見る顔と気配が多過ぎる!
何がこの人の何に触ってんのか、わかんないよ〜!!
あの杖が武器に見えてしまうのは長野の総集編見てしまったせいだと思います
読んでいただきありがとうございました!