巡らぬ天と光なき永夜の大地   作:こたつむり

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忘却の王都と沈黙する玉座
第1章:白き王都の門


 空は、まだ黒かった。

 

 けれどその下に広がる景色は、白に満ちていた。

 白い石、白い塔、白い道。

 かつて“王都”と呼ばれていたはずの都市は、今や一面の白に包まれていた。

 

 石の粉が風に舞う。

 それは雪ではない。灰でもない。

 何かが削がれ、磨かれ、色を失った果ての“記憶の末路”。

 

 名もなき者は、その都の外縁――城門前の広場に立っていた。

 

 門は閉じられていた。

 その扉は異様なほど滑らかで、継ぎ目も装飾もない。

 まるで“そこには元から何もなかった”かのような、完璧な沈黙。

 

 だが彼は知っている。

 

 ここには確かに“都市”がある。

 記憶に記されていなくとも、記録が失われていても、誰にも語られずとも、

 この地には――王がいた。

 

 その証が、門の上にあった。

 

 かすれた紋章。

 半分砕けた石の浮彫には、王冠と輪の意匠が刻まれていた。

 歪み、砕け、意味をなくしたその印は、今なお都市の正面に張り付いている。

 

 風が止んだ。

 

 それは予兆だった。

 

 名もなき者が歩を進めると、門の周囲に立ち並んでいた石像がわずかに揺れた。

 人の姿を模した像。兵士のような、騎士のような。

 彼らの顔は潰れ、腕や脚の一部は欠けている。

 だがその胸部にだけ、“何か”が埋め込まれていた。

 

 欠片――否、それは光ではない。

 

 “偽りの記憶”だった。

 

 次の瞬間、像の一体が音もなく動いた。

 

 砕けかけた腕が、ゆっくりと持ち上がる。

 刃のような手が、名もなき者へと向かう。

 

 それは敵意ではなかった。

 むしろ、儀式に近かった。

 門を開く前に通過すべき“問い”としての動作。

 

 名もなき者は立ち止まり、手を上げる。

 胸の奥に灯る“最初の光”が応じた。

 

 微かな閃光。

 すると像は、再び静かに腕を下ろす。

 

 門が音もなく開いた。

 

 重さも、抵抗も、存在しない。

 ただ、拒まれていた道が“通された”という感覚だけが残った。

 

 白い王都が、そこにあった。

 門を越えると、世界の音が変わった。

 

 足音が深く沈む。

 石畳は滑らかで、まるで記憶の上を歩くかのような奇妙な感覚に包まれる。

 風は吹いていない。

 にもかかわらず、建物の間を縫うようにして、何かが囁いている気がした。

 

 白の王都。

 

 その名は、もう誰も口にしない。

 だが、名もなき者の胸には確かな違和感が残っていた。

 この都市には、あまりにも“整いすぎた静寂”が広がっていた。

 

 すべてが白かった。

 家屋、街路、階段、尖塔――

 それらは精緻に組まれ、手入れされたままのように保存されている。

 だが、誰もいない。

 住む者も、語る者も、灯す者もいない。

 

 人がいた痕跡はある。

 椅子は引かれたまま、戸は半開き、机の上には食器が並ぶ。

 それでも、ひとつも塵が積もっていない。

 時間さえもここには止まっている――そんな錯覚。

 

 そして、通りの奥で、それは待っていた。

 

 一体の人影。

 

 白の衣を纏った細身の人型が、広場の中央に膝をついている。

 頭を垂れ、両手を地に伏せ、まるで許しを請うような姿勢。

 

 名もなき者が近づくと、影がゆっくりと顔を上げた。

 

 それは仮面だった。

 

 顔を覆う仮面には、表情がなかった。

 ただ、白い面に一筋の黒い裂け目が走っている。

 口元から胸元にかけて、墨のような染みが広がっていた。

 

 咎人。

 

 それが、この存在に相応しい言葉だった。

 彼は、罪を背負っていた。

 だがそれが何であったかは、もう誰にも分からない。

 

 「……通るのか」

 

 仮面の奥から声が漏れる。

 音量は小さく、しかしはっきりと名もなき者に向けられていた。

 

 「我らは……忘れられた……

  王は沈黙し…その意志すら、我らには届かぬ…

  だが、それでも門を通るのか?」

 

 名もなき者は黙って頷いた。

 

 咎人は、ゆっくりと立ち上がる。

 

 その動きは儀式のようだった。

 無音の中、彼はひとつの短剣を抜く。

 それは攻撃の意思ではない。

 試す者の動き。

 この地に入る“資格”を問うための、古い形式。

 

 名もなき者は、一歩を踏み出した。

 

 最初の一撃は、鋭く。

 二撃目は、重く。

 だが、それはもはや戦いではなかった。

 

 まるで、記憶のなかに繰り返される“対話”のようだった。

 

 剣と光がかすかに交わる。

 動きのなかに、悲しみと諦めが滲む。

 

 そして、最後の一閃のあと、咎人は膝をついた。

 

 「……やはり……貴方は……」

 

 言葉はそこまでだった。

 

 仮面が地に落ち、白い衣が音もなく崩れた。

 

 広場に沈黙が戻る。

 

 名もなき者は、彼の名を知らない。

 だが確かに、その存在を“越えた”ことだけは、胸の奥に刻まれた。

 

 王都の内奥――玉座への道が、ゆっくりと開いていく。

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