とにかく歩いた。
街は歩いてこない。だから俺たちが歩いていくしかないわけだ。
あれから日が落ち、昨日のように寝床を作って泥のように寝た。
水は節約、飲むだけに使う。そして進む。体の疲れが取れ切っていないのが分かる。
ほとんど無言で歩く俺たちだったが、なんの会話もないと気分が沈むのか、覇気のない声でクロエが話しかけてきた。
「……疲れたね」
「……そうだな」
「足が重くて、どんどんペースが落ちてるよね?」
「まあ、仕方ないな。これだけ歩けるうちはまだマシだろう」
「……そうだね」
「大丈夫だよ。きっと助かる」
口だけの強がりだが、クロエは疲れを見せないよう笑顔を返してくれた。
歩き、疲れ、休憩、また歩く。それを繰り返す。
今日の太陽が地平に沈んでさえ、街までたどり着けなかった。
寝床もついに地べたになった。
木の枝や葉でベッドを作るのもただではない。
カトレアの魔力を消費しての産物だ。巨大な木のウロを見つけ、その中に入って全員が眠る。
寝心地は当然よくなかったが、それでもいつの間にか眠りに入っていた。疲れすぎているのだ。
目を覚ましたのは眩しさから、日差しを顔に受けてようやく朝が来たのだと知った。
「いこっか。たぶん、あとちょっとだよ」
クロエがせめてもと明るく声を出した。それぞれが短く返事をして立ち上がる。俺たちの限界は近い。出発する時に水を一口だけ飲んだ。これで最後だ。荷物はほとんど捨ててきた。
拾い上げたほとんど手つかずの食料も、もはや不要だ。食べるほどに乾いて逆効果だろう。
俺の荷物は大鬼から頂戴した黒いナイフと、銀の指輪と、水筒だけ。
皆もそれくらいの物しか持たないようにしている。
「街に着いたらなにしたい?」
フーディが明るい話題を口にする。
「お風呂!」クロエが声を大きくして言った。
「そうですね。汗と埃で、もう凄いことになってます……。あまり近づかないで下さいね。その、私けっこう汗かくほうなので……」
女のプライドだろうか。
「そんなん全員くっせーんだから一緒だろ。カトレアもクロエもフーディも全員くせーよ」
アッシュが三人から一斉にシバかれる。
そりゃそうだろう。もう少し言い方を考えたほうがいい。
「俺は何か食いたい。何でもいいから、まともなモノを」
俺の言葉にアッシュが頷く。昨日は食事もなく動き続けた。
これからは水すら無しに行動し続けることになる。腹の中は空っぽだ。
「俺は……寝たい」
ティントアの言葉に全員が深々と頷いた。
ついさっき起きたばかりだというのに、出来ることならまだ休んでおきたかった。雨も風もない場所で、柔らかなベッドで寝たい。ここまで疲れていると基本的な欲求ばかりが沸いてくる。
会話もそこそこにして進み続けた。喋るだけの体力があるなら体を動かすのに使いたい。それに飲み水もないので喉の渇きはなるべく抑えなければいけない。
会話もない死の行軍が何時間か続き、ポツリ、鼻先に何かが一粒落ちてきた。雨だ。
「降ってきた……」
今日は朝から天気が良くなかった。頭上にある厚く薄暗い雲がついに雨を落とし始める。
「みず、水だ!!」
アッシュが歓喜の声を上げる。空に向かって口を開け、雨水で渇きを癒そうとしたが……。
「……降り始めの雨は大気中の埃を吸いとっていて大変に汚いです。飲むなら三〇分は待ってから飲むべきですが……」
三〇分……。
もしこの雨がそこまで降り続かなったら貴重な水を自ら遠ざけることになる。
「水は水だろ! すぐ止んだらどうすんだよ。腹こわしたくねーやつは飲むな。俺は飲む!」
結局、全員が飲んだ。生命の危機に瀕してすがりつける機会は逃せない。
「なんかさ! あたしら変じゃない!? これすごい馬鹿っぽいよね!?」
フーディは笑いながら大口開けて空にあーんとやっている。
確かに面白い。
「雨! 最高! うめえ! 雨! うまっ!」
アッシュのテンションの高さに笑った。
極限過ぎておかしくなってきた気がする。全員とも笑い始めた。
結果として雨はそれからもずっと降り続けたわけだが、誰がやり玉にあげられることもなかった。
ある程度のまとまった雨は空の水筒も満たしてくれた。捨てずに持っていて本当によかった。
これでまだもう少しは持つ。相変わらずの空きっ腹には堪えるが、とにかく水を飲めばそれもいくらか誤魔化せた。
水不足が解決したのは良かったが、移動において雨はすぐに邪魔者となった。視界が効かない。俺の気配察知の能力も、アッシュの嗅覚も半減以下だ。そして服が濡れて重くなる。雨に晒され続けるのは不快なことだった。
「いつまで降ってんだ! お天気コラァ!」
そう言うなよ、といつもの俺なら思っていただろう。
だが、もう心にもあまり余裕は残っていなかった。こうなれば恵みの雨も旅の障害だ。
雨に降られながら進むこと何時間か、唐突にバタリ、と誰かがこけた。フーディだ。
足元が悪いので仕方ないだろう。街道とはいっても大して舗装されていない土の道だ。雨でぬかるみ泥だらけになっている。……いつまで倒れているんだ?
「……フーディ?」
ティントアが心配そうに確認する。
ティントアもかなりしんどいのだろう。腰をかがめる動きすら億劫そうだった。
「あ……あれ? ……あたし、倒れた?」
フーディが今ようやく自分が地面に寝ていることに気が付く。
いよいよ限界が近い。俺もふと気が付けば歩いたまま寝そうな時があった。
意識が朦朧としてきているのだ。フーディは立ち上がろうとするも、体に力が入らないらしい。小さな体には誰よりも大きな負担が掛かっていた。
「フーディ、乗って。俺が、運ぶ」
ティントアが肩で息をしながら言う。
フーディの前に屈み、背を向け、おぶされということだ。
「だい、じょうぶ。自分で歩ける。ティントアまで倒れちゃうって……」
「……いいから」
「……よくないよ、大丈夫だってば」
正直言うと迷った。
俺だって限界といっても良かった。なにも考えずティントアがおぶる様を見ていれば良かったと思う。けれど口が勝手に動いてしまったのだ。
「ティントア、俺がやるよ。俺の方がまだ少しくらいは余裕がある。ティントアまで潰れたら、さすがにしんどい。小さいフーディなら何とかなる」
「ヴィゴ、あたしなら大丈夫――」
言葉が途中で切れたのはアッシュのせいだ。
強引にフーディを持ち上げて背中にかつぐ。
フーディも初めは抵抗したが、結局は諦めて背負われた。
「……ごめん、アッシュ」
フーディが雨音の中に消えそうな声で言った。
「黙って寝てろ。チビ一人くらいワケねーんだよ。俺は最強だからな」
見え見えの強がりだ。
明らかに肩で息をして、それでもアッシュは降ろそうとはしなかった。
アッシュだけに負担させるわけにはいかない。
「疲れたら俺に代われ。順番にしよう」
「俺は疲れねぇ。……けど、飽きたら代われ」
強がりもここまで来たら笑ってしまう。
たぶん笑うと怒るだろうから言わないが、俺は分かった、とだけ短く答えた。
フーディを見捨てていけばきっと楽だろう。
助かる確率も上がるのだろう。
甘い判断だと誰かが忠告した方がいいのかもしれないが、例え生き残ったとしても見捨てたことが影のようについてまわる。
俺たちの全員がそれを良しとしない事実が誇らしかった。
この雨の中、一番小さな子を見捨てて、歩いていく。
きっとフーディは雨に煙りながら歩く俺たちの後ろ姿を見続ける。
きっとそっちの方が耐えられない。
俺とアッシュとで代わる代わる背負い、ほとんど生きる屍のようにして進みながら何時間か経った頃、ようやく空が晴れ出した。
やっとか。小高い丘の上に立ち止まって空を見上げる。日は赤く、夕陽の時間を告げていた。
「おい、あれ」
アッシュがフーディを背負っているので顎で指す。
また狼かと思ったが、違う。胸が高鳴った。
「街」
全員がそう呟いた。
今まで雨で視界が効かなかったが、確かに街が見える。
立派な外壁に守られており、かなり規模があるようだ。
「おいチビ、起きろ」
背中のフーディが揺すられて目を覚ます。
眠気と疲労で細められた目が、みるみる開かれていくのに俺まで笑顔になった。
「見捨てなくてマジで良かったぜ」
アッシュの心底ホッとした台詞が、全員の胸のうちにじんわり広がるのが分かった。