深く深く、もはや覚めることがないかのように眠っていたのだろうが自覚はない。
目が覚めて、長時間の睡眠に伴う頭の重さがそれを感じさせた。起きたのは俺が一番遅かったようだ。とはいえ全員がしゃっきり目を覚ましているわけでもない。
危機は脱したが完全回復とはいかず、まだ半分くらいまどろんでいる様子だ。
「よおヴィゴ、起きたか。早いとこ服着たほうがいいぜ」
アッシュが俺の枕元を指さす。女主人の用意してくれた服だ。上下とも茶色のシャツとズボン。ちゃんとパンツもある。そう言えばパンツを履くのすら久しぶりだ。
「あ、ちょっと待ってヴィゴ」
クロエに止められた。なんだろうか。
「うん、そのままね、まだじっとしてて」
……?
あぁ、忘れていた。クロエの変態癖か。これも久しぶりに見た。俺は構わずに服を着ようする。
「ああ! なんで! 大丈夫だよ! あとちょっとだけ!」
「なにが大丈夫なんだよ! 離せクロエ!」
「大丈夫だって! あ、じゃあほら? 見ないから触らせてよ。それはいいよね? 交換条件」
「じゃあってなに!? 交換ってなに!? じゃあ俺もクロエのこと触っていいの!?」
「な、なに言ってんのヴィゴ? 凄いえっちなこと言うじゃん……」
アッシュが羽交い絞めでクロエを止めてくれて良かった。
羽交い絞めにされているのに何か嬉しそうに身もだえする様を見ていると怖くなってくる。
「じゃれ合いもその辺にしておきましょう」
カトレアが場を締めてくれた。そしてしみじみ言う。
「どうにか、生きられましたね」
まったくだと頷いた。もうほとんど体力の限界だった。四人よりも体力のある俺とアッシュですらフーディを代わる代わる背負い歩いたので限界もすれすれのところだった。
「手間のかかるお子様が居ると大変だぜ、まったくよー」
アッシュがにやにやしながらフーディの頬を指でつつく。
いつもなら子供の喧嘩が始まるところだが、今回ばかりはフーディの分が悪い。
「アッシュアリガトウ! そしてゴメンナサイ! ほっぺつつくのやめろ!!」
やめろと言いつつ手で払わないのはフーディなりの我慢なのだろう。
「ヴィゴもありがとう。おんぶしてくれたの、ちゃんと覚えてる。ほんとにありがとう。……ほっぺさわる?」
いや……ほっぺは別にどっちでもいいんだが……。
まあさわっておくか。うん。柔らかい。
「フーディが元気で良かった。俺もアッシュも、それだけで十分だよ」
「なわけねーだろクソ重かっ――」
「皆、無事で、よかった」
ティントアがアッシュの口を塞いで短く話した。
皆が無事だった。それがどれだけのことが胸に染みるようだった。
……そういえば、さっきから部屋の前に誰かいるらしい。
扉の向こう側だが気配があった。まあ店の人だろう。アッシュも無警戒だ。
俺が「どうぞ」と言うと昨日この部屋まで案内してくれたフレヤだった。
「よ、よく気付いたね。ごめんごめん、盗み聞きするつもりはなかったんだけど、なんか話してるし入りにくくてさ」
聞かれて困る話はしていないはずだし、大丈夫だろう。
「……あんたらって、何者? 王都の役者さんとか?」
役者? 受け答えに困っているとカトレアが引き受けてくれた。任せておこう。
「いいえ、ただの旅の者です。色々と不幸が続いて命からがらこの街までたどり着いたんです。役者の方に見えました?」
「なんだ違うのか……。こんだけ美男美女が揃ってるなら、そういう人たちなのかなぁって。昨日は暗くてよく分かんなかったけど、いま改めて見ると、なんていうか……。あ、やば、ちょっと緊張してきた」
美男美女か。それどころでない事が多くて今まで意識の外にある事柄だったな。
「ま、いいや。色々聞きたくなるけど、また後でかな。マチルダさんが呼んでるから付いてきて」
マチルダというのは女主人のことだろう。
仕事についての説明がされるのだと思う。下について厨房の手前の部屋に入ると帳簿に向かっている女主人マチルダが顔を上げた。
「来たね、金なしども。それじゃあ今日から一か月はうちの店員だ。キリキリ働きな。飯と寝床は用意してやる。九日に一度は休みもやるよ。文句ないだろ?」
かったりー……という態度をアッシュは隠しもしない。
「かったりー……」
いや口にしてる!
バシーン! と良い音が鳴った。カトレアがアッシュの尻を引っ叩いたのだ。
さすがにアッシュもそれ以上の馬鹿なことは、いや十分に馬鹿だったか。とりあえず治まった。
「それじゃあ、女4人はウェイトレスだ。男二人は厨房に入んな」
「あの、すみません。マチルダさん。彼は男です」
「俺は、男です」
「……そう言えば、出ることが出てないね。じゃあホールと厨房で均等に三人ずつだ。フレヤ、ジェシカ、仕事を教えてやんな」
マチルダにもそう見えたか。無理もない。ティントアは顔だけ見れば本当に女にしか見えない。
俺たち六人は軽食を頂きつつ、フレヤとジェシカからざっとした説明を受ける。
短い髪を後ろで二つにくくったのがフレヤ。一つにしているのがジェシカだ。二人とも俺たちとそう変わらないくらいの年頃だろう。聞けばこの店に住み込みで働いているらしい。
特に取り立てて言うことのない普通の業務説明を受ける。客が来たら笑顔で応対する。食事を運ぶ。空いた皿は下げる。仕込みの準備、調理の手伝い。
そして、
「語尾には必ずブーとつけること」
あぁ、やっぱり付けるんだ。
「初めは恥ずかしいと思うけどすぐ慣れるよ」フレヤがそう言った。
「ブーって言いだしてから何でかお店も人気が出たからね、ブーが聞きたくて来るお客さんもいるくらいだし」ジェシカもそう付け加える。
「かしこまりましたブー」
さすがカトレア、割り切るのが早い。眉を一ミリも動かさず務めて冷静に言ってのける。
「じゃあ練習してみよう。まずはクロエからね」
「わかりました。ブー……」
「そう、ブーを忘れないでね。恥ずかしがってちゃダメだよ」
別の意味でブーブー言いながらクロエとフーディが研修を始めた。
カトレアは一度でさらりと突破している。その辺は本当にそつがないな。
男の俺たちの仕事は単純な作業が多かった。
肉に串を打つ。食材を切る。水を汲んでくる。
そういう下準備を延々とこなしていく。
皆はどうだか知らないが、俺はけっこう楽しかった。
食事を運んで、食材を切って、注文を取って、語尾にブーをつける。
店の繁盛ぶりは慌ただしいほどだった。厨房からでも聞こえてくる
「樽乗り豚へようこそブーブー!!」の声。
いま言ったのはクロエだ。
ひとまず一か月、ここで働いている間は寝床と食事の心配はない。
調べることや、準備する物もたくさんあるだろうし、忙しくなりそうだと俺は思った。