六王連合   作:帯刀 撫臼

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3話 初陣の手触り

 アッシュの固く握りしめた拳が小鬼の頬をぶっ飛ばした。

 

 殴られて吹き飛んだ小鬼は、ほぼ水平に五メートルは飛んだだろうか。

 

 小鬼の体がいくら痩せっぽちだと言っても三〇㎏はあるはずだ。

 

 それをああも殴り飛ばす膂力(りょりょく)は尋常ではない。

 

 力の差は歴然だった。

 

 一撃を見て、小鬼たちも同じ考えに至ったらしい。

 武器を構え隊列を組んでアッシュに向かう。

 

 小鬼たちは剣が二人、盾が一人、斧が一人、弓が一人の五人構成。

 

 じりじりと距離を詰めていく。アッシュはと言うと、隙だらけで手を見ていた。殴った方の手を、殴ったままの形で、拳をまじまじと見つめているようだった。手を怪我したのだろうか?

 

 あからさまな隙を小鬼が見逃すことはなかった。剣の二人がつっかけて切りかかる。

 

 斬られる――その寸前でアッシュはしゃがんで身をかわす。

 

 屈んだままの姿勢で二人まとめて足払い、簡単に転倒した小鬼たちは立ち上がる間もなく蹴り転がされて気を失った。

 

 残り三人、盾と斧と弓。しばらくの間は膠着が続いた。小鬼たちは戦闘力の差に下手な動き方が出来ないようだ。アッシュは地面を見ていた。足先を見ているようだ。どうもさっきから違和感だ。

 

 彼の性格なら鎧袖一触(がいしゅういっしょく)、すぐさま蹴散らして自慢げにこちらへやってくると思っていた。彼にはそれが出来るだろうし、彼に似つかわしいと思えた。

 

 どこか気持ちが入りきらない様子だが、攻撃への対応は完璧だった。放たれた矢を最小限の動きでかわし、すぐさま走り出して弓持ちを倒すために動く。

 

 後衛を守ろうとした盾持ちをかわす動きすらなく、飛び上がり踏み台にして跳躍する。自由の利かない宙で矢が飛んできたが、それすら意に介さなかった。

 

 片手で矢を掴み、着地。そして手に持った矢を槍のようにして小鬼の喉へ突き刺した。一連の動きは鮮やかで、強力かつ高速かつ精確だ。

 

 もはや勝ちはあり得ないと判断した残り二人の小鬼が武器すら捨てて逃げだした。アッシュは追わない。彼の足なら簡単に追いつけるだろうに。倒した小鬼を見ながら何か考え込んでいる。

 

 逃げた小鬼のバタバタした足音すら聞こえなくなり、それでもアッシュはどこかぎこちなかった。

 

 しきりに拳を見つめ、手を握ったり開いたり、やはりどこか痛めたのだろうか。

 

 もう数分待って安全だと判断した俺は一人で広場に降りてアッシュの元へ向かった。大勢が開けた場所に姿を晒すのは目立つ。目のいい敵がいた時に人数を知られるのも避けたかった。

 

「アッシュ? どこか痛めたか?」

 

「いや……」

 

「じゃあどうした? なんか様子が変だぞ」

 

「あぁ……。そっちから見てると分かんねえか」

 

「やっぱり何かあったんだろ。話せよ」

 

「……そうだな。全員の前で話すわ。これたぶん、いや……絶対に説明しといた方がいいやつだわ」

 

 説明? と聞いたが答えは無かった。

 

 四人が待つ廃墟の中に入る。

 

 カトレアがわざわざ労ってくれる言葉を手で制止させ、アッシュはこう切り出した。

 

「お前らも戦え」

 

「お前らも戦えって……あんたが自分一人でやるって言ったんでしょーが!」

 

 合流した途端に放たれた言葉へ真っ先に反応したのは、やはりフーディだった。

 

「こっから見てたんじゃ、やっぱ分かんねぇか……」

 

「なにそれ、どういう意味?」

 

「戦った方がいいって意味だよ」

 

「だからそれの意味を――」

 

「いいから、聞けよ」

 

 いつもより静かに話すアッシュの姿に何か感じるものがあったのか、フーディは噛み付くのを止めて「……分かった」とだけ答えた。

 

「ちょっと長くなる。上手く言えるかわかんねーけど……」

 アッシュはポツポツと話し出した。

 

 初めに感じたのは、石の小鬼を殴り飛ばした時。固めた拳が小鬼の頬を叩く感触。打てば強ばる肉の感触、おそらくその一撃で小鬼の頬骨は折れたと彼は言う。固いビスケットを叩き割ったような感じがしたそうだ。

 

「正直に言って、気持ち悪いと思った。喧嘩で、喧嘩相手の顔を殴る時とはまったく違う感じがした。まあ、記憶ないのに、いつの喧嘩の話だよって感じだよな」

 

 だが明確に違う。アッシュはそう言い切る。

 

 喧嘩をする時は相手を殺そうと思って殴らない。殴る力に大差はなかったとしても。だが、さっきのは違った。地続きに相手の死が見える。アッシュは殆ど殺すつもりで……今から攻撃する奴が別に死んでもいいという気持ちで殴った、そう語る。

 

 それで、腹の底から気持ち悪くなった。吹っ飛んだ地面に転がった小鬼の顔が赤黒くなってどんどん腫れてくる。手には重たさが残っている。

 

「手で殴っただけでこんだけ驚いたわけだ。刺したらどうなるのか気になった。どっちかっていうと殺したくなかったけど、今ここで明確に殺しておいた方がいいと思った。だから矢で刺し殺した。経験すべきだと思った」

 

「分かるか?」

 と最後に一言を付け加えて話は終わった。

 

 先ほどまでの闘いの熱はどこかへ消えてしまった。しんとした静けさと、各々がアッシュの説明を反芻(はんすう)する時間が続き、フーディがおずおずと声を出す。

 

「あのさぁ……そんな話されたら余計に戦いなんてしたくなくなるんだけど」

 

「やりたくねーからこそ、やっとくんだよ。特にフーディ。お前は絶対やっとくべきだ。俺らの中で一番チビで、ビビりだ。小鬼程度なら死ぬことはまず有りえねーと思う。事故る確率の少ない今ここで、慣らしとく方がいいんだよ」

 

「……魔術で戦うんじゃだめなの? アタシなら離れてずっと戦えば――」

 

「駄目だ。いつもはそれでいい。けどな、魔力が切れたらどうなる? 速い奴に距離を詰められたら? 不意打ちだってある」

 

 こと戦闘となれば人が変わるのか、アッシュは冷静な話し方で、それはほとんど諭すように聞こえた。

 

「フーディだけじゃねぇぞ? お前ら全員に必要なことだ」

 

 奇妙な展開だが、不思議と異論はなかった。

 

 何を馬鹿な、と思うところもあったが、それでも反論に足るほどの気持ちが沸いてこない。

 

 アッシュが言うこの非日常の極致のような経験は、あまりにも生々しく真実味があったからだろうか。

 

「ちょうどいいのが近くに来てやがるぜ?」

 

 誰の物言いも待たずアッシュは建物を後にした。

 

 目当ては言うまでもなく練習台の鬼たちだろう。

 先導する彼がよどみのない速度で歩を進めていく。

 

 アッシュが低い声で話す。

 

「たぶん。俺らはこうして生きていくしかねーよ。なにも傭兵になって血塗れになれって意味じゃねえが、戦闘と無縁ではいられないと思うぜ? 

 

 地下から上がってきて、初めに見たのがあの小鬼だ。武装してるし、言葉は通じねえし、襲ってくる。

 

 ここはそういう世界なんだろうな。俺らは復活したらしい大昔の王様で、現時点ですら雑魚の立ち位置には居ない気がする。

 

 お前らもそれは何となく分かってるだろ? 持ってる力を使わないなんてことは出来ねぇ」

 

 それきりアッシュは喋らなくなった。

 

 全員が押し黙ったまま一列になって歩き続け……。

 止まった。着いたらしい。

 

「ここの角を曲がったら五体いる。俺を除いて一人一体だな。もし危なくなったら助けに入る。たぶんそんなことも起きねーだろうけどな。それと……必ず殺せ」

 

 いくぞ、小さな号令が聞こえて、それからようやく心が準備を始めるのが分かった。

 

 いま、俺は、……俺は! 

 たった今ようやく、思い出したかのように心臓がバクバクと動き出す。

 

 もうあと一歩で、曲がり角から顔が出る。

 

 俺の少し先を行くアッシュは、すでに顔を横に向け、敵をその目に捉えたらしい。

 

 俺は自分が何の準備も出来ていないような気がした。

 

 敵の前に姿を晒して尚、いまからこいつらと戦う覚悟が出来ていないことに痛感する。

 

 全員の気持ちをフーディが代弁した。

 

「ちょっと、ちょっと待ってよ! ほんとに!? だって、あたし……!」

 

「うろたえんな! 喋るヒマあんなら叫んでみろ! ほら、行けよ! お前らァ!!」

 

 発破をかけられ、俺は無理やりに叫んだ。

 

 自分の大声が何もかも誤魔化してくれるように、必死に腹から声を出した。

 

 気付けば全員が自分を鼓舞(こぶ)するように叫んでいた。

 

 合戦の時に兵士が雄たけびを上げて突撃する意味がよく分かった。これだけでだいぶ体が動く。

 

 まず始めに星を上げたのは俺だった。

 

 石の小鬼が武器を構えるより先に懐に入り、どてっぱらに蹴りを突きこむ。膝を折った無防備なところを叩き下ろすように殴りつけ、最後に顔へ目掛け振り抜くように拳を見舞った。

 

 あり得ない角度に首が曲がる。

 間近で聞く骨の折れる音に総毛立つ。

 

 わずか三撃で命を断てたが、余裕はなかった。ほんの数秒のことなのに息が上がっていた。

 

 いつの間にか狭まっていた視界がゆっくりと広くなる。

 

 他人の荒い息に気づいてそちらを見た。

 

 ティントアは鬼に馬乗りになっていた。長い髪が乱れ、似合わない汗を額に浮かべている。

 

 組み伏せられた鬼はまだ辛うじて息があった。気管に血が入って上手く息が吸えないのだろう。胸を上下させるたびゴボゴボと気味の悪い音が鳴った。

 

 「ティントア、楽にしてやれ」

 

 アッシュの視線を浴びて、わずかな逡巡の後、覚悟を決めて拳は振り下ろされた。鬼はもはや手で防ぐほどの気力もなく、叩かれた振動に体を震わせただけだった。

 

 そのまま、ただ何となく俺はティントアから目が離せず、視線がかち合う。

 

 何か声をかけた方がいいような気がする。

 

 そして俺も自分に何かを言ってもらいたかった。だが何も言葉は出て来ない。互いにただ視線だけが交差している。

 

 つんざくような声が響いた。

 弾かれたように顔を向ければ、それは鬼の断末魔だったと分かった。

 

 地面に体を投げ出して仰向けに倒れている。そのすぐ近くにカトレアが立っていた。一瞬、負傷したのかと思ったが、それは相手の返り血だった。鬼の死体を見れば右目が潰れている。カトレアの指は真っ赤に染まっていた。

 

 いつの間にかクロエも倒し終わっている。カトレアほど派手な結果は見えなかったが、殴りつけた右手は、解くのを忘れたように握りしめたまま手が白くなっている。

 

 最後にフーディ。

 

 彼女はいま、鬼の首を両手で絞めているところだった。

 

 鬼はほとんど抵抗できないでいた。

 

 膝立ちになり、絞められ細くなる首に少しでも隙間を作ろうとしてフーディの手を剥がそうとするが、小柄な彼女の腕力にも敵わないでいる。

 

 石の小鬼はその程度の強さしかない存在だった。

 

 圧倒的な優位に立っているフーディに、余裕はなかった。

 

 今にも泣きだしそうな顔で生き物の命に手をかけている。

 

 ゆっくり、命が萎んでいくのが分かった。

 

 鬼の顔色が赤黒く変色してきた。抵抗も虫の息、そうしてついに、全身がだらりと垂れ下がる。

 

 ようやく首を放し、その手を見つめ、フーディの大粒の涙が、手のひらに落ちた。

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