乗合馬車の旅、六日目。
日程も折り返し、もうあと半分か、早いもんだなと俺は思っていたのだが馬車の仲間の中でただ一人だけ完全に旅に飽きてしまった者がいる。そう、フーディだ。
「ふん!……んぁぐおおオオっ! このまま引きちぎってやる!!」
と言いながら俺の胴に腕を回し渾身の力で締め上げてきている。
「ぎゃー、しぬー」
棒読みながら付き合ってあげる。当然フーディにどれだけ絞められようが何てことはない。
まあ、常人ならちょっと呼吸が出来なくなる程度の腕力をしているのだが、あいにく俺の腹筋はバッキバキなのだ。
「わっ、わたしも引きちぎる!」
これ幸いとクロエも便乗して腕を回してきた。
いかんせん手つきがいやらしい気もするが、フーディは良くてクロエはダメなんてあからさまな対応をすると思い切りぶうたれて後が面倒なので甘んじて受けてやろう。
さて、どうしてフーディがこんな狂戦士の暴走のような行為に及んだのかと言うと、暇で暇で仕方がないからだった。暇で暇でさっきから雑な絡み方を皆に順番にやっている。
カトレアの胴を締め上げ、クロエの胴を締め上げ、そして次に俺の番がやってきたのだった。
これだけ暇を持て余す様を見ていると何とかしてあげたくなるが、俺がどれだけ願えども目的地までの距離は変わらない。
フーディの金の髪をなでなでしながら
「もうちょっとで着くからな~」とテキトーに慰めてやると
「嘘つけ! あと五日もかかるくせに!」と俺の腹に顔をうずめながら吠えられた。
「御者さん、なにか近道があったりはしないんですか?」
そんなもんあれば初めから近い方を通るだろうな、カトレアも本気で聞いたわけではないだろう。世間話の一つだ。
「う~ん、いつもの道が使えるならあと一日くらいでつけるんですがねぇ……」
おいおい、あるのかよ。
「いつもの道とやらが使えない理由は?」
それがね、と御者が話してくれた。
商人連国ゴルドルピーから教国エドナへ行く本来の最短の道は五日~六日くらいのものだそうだ。
俺たちの旅程は今ちょうど六日目。
ここから【虫食い山脈】という山の長い洞窟を抜けると教国まで一日で着けるのだそうだ。
では、なぜそこを通らないのか。
なんでもここ最近、虫食い山脈の洞窟街道に怪しい魔術師の集団が出没するようになった。
黒魔術の儀式のために集まっているだとか、魔女の手先で人をさらうだとか、恐ろしい話が絶えないらしい。
いくらか尾ひれがついて広まっていそうな気もするが、商人連国と教国の連絡路である洞窟街道は人の往来と物の行き交いで重要な街道の一つだ。
ここを通れないと行商人たちは非常に困る。
物の値段が上がるし、品物を買う人たちにも影響が出るわけだ。
「あんまり悪い噂が大きくなるもんだから近くの貴族様が傭兵を雇って洞窟街道に向かわせたのさ」
だが、誰一人として帰って来なかった、と御者が声を低くして言う。
「魔術師か魔女か知らんが、そんでも洞窟の街道には何か良くないもんが住み着いたのは間違いない。
悪いけどお客さんを乗せてる身としちゃあね、危ないとこ通るわけに行かねえからな。
嬢ちゃんもあと五日だ。辛抱してくれ」
フーディがガバッと頭を上げて言う。
「近道しようよ! ね! ヴィゴ! お願いお願いお願い!」
御者のおっちゃんめ、余計な事を……。
いや、藪をつついたのはカトレアだったか。
「どうします? ヴィゴくん?」
「ねーヴィゴ! おねがーい! お願いお願い! ヴィゴ好き! だからお願い!」
今まで聞いた中でも最上位に安っぽい好きを貰ったもんだ。
「お願いって言われても俺が馬車の進路を決めるわけに行かないからな」
「違うよ、あたし達だけ降りて、洞窟の街道を行けばいいじゃん!」
あぁ、そういうことね。
「荷物はどうする?」
荷台の後ろに開いてあるアッシュが入った大きな麻袋、あれを持って山を抜けるとなると、無理ではないがちとキツイのではないだろうか?
「大丈夫! アッシュ……じゃなくて芋の袋はあたしが浮かして運ぶ! ティントアもいるしね!」
「えっ俺も……?」
可哀そうに、唐突にティントアまで荷を背負わされている。
だがまあ岩を運べるフーディだ。アッシュ一人くらいなら大した負担はなく運搬できるだろうな。
カトレアは? と視線をやると小首を傾げやや思案顔で話してくれた。
「抜けること自体は可能だと思います。虫食い山脈の道は一本ではなく、いくつもの穴が教国側まで通じているんですが、本筋の街道を通らなければ噂の魔術師集団と鉢合わせずにいけるんじゃないかな? と思っています……虫食い山脈のことは本で読んで知っていたんですが、この位置にあったとは。なかなか頭の中で知識が結びつきませんね」
なるほど、勉強熱心なカトレアだが場所の特徴は押さえていても、それが俺たちの進路に関わっていることまでは知らなかったか、こういう時に俺たちの基礎知識の不足が気になってくるな。
「洞窟の中をヴィゴくんに偵察してきて貰えば安全な道も分かりますし、もし無理そうでも引き返して
俺の分野のことを聞かれて「いやぁ~ちょっとキツイっすねぇ」とは言えないものだ。
隠密の技は我が本領である。
「なるほどね、そういうことならちょっとやる気出てきたかな。じゃあ俺らは途中で降ろしてもら――」
クイクイ、とふいにクロエが袖を引っ張ってくる。わたしにも聞けよ、という顔をしていた。
「……えー……クロエさん、いかがでしょうか?」
「いいと思います!」
ハイそうですか。
クロエってたまにフーディと同じくらい何も考えていないんじゃないかと思う。
本人には絶対に言わないがそのくらいアホっぽいところがクロエの愛らしいところでもある。
「ティントアは?」
特に異論はないだろうが、念のためティントアにも聞いておく。
「俺も近道に賛成。……アッシュの運搬なら、その辺でイノシシでも狩って、それを従徒にして運ばせることも、できるよ。人数分揃えば、全員が騎乗してもいいし」
そういう手もあるか。
よし、それでは決まりだな。
途中で降ろしてもらい俺たちは虫食い山脈の洞窟街道へ進路を取る。
司祭アウール、炭鉱夫マルゴ、火鼠傭兵団ナックと別れを告げ馬車を降りた。
やめておいた方がいい、という声もあったが野盗を片付けた俺の手際や皆の使う魔術を思い出し、君らなら何とかなるかも知れないな、というのが最終的な乗合馬車で一緒になった人たちの感想だった。
二股に分かれた街道で左の道を行った馬車へ手を振る。
司祭のアウールとは目的が同じなので、もしかしたら教国エドナでひょっこり再会するかも知れない。
右手の街道を進み、虫食い山脈を抜けるのが俺たち一行の進路となった。
山の連なりを見上げ、その高さと分厚さに自然の雄大さを覚えた。
「この山にぽっかり穴が開いてるのか、向こうに通じるほどデカい穴が……」
にわかに信じがたいことだ。
「大穴が空いている理由はよく分かっていないそうですよ。この山は鉱山でもないですし、人為的に掘ったにしては穴が不規則すぎるそうで、遥かなる太古、
「謎の大穴に謎の魔術師集団か、そう言うと何とも不穏な響きだな」
「あたしらなら大丈夫だよ、たぶん!」
フーディがアッシュ袋を持ち上げながら言う。
「運ぶのは平気そうか?」
「大丈夫だよ! たぶん!」
そっちの方はせめて言い切って欲しいんもんだが、見たところ問題なさそうな気はする。
フーディがいつも浮かせている大岩よりアッシュの方が断然軽いだろうしな。
そう言えば、といった調子でクロエが喋り出した。
「あのさ、やっぱり魔術師って場所によっては怖がられてるんだよね? 馬車で一緒の三人もあんな感じだったし、ちょこちょこ街を回ったけどさ、魔術を扱える人っていうのがそもそも少ないっぽいよね?」
確かに一般的な技術ではないのだろう。
それでさ、とクロエが続ける。
「商人連国は魔道具のお店があったよね? 魔術はちょっと嫌われてるとこあるみたいだけど、道具の方はいいのかな? あれだって魔力が込められてるのにね」
ふと思いつきのようにクロエは話し出したが、けっこう気になるポイントを突いている。
魔道具は良くて魔術がダメとは、これいかに。
何でだろうね? という話の流れになると俺はついついカトレアに視線をやるのだが、この時も半ば癖のように、目で「カトレア知ってる?」と聞いていた。
まったく仕方ないですね~、の感じと、よくぞ聞いてくれました! の感情が同居しているような雰囲気でカトレアがいつも通り答えてくれる。人に教えるという行為が好きなんだろうな。
「ごく単純な理由です。魔道具がある方が便利だからです」
本当にシンプルな理由だ。そりゃそうか、という気分になる。
「【魔術と人々の関わり、習慣と文化の定着について】という本があったんです。
全部は読めていませんが、この世界における魔術の歴史の始まりと、
魔術に関わりが薄い人たちがどのように感じ、
魔術を受け入れたり、拒否したりしたのか? という本でした」
いつの間にそういう知識を仕入れてくるのか。
商人連国を立つまで数日あったが、たぶんあの時にカトレアは本を読み漁っていたのだろう。
旅支度で買い集めるものがなければ俺もついていけば良かったな。
「魔術師、というのは存在自体が貴重みたいですね。なろうと思っても魔力を感じる素養がなければなることは出来ない。魔術師の数が少ない上に、魔力を感じられる人もほとんどいないので、訳の分からない力で火を出したり風を吹かせたりする人にしか見えないわけです」
俺も魔術に明るい方ではないが、まったく感じられないわけではない。
目くらましで使う
「というわけで、魔術に理解があるのは一部の上流階級に限られます。
王族や貴族であれば、財があり見聞も広い。
魔術は扱えずとも、それが何たるか知り、お金を払って魔術師を雇ったりできるわけです。
だいたいどの国にも王家に仕える魔術師やお抱えの術師の一族がいるそうですよ」
なるほどな。
金と情報を持つ階級の人間であれば、魔術の便利さを放っておくわけがない。
「魔術の才はほとんどの場合、血筋で決まります。
ですので、本来は血統が良いはずの魔術師が王家や貴族の庇護下から外れ、
人の輪の外で活動している野良の魔術師というのは高い確率で良からぬことを企んでいるわけです。
良家に生まれ安定した仕事を捨てたはぐれ者ですからね。
魔術師と言えば血塗られた儀式とかやってそう……という大衆の印象がこれに繋がります。
一般人の目に触れる時にたいてい悪さをしていることで現在の悪いイメージが出来上がった……というのが本の内容です」
商人連国の王家にも代々仕える王宮魔術師がいたのかも知れない。
王に謁見した時は褒美と紹介状を頂いただけなので、王宮をゆっくり見る暇もなかったから仕方がない。
「魔術はともかく、魔道具が忌避されず使われるようになったのは、やはりその便利性からですね。
世に出回った時は得体の知れない物だ、という声もあったそうですが、
そうは言っても便利な物は誰だって好きです。即物的に人々に受け入れられ今に至っています。
……まあ、魔道具はけっこうお値段もしますので、本当に誰もが親しめるほど普及しているわけではないですが、大きな都市であれば魔道具店の一つくらいはあるよね、といった塩梅で人に馴染んだみたいですよ」
なるほど大変分かりやすい説明でした。
先生に拍手。
さすがカトレアは頼りになるぜ、と皆でよいしょしていたら洞窟街道の入り口が見えてきた。
山肌を間近で見て、虫食い山脈の名を思い知る。
穴のあいたチーズのようにいくつもの穴がポコポコと空いている。
いま歩を進める街道を真っ直ぐ行くと一番大きな穴にぶち当たるのだが、そこが洞窟の街道ということだろう。
「着きました。ここからはヴィゴくんの出番ですね」
ぽっかり空いた穴がまるで鬼の開けた大口に見えて、まさか俺を地の底に飲み込むんじゃないかと悪寒が走ったりはしない。
よーしそれじゃあ準備するかな。
︎︎ 平時と変わらぬ気持ちで支度を始める俺だった。