ディエゴとの戦闘は非常に複雑かつ繊細だった。
敵の構えは
聖典のページを元に生み出した剣の刃、それを両手にして襲い来るディエゴの連撃と、多方向から飛んでくる刃の雨あられ。
洞窟街道には無数の穴があいている。その穴の中にはズラリと敵の
この投擲武器は壁や地面に突き刺さると信仰秘術が切れ、ぐにゃりと元の紙の姿へ戻る。拾って投げつけられたらいくらか攻撃の足しになったろうが、よく出来た戦法だ。
ディエゴとまともに切り結ぶ時間は僅かだった。
俺が前に、ティントアとサリは後ろを受け持つ。
サリの剣の速さはティントアに飛んで来る刃を弾くことに費やされ、後ろ側が攻勢に打って出られる余裕はなかった。サリは強力な駒だが、ティントアという術者が袋のネズミではそれを守るために防戦を強いられる。
俺の方もそう簡単な状況ではなかった。
ディエゴと一合、二合、三合と打ち合えば聖典紙剣が飛んで来る。
鍔ぜり合いでも始まれば、必ず投擲された剣の横やりが飛んできて動かざるを得なくなる。
打ち合って分かったが、正面戦闘なら俺に分がある。
一対一なら確実に、俺が一歩を上回って勝つだろう。
だが、相手方の組織立った連携の力は並ではなかった。
これだけの数の人間が聖典紙剣を投げ、ディエゴの動きの邪魔をせず、俺だけを狙い続ける。
休む間もなく的確に刃が飛んで来る。ディエゴに切りかかる直前に、ディエゴが回避行動を取れるよう正確に、距離を詰めるため踏み込んだ足を狙われ精密に、俺の邪魔を、ディエゴの補助を行い続ける。
どこまでも、どこまでも……尽きることない聖典の刃が俺を狙い続けるのだ。
「いかがでしょう? 我らが織りなす刃の
ディエゴが足を止め、手を広げて誇らしげに語る。
「ヴィゴさん、ティントアさん、あなた方は本当にお強い。
この陣形はたかだか人間二人を囲うような代物ではありません。
巨大な魔獣や怨霊を相手にする時に使います。
いまだ十全に戦闘を継続させられるそのお力……。
やはり私は、ここで繋がりを絶ちたくはない」
ディエゴがにこやかに手を差し伸べてきた。
「どうか、手を取り合えませんか?」
殺気が消え失せ、飛び回る白刃の雨も止む。
どういうつもりだ? いや……何にせよか。
罠だろうな。
仮に罠でなくとも、ここで手を組むわけがない。
だが接近を許してくれるのなら俺にはまだ手がある。
俺は、ディエゴに向けて手を出した。
求められた握手に応じるふりをして、ごく自然に前のめりに倒れる。
前傾姿勢から大きく跳躍するためではない。
そのまま態勢を低く、洞窟の地面に、その上に広がった自分の
ドプン、と。
地面の一部が水に変わったように影の沼に沈む。
これが新技だ。
サリと戦って経験を積んで得た、自分の影に潜る技。
この
まるでこの世から消え失せたような咄嗟の神隠し、ディエゴが思考停止して固まっている。だが、動き出すのは早かった。俺が消えた瞬間にまずは距離を取ろうと、そう判断したらしかった。
だが遅い。
俺がディエゴならとっくに後ろへ飛び退いている。
常人では考えられない反応速度のディエゴだが、今ここで流れた一秒は気が遠くなるほどの空白だ。
背後に回り、影から身を出しディエゴを拘束する。
殺すことも考えたが、まだ周りには千人以上の祓魔師が居るのだ。
人質を使って引かせた方が良い。
「動くな! お前らの頭は押さえた!
これ以降の攻撃はディエゴの首が飛ぶと思え!」
ディエゴは拘束され、首にナイフを突き付けられながら悔しそうな様子をひとつも見せず俺を称えた。
「なんですか今の技は!? 素晴らしい、素晴らしい! 本当に素晴らしい!
隠遁術の奥義ですか? 初めて見ましたよ!
影に潜み、影のまま移動したのですね?
戸惑いましたが、よくよく見ればヴィゴさんの影だけが動いておりました。
しかし体が反応するまでには至れませんでしたね……。
こんな隠し玉があるなんて……技を見て感動したのは久方振りにございます」
全く……調子が狂うぐらいよく喋る。
しかし一度見ただけで
「ディエゴ、観念して祓魔師を退かせろ。お前がどうしても手を組みたいって言うならアッシュが生き返った後で話も聞く。……抵抗はするなよ? 少しでも異変を感じたら、俺は簡単に首を掻き切る」
「ええ、信じていますとも。ヴィゴさんの目に宿る漆黒の闇からは、
一度こころに決めた事ならどんな汚れ仕事も完遂する強い意志を感じております」
「……だったら兵を退かせろ」
「そして、私も信じたのです。
自分の直感を、直接的な戦闘であなたに勝つのは難しいだろうと。
向かい合い、握手を交わす寸前に、
ヴィゴさんを下すのではなく……身を守ることに注力したのです」
ディエゴが、ナイフを握る俺の手を掴む。
その抵抗を見て俺はナイフで首を搔き切った。
「信じる者は救われる。私は正しかったようだ」
力を込めて掻いたナイフが、不思議な圧力によって防がれている。
「
私の授かった洗礼名にもある、
信仰心の強さに応じ使用者に
この防御力は……尋常ではない。
どれだけ肌にナイフを押し付けようと薄皮一枚すら裂けなかった。
だが、まだだ。拘束が解かれたわけではない。
筋力が増すわけでもないなら、このまま組み付いて防護術が消えるまで粘ればいい。
――ヒュッ……と。
頬を掠めた鋭い痛みで刃に気付いた。
またも何十、何百という刃の嵐が吹き荒れるのだ。
これが狙いか。
絶対の防御を手にした今のディエゴなら巻き添えで聖典紙剣を投げても問題ない。
ダメだ、捌き切れない。距離を取ってディエゴから離れるしかない。
ディエゴに当てても構わない、そうなった刃の数はとんでもない量で空間を埋め尽くす。無駄に投げられているような刃も、これだけの数があれば避ける先を必然的に潰しており、避けるよりも打ち落とさなければならなくなる。
これが続くのはマズイ。
「ティントア! サリ! 近くの穴に飛び込む! 来い!!」
聖典紙剣をいくつも弾きながら一番近くの穴へ走り込む。
「中の奴らは俺が殺る! サリは防御に徹しろ!! ティントアは俺が殺すやつを操って壁を頼む!」
刃を弾く高い音が響き続ける中、サリの了解の声を聞いて飛び込む。
直前に俺は、穴の中へ
穴の中に何人いるのか知らないが、手数で圧殺してやる。
五人も殺せばティントアの死霊術で肉壁の完成だ。
出会い頭、パッと見ただけで十人以上は居る。
あちら側も覚悟を決めていた顔付きで俺を迎撃に来る――が、遅い!
ディエゴと比べたら遅すぎる! 右手の薄葉灰影で一人、左手の黒ナイフでまた一人を斬りつけ、投げた手裏剣が手元に戻り十投剣《じっとうけん》を再開する。
防御を無視した攻撃だけに振り切った俺の動きへ合わせ、決死の相打ち狙いで俺に迫る祓魔師の攻撃は、一瞬だけ遅れて穴に転がり込んだサリが防いだ。
黒弾逆巻十投剣が血しぶきを上げて敵を襲い、サリの二刀流が十数人の白刃をことごとく打ち返し。ティントアが死にたての祓魔師を操って即席の壁を作り俺を守る。目まぐるしい攻撃と防御、一手を間違えれば決壊する綱渡りの早業だった。
一瞬の攻防で目の前に出来た死体の山。
動く者はなし。
穴の奥から追撃はなし、後ろから誰かが追ってくる気配もない。
どうやら……とりあえず籠城戦に持ち込むことは出来たようだ。
「ギリギリだった……よく成功したもんだ……」
俺も完全に息が上がっている。
それほどに離れ業、無茶を強いられた。けれどもこうしていなければ削り殺されていたはずだ。
「ヴィゴ、肩のところ……」
攻撃を貰っていたか。この程度で良かった。
「……申し訳ございません。ヴィゴ様、私の役目でしたのに……」
「なに言ってんだ。逆にあの一瞬でよくあれだけ捌いてくれた。たった一撃で済んだんだぞ? 腕も動くし問題ない。ティントアもよく合わせてくれた。壁がなけりゃもっと喰らったはずだ。二人のおかげでまだ生きてる」
ティントアもサリも、俺がそう言えば力強く頷いて返してくれる。
意志が萎えずに保たれている証拠だ。……もうあと何度かこのくらいの死線をくぐる事になるかも知れないが、何とかなる。何とかしてやるさ。
あちらの動きがないので、ティントアに頼んで肩へ布を巻いてもらう。簡単な手当だが今はこれで十分だ。その間も警戒は怠っていない。敵方も少し様子見なのか、どうにも動く気配がない。
さて、どうするか。
この人数差だ。あちらさんが整った状態で仕掛けてきて、俺たちが動かされるのは避けたい。先手を打ってかき乱し続けなければキツイ展開になる。この洞窟街道の地形は当然ディエゴたちの方がよく知っているだろう。あまりここに居続けても良くないだろうが、かと言って無暗に飛び出しても聖典紙剣の的になるだけだ。
「ヴィゴ、この死体、盾を作って突破するの、どう?」
……おお、いいんじゃないかソレ。
「二十人近く、使える死体がある。団子にして、ギュッとまとめたら、あの刃くらい、防げる」
いける。いけるんじゃないか?
あちらに他の攻撃手段があるかも知れないが、とは言えそんな事を言い出せばキリがない。目下の問題である刃の雨を防ぐことは達成できるのだ。ティントアの手を使わない理由はない。
「いいなそれ。先手を打ち続けよう。すぐいけるか? ティントア」
「もちろん」
ティントア簡単な手振りで二十人の死体がぞろぞろと立ち上がる。そして肩を組み横並びになって俺達の壁となる。
「……行くぞ」
合図と共に俺たちは穴から出て走り出す。
前後左右、どこから何が飛んできても対応してやる。
敵はまだ様子見しているのか、聖典紙剣は飛んで来ない。
洞窟街道を駆ける。駆ける。……走り続け、あまりに敵の攻撃がないのを訝しんだ俺は近くの穴に飛び込むように指示した。中から敵の気配もなかったのだ。案の定、強襲を受ける事もなかった。
「急に攻撃が止んだ……後手に回ってるのか? 死体の壁を突破する手立てがないとか?」
「どう……なんだろ。とりあえず有効、って思っちゃっても、いいのかな?」
「サリ、祓魔師の使う技や術、よくある戦法とか、何か知らないのか?」
サリは申し訳さなそうに首を振った。
「私は確かに古くからの祓魔師ですが、彼らの使う武器、聖典紙剣すら知りませんでした。お役には立てないかと存じます」
サリが生きていたのは二千年も前だ。
何か情報が得られればと思ったが、無理からぬ話か。
結局、俺たちは考えても仕方がないのでティントアの壁を信じて突っ込むことを決めた。
攻撃は一向にやって来ない。おかしい。
俺なら、俺がディエゴなら、必ずこの洞窟街道に閉じ込めた状態で戦う。殺せる相手を殺せる時に殺すのは自然な考えだ。俺ならどうする? どのタイミングで仕掛ける?
再び穴に飛び込み気配を探るが動きはない。
どうなっているんだ?
そしてティントアが放った言葉に目から鱗が落ちた。
「もしかして、ディエゴは……もうここを引き上げたんじゃ……?」
まさか、と否定しようとして思考が待ったをかける。
ディエゴは俺たちを殺すのをためらっていた。
神聖エドナ=ベルム教の目的は何だった?
教国エドナへの進攻だったはずだ。
「それは……その可能性は……ある。
ディエゴには俺達とここでやり合う旨みが、ない……。
俺達がここで警戒して時間を使えば使うほど……相手の思うつぼ……なのか?」
そうだとしたら、今すぐにでもここを出て教国へ向かわなければならない。
だが、いま俺達がそう思考する事まで読まれており、不意を打って確実に殺す作戦だったとしたら……。
良くない。たらればで行動し過ぎると動きが鈍る、悪ければ今後の展開に追いつけなくなる。
「……ティントアの意見に賛成する。不意打ちの可能性も捨てきれないが……ここで警戒しながら洞窟街道を抜けていたんじゃ手遅れになる可能性もある。死体の盾を置いて、全力で走ることになるが、いいか?」
二人が頷く。
結局、ティントアの読みと俺の判断は正しかったようで、刃の一本も飛んで来ず、拍子抜けもしたが、いつしか街道から覚える人の気配は皆無となっていた。
くそ、ディエゴにまんまとしてやられたわけだ。
個人の戦闘能力もさることながら、あの人数の部下を鍛え、まとめ上げてきた指揮能力は脅威だ。
間に合え、間に合え……。
焦る気持ちを必死に抑え、ひた走る。
クロエ、フーディ、カトレア、無事で居てくれ。
ようやく洞窟を抜け、遠目に映る平原の砂煙を見て背筋が震えた。
大勢の人間が揃って歩くその姿、戦の音が、