北朝鮮召喚   作:コンギョ1

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## 第五章 嵐の前

 

### 一、転移後七十五日目──旧ガイア神聖国領・アルタリア占領統治庁

 

焼け焦げた大神殿の残骸を背にして、仮設の統治庁舎が突貫で建てられていた。コンクリートブロックとエーテル結晶の融合建築──北朝鮮の実用主義とこの世界の魔法が初めて形を成したものだ。

 

朴正浩大佐は、旧神聖国の地図に赤と青のピンを刺しながら、セレスティアに尋ねた。

 

「この世界の住民は、我々をどう見ている」

 

セレスティアは窓辺に立ち、かつて自分が仕えた国の廃墟を見下ろしていた。白い巫女装束は脱ぎ、北朝鮮軍が支給した灰色の作業服を着ている。それが彼女には喪服のように見えた。

 

「恐れています。当然でしょう。十七分で二つの軍を壊滅させた国を、誰が恐れずにいられますか」

 

「恐怖だけか」

 

セレスティアは振り返った。

 

「──いいえ。一部には、期待もあります」

 

朴正浩は手を止めた。

 

「ロムニア帝国の圧政に苦しむ人々がいます。帝国の属州で奴隷のように働かされている民が。彼らにとって、帝国を打ち破る力を持つ存在は──たとえそれが異界の悪魔であっても──希望に見えるのです」

 

朴正浩は地図に目を戻した。ロムニア帝国の版図は広大だった。アルカディア大陸の東半分を覆い、南のガイア領を呑み込んだことで、さらに膨張している。

 

「希望か」

 

彼は呟いた。その言葉の重さを、噛みしめるように。

 

* * *

 

### 二、同日──平壌・最高司令部 戦略会議室

 

壁一面に引き伸ばされたアルカディア大陸の地図。その前に、朝鮮民主主義人民共和国の軍事指導部が勢揃いしていた。

 

金正天が口を開いた。

 

「ガイア神聖国の壊滅から三日。ロムニア帝国の反応を報告せよ」

 

李永吉総参謀長が立ち上がった。

 

「帝国軍は前線司令部の壊滅により、指揮系統に重大な混乱を来しています。クラウゼン最高司令官は戦死。後任の任命に帝都で政争が起きている模様です」

 

「つまり、今が好機だと」

 

「はい。しかし──」

 

李永吉は言葉を切った。

 

「しかし、帝国の総兵力はなお六十万を超えます。我が人民軍の総兵力は十一万。正面からの戦争は、数の上では圧倒的に不利です」

 

沈黙が落ちた。

 

崔智勲科学院院長が手を挙げた。

 

「一つ、報告があります」

 

彼はテーブルに一枚の写真を置いた。エーテル結晶の断面を電子顕微鏡で撮影したものだ。

 

「エーテル結晶の構造解析が完了しました。この結晶は──我々の科学で言えば、一種のエネルギー変換媒体です。熱、光、運動、あらゆる形態のエネルギーを変換・増幅できる」

 

金正天の目が光った。

 

「軍事的応用は」

 

「既に着手しています。まず、通常弾頭の威力を三倍に増幅する砲弾コーティング。次に、レーダーの探知範囲を十倍に拡大するエーテル増幅アンテナ。そして──」

 

崔智勲は眼鏡を押し上げた。その目に、科学者としての興奮が隠しきれずに滲んでいる。

 

「魔法防御を無効化するのではなく、逆用する方法を発見しました。エーテル結晶を特定の周波数で振動させることで、敵の魔導防盾のエネルギーを吸収し、こちらの攻撃に転用できます」

 

会議室がざわめいた。

 

金美蘭が静かに言った。

 

「敵の盾を、こちらの矛に変えるということですか」

 

「端的に言えば、そうなります」

 

金正天は地図を見つめた。六十万対十一万。だが、数だけが戦争を決めるなら、歴史上の番狂わせは存在しない。

 

「作戦の骨子を聞こう」

 

李永吉が指揮棒を取った。

 

「"主体の雷霆"作戦──三段階で構成します。第一段階、航空打撃。ヘリ部隊とエーテル増幅ロケット砲による帝国軍集結地への先制攻撃。第二段階、機甲突破。エーテル結晶で強化した装甲車両部隊による帝国領中央突破。第三段階──」

 

彼は指揮棒の先を、帝都ロムニアグラードに突き刺した。

 

「首都制圧。帝国の指導部を無力化し、戦争を終結させます」

 

金正天は静かに頷いた。

 

「期間は」

 

「春の雪解けから六十日以内。それ以上長引けば、帝国に態勢を立て直す時間を与えることになります」

 

金正天は窓の外を見た。平壌の街に、この世界の早春の風が吹き始めている。

 

「──六十日か」

 

彼は振り返った。

 

「全軍に準備を開始させよ。三ヶ月後、我々はロムニア帝国を打つ」

 

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## 第六章 主体の雷霆

 

### 一、転移後百五十日目・春──旧ガイア領南部・第一戦線

 

夜明け前の闇の中、大地が震えていた。

 

ロムニア帝国軍新司令官フリードリヒ・フォン・ヴァレンシュタインは、前線司令部の地図台に両手をつき、北方からの報告を睨みつけていた。四十代半ばの俊英。クラウゼンの死後、帝国軍の再編を僅か二ヶ月で成し遂げた男だった。

 

「北の異邦人が動き始めました」

 

参謀が報告する。

 

「旧ガイア領に集結した兵力──推定三万。ただし、あの鉄の乗り物と空飛ぶ機械の数は不明です」

 

ヴァレンシュタインは歯を食いしばった。彼はクラウゼンとは違い、北の「悪魔」を侮ってはいなかった。アルタリアでの十七分間の報告書を、彼は百回読み返していた。

 

「魔導防御は効かない。正面からの騎兵突撃は自殺行為。ならば──」

 

彼は地図上の山岳地帯を指した。

 

「地形を活かす。奴らの鉄の乗り物は平地でこそ力を発揮するが、山岳では機動力が制限される。峠に魔導要塞を築き、消耗戦に引きずり込む」

 

理に適った判断だった。

 

だが彼はまだ知らなかった。北の「悪魔」が、この三ヶ月で何を準備していたのかを。

 

* * *

 

### 二、同日・未明──北朝鮮軍前線陣地

 

朴正浩大佐は、暗闘の中に整列した車列を見渡した。

 

T-62戦車の砲塔にエーテル結晶の増幅装置が取り付けられ、装甲表面が淡い青の光脈を走らせている。ただの旧式戦車ではない。魔法と科学が融合した、この世界のどこにも存在しない兵器だった。

 

その後方には、BM-30ロケット砲車両が無言で並ぶ。砲弾の一発一発にエーテル結晶がコーティングされ、着弾時に敵の魔導防御エネルギーを吸収・転用する。崔智勲が「反転弾」と名付けた新兵器だ。

 

「全部隊、展開完了」

 

金哲洙少佐が報告した。その声にはかすかな震えがあった。これから始まるのは、この異世界での初の全面戦争だ。

 

朴正浩は空を見上げた。この世界の星座は地球とまるで違う。だが、兵士たちの顔に浮かぶ緊張と覚悟は、どの世界でも変わらない。

 

通信機が鳴った。平壌からの暗号。

 

【全軍に告ぐ。"主体の雷霆"作戦、開始】

 

朴正浩は通信機を握りしめた。

 

「──全砲門、開け」

 

* * *

 

### 三、夜明け

 

空が燃えた。

 

数百発のエーテル増幅ロケット弾が、ロムニア帝国軍の前線陣地に降り注いだ。通常の砲弾とは違う。着弾した瞬間、帝国軍の魔導防盾が青く輝き──そのエネルギーが爆発に吸い込まれ、威力を倍加させた。

 

防御が攻撃に転化する。守れば守るほど、破壊が増す。

 

魔導騎士たちが理解するより早く、第一防衛線は消滅した。

 

「防盾を──防盾を張れ!」

 

帝国軍の指揮官が叫ぶ。

 

「駄目です! 防盾を張ると、敵の砲弾が──」

 

「ならば下ろせ!」

 

「防盾なしでは通常の砲撃にも──」

 

魔法を使えば威力が増す。使わなければ素の砲撃に晒される。どちらを選んでも地獄だった。

 

二時間で、ロムニア帝国軍の前線は三十キロ後退した。

 

* * *

 

### 四、第七日──フレドリクスベルク峠

 

ヴァレンシュタインの読みは正しかった。山岳地帯に築かれた魔導要塞は、北朝鮮軍の進撃を確かに鈍化させた。

 

だが、止めることはできなかった。

 

「報告。敵の空飛ぶ機械が、峠を迂回して後方に兵を降ろしています」

 

ヘリボーン作戦。魔導要塞が正面を睨む間に、ヘリコプターが歩兵を背後に送り込む。この世界の軍事常識には存在しない三次元の機動だった。

 

ヴァレンシュタインは地図を睨んだ。前線は崩壊していないが、後方が蝕まれている。補給線が断たれれば、要塞は巨大な棺桶になる。

 

「──撤退だ」

 

参謀たちが息を呑んだ。

 

「帝都まで退く。城壁と全魔導師団で防衛線を構築する。奴らを市街戦に引きずり込めば、空の優位は相殺できる」

 

冷徹な判断だった。だがそれは同時に、帝都以外の全領土を放棄することを意味していた。

 

「閣下──帝国の威信が」

 

「威信で戦争には勝てん」

 

ヴァレンシュタインは背を向けた。

 

「生き延びろ。生き延びて戦え。死んだ英雄より、生きた兵士の方が帝国には必要だ」

 

* * *

 

### 五、第二十一日──ロムニアグラード城壁前

 

帝都ロムニアグラード。

 

アルカディア大陸最大の都市が、北朝鮮軍の眼前に姿を現した。

 

高さ三十メートルの城壁。その上に展開された千二百基の魔導砲台。空を覆う三重の魔導防盾。ヴァレンシュタインが残存兵力の全てを注ぎ込んだ、帝国最後の防衛線だった。

 

朴正浩は双眼鏡を下ろした。

 

「──流石だな」

 

金哲洙が隣で呟いた。

 

「反転弾を使えば防盾は無効化できますが、城壁の物理的な厚みがあります。それに、市街地です。民間人の被害が──」

 

「判っている」

 

朴正浩は通信機を取った。

 

「最高司令部へ。ロムニアグラード前面に到達。帝国軍は全兵力を集中し、要塞化を完了している。力攻めは可能だが、民間人の犠牲が甚大になる。指示を求む」

 

返信は、金正天自身からだった。

 

【民間人に被害を出すな。我々は解放者であり、破壊者ではない。別の方法を探れ】

 

朴正浩は通信機を見つめた。そして、ゆっくりとセレスティアの方を向いた。

 

「──この都市に、城壁を迂回する方法はあるか」

 

セレスティアは目を伏せ、しばらく黙っていた。やがて、低い声で答えた。

 

「あります。古代魔法帝国時代の地下水路が、城壁の下を通っています。帝国の現政権はその存在を知りません。知っているのは──神聖国の神託巫女と、古代文献の研究者だけです」

 

朴正浩は彼女を見た。

 

「なぜ教える。お前の国を滅ぼした我々に」

 

セレスティアは顔を上げた。その青い瞳に、かつての怒りはなかった。代わりにあったのは、冷たい決意だった。

 

「ロムニア帝国は、ガイア神聖国を侵略し、数十万の民を殺しました。オラクルスが禁忌の召喚に手を出したのも、帝国に追い詰められたからです。──私の国を滅ぼしたのは、あなた方だけではない」

 

彼女は地図の一点を指した。

 

「ここです。旧水路の入口。城壁から三キロ南の丘陵地帯に隠されています」

 

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## 第七章 帝都陥落

 

### 一、第二十三日・深夜──ロムニアグラード地下水路

 

暗闇を、百二十名の特殊部隊員が這うように進んでいた。

 

古代の石積みの水路は狭く、天井から雫が絶えず落ちてくる。エーテル結晶の微光だけが足元を照らしていた。先頭を行くセレスティアの白い髪が、闇の中で淡く浮かんでいる。

 

朴正浩は彼女の背中を見ながら、思った。

 

この女は、自分の世界の全てを失った。国も、師も、信仰も。それでもなお前を向いて歩いている。強さとは、何も失わないことではない。全てを失っても立ち続けることだ。

 

「──ここです」

 

セレスティアが立ち止まった。頭上に、古い石の蓋がある。

 

「この上は、旧市街の地下貯水槽。そこから城内に出られます」

 

朴正浩は頷き、無線機の送信ボタンを押した。

 

「"穴熊"より本隊へ。突入地点に到達。合図を待つ」

 

* * *

 

### 二、同刻──城壁外・北朝鮮軍本陣

 

李永吉総参謀長が時計を見た。

 

午前三時。

 

「陽動を開始せよ」

 

城壁の正面に、BM-30ロケット砲が一斉に火を噴いた。だが今回は、城壁そのものではなく、その上空に向けて。エーテル結晶弾が魔導防盾に次々と突き刺さり、空を青白い閃光で染め上げる。

 

城壁上のロムニア軍が一斉に反応した。魔導砲台が轟音とともに応射を開始する。

 

ヴァレンシュタインが叫んだ。

 

「正面攻撃だ! 全魔導師団、防盾を最大出力に──」

 

その命令が、致命的な過ちだった。

 

全ての目が正面に向いた瞬間、城の内側で──爆発音が響いた。

 

* * *

 

### 三、城内

 

石蓋を吹き飛ばして飛び出した特殊部隊が、城門の制御室に殺到した。

 

魔導式の城門開閉装置はエーテル結晶で動いている。崔智勲が事前に解析した手順通り、セレスティアが結晶に手を触れ、古代語の呪文を唱えた。

 

城門が──開いた。

 

三十メートルの城壁に守られた帝都の正門が、内側から、音もなく開いた。

 

ヴァレンシュタインが振り返った時、彼の目に映ったのは、城門の向こうから雪崩れ込んでくる北朝鮮軍の装甲車列だった。

 

「──なぜだ」

 

彼は呻いた。

 

「城壁は無傷だ。防盾は健在だ。なぜ、中に──」

 

答えは来なかった。代わりに来たのは、降伏を求めるスピーカーの声だった。

 

【ロムニア帝国軍に告ぐ。城門は開かれた。これ以上の抵抗は無意味である。武器を置け。民間人に被害を出すな。我々は兵士を殺しに来たのではない】

 

* * *

 

### 四、終幕

 

ヴァレンシュタインは、剣を地面に突き刺した。

 

帝国軍の将兵が、一人、また一人と武器を下ろしていく。城壁の魔導砲台が沈黙する。魔導防盾が──帝国の誇りが──静かに消えた。

 

朴正浩が装甲車から降り、ヴァレンシュタインの前に立った。

 

「フリードリヒ・フォン・ヴァレンシュタイン司令官殿」

 

彼は敬礼した。

 

ヴァレンシュタインは血走った目で朴正浩を見つめた。

 

「──お前たちは、何者だ」

 

朴正浩は一瞬考え、静かに答えた。

 

「巻き込まれた者です。望んでこの世界に来たわけではない。だが、来てしまった以上──自分たちの居場所は、自分たちで作る」

 

ヴァレンシュタインは長い間、朴正浩を見つめていた。やがて、力が抜けたように肩を落とした。

 

「……見事だった。城壁を一度も破らずに帝都を落とすとは」

 

「城壁を破る必要がなかった。門を開ければよかっただけです」

 

ヴァレンシュタインは苦笑した。それは敗者の笑みだったが、その中に、かすかな──本当にかすかな──敬意が混じっていた。

 

「──降伏する」

 

ロムニアグラードの上空に、朝焼けが広がっていた。

 

"主体の雷霆"作戦、開始から二十三日目。

 

ロムニア帝国は、滅亡した。

 

---

 

## 第八章 新しい月の下で

 

### 一、転移後二百日目──ロムニアグラード・旧帝国宮殿

 

講和条約の調印式は、旧帝国宮殿の大広間で行われた。

 

テーブルの一方に朝鮮民主主義人民共和国。もう一方にヴェルダン公国。そして、旧ロムニア帝国の降伏代表団。

 

金美蘭第一次官が条約文を読み上げた。

 

ロムニア帝国の解体。北部三州の朝鮮民主主義人民共和国への割譲。中部の独立。南部──旧ガイア領を含む──の自治領化。ヴェルダン公国の西部安全保障。そして、大陸全域での奴隷制の即時廃止。

 

最後の条項を読み上げた時、セレスティアが目を見開いた。

 

奴隷制の廃止。それは北朝鮮側が最後まで譲らなかった条件だった。

 

調印が終わった後、セレスティアは朴正浩に尋ねた。

 

「なぜ、奴隷制の廃止にこだわったのですか。あなた方の国益には直接関係がないでしょう」

 

朴正浩は窓の外を見た。ロムニアグラードの街に、初めての平和な朝が訪れている。

 

「我々の国は──地球にいた頃、世界から孤立していた。制裁を受け、封じ込められ、多くの苦しみがあった」

 

彼は言葉を選んだ。

 

「だからこそ、この世界では同じ轍を踏みたくない。力で他者を支配する秩序は、いずれ必ず崩れる。ガイア神聖国がそうだったように。ロムニア帝国がそうだったように」

 

セレスティアは黙って聞いていた。

 

「我々が欲しいのは──属国ではなく、対等な隣人だ。恐怖で従わせた相手は、いつか必ず牙を剥く。だが、尊厳を認め合った相手は──」

 

「友になれる、と?」

 

朴正浩は微かに笑った。

 

「少なくとも、敵にはならない」

 

* * *

 

### 二、同日夜──旧帝国宮殿・バルコニー

 

金正天は、初めて平壌を離れ、ロムニアグラードの地を踏んでいた。

 

講和条約の調印を見届けるために。そして──この世界を、自分の目で見るために。

 

バルコニーに立ち、眼下に広がる帝都の街並みを見下ろす。石造りの壮麗な建築。魔法の灯火が通りを照らし、市民たちが恐る恐る日常を取り戻し始めている。

 

傍らにセバスチャン公爵が立った。

 

「見事な勝利でした」

 

公爵が言った。

 

「我々ヴェルダン公国は百年かけても成し遂げられなかったことを、貴国は二十三日で成し遂げた」

 

金正天は首を振った。

 

「勝利はまだです。戦争に勝つことと、平和を築くことは、全く別の技術だ」

 

公爵は静かに頷いた。

 

「その通りです。では──これからどうされますか」

 

金正天は空を見上げた。二つの月が、並んで浮かんでいる。白い月と、青い月。

 

転移してから二百日。この景色にも、ようやく慣れてきた。

 

「この世界に、学校を建てます」

 

公爵が怪訝な顔をした。

 

「学校?」

 

「我々の科学を、この世界の人々に教える学校です。同時に、我々がこの世界の魔法を学ぶ学校でもある。知識を独占する者は、いずれ孤立する。我々は──もう、孤立はしたくない」

 

彼は公爵に向き直った。

 

「セバスチャン公爵。ヴェルダン公国との同盟を、軍事同盟から包括的な協力関係に拡大したい。教育、貿易、文化交流。この大陸に、新しい秩序を──力ではなく、協力に基づく秩序を作りたい」

 

公爵はしばらく黙っていた。やがて、静かに杯を掲げた。

 

「──異界から来た悪魔が、この世界で最も理想的なことを言う」

 

金正天は口の端を上げた。

 

「悪魔も、長く生き延びれば知恵がつくものです」

 

二人は杯を合わせた。

 

* * *

 

### 三、エピローグ

 

転移から一年が過ぎた。

 

平壌の街は変貌していた。エーテル結晶の青い光が街灯に灯り、魔法と科学の融合技術が市民の生活を静かに変えている。街角には、ヴェルダン公国から来た留学生の姿があり、市場には異世界の食材が並ぶ。

 

子供たちは二つの月を当たり前のものとして見上げ、学校では科学と魔法の両方を学んでいた。

 

北朝鮮が地球から消えたことで、地球がどうなったのか──それは誰にもわからなかった。おそらく永遠にわからないだろう。

 

だが、この世界で生きると決めた以上、振り返ることに意味はない。

 

セレスティアは、新設されたアルタリア復興大学の初代学長に就任した。旧神聖国の魔法知識と、北朝鮮の科学を融合した新しい学問体系の構築が、彼女のライフワークとなった。

 

朴正浩は軍を退き、大陸初の科学魔法研究所の所長に転じた。エーテル結晶の完全な科学的解明は、彼の生涯をかけた課題になるだろう。

 

金美蘭は、アルカディア大陸初の多国間外交会議を主催し、大陸の恒久的な平和枠組みの構築に奔走していた。

 

金正天は──平壌にいた。窓の外に広がる、地球とは違う、しかし確かに自分たちの国の景色を見つめながら。

 

窓の外では、子供たちが笑いながら走っている。その頭上に、二つの月。

 

白い月と、青い月。

 

もはやそれは、異世界の月ではなかった。

 

北朝鮮の月だった。

 

 

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